【第15話】 夜食も寝酒も習慣化は避けましょう。
セリが覚醒したのは夜遅くになってからだった。
少し体がだるいが、頭はすっきりしていた。
扉の向こうからは、わずかに明かりがもれている。
ボルターが、まだ起きているのかもしれない。
そっとドアを開けてセリが顔を出すと、ボルターは不機嫌を全面に出した表情で迎えた。
「お目覚めか。さすがに素面だろうな?」
そう言われて、セリは自分の失態を思い出し、真っ赤になった顔を両手で覆って頭を下げた。
「…………はい、お恥ずかしいところをお見せしました。できたら……忘れてください」
謝罪を聞いてもボルターの表情は変わらず、顎をしゃくってセリを呼びつける。
セリが素直にボルターの正面の椅子に座ると、正直に答えろ、とすぐに用件を切り出した。
「お前、ガランタの泉に行こうと思ったのはいつからだ。
あと水を汲もうとしてたってのはどういうことだ」
セリはボルターがガランタの泉中毒のことを心配しているのだろうと思い、自分にそういう兆候はないことを伝えてから、いくつか答えられる範囲で答えていった。
最近、自分の過去に起きた出来事の中で、大事なことが思い出せないと気づいたこと。
ナックがガランタの泉の滴を届けてくれた時に、一滴で鮮明に記憶が蘇ったこと。
泉に近づくと危険なら、一回水だけ手に入れば、安全な場所で少しずつ記憶を取り戻せるかもと考えたこと。
分かった、とボルターは息をついた。
「ナックが発端なら大丈夫か。水一滴だけで記憶が鮮明に戻るってのはすげえな。あとでどういうカラクリか、ナックに詳しく聞いてみるわ」
ボルターの言葉で、しょぼんと落ち込んだセリに、ようやくボルターが表情を崩した。
「なんだよ、まだ仲直りできてねえのか? こじれてんなあ」
口を尖らせながら、素直にうなづくセリに、ボルターは面白そうに笑った。
「やけに素直だな。そういや、お前……腹は?」
あんまり減っていないので首をふる。
ちょっとくらいなら食えるだろと言いながら、ボルターがセリの前に出してきたのはフルーツの乗ったタルトだった。
セリは目を大きく開き、見慣れない豪華なデザートに釘付けになった
「どうしたの? これ」
「まあ、ちょっと……たまたま、な。
一個しかねえから兄妹ゲンカになっちまうし、お前食え」
「え? ダメだよ。二人とも絶対これ見たら喜ぶよ?
レキサもロフェも食べ物の取り合いでケンカなんかしないって。
明日二人で仲良く半分こしておやつに出してあげようよ」
テーブルに置かれたタルトを片づけるため、席を立とうとするセリをボルターが制した。
「いい。あいつらは質より量だ。見つかると面倒だからさっさと片づけてくれ」
しかし、セリも引かない。
「そんなことないよ。ロフェって意外にグルメなんだよ?
きっと目をキラキラさせて喜んで食べると思うけどなぁ……と、いうことでこれは明日二人に」
セリの言いかけた言葉は、ボルターが机を乱暴に叩く音で中断した。
「いいから食え!
お前のだって言ってんだろ! ちょっとは察して素直に大人しく食え!」
セリはタルトの皿を持ちながら、腰を浮かせた状態でボルターを見つめた。
ボルターはというと、ばつが悪そうにそっぽを向いて、頬杖をついてしまい、セリからは表情が見えないように顔半分を隠している。
今のボルターの言い方だと、わざわざセリのために用意したと言っているようにも聞こえる。
セリはいそいそと座り直し、ホントにいいの? と小声で確認すると、とっても怖い顔でボルターが睨むので、慌てて一口ほおばった。
絶妙なバランスで構成されたクリームの甘さとフルーツの酸っぱさ、タルト生地の塩気が口の中いっぱいに広がる。
めっちゃおいしい……!!
セリは一口かじったタルトをお皿に戻すと、恭しく持ち上げ、いろんな角度から観察する。
「なんだよ、別に毒なんか入ってねえよ」
セリの方を見もせずにボルターが毒づいた。
「違うの! こんな立派なお菓子って食べるのも見るのも初めてだから、なんか感動しちゃって……」
「マジかよ。別にそんなたいしたもんじゃねえぞ? 高くもねえし」
ようやくボルターが顔をセリの方に向け、苦笑して呟いた。
「お前って、ホントになんつーか……。
食えば食ったでめちゃくちゃ喜ぶくせに、自分が食うことよりも真っ先に、あいつらにくれてやる方が出てくるんだもんな」
ボルターは少し寂しそうに笑った。
「……お前みたいなのが、いい母親になるのかもな」
声にいつもの張りがなかったので、セリは心配になって食べる手を止め、ボルターの顔をのぞき込んだ。
セリへ顔を向けたボルターが何かに気づいたように、苦笑しながらセリへ手を伸ばしてきた。
「クリームついてるぞ」
ボルターの指がセリの口元のクリームを拭い、何故かそのまま離れずに、セリの唇をゆっくりとなぞった。
ぞくっと体に走った指の感触よりも、ボルターの視線にセリは体が動かなくなった。
さっき一瞬感じた寂しさのようなものは、もはやどこにも皆無で、代わりに毒のような甘さを含む挑発的な強い視線がセリを捕らえて離さなかった。
「……なあ、お前が寝てる間、インディの野郎が訪ねて来たぜ?
お前……俺に何か話があるんじゃないのか?」
ボルターから視線が逸らせないまま固まっているセリに、ボルターが続けた。
「借金もそのままにして、レキサやロフェ、俺のこともみんな捨ててあいつのところに逃げようって?
まさかな、そんなことしねえよな。お前は、そんなことするような女じゃ……ねえよな?」
口を開きかけると、ボルターの指が中に入ってこようとするのでセリは口を必死で閉じながら首を横にふった。
「ほら、お前の口についてたクリームだろ? 舐めろよ、ちゃんと……きれいにな」
いつものような冗談っぽい雰囲気ではなく、妙に逆らえない空気を出しつつ、ボルターが命令してくる。
セリが指を舐めるまで、唇からその指を解放する気がないらしい。
「……ねえ、なんのイジワルなのこれ……、新手の嫌がらせ……ちょっ、やだ……っ」
なるべく口を開けないように文句を言おうとしたが、結局無理やり指を入れられてしまう。
一瞬パニックになったが、せめてもの報復に噛んでやろうと、セリが思いついた時にはもう手は離れていた。
「さっき俺をもてあそんだ仕返しだ。で? お前はインディとどうする気なんだ?」
もてあそんだような記憶はないが、さっきエチゾウがいたときにいろいろと恥ずかしいことをたくさんしてしまった気がするので、その点に関してセリは敢えて追及しないことにした。
「…………どうもしないよ。借金もちゃんと返すつもりだし。
今はまだ、インディさんについていくことは考えてないから。
まだ……足手まといだし、何にもできないし、ちゃんといろんなこと覚えて自信がついたら……もしかしたらお世話になるかもしれないってだけで、今すぐにここを出ていくってことは……まだ考えてないよ」
拾われたばかりの頃は、本当はすぐに出ていくつもりだった。
それなのに、いつしか借金のことを言い訳にしながらも、ここにいることを心地よく思っている自分がいる。
それと同時にそのことを責める自分もいる。
借金はチャラでいいから出ていけと言われたら――、今の自分は、きっと素直に喜んだりしないのだろう。
これがエチゾウの言うところの時間薬の作用なのだろうか。
キャラバンにいた頃の自分と、ここで暮らしている自分は、もう同じ人間ではないように感じる。
どんどん自分が変わっていく。
セリはそれが少し怖かった。
セリの言葉にボルターは、険しい顔をして唸った。
「つまり、俺にあーんなことやこーんなことを手取り足取り腰取りで仕込まれた後、それだけじゃあ飽きたらず他の男に乗り換えて、また別の男の技を教えてもらうってことか?
……お前、どんだけレベル上げするつもりだよ。そこまで行くと上級者を通り越してもはや猛者だぞ?」
「……なんか、絶対私の考えてることと違うこと考えてるよね?」
セリが向ける不審な視線も全く無視してボルターが続けた。
「前にも話したけど、お前、俺の弟子になる気はあるのかよ?」
「『手当て』は覚えてみたい、っていうのはあるよ。他にはどんな技があるの?」
「エヌセッズの技っていうより、俺個人の特殊能力的なものでいけば、子授けと安産があるな。
お前にセンスがあれば継承するかもしれねえぜ?」
「は?」
「俺の双子の相棒、サガが安産、カノンが子授け、触るとご利益テキメンだぜ? すげえだろ?」
どこから出したのか、左右にそれぞれ戦斧を掲げて自慢してくるが、セリにはどっちがどっちだか分からない。
そして、いちいち武器に名前をつけていることにも驚いた。
「それ、すごいことなの?」
「すげえに決まってんだろ? 若い人妻が俺に妊娠させてくれってすがりついてくるんだぜ? めちゃくちゃクるだろ、このシチュエーション!
……まぁ、お前女だもんな、悪かった。今の話は忘れてくれ」
さすがにセリの冷たい視線に負け、ボルターは素直に謝り、説明を続けた。
「このご利益だけで食いつなぐのはキツいが、自分を売り込む宣伝には、やっぱ男より女をつかんだ方がいろいろ有利だしな。
言ってみればちょっとした営業的な能力みたいなもんだ。
ああ、そういやぁちょうど八百屋の若奥さん、たぶん、子供できたぜ?」
「なんでそんなこと分かるの!?」
子供ができたかどうかまで分かる能力があるのだろうか。
と、いうより下手すれば、実は腹の中のは俺の子供だとでも言い出しかねない。
驚いてから、セリは続きを聞くべきではないのかもしれないと怪しみ始めた。
「ちょっと前に野菜たくさんもらっただろ? あん時、カノンの方に触らせてくれってギルドまで訪ねて来たんだよ」
本当にご利益目当てで来る人がいるんだ……。セリは心底驚いた。
「いやあ、これからあの夫婦は毎晩毎晩子種の仕込みで忙しくなるんだなあって思ったら、顔がにやけるのを我慢するの大変だったぜ」
「……………そういうこと、あんまり考えるのは………よくないと思うけど」
「ん? そういうことってどういうことだよ?」
意地の悪い笑みを浮かべて先を促すボルターに、セリが顔を真っ赤にしながら小さくもごもごつぶやいている。
「子供の作り方は知ってますって顔だな。おもしろくなってきた! 酒飲むか! お前もつきあえ!」
えっ? とセリが反応するより早く、ただしお前は酒抜きだけどなとボルターが満面の笑顔で機嫌よくキッチンに立った。
手際よくグラスに果物を絞り、いくつかの飲み物を混ぜ合わせ、あっという間にグラスに美しいグラデーションに彩られた飲み物がセリの目の前に置かれる。
山盛りのナッツ類も置かれ、乾杯となった。
ボルターの飲み物はというとウィスキーだ。そのままストレートでグラスに注ぐ。
「一人で飲んでもつまんねえから、家の酒が減らなくてよ。
その甘いやつ食い終わるまででいいからつきあってくれよ。
で、子供の作り方の話だったな!」
「そんな話はしなくていいから! あんたの弟子になるとどんな特技が覚えられるようになるのかって話! なんか必殺技とか得意技、ちゃんとしたやつ、他にないの?」
「得意技か……寝技が得意だぞ? 特に夜の。相手は女専門だけどな。
俺についた『夜の帝王』の称号は伊達じゃねえよ?」
あんたの持ってる称号は『鋼翼の帝王』だったでしょうが!! 適当か!!
だが、ここでこの話を出すとさらに脱線していきそうだったのでセリは我慢した。
「ねえ、どうしてそういう方向に持っていこうとするの? 真面目な話がしたいんだけど!」
「そういう方向ってどういう方向だよ。頭ん中でいやらしい想像してんのはそっちだろ?
俺がスライム相手に関節極めて、タップもらったって話、知らねえな?」
「いや、絶対嘘でしょ?」
あの軟体生物に関節があるなんて聞いたことがない。
さあ、どうだろうなと意味深な笑みを浮かべて、ボルターは速いペースでグラスを傾けていく。
「ああそうだ。あとは胸がでかくなる」
「その話はもう聞いたからいい!」
しかしボルターはセリの制止も空しく、懇切丁寧に前回同様、いやらしい手振りも含めて詳細な説明を繰り返した。
「もう最低! いつもそうやって女の人の胸ばっかり見てるんでしょ!?」
セリは真っ赤な顔をして文句を言った。
「いや、俺はどっちかって言えば胸より尻派だな。
そう、尻って言えばお前の尻って……いい形してんだよなあ。すげえ俺の好きな感じ……」
「!?」
グラスに口をつけながら、品定めするような視線を向けられ、セリは椅子の背もたれいっぱいに身を引いた。
「……なあ、今度タイトのミニスカート買ってやるからはけよ。
んで上からあの白い方のフリフリのエプロン着けてよ、あれやってくれ、『ご飯にする? お風呂にする? それとも私のお・し・り?』」
「ちょっと! その流れで出てくる最後のおしりって何!?」
「『そりゃあもちろん、お前の尻をたっぷりかわいがってからの、次に一緒の風呂に決まってんだろ?』
『もぉ、ボルタぁったら、ホントにセリのおしりが好きなんだから♡』
甘えた声を出しながら、セリがボルターの首に手を回し、躰を擦り寄せてくる。
ボルターはセリの腰を抱きながら、エプロンの紐をほどき、そのままセリのタイトスカートの上から弾力のある尻の感触を楽しむ。
『……っボルタぁ、早くぅ』
『なんだよセリ、風呂まで我慢できねえのか? しょうがねえな……』
セリのおねだりに、ボルターはタイトスカートの中へ手を……」
「ストップ! もう十分! せっかくのタルトがマズくなるからもうやめて!
ねえ、ホンっっト気持ち悪いの! そのキメ顔とキメ声の謎の語り!!」
「なんだよ、これから激しくなってくるってのに。聞きてえだろ?
この日の夜のお前の乱れ方…………半端ねえよ?」
「断じて! 聞きたくない! っていうかあんたの頭の中の私って……いい! やめて! 言わないで!!」
きっぱりと強い口調で拒絶しながらセリは冷や汗をかいていた。
ヤバい。お酒も入ってるせいか下ネタがいつもより激しい。
さっさとタルトを食べきってしまって、寝てしまおうか。
いや、でも、せっかくの美味しいタルトをやっつけで口の中に入れて片付けてしまうのはもったいない。
そして悔しいことに、ボルターの作ってくれた飲み物もすごく美味しい。
できれば――もう一杯、お代わりが飲みたい――!
「まあ、俺の弟子に本当になるにしても、俺は教えてくれんのを待ってるようなやつには何も教えねえよ。
教わりたいなら、てめえから教わりに来い。
まあ、まずはギルドの入会金が必須だけどな」
「高いの?」
正直借金持ちのセリには、これ以上の出費は厳しい。
「入会金が3000y、更新は1年分で2000yだな。ついでにいうと、お前の借金が……ざっと計算してあとまだ7000yくらいはある」
「……!? 増えてる!?」
「トイチだからな。頑張らねえと元金、減らせねえよ?
まあ、お前も勉強になっただろ。金って言うのは簡単に借りるもんじゃないってな」
完済できる気がしない。そしてどうしてそんなに増えたのか、仕組みの計算が分からない。
呆然とするセリにボルターが声をかけた。
「お、グラスが空だな。もう一杯つきあえよ。たっぷり寝たんだ、まだ寝ねえだろ?」
自分のグラスを飲み干して立ち上がると、さっきとは違うカクテルをセリに振舞った。
一杯目は甘いオレンジベース、二杯目はライムベースの少し苦みのあるすっきりした飲み口だった。
どちらも甲乙つけがたく、すごく美味しかった。
ボルターもチェイサーだと言って、ウィスキーのグラスの横にもう一つ、セリの飲んでいるのと同じものを並べた。
「すごいね、何種類くらい作れるの?」
「ん? 材料があればあるだけ作れるな。
町長にもらった金券が釣り銭出ねぇから、帳尻合わせでジュースだの炭酸水だのを買っちまうんだよなぁ。
それにしてもレモンやらライムやらが常に家にあるのはなんでだ? お前……つわりとか言うんじゃねえだろうな?」
「つわり?」
聞き慣れない言葉なので聞き返したが、ボルターは「いや、何でもない」と小さく笑ってごまかした。
惜しみつつも、フルーツタルトを完食し、セリはどうしても気になっていた質問を改めてボルターに尋ねてみた。
「ねえ、これ、どうして急に買ってきたの?」
酒が程よく回っているせいか、ボルターはさっきとは異なり、「んー……」と、少し考えながらつぶやいた。
「まあ、よく考えたら……大怪我した後、ほったらかしにしたうえ、働かせすぎちまったかなって、今さら……気づいたっていうか、なんていうか。
つい、お前に……甘えちまって、任せっきりにしちまって……。
お前だって、いろいろ悩みだったり、自分の問題だって抱えてんのに……悪かったな、って。
こんな菓子ひとつでご機嫌とりっつうのも、虫が良すぎるのは分かってんだけど……」
酔っぱらっているんだろう。伏し目がちにボソボソと呟くボルターが、らしくない。
なんか、調子狂うな。いたたまれずセリはボルターに声をかけた。
「そんなことないよ。すごい、嬉しかったよ」
ボルターを励ますつもりでセリが言うと、顔を上げたボルターと目が合った。
なんとなく見つめ合うのが恥ずかしくなって、今度はセリの方が顔を背けた。
「また……ご機嫌取りたくなったら、別に、いつでも買ってきてくれてもいいけど?
お酒の相手しながら、一緒に食べててあげてもいいし?」
セリの照れ隠しの言葉にボルターが吹き出した。
「……っお前、時々絶妙なタイミングでツンデレ発動するよな。一体いつどこで誰に仕込まれたんだ? そいつ、相当の手練れだろ?」
「内緒だもん」
セリがごまかすと、ボルターはそれ以上は追及してこなかった。
この距離感のおかげで自分はここにいれるのかもしれない。
追及されたら、ここにはきっといられない。
聞かないでいてくれるのは、ここにいてもいいということなんだろう。
セリは今日初めて、ボルターの気遣いと懐の深さに気づいた。
自分がここにいてもいいと、受け入れられていることにも。
タイトスカートの後日談の短編あります。
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【番外編】(after.15)だいたいの男はタイトスカートもお好き
良かったらどうぞ。




