【第14話】いつの世にも依存<悪>は絶えない……
陽光が暖かく降り注ぐ昼下がり。
セリは森の入り口の茂みの中で、気配を殺して潜んでいた。
もちろん、かくれんぼではない。
しばらく様子を見ていたが、周辺で人が近づく気配は全くなかった。
確かにモンスターが出るかもしれない森へは、一般の観光客や町人は気軽には立ち寄らないのかもしれない。
セリはガランタの泉の水を汲んでくるミッションを開始する前に、頭の中で情報を整理した。
・ガランタの泉ツアーは本日お休み→関係者及び観光客はいない(はず)。
・ツアールートのパトロールは、朝と夕方の1日2回→この時間ならギルドのハンターに見つからない(はず)。
・レキサとロフェの相手はちょっとだけチアムにお願いした→泉に行くことは黙って来たのですぐに帰ればバレない(はず)。
・夕飯は在庫処分メニューを考えているから、午後の買い物なしでも調理可能→ボルターに怪しまれない。
・ボルターはギルドに出かけていて夕方まで戻ってこない→ボルターに怪しまれない。
不確定要素が多い気がするが、条件が揃う機会自体が少ないこともあり、セリはガランタの水汲みを強行することにした。
残念ながらナックとの仲直りは、間に合わなかったが、泉の水を手に入れるためにナックと仲直りをしたがっているように思われるのは嫌だった。
失言で傷つけた前科もあるので、セリはナックとの仲直りには慎重策をとっている。
ガランタの情報はチアムがほとんど教えてくれた。
もともとチアムは泉周辺のモンスターの駆除や、ツアー客の護衛などに関わる、今回のツアー協賛の主要ギルドのメンバーだったのだ。
セリが森の中で、倒れたラーニとともに茫然と座り込んでいたのを見つけたのも、チアムのパトロールの時間と重なっていたからだったと後で知った。
『まあ、もともとあんた、ガランタ第一発見者だしね。私が教えたって内緒にしといてよ』
と、一応の口止めをしてからのチアムの口は軽かった。
ガランタの泉の中毒性のこと。その中毒性が非常に高く、対応に苦慮していること。
中毒症状悪化を防ぐために、現在ガランタツアーは可能な限り開催日を減らし、参加者が短期間に集中してガランタの泉に近寄らないようにしているらしい。
しかもこの件について、一部のギルドの間のみで箝口令が敷かれており、公にはなっていないということだった。
あまりに何でもペラペラと話すので、セリはチアムに水汲み同行をお願いしようと思っていた計画を中止した。
これは、確実にチアム経由でバレる――!
セリは必要な情報をすべて聞き出してから、黙って一人で行くことに決めた。
森の中へ足を踏み入れると、セリが予想した通り、ツアーで訪れた観光客の歩いた形跡が、わずかに道として残っていた。
これを辿ればガランタの泉に行ける。セリがそう確信したときだった。
「どこに行かれるのかな、お嬢さん」
低く、威勢のいい声に呼び止められ振り返ると、ボルターよりも二周りほど年が上に見える男が立っていた。
さっそくバレた! と緊張が走るが、相手の男性がとても親しみやすさを感じる笑顔を浮かべているので、すぐに緊張は解けた。
「す、すみません。実は私、前にここに来たときに、お母さんの形見の指輪を落としてしまったんです。それで、どうしても探したくて、それで……」
前もって考えていた嘘を必死で並べ立て、声もちょっと幼い感じにしてみる。
「ほお、そいつは確かに大事だ。しかし、女子がひとりで森に入るのはならんな。
どれ、俺がついていってやろうか」
おっと、どうしよう。水を汲むところなんか見つかるわけにいかないし、でもこのオジサン、ガランタの場所知ってるっぽいし。
何よりここで断ると絶対怪しまれそう。
「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えてもいいですか?」
セリがそういうと、男は目尻に深い皺を作り、さらに温かい笑みを深めた。
男は【ビーゼットディ】というギルドのメンバーで名前をエチゾウと名乗った。
エチゾウはセリがガランタツアーの参加者の一人だと思ったようだ。
セリ自身もエチゾウとは初対面だし、ビーゼットディというギルドは聞いたことがなかったので、エヌセッズとはあまり交流のないギルドなのかもしれないと推測した。
チアムから仕入れた情報にも出てきていないギルドだったので、セリは少し緊張を緩めた。
「形見であるということは、お母上はご存命ではないのか。お母上の姿を見に、泉に参られたのかな」
エチゾウが穏やかな声で尋ねてくる。
泉で母親の姿を見たのは本当だったので、セリは無言で頷いた。
「お前さんの歳から見るとまだお若かったろうに。流行り病か?」
セリは静かに首をふって答えた。
「殺されました。村を襲った野党かなにかに。私を守ろうとして」
ゴミのように足蹴にされ、転がされていた。
思い出しても、枯れてしまったかのように涙は出ない。
何の感情も湧かない。そこにあるのは、やはり空白だった。
「……そうかぁ、そりゃあ悪いこと聞いてしまったなあ……許せ」
エチゾウが頭を下げた。
大の男の人が、自分のような子供に頭を深く下げることにセリは驚いた。
ボルターだったら絶対こんなことしない。
「そんな……大丈夫です、気にしないでください。
両親のことは覚えてないんです。
ガランタで『見た』けれど……最初は感極まって泣いたけれど、時間が経つとやっぱり自分の身に起きたことじゃないみたいで、夢の中での出来事みたいなんです」
微笑みながら答えるセリを、エチゾウは真剣な表情で受け止めていた。
「時間薬、という言葉がある。
忘れるということは悪いことではない。時の流れはお前さんの味方だ。
悲しみが薄まったとて……何も自分を責める必要はない」
温かい日向のような微笑みをたたえ、セリの頭に大きな手を乗せる。
悲しみが薄まっても――。
キャラバンのみんなが死んでしまったことを思い出さなくなっていても。
ここで暮らすことを楽しいと感じていても。
それを責める必要はない、ということなのだろうか。
もし、そうであるのなら――、それを喜ぶべきなのだろうか。
まだ、喜んではいけないと、自分の中で抵抗しているもう一人の自分がいる。
すべてを包み込んでくれそうなエチゾウの雰囲気に、セリは目の奥が熱くなった。
不思議な男性だった。
初めて会ったばかりなのに、思わず心をひらいてしまいそうになる。
ナックに顔を突っ込んだ時のような、何でも受け止めてくれるような安心感もある。
この人の胸に飛び込んでしまいたくなる衝動を、セリは抑えつけた。
前を歩いていたエチゾウが立ち止まる。
「見えてきた。あの先だが、気をつけよ。
あの泉は人を魅了し、捕り込もうとする。なるべく近づかんことだ」
エチゾウの忠告にセリは神妙な顔でうなづいた。
うなづいたついでに、セリは足元に生えている草の伸び具合を確認する。
程よく生い茂った雑草のおかげで、小さい指輪を探すのに手間取っている体裁を取り繕える。
なんとか隙をみて、水を汲まなければいけない。
しゃがんで雑草をかき分け、指輪を探すふりをしながら、セリは一緒になって探してくれているエチゾウに心の中で謝る。
そして、小石をいくつか手に取ると、エチゾウに気づかれないよう、遠くの茂みへと連続で投げた。
小さな獣が遠ざかるような音を立てて、茂みが揺れる。
「エチゾウさん! あっちになにかいます!! 怖いんで……見てきてもらえますか?」
「うむ、分かった。そこを動くでないぞ」
茂みの向こうへ駆けていくエチゾウの背中を見送り、セリはすぐに懐から小さな水筒を取り出した。
以前、泉に引きずり込まれたのは、水面に自分の顔が映ったときだった。
今回は泉に顔を向けないようにして、手探りで水を筒に流し込む。
あの時のように、泉は光を放つ様子もない。
よし! これであとは帰るだけ!
ガランタ水汲みミッションは成功した。
その時までは、セリはそう思っていた。
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「…………どういうことか説明してもらえるか?」
完全に目が座った状態で、苛立ちを隠そうともせずボルターが低い声で問い詰める。
ボルターの視線の先には、なんともしどけない体勢で、エチゾウにもたれかかって支えられているセリがいた。
「すまんすまん。ガランタの中毒者と思ってな。思い切り俺の『鎮静』と『催眠』を食らわせてしまったわ」
朗らかに笑いながら頭を掻き、エチゾウが謝った。
「思い切りってどんだけだよ! ヘロッヘロじゃねえかよ!
ガキ相手になに全力出してんだよ! あんたともあろう人が自分のスキルの特性考えろよ!」
歳の差もあるのか、ボルターの剣幕にもエチゾウは全く動じることなく悠然と笑っている。
「まあ、そうはいっても、俺の全力を食らって気を失わないところを見ると大したもんだ。
お嬢さん、アンタ、苦労人なんだなあ」
エチゾウに優しく言葉をかけられ、セリは意識がもうろうとしながらも、うるうると目を潤ませた。
「エチゾウさま……そんなこと……。
セリは、セリは……エチゾウさまにそのような……もったいないお言葉……」
「…………おいセリ、なんなんだよそのキャラ。
自分のこと名前呼びって、お前どんだけ引き出し持ってんだよ。ビビるわ。
つーかエチゾウさん、あんたマジでもう帰ってくれ。このままじゃセリが依存する」
ボルターの言葉にセリの方が反応し、力の入らない指先でエチゾウの服を懸命に握りしめ、イヤイヤと首をふる。
「いやぁ……っ、いかないでエチゾウさま……ずっとセリのおそばにいてくださいませぇ……っ」
妙になまめかしいセリの仕草に、ボルターは大きく舌打ちした。
くそウゼぇな、と小さく吐き捨てると二人に近づき、力ずくで引き離しにかかる。
「セリ!! てめえそんなおっさんにしなだれかかんな!!
さっさと離れろ! でないとマジで依存から抜けられなくなるぞ!」
しかしセリは脱力しながらも必死でエチゾウにしがみつく。
「いやぁぁ、セリはエチゾウさまと離れたくないぃ……っ。それに、エチゾウさまはおじさんじゃないもん……ひどいこといわないでぇ。ボルターと一緒にしないでぇぇぇ」
半泣きになりながらますますエチゾウに密着していくセリに、ボルターは額に青筋をたてて怒鳴った。
「俺の方が数倍若いわ!! お前なあっ、そっちは40代、こっちゃ20代なんだよ!!
お前らが密着してんのは、見ててもう犯罪臭しかしねえわ!
あー! もう分かった! エチゾウさん! 今からあんたのスキル、俺に教えろ!
んで俺と交代してあんたもう家に帰ってくれ、頼むから!」
ボルターの提案にエチゾウは愉快そうに笑った。
「駄目だ駄目だ。お前らエヌセッズのような軟派者に、俺たちのスキルを教えると思うか?
そんなことをしてしまったら、この町のご婦人方が安心して町を歩けなくなってしまうわ!
いやあ面白い冗談だ、さすがエヌセッズの頭は言うことが違うなあ」
豪快に笑うエチゾウにボルターが怒りを抑えきれず、床を激しく殴った。
父と息子ほどの年の差もあるせいか、ボルターは完全にエチゾウのペースにはまってしまっている。完全に言いくるめられる格好となり、もう言葉も出ない状態である。
部屋の隅で、レキサとロフェの面倒を見ていたチアムが必死で笑いをこらえて震えている。
ここで笑い声をあげたが最後、ボルターに消されてしまうことは明々白々なので、窒息も辞さない覚悟で食いしばっているところだった。
こんな面白い見世物は見届けないわけにはいかない。
「セリ姉!」
ここでレキサが声を上げ、ボルターとエチゾウの間に入った。
「おぅ、言ってやれレキサ! そんなおっさんより父ちゃんの方が何倍もイケてる男だってな!」
悔しいが自分では口でエチゾウに勝てそうにないので、ボルターは立ち上がった息子を応援することに決めた。
純粋な子供が離れろと訴えれば、さすがにあの密着を剥がせるはずだ。
しかし――。
「セリ姉、キレイ系が好きって言ってたくせに!
そんな濃い顔の渋いおじいちゃんに近いおじさんが好きだなんてあんまりだ!!
それじゃあ…っ、ぼくじゃ全然太刀打ちできないじゃないかあ!!
セリ姉の嘘つき!! セリ姉の……っ、バカァァァァァァァァ……っ!!!!」
叫ぶだけ叫ぶとレキサは抱き合う二人から背を向け、走り出した。
「レキサ!? この面倒くさい状況でお前まで暴走すんじゃねえ!!
戻ってこい、レキサ!? レキサァァァァァァァァ……っ!!!!」」
ボルターの制止も空しく、キラキラと輝く涙の滴を床に残し、レキサが子供部屋に閉じこもる。
この展開にチアムが限界を突破し、吹き出した。
ボルターの戦斧が飛んでくる前に、ボルター宅から脱兎の速さで離脱する。
本当はもう少し見ていたかったが、さすがに命が惜しかった。
この状況を納めたのはやはり最年長者のエチゾウだった。
「まあ確かに、このままではお嬢さんが本当に依存してしまうからな。俺はそろそろ帰るとしよう」
エチゾウの言葉に、セリはこの世の終わりのような悲痛な表情をしてエチゾウにすがった。
「いやです、いやぁ……セリは……っ、セリはエチゾウさまとはなれとうありませぬ……っ」
「すまんな、お前さんのためだ。
このまま俺といたら、お前さんは俺なしじゃ生きられんようになっちまうぞ? また明日様子を見に来よう。
なあ? その手を、離してはくれまいか? 俺がお前さんを振りほどいていくのは忍びないゆえ」
エチゾウに優しく諭され、セリは静かにエチゾウの服を握りしめていた手を離した。
セリの目からは大粒の涙がはらはらとこぼれ落ちている。
いや、マジでもう来ないでくれ、とボルターは喉元まで言葉が出かかったが、ここでセリを刺激するとふりだしに戻りそうだったので、必死で飲み込んだ。
とにかくエチゾウには早く家から出ていって欲しかった。
エチゾウが出ていった後には、床にくたりとしおれているセリが残された。
「おいセリ! いつまで床に這いつくばってんだ。さっさと起きろ!」
セリはうなだれたまま小さく首を横にふった。
ボルターが苛立ち任せに口を開こうとした瞬間、セリが切なげにボルターを見上げた。
「っ……ボルタぁ……」
妙に甘く聞こえる吐息混じりの声で名前を呼ばれ、ボルターは思わず固まった。
不覚にも血流が一点に集中する気配を感じてしまう。
「カラダに……っ、チカラが、はいらないよ……ぉっ、たす……けてぇ……っ」
セリは体を支えるのも辛い状態で、苦悶の表情を浮かべながら、浅い呼吸で喘いでいる。
「…………………おまっ、…………ちょっ………………じ……13秒待ってろ」
ボルターは口を手で押さえ、逃げるように家の外に出た。
入れ違いに大気を揺るがす衝撃が家を激しく揺さぶった。
静かにボルターが家に戻ってくる。
「しゅごーい! おとーしゃん、おめめがキラキラしてるよ?」
戻ってきたボルターの表情を見て、いままで黙っていたロフェが興奮した顔で父親を見上げた。
何故か戻ってきたボルターの顔は、少年のように爽やかなものと化していた。
「ああ! ちょっと俺の中に燃える小宇宙を爆発させてきたぜ!! ロフェ、お前は小宇宙を感じたことはあるか?」
「こしゅもじゃないの?」
「そうともいうかもな! さあセリさん! この俺が来たからにはもう安心だぜ!
さあ、俺の肩につかまるんだ!」
ヘロッヘロのセリはツッコむ余裕もなく、ボルターに担がれ部屋に連れていかれる。
「じゃあな! ゆっくり休むんだぜ!」
全く無駄のない機敏な動きでセリをベッドに寝かせると、無駄に爽やかな笑顔で片手をあげ、ボルターが踵を返す。
しかし、その動きが止まる。
セリが自分の指をボルターの指に絡めて、引き留めていた。
「……ボルタぁ……」
セリがまた甘い声で喘ぐように名前を呼ぶ。
「ねぇ……いっちゃう……? もっと、いて……?」
「………………だっ、………………くっ………7秒、待ってろ」
ボルターはまたしばらく固まった後、逃げるように部屋の外に出た。
入れ違いに家の中が大地震が起きたように激しく振動した。
「しゅごーい! ぺがしゃすしゃんだあ!!」
ロフェが何かに感動して大きな声を上げているのが聞こえた。
静かに黄金色のオーラを纏ったボルターが部屋に戻ってくる。
しかし、セリはそれを目にする前にすっかり眠りの世界に引き込まれていた。
「――っ!! てめえ!!! 寝んじゃねえよ!!!」
ボルターの悲痛な叫びは、残念ながらセリのいる眠りの世界に届くことはなかった。
古すぎて分からなかったかもしれませんが、
鬼平と星矢のつもりでした(笑)




