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最果ての私より  作者: 犬吠なぎさ
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林檎と共に、苦い汁を


 珍しく珈琲を淹れ、お茶請けには羊羹を。

 羊羹の甘さと珈琲の苦さが重なって、少しだけ幸せな気持ちになれる。

 もはや喋ることもできなくなった旅人たちを見送りながら、今日も(なぎさ)は塔に籠る。

 相変わらず外は薄白く、勝手に鳴る汽笛がなければ辿り着ける旅人は今の半数にも満たないような視程だ。

 どうせ、ここに来る旅人の大半は喋ることがない退屈な存在だ。

 彼らあるいは彼女らとのコミュニケーションはとても大変で大部分を想像で補って願いをポストに入れさせなければならない。

 こんな役目を押し付けるなら、せめてそれくらいは考えてほしかったところだ。

 

 しかし、今日は団体だったのは、なぜだろうか。

普段であれば、団体で来ることなんてまずない、というより、この役目を背負ってから数えるほどでしかなかったはずだ。それも、喋ることができない旅人たちがまとめてくるなんてことは今まではなかった。


「ま、気にしても仕方ないか」

 一言で片づけて、ベッドへ向かおうとしたその時。

 

 こんこん、こんこん。

 扉をたたく音が聞こえた気がした。

 疲れていたものの扉を開くと、子供の旅人が暗い色をして立っていた。

 輪郭は滲んで、動きは鈍く、今にも消えてしまいそうな子供はこちらの様子を窺いながら必死に何かを伝えようとしているようだ。

 

「えっと、文字は書ける?」

 問尋ねれば首を横に振り、より一層暗い色へと変化する。

「大丈夫、責めてるわけじゃないから安心して、とりあえず入りなよ」

 若干明るい色へと変じて、彼/彼女はおずおずと扉をくぐり、やはり所在なさげに部屋の隅のほうにぽつりと佇むのであった。

 

 結局のところ、無口な旅人たちに対してコミュニケーションをとるということは、なかなかにコストがかかるのである。

 自分から語ってくれるような旅人たちは、確固たる希望をもってやってくるわけで、自分を失わずに辿り着けるわけである。

 それに対して、こうなってしまった旅人たちは、自分を見失いがち、自己を確立できていない。あるいは、なんらかの事情で自己を殺してしまった人々の成れの果てのわけである。要は、ただただ、何の希望もなく今を存在しているだけの浮遊霊のような存在である。

 その点、彼/彼女はある意味稀有な例といえよう。

 

 とはいえ、彼/彼女の残り時間は少なく、いちいち文字を教えたりなどはできるはずもないので、どうしたものかと考えざるを得ないわけである。全くもって、神様(くそやろう)にはいつか文句を言ってやろうと思わずにはいられない。

 

 しばらく悩んでいると、彼/彼女は画材に近づいて、やはり縮こまりながらこちらの様子を窺っていた。


「使いたかったら好きに使いな。どうせ、いくらでも手に入るから。気にすることはないよ」


 その言葉に彼/彼女はぱっと輝き、絵筆を取った。

 しばらくその様子を観察しながら、コーヒーをすする。

 最初は迷いながら、しかし、一度絵筆をカンバスに下すと迷いを振り切るように、筆を動かした。

 やがて、コーヒーポットの中身が空になったころ、カンバスには一つの暗雲立ち込める世界が描かれていた。

 空は暗く、周りの明るいモノが小さな暗いモノを囲っている。

 そして、小さな暗いモノは何かを必死に守っている。

 そんな絵であった。


「君は絵が描けるんだね」

 彼/彼女は少し自慢げに胸を張ったように見えた。

 しかし、直ぐに何かに気が付いたかのように、またすぐに暗くなってしまう。

 

「そうだなぁ、君はどんな世界に生まれたかったの?」

 と言いながら、レターセットの紙を彼/彼女に渡した。

 しかし、さっきと打って変わって、着地点を見定められない絵筆は延々と宙に浮いたままであった。

 

 そして、そのうちに赤い絵の具が筆先から零れ落ちて、紙に染みを作った。

 その様子を見て、彼/彼女はより一層暗くなっていき、筆は余計に動かなくなり、紙には赤い染みが増えていった。


 

「確かに、赤は君にとって悲しみの色なのかもしれない。けどね、嫌な色は好きな色で塗り変えられるものだよ。それは白色のインクでやり直してもいい、塗りつぶして見えないようにすることだってできる。悲しみは絶対に消えない。だけど、見ないふりをして逃げることはできるんだ」

 

 そんな言葉(甘い毒)に、憤ったのか少しだけ明滅するような様子を見せる彼/彼女。


「もちろん、いつかは逃げきれなくなる時はあるよ。でも、逃げないといけない時だってある。そして、今ならまだ逃げ切れるかもしれない」

 

 甘い毒(ことば)を重ねて、彼/彼女をそそのかす。

 そんな自分に、これでは神様(くそやろう)と大差ないなと嫌悪感を抱きながら、「塗りつぶしちゃいなよ」とささやいた。

 

 そして、彼/彼女は毒を受け入れた。

 赤い染みに上から白色のインクをたらして、それをそのまま封筒に閉じ込めたのだった。

 

 しかし、彼/彼女の意志の強さの表れか、一つだけ赤い染みを消さずに残したことを私は確かに見たのだ。

 毒`(赤い染み)も少量であれば薬になりうる。

 彼/彼女に次こそはいい世界が巡ってきますように、と。

 その赤い染み()は良くも悪くも彼/彼女を救いますように、と。

 身勝手ながら思わずにはいられなかった。

 

 やがて、彼/彼女はポストに封筒を投函し、次の世界へと旅立っていった。

 

 

 

 さて、(かみさま)としての仕事は、旅人を送り出すほかにもう一つある。

 それは、送り出した旅人の大きな罪を、その分だけ贖わせるという仕事だ。

 とはいえ、そんな難しいことではない。

 罪人が次の世界(りんね)で得られる幸福の一部を、被害者に分け与えられるように少しだけ、輪廻をつかさどる神様(くそやろう)に口添えをするというだけだ。


 きっと、沢山の罪人たちに苦しめられた分、次は幸せな世界に出会えることだろう。

 そして、その時に、(赤い染み)が彼/彼女が道から外れないように戒めとなってくれることを切に願う。


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