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カレーパン・上

カレーパン

極極ありふれた質問で、『君はパン派かご飯派か?』という質問がある。僕的にはどちらも美味しいと思うのだが、世界はそれを許さないらしく、どちらかを選べと迫ってくる。だからこそ敢えて言おう、僕は麺派だ!

パンでも、ご飯でもなく、麺だ。もっと言えばうどん(・・・)だ!それさえあれば、三日三晩は生きていける自信がある。それほど僕は(うどん)が好きだった。

だが、彼女はどうやら典型的なパン派らしく、よくパンを奢らされた。お蔭様で僕の財布は、いつも寂しい思いしていた。もちろん、お小遣いはそれなりに貰っていたし、友達の中で一、二を争うほどの貯金もあった。たかがパンごときで、費やすことなどできまいという自信も持っていた。

だけど、彼女は奇跡を起こす。出会ってたった最初の三週間で、僕を一文無しにさせたのだ。別にトリュフ入りとかイベリコブタ使用とか、特別高いパンを買わされたわけではない。とりあえず食うのだ。驚くほど食うのだ。オカルトマニアもびっくりするくらい、食うのだ。多分、パンさえあれば彼女は一生を真っ当出来るだろう。

光に輝く短い黒髪に、少し日に焦げた肌。真っ白な歯を目一杯見せて、向日葵みたいに笑った笑顔。でも、その小柄な体格の中にはブラックホールが存在していた。僕も初めはしっかり騙された。詐欺だよ、あんなの。

・・・・ま、結局の結論は、彼女こと、小豆(あずき)() 杏子(あんこ)は恐ろしくパンが好きで、中でもカレーパンが、一番のお気に入りだということだ。



「ふあ〜あ」

 広々とした青空の下、僕は大きく欠伸した。今は昼休み。校舎の外に設けられた芝生に寝転ぶのが、気持ちいい時期だ。

僕の通う某公立高校は特にこれと言って、名物たるものがなかった。クラブも普通、勉強も普通、校舎も普通だし、行事も普通だ。唯一あるとすれば、僕の家から近いということだろうか?だけどこれも私的なものなのでノーカウント。だから、後輩なんかに宣伝するときは、恐らく苦労するだろう。

「けど、それは一週間前の話だな」

 学校の説明をしている僕に、後ろから声をかけてきた人物がいた。

「あれ、僕、口に出してたっけ?」

 声から推測して――

「――愛論(めろん)

「その名で呼ぶな、(あみ)(がけ)様だぜ」

 僕は体を起して、彼を見た。

(あみ)(がけ) 愛論(めろん)

性別、男。坊主頭に、挑発的な口元。身長も高く、肩幅も大きい。それで、何のクラブかというと吹奏楽部である。なんのこっちゃ分からん。実は、体育は僕の方ができるのだ。ただ、確か腕相撲は負けたな・・・・。

「網崖様って・・・・愛論は愛論だろ。」

「『愛を論ずる』とか俺の見た目に合わねえじゃん!」

「吹奏楽部が何を言う?」

「それは偏見だ!」

「だったら、君のも偏見だよ、愛論」

 しばらく、沈黙が続いた。暖かい空気が冷えた気がする。

・・・・ま、冗談はこの辺で、お仕舞いにしてと。

「そういえば、何の用だよ。・・・・・あ・み・が・け・さ・ま!」

「それは、それでムカつくな」

「注文が多い」

「お前が悪い」

「・・・・・・・・」

 再び冷気が現れた。が、今度は愛論から話し始めた。

「だからよ、ここの名物の話」

「だからそんなものものないだろ?」

 僕がそう答えると心底ため息をつかれた。

「はあ、・・・・お前、本当に情報網薄いな。知らないのかよ、売店フランクの奇跡のメニュー」

「きせきのめにゅー?」

 売店フランクとは、食堂についているオプションの店だが、どの辺がフランスっぽいのがわからない、普通の売店だ。そこに『奇跡のメニュー』なんて呼ばれる商品なんかあったかな?

「この学校にあった食堂を一週間前に改築しただろ」

「ん?ああ、そういや、していたな」

「そして、改築記念に売店のメニューを一つ追加した。すると、そのメニューがバカ売れ。昼休みの開始五分後から終了まで、五十個の限定販売なのだけれど、常に客の数は三百以上なんだとよ」

「三百って・・・・ほぼ全員じゃん」

「だから、奇跡のメニュー」

「ふ〜ん。それ美味しいのかよ?」

「らしいぜ」愛論は口から零れ出た涎を、右手で拭った。「聞いた話によると、スパイスが最高でよ」

「スパイス?」

「焼き立てサクサクで・・・」

「サ、サクサク?」

「パンとのハーモニーが堪らないんだとさ」

「パ、パンとのハーモニー?」

 僕は顔を引きつらせた。そして、そうであってほしくないと思いながら質問した。

「めろ・・・網崖、それって・・・『ナン』だよ、な?」

 愛論は心底、口と目を開け、叫んだ。

「はあ、馬鹿、お前?スパイシーでサクサクでハーモニーっていえば――」

 急いで耳を塞いだが・・・・・

「――カレーパン(・・・・・)じゃん」

 僕は魂からため息をつき、そこに立ちつくした。

なぜか、頭が痛む・・・・。



僕が杏子と初めて出会ったのは、中三の頃だった。一学期が始まって、初めての席替えで、偶然席が隣になった。阿弥陀くじの縁である。

それまで僕らは全くの赤の他人で、班はおろか、クラスだって同じになったことはない。何度か廊下ですれ違った気もするが、あんまり覚えてなった。向こうも、同じだろう。

とりあえず、僕らはそこで、初めてお互いを認識し合った。

「これから隣、よろしくね」

 初めて話しかけたとき、そう言って手を伸ばしてきた。

「えっ、う、うん」

 少し、うろたえながらも、その手を握り直した。握った手は小さく、暖かかった。

そして、

「じゃ、よろしくパシリ君(・・・・)

 このとき、はっきりと上下関係も確立された。

僕に対して、彼女は様々な驚くことを仕出かしてくれた。初めに驚いたのは昼食時である。僕らの中学校は弁当制で、各自自分で持ってくるのだが、彼女はなんと食パンを丸々一斤持ってきてかぶりついたのだ。

「・・・・・・」

流石にそれにはどん引きした。

他にも、帰宅部の僕に、運動部(詳しくは知らない)の彼女は『部活が終わるまで待ってて』と言い去り、律儀に待った僕は、帰り際に見事にパンを奢らされたり、『パン派?ご飯派?』の質問で堂々と『麺っ』といったら、鉄拳が飛んできたり、お陰で中学生活は退屈しないですんだ。疲労が癒されることはなかったけど・・・・。

ただ、僕が居残りをさせられた時、誰もいない校舎の中で、ポツンと一人待っていたくれた時もあった。

「よっ」

 そう言って、何でもなかったように、僕の手を引っ張って、気軽に笑った。

・・・・その帰りにパンを山ほど買わされたのは、蛇足だろう。

いつも彼女は、僕の周りにいて、そして中心だった。



「くそ〜っ」

 放課後になっても愛論は愚痴をこぼしていた。

「仕方ないだろ、人気なんだから」

 僕は彼をなだめようとするが・・・・

「うるせえ!可笑しいだろ、あんなの。ほとんど格闘技じゃねえか!?」

 そう怒って、赤く腫れた頬をさする。

「・・・・いや、まあ敢えて否定はしないけど」

 僕も痛む脛に、保険室でもらった氷を当てて冷やした。

僕らは昼休み、例のカレーパンに挑戦していた。

あの後、半強制的に愛論により、売店フランクまで連れていかれた僕は、仰天した。すでに売店は満員で、人がひしめき合っていた。

「おばちゃん、カレーパ――いってな!」

「どけえ!私が先よ!」

「ちょ、俺もカレっ」

「おばちゃ〜ん!」

「押すなっ!」

「痛いっ!」

「・・・・・・・・・・・・・」

「すげえだろ、奇跡のメニュー」

いや、すげえも何も、こんなの戦場じゃん。これじゃあ本当に、学校中の生徒がいるかも知れない。

そんなことを思っていたら、愛論が急に

「よっしゃ、行くぜ!」

 とか言い出した。

「は?行く?」

「当たり前だろ、此処で逃げたら男じゃねえー!」

とか、意味のわからないことを叫びながら、渦巻く人の大群に、一人で立ち向かっていた。人ごみに体当たりをかます。

「待て、網崖!」

 僕がそう叫んだのも束の間、愛論は綺麗な放物線を描きながら、帰ってきた。醜く地面に着地し、目を回している。

「お、恐るべし・・・・・」

「だから、言わんこっちゃない・・・・」

 僕は彼を見下ろし、ため息をついた。そしたら、愛論が唐突に僕の右腕を掴み、自分を中心に回り始めた。

「ま、まさかお前!」

「ため息つくなら、お前もやってみろおお!」

 そう言って、右腕を放すと、もちろん遠心力で吹っ飛んで――

「ぬああああ!」

――人ごみにぶつかっていくわけで・・・・。

そして、僕らは体中を怪我するわけで・・・。

「くそ、噂は本当だったか・・・」

 愛論がぼやいた。

「・・・噂?」

「そうなんだよ。どうやら、カレーパンを販売してから、保険室の利用者が急増したんだとよ」

 僕は自分の脛を見て、納得した。

「ああ、なるほど。・・・なあ、それってやばくないか?」

「何が」

「怪我人出ているんだったら、販売中止になるんじゃ・・・」

 愛論は目の前で人差し指を左右に振る。

「ち、ち、ちっ、考えが甘いぜ、お前。何が甘いか、俺様が教えてやろう」

「・・・・」

少し不服に思いながらも「どう言うことだよ」と訊いてやった。

「極めて簡単な話だ。今日、知っただろ。この学校にはあれ程のカレー信者がいるんだ」

「カレー信者って・・・お前・・・」

「まあ、ほっとけ。・・・つまりだ、もしもあのカレーパンを販売中止にするとだな、奴らが何を仕出かすかわからないだろ」

「それ、やばくないかっ!」

――いろいろと・・・。

でもまあ、説得力があると言えば、あるか。

「実際、カレーパン販売中止を推薦した教師が、先日、何者かに襲われたんだぞ」

「だからそれ、やばくない?」

――犯罪じゃん。

「肉体的傷害はないんだけどな、精神的な傷が深いらしい。そして、それ以降カレーパン販売中止説は消えうせたらしい」

「・・・・・恐ろしいな、カレー信者」

「だからこそ、燃えるんじゃねえか」掌に拳を打ちつけた。「食おうぜ、カレーパン」

 そんな言葉を聞いて僕は、ため息をついた。

「勝手にしときなよ」

「何言ってんだよ、お前もやるだろ!」

 僕は眉間に皺を寄せる。

「・・・・はい?」

「今日、カレーパン争奪作戦の会議をやるからな、俺んち集合だぞ」

 勝手に決められた。

「ちょっ――」

「じゃ、俺、部活あるから!」

 勝手に切り上げられた。

「何言っ――」

「任せたぜ、参謀長官」

 勝手に任せられた!

そう言い残して、愛論は去っていった。

「・・・・・・」

 辺りを見渡すと、教室には僕一人だった。



杏子と僕は、結局違う高校に行った。元々、成績自体天地の差だったので、仕方ないと言えば、仕方ない。それに僕自身、彼女を同じ高校に行くのをそこまで強く望んでいなかった。もちろん、それなりに仲が良かったので、一緒にいると楽しいし、話していると、笑える。でも、お互いがお互い別々の道を進み、大人なってふと、「あいつ今頃どうしてんだろ」と思うような人生、それでもいいと思った。

それに、高校に入ってもちょくちょく共に遊んだりした。相変わらずパンは奢らされたが、それでも楽しかった。

彼女からの連絡が途絶えたのは、僕らが高校に入って、丁度秋が訪れた時期だ。そして、連絡がつかないまま、冬になった。僕は何事にも無頓着だったので、別に構いはしなかった。



「ただいま〜」

 愛論が帰ってきたのは、僕が家に着いてから二時間後のことだった。

「愛論〜、友達来てるわよ〜。勝手に部屋に上がってもらったから〜」

 愛論の母の声が響いた。

「あいよ〜。・・・・かあちゃん、友達の前では、愛論って呼ぶな〜」

 愛論の声も響いた。

「いいじゃない〜、『愛を論ずる』。母ちゃんと父ちゃんとで、一生懸命に考えてやったんだから〜」

「だから、嫌なんだよ〜」

「なら〜、『(あい)』ちゃ〜ん」

「そっちの部分が嫌なんだ!」

 二人のやりとりに、僕は笑いを堪えた。

「なんだよ、その含み笑い」

 部屋に入ってきた愛論は、僕の態度に眉をひそめた。

「やっぱし、君の母親は最高だね」

「そりゃどうも・・・・」

 愛論の頬が引きつる。

・・・・そろそろ、怒り出す傾向だ。冗談はこれくらいにしておかないと。

「ああ、ごめん、ごめん。ただ、二時間も待たされて、結構暇なんだよね」

「本でも読んでおいたら、良いじゃねえか」

 そう言って、本棚を指さす。

・・・本って言ってもなあ。

「ベートーヴェン、シューベルト、バッハ、モーツァルト・・・・」

 そこは数多くの音楽家の伝記があった。

――普通は『本』と言えば漫画のはずなんだけどなあ。

「なんなら、テレビ見ろよ」

「オペラもなあ・・・・」

 甲高い声、苦手だし。

しかし、いつ来ても思うが、

「網崖って、本当に音楽に対して一途だよな?」

 愛論は、そんな感想に、

「ん?そうか?・・・・この程度、普通だろ。将来の夢なんだからさ」

 と、照れながら答えた。

「将来の夢、ね」

「・・・・お前だってあっただろ、こんな時期。こう、一日の九割を趣味の使う期間が」

「・・・・・」

僕は少し考えてみたが、見当たらなかった。

「ないね」

「そうなのか。将来の夢とかは?」

「・・・・ヒーロー」

「そんな昔の話じゃないし・・・」

「う〜ん、なんっだっだっけな?」

 僕は首を傾げた。

「夢も趣味もないなんて・・・・・お前、人生退屈してんな」

 愛論がすごく、蔑んだ目で見てくる。

「そんなこと言われても、ないんだか仕方がないだろ。大体、いくら努力したところで、出来ない事は出来ないないと思うけどね」

すると、愛論の目つきが突然、鋭くなった。

「そんなの所詮、諦めた奴の言い訳だろ?」

 その言い方に、僕も少しムッときた。

「違う、事実だろ。将来、成りたい職業に就く奴は、ほんの一握りだ」

「だろうな、俺だってそう思うよ。みんながみんな夢を叶えられたら、素敵だが、世界が飽和状態になっちまう」

「だろ。一握りに入らなかった人間は・・・・膨大な量の時間を消費して、敗北感や後悔が浸るだけだ。だったら夢を見るのなんか無駄じゃないか」

「・・・・いや、俺はそう思わねえ」

 愛論は、なおも睨んでくる。

「どうして?君だってさっき言ってたじゃないか!」

「確かに言った、でも――」愛論は拳を胸に当てた。「――自分自身が(・・・・・)一握りに(・・・・)入ってない(・・・・・)とは、言ってない」

 強い眼差し、揺るぎない言葉。

「――っ!」

 僕は声が出なかった。

「それに、努力は無駄だと言った覚えもねえよ。・・・・・そりゃあ、敗北感や後悔だってあるだろうけどよ、得る幸せもでかいと思うぞ」

 僕は、言い返せず、愛論が、怖くなって、愛論の家を、

飛び出した。

何故かはわからないけど・・・・・飛び出したんだ。

その帰り、僕は思い出した。

自分のなりたかった職業。

「そうか」

心の底に纏わりついた、拭えない後悔。

「そうだった・・・・」

 そして、閉ざしたはずの記憶。

「僕は医者になりたかったんだ」

 それは、今は亡き彼女との・・・・最期の会話。





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