バイゼルのお願い事
よろしくお願い致します。
「坊っちゃま、こちらです!」
とバイゼルに手を引っ張られて連れていかれた先は、親父の執務室だった。
はて? 普通は寝室になるんじゃなかろうか?
どうして執務室に?
「バイゼル、ここは執務室じゃないのか?」
「ご当主のたっての希望でございました。病に臥せっていても、ここなら仕事が出来るとおっしゃられまして」
へぇ、親父は病気だったのか。
それにしても、親父は病気になって寝込んでも仕事をしてたんだな。
親父らしいと言うかなんと言うか。
もう少し、自分の体をいたわってくれよ、ほんとに。
「さぁ、坊っちゃま! 中へ!」
バイゼルは一足早く執務室に入ると、扉の向こうからヒョイヒョイと俺に手招きして見せた。
思えば、親父の執務室には滅多に入った事がなかったなぁ。
小さい頃に入ったら、
「大人の仕事部屋に勝手に入るな!」
て、えらい剣幕で怒られたっけ。
あの頃の親父はほんとに怖かった。
まぁ、怖いのは、大人になった今でも変わらないんだけど。
「坊っちゃま! お早く!」
いけね! バイゼルめ、そう急かすなよ!
こちとら、あんな電報送られて正直まだ心の準備も出来てないってのに!
俺はきまりが悪そうな顔をしながら執務室へと踏み込んだ。
その部屋の装いは、幼い頃と変わらない。
壁一面にそびえる本棚には、難しそうな本がぎっしり詰まっている。
窓際の広めの机には、ペンやら鉛筆やらの筆記具が、ペン立てに綺麗に収まっている。
窓から差し込む陽の光は、あの頃と同じように机の上に差し込んでいた。
何一つ変わらない。
親父の執務室は幼い頃に忍び込んだのと変わらない装いだ。
ただ違うのは……
「……父上」
窓際の机のそばに置かれたベッド。
その周りに、白衣を着た男性と女性がいる。
ベッドのすぐ横にはバイゼルが立っており、枕元に耳を近付けてボソボソと何か話し掛けていた。
そしてバイゼルは顔を上げて俺に目配せをする。
こっちに来いってことか……
俺は戸惑いながらもバイゼルの横へと歩み寄った。
そしてベッドを見下ろす。
そこには……
ーー変わり果てた親父の姿があった……
久々に会った親父は、頬は痩せこけ、目もどろりとして虚ろで、正直言って生きてるのか死んでるのか分からない。
体はシーツに包まれて分からないが、その見えている首元なんて骨筋が見えている。
恐らく、全身ガリガリなんだろう。
俺はゾッとした。
俺の中で、親父はとても強かった。
その背中は勇ましく、いつも目で追いかけていた。
怖い時や厳しい時もあったけれど、悪いことをしたら叱るのは、親としては当然のこと。
気高く大きな存在。
それが親父であり、このアルブラム領の領主、リチャード・アルブラムだった。
でも、今ベッドに横たわっている親父は……
とても弱々しい。
何だろう。無性に泣きたくなってきた。
きっと、危篤とか言って驚かせるつもりなんだとか、顔を見たいから何かしら適当な理由をでっち上げてたとか、勝手に考えてたけど。
そんなじゃなかった。
親父は、マジで死にそうだったんだ。
それを元気だったらぶん殴ってやるって……
俺って……どんだけバカだったんだろう……
「坊っちゃま、ご当主は喜んでおられますよ! 坊っちゃまの活躍をとても期待しておられたんですから!」
俺は顔を上げた。
バイゼル、そんなに声張らないでも聞こえるよ。
俺は何とも言えない気持ちのまま、もう一度言う親父に目を向けた。
親父はもはや生気の感じられない、相変わらずドロリとした目線を俺に向けている。
その目は果たして俺を見ているのだろうか?
目を合わせたら吸い込まれそうな闇がそこに見えた気がして、俺は思わず目を背けてしまった……
思わずとってしまった行動のせいで、なんだか場の空気が若干重くなった気がする。
それを見計らったのか、バイゼルが静かに俺に歩み寄り、そっと耳打ちしてきた。
「坊っちゃま、お話がございます」
何となくその場に居づらかった俺は、バイゼルに引かれて執務室を後にした。
一旦廊下に出ると、玄関の時同様、バイゼルに手を引かれ、そのまま彼の部屋へと入った。
バイゼルの部屋はこざっぱりとしているというか。
余計なものがないと言った感じで、スッキリとした印象だ。
生活に必要のないものは省かれている気がする。
バイゼルの部屋は二間続きで、奥にはベッドが置かれていたはず。
入った部屋の奥には窓があり、その前に大きな机が置いてあるが、バイゼルはその机の前にある対面ソファへ俺を座らせた。
「どうしたんだよ、話って」
「えぇ、そのことなんですが、坊っちゃま」
「ご当主の容体ですが……おそらく長くは持たないというのが、医者の見解です」
だろうな。
あのドロリとした目を見て、何となくそうじゃないかと思ってた。
危篤ってのは、嘘じゃなかったってことだ。
俺は虚ろになりつつも、ボンヤリした口調で返事した。
「そうだろうな、ちょっと難しそうだもんな」
「そこで、坊っちゃまにお願いがございます」
ん? お願い?
バイゼルさん、それは何でしょうか?
まさか、宮廷魔導師の回復魔法で親父を治せとでも?
無理無理!
俺は攻撃魔法と回復魔法は得意じゃないんだよぉ……
そんなことを、もし頼まれたらどうしようと思うと、俺の背中には冷や汗がビッシャリと流れている。
ついでに言うと、脇汗もバッシャバシャだ。
不謹慎だが、ワ◯ガは……大丈夫だろうか?
俺は内心焦りつつも、バイゼルの話を聞いていた。
「あ、あのぉ、バイゼル……」
俺の心臓はもうバクバクである。
願わくば、魔法じゃないことを言って欲しい……
「お、お願いって?」
「はい、坊っちゃま」
そこでバイゼルの目がピカリと鋭く光った。
「坊っちゃまにご当主の後を継いで頂きたいのです」
俺は一瞬耳を疑った。
なんだって、バイゼル?
親父の跡を継げと?
「は? それって……え、なに?」
「ですから、この地の領主となって貰いたいのです!」
突然の申し出に、俺の頭の中は一瞬で真っ白だ。
願わくば、魔法の話が良かったと本気で思った俺だった。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます!
これからもどうぞ、よろしくお願い致します!