嘆きの老婆はかく語りき
老婆が現れた!
(視点が変わります)
「ちっ! いいねぇ、男共は!」
アンジェリーナは、少なくなった歯でテーブルに置かれたツマミをパリパリ啄んでいた。
カラッと揚げられた唐揚げは、噛めば噛むほどジューシーなのだが、アンジェリーナは口の中でモニョモニョするだけ。
歯が少ないせいで上手く噛まない。
それもまた、アンジェリーナのため息の原因にもなっていた。
「かはぁぁぁぁぁぁぁ……、何なんだい全く……、若い頃はアタシももてはやされたのにねぇ……」
そう嘆くアンジェリーナの外見は、既に老婆という年齢に達していた。
無い物ねだりと言えば聞こえはいいかもしれないが、言うなればただの妬みである。
アンジェリーナ。
かつて帝都で伝説となった娼婦。
彼女の手に委ねられた男性は、その神がかったテクニックで天にも昇る心地を味わえると言われていた。
また、その天使のような微笑みは、客としても街ですれ違ったとしても、たとえ道端で物乞いをしていたとしても、男と見れば確実に向けられる。
その微笑みは「女神に慈しみ」とも呼ばれ、男たちは、暇さえあれば彼女に会うためにこぞって街中を彷徨ったという。
そんなアンジェリーナには、もちろん、敵も多かった。
男にとことん媚びを売り客を呼ぶアバズレ。
出し抜き、欺くことに喜びを感じ、相手を蹴落とす腹黒女。
助けを乞うても、相手を完膚なきまでに叩きのめす冷徹女。
彼女を妬む帝都中の娼婦から、ありとあらゆる嘘八百を並べ立てられたが、彼女は動じなかった。
なぜなら……
彼女には目的があったからだ。
それは、帝都でのし上がること。
貧民街で生まれ育ったアンジェリーナにとって、貴族街はおろか、一般層と比較してもその暮らしは雲泥の差。
毎日泥水をすすり、飲食街の残飯を漁る生活。
次第に心も荒んでくるのが当たり前の中。
アンジェリーナはそうではなかった。
いつか、この帝都で自分がトップになる。
物心ついた頃から、アンジェリーナはそう思っていた。
そして、娼館で奉公するようになり、男の弄び方、喜ばせ方を覚え、娼婦となった。
そこからはトントン拍子に思い描く道を歩んで行った。
急に落ちたのはいつ頃だろう。
そうだ、あの女が現れてからだ。
美しい顔をしているのに、悪魔のような恐ろしい形相。
自分を睨みつけるあの目には、憎しみという火がユラユラと揺れていた。
帝都の高位な貴族だった、あの男。
とても羽振りが良く、店に置いていくお金はいつも多め。
顔も良く、お金持ちで、いつも周りにモテていた。
そんな男を、私は独り占めした。
その報いだろうか、あの女が仕掛けた魔法使いから、私は呪いを掛けられた。
みるみる顔にはシワがより、張りがあって形の良い乳も垂れ下がり、歯は抜け、背は縮む……
帝都ナンバーワンの娼婦アンジェリーナは、老婆となり、帝都を追われた。
そして辿り着いたのが、この領地だった。
世の中から忌み嫌われ、罪を被り、はみ出し者として追われた者が辿り着く街。
アルブラム領。
リチャード・アルブラムは私を見て、
「ようこそ、アンジェリーナ。お前の呪いはいずれ解ける。その時は是非、私の相手をしておくれよ」
と笑顔で言った。
その笑顔に救われた気がした。
そして生きようと思った。
周りを見ればならず者ばかりだが、みな良くしてくれた。
「ババア、歯がねえんだろうが」
と言って、柔らかいパンをくれた。
「ババア、テメェの寝床はここだ。道端で死なれたら寝覚めが悪いからよ」
と言って、粗末だが雨風しのげる小屋と、暖かいベッドを用意してくれた。
「ババア、生きるなら働け。俺の店で、酒をクソ共に配りやがれ」
と言って、仕事を与えてくれた。
生きる意味の全てを、このアルブラム領は与えてくれた。
だから私は生きている。
いつか……
いつかあの女を、あの女を……
「あの女をーーー!!」
私はそう叫びながらテーブルを叩いた!
ガシャーン! と音がして、見るとコップが割れ、その破片が手のひらに突き刺さっている。
テーブルの上がいる真っ赤に染まっていく。
私の血だ。
それを見て、血の気が引いてくのが分かり、頭がクラッとした。
「危ない!」
そう駆け寄ってきたのは、アルブラム領の若き領主。
リチャードの息子、ジェド。
あらいやだ、近くで見るとほんと、良い男……
彼は私の背中に周り、その胸で私を受け止め、支えてくれた。
そして、ガラスの破片で傷付いた手を取り、
「ばあさん、大丈夫か? 寝惚けてコップを叩き潰すなんて、やるじゃねぇか」
……
うるさい、このガキ……
顔の近くでそんなこと言うから……
恥ずかしいだろ……
「ーーったく、俺、回復魔法は苦手なんだよ。取り敢えず掛けるからな。血ぐらいは止まるだろ」
そう言って彼は私に回復魔法を掛けてくれた。
あぁ、暖かい。
ポワワっと淡く光る部分がとても暖かい。
まるで、肌と肌を重ね合わせるかのような暖かさ…
何故だろう。
目から涙が溢れたよ……
「大げさだな、これくれーで泣くなよ。よし、血は止まったな。ばあさん、今日はもう休め。あのバカ共は、朝まで帰らねぇよ。いいよな、店主!」
領主がそう声を掛けると、手元から目を離さずに店主はサムズアップ。
ふっ、いつのまにか仲良くなったんだい?
私を起こしてそう言うと、領主は皆の元に帰って行っちまった。
なんだい、その背中。
リチャード様にそっくりだねぇ。
親子なんだね、やっぱり。
私は領主と店主に甘えて、今日は部屋に戻って休むことにした。
あぁ、今はこの酒場の二階の一室が私の寝床。
働くなら近くで寝ろって、店主の計らいでさ。
顔に似合わず、優しいんだよ、あの男。
部屋に戻り、ベッドに横になると、そのまま泥のように寝ちまった。
何でだろう、今夜はあの女の夢は見なかった。
代わりに、領主の坊やに抱かれる夢を見ちまった……
ははっ、年甲斐もなく、恋煩いでもしたかねぇ……
はははーー
ーー
翌朝……
「あー、よく寝た!」
ベッドから起きた私は大きく伸びをした。
うん、朝日が心地いいねぇ。
……
あら、いつもなら伸びをしただけで体のあちこちがバキボキ鳴るのに、今日は鳴らないんだねぇ?
さて、昨日の傷は?
はらはら、傷もちゃーんと塞がってるよ。
回復魔法は苦手なんて、嘘じゃないか。
……
それにしても肌がツヤツヤだねぇ、ここだけ若返ったのかねぇ?
さて、店主に謝らないとねぇ。
私は部屋を出て、一階の店に降りて行った。
「おはよう、ボビー。昨日はコップをダメにして済まなかったねぇ」
おや? 心なしか声も張りがあるじゃないか?
一体全体どうしたんだい?
ん?
ボビー?
「…………」
どうしてそんなあんぐり口を開けてるのかしら?
「お、お、おま、おまおまおま……」
なんだい、なんだい?
どうしてそんなフガフガ言うんだい?
「おまおまおまおま、だ、だだだだ……?」
私は首を傾げた?
何ガタガタ言ってるんだい、このハゲは?
「何だよ、ボビー? 私の顔に何かついてるの……」
そう言いつつ、カウンターの壁にある手洗いの鏡を見ると……
「……かい?」
鏡の中には見知らぬ女の顔が……
いや、よく知ってる。
キリッとした眉。
目尻が下がりトロンとしたようなタレ目。
通った鼻筋。
触れればオトコが悦ぶ、プルルンとした唇。
口を開けば、綺麗に生え揃った、歯!!
私は視線を胸元に落とした。
……
胸がある。
襟元を伸ばして中を覗き込んだ。
……
垂れてない!
萎びれてない!
張りがある!
ツンとしてる!
プルルンと揺れてる!
もう一度鏡を見た!
私がいる!
ペタペタ触ると、あの吸い付くような感触がある!
これは私だ!
紛うことなき、帝都一の娼婦、アンジェリーナの顔だ!!
「あ、あ、あぁ……」
私の中に喜びが溢れだした!
解けた!
呪いが……呪いが解けた!!
解けたぁぁぁぁぁぁ!
気が付けば私は走り出していた。
領主の館目指して!
「おまおまおま、お前、誰だぁぁぁぁぁぁ!?」
ボビーの叫び声を背中に受けながら。
どうやらジェドの回復魔法は、何か付与があるみたいですねぇ。
だから馬も元気になったんですかねぇ……
老婆が美女になっちまいましたねぇ。
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