第八話 創造主
第八話 創造主
佐々木の研究室内。彼はコンピュータの前に座ってキーボードを世話しなく叩いている。
佐々木はしばらくキーを叩くと、椅子を引き立ち上がった。腰に手を当てて、上体を反らす。長時間座っての作業は腰にくる。
立ったついでにコンピュータの傍に置いてある空のカップを持って部屋の端にある小さなテーブルへ向かう。テーブルの上には電気ポットやインスタントコーヒーの瓶が置いてある。カップにコーヒーの粉末とお湯を淹れた。
窓に近づき、通りを歩く人達を見る。しかし、時間帯がよろしくないのか二、三人を見るだけだ。そういえばこの時期は春を夢見る受験の季節だ。高校生や中学生が自分の将来のために頑張っている。佐々木にもそんな時期があった。懐かしい限りである。
佐々木は控えめに辺りを照らす太陽を見上げながら、カップから立ち上るコーヒーの湯気を嗅いだ。佐々木は熱いものが苦手だ。だから、コーヒーもある程度冷めるまではそのままである。それまでは淹れたコーヒーから立ち上る湯気を楽しむことにしていた。
佐々木はしばらく何も考えずに外を見るとコーヒーを一口飲んだ。冬の寒い時期のためか、またはカップの保温設計の問題なのか何時の間にか生ぬるい温度になっていた。熱いコーヒーが好きな人には「淹れ直せ。」と言われてしまうだろう。
彼はコーヒーを少しずつ飲みながら研究室内を歩く。歩くと言っても研究室内のテーブルの間を行き来するだけである。長時間同じ姿勢で作業をするために運動不足は深刻だ。だから、せめて研究室への行き帰りだけは歩くようにしている。コーヒーが無くなると再度コーヒーを淹れてコンピュータの傍に置き作業を再開した。
既に昨日までに寄せられた変わった質問の処理、新種についての詳細なデータのまとめ。どちらも大塚に伝えるべき内容については伝えた。
佐々木は画面上に二つのグラフを出す。年が変わりユーザー数、削除数は軒並み上昇中だ。そろそろサポートシステムも多人数向けに改良を加えたほうが良さそうである。サポートシステムはユーザーが集まるメインサーバーに置かれており、各ユーザーのゲームシステムからのサポートに関する通信を受け取り処理をしている。当初はユーザーの少なさとサーバー側の処理能力の問題から同時に処理を行う数を少なめにしていた。しかし、このままユーザー数が増えればサーバーへの負担が増大する。そろそろ切り離して各サーバーで増強を行っていくべきか。
佐々木はコーヒーをそのままに研究室を出て反対側にある大塚の研究室のドアをノックした。中から声が聞こえたのでドアノブを回してドアを開ける。
「佐々木君。どうしたんだい。」
真横では二台のサーバーが五月蝿く騒いでいる。そのサーバーに張り付くように二人の男性研究員が要る。どちらもディスプレイをじっと見たままでこちらには気がついていないようだ。彼らの横を通り抜けて大塚の元に着く。
「先ほどサーバーから送られてきた情報を見て考えたんですけど。そろそろメインとサポートとの分離増強をしたほうが良いと思います。」
大塚はサーバー前に要る二人の研究員を見る。二人も佐々木の登場に驚き大塚を見ている。
「お前たちはどう思う。」
「そうですね。」
二人のうち一人が自分の前にあるコンピュータを操作する。するとディスプレイ上にいくつかの画面が表示される。彼は表示された内容を確認すると再び佐々木たちのほうに体を向けた。
「最近のユーザー数の増加を考えますと二、三月以内の増強は必須です。しかし、メインシステム単体にすればサポートシステムに割いていた処理を取り戻すことができます。ここは一つ、サーバーを分けて分担させたほうが良いのではないでしょうか。」
大塚は研究員の言葉を聞き何度か頷く。
「わかった。サポート用に使えるサーバーを作ろう。しかし、HDDはあっても本体が無いんだ。どうしたものか。やっぱり買うか。」
佐々木は大塚の「本体」という言葉に反応する。そういえば、前に荒谷から研究室でコンピュータが余っているから使うなら譲るというお話があった。今でも残っているだろうか。確かめる必要がありそうだ。
「大塚さん。前に荒谷の所でコンピュータが余っていると聞いています。もし、残っていたらそれを使わせてもらいましょう。」
大塚は頷く。使わずに残っているのならば使わせてもらったほうが良い。
「じゃあ、ちょっと行ってきてもらえるかな。」
佐々木は大塚の言葉に頷き、研究室を出る。そして、荒谷の研究室へと向かった。彼の研究室は同じ階の一番奥にある。
佐々木は研究室のドアを叩く。中から声が聞こえる。荒谷の声だ。佐々木はドアノブを回して開いた。
「こんちわ。どうだい。」
佐々木がドアを開けると同時にサーバーの五月蝿い音が聞こえてくる。出入り口の傍にサーバーが三台あり、奥にはミドルタワーのPCがディスプレイとセットで十台近くある。ミドルタワー型のPCの多さに自分が大学生に戻ったかのような、もしくは学生の居る大学の研究室のような錯覚を覚える。全てのディスプレイにはそれぞれ映像が流れている。出入り口からは遠くて何が映されているのかは分からない。
それらの中心に荒谷は居た。彼を中心に円を描くようにディスプレイとPCが並べられ、まとめて一つのキーボードに繋がっている。そのキーボードは回転可能なテーブル付きの椅子に置かれている。
彼は大きな体を丸めて器用にキーボード操っている。よく見れば小型のキーボードでテンキーは付いていない。テンキーは邪魔になるだけで別にあったほうが良いのだ。
「おう。どうしたんだ。」
荒谷は佐々木の来訪に応えつつ各ディスプレイを見ながらキーボードを叩いている。彼は、器用に椅子を操作して目的のディスプレイ前に止まり作業をしている。佐々木は正確に停止する荒谷の姿に感嘆の声をあげそうになる。
その動きはHDDの読み込みにちょっと似てるなと思った。自分が回転している点が違うが。
荒谷と佐々木は大学時代の仲間。とは言っても、彼らの大学時代自体が遠い昔になっている。佐々木は一瞬大学時代の思い出に浸りそうになる。すぐに頭を軽く横に振ると荒谷を見た。
「いや、前に余っているコンピュータがあるって言ってたよな。まだあるなら使わせてくれないか。新しいシステムを動かすために使いたいんだ。」
荒谷は用件を理解すると、研究室の端に積まれたコンピュータの中から一つをひっぱり出した。
「ちょっとCPUの型が古い事とHDDとメモリ無し。それでいいなら使っていいから。」
荒谷の話では今のコンピュータの構成にするときに引退させた物らしい。佐々木はHDDとメモリ無しというジャンクのような構成にちょっと嬉しくなりつつ中身を見た。荒谷の話ではCPUが二つ搭載されていて、各CPUはオクタコアだということだ。対応しているメモリも幾つか研究室に余っていたはずなので使えるだろう。
「良さそうだ。貰っていくよ。ありがとう。」
佐々木は重いコンピュータを両手でゆっくりと持ち上げると荒谷を見た。
「区切りがついたら、今日何処かに飲みに行かないか。おごるよ。」
荒谷は佐々木の言葉に応えるとポケットから懐中時計を取り出して時間を見た。
「じゃあ、七時ぐらいに切り上げてそっちに行くよ。それでいいか。」
佐々木は荒谷の言葉に応えるとコンピュータを抱えて荒谷の研究室を出て大塚の研究室へと戻った。
「貰ってきました。オクタコアのCPU二つ。これだけあればユーザーからのサポートを捌けるでしょう。」
佐々木は大塚の前に荒谷から貰ってきたPCを置いた。
「HDDとメモリは無しです。対応しているメモリは自分の研究室にあったと思うので取ってきます。」
佐々木は大塚にそれだけ言うと自分の研究室に戻った。彼は部屋の隅にある使用していないパーツの置き場を漁り、目的のメモリを幾つか取り出す。十分な量のメモリを持ち大塚の研究室へ向かって歩き出す。そこで立ち止まり、ふと彼のコンピュータのディスプレイを見た。すると、そこにはターゲットが発見されたとの報告がある。
「また来たか。」
佐々木は持っていたメモリを傍に置くと椅子に座りターゲットの情報を大塚へと送った。リターンキーを押して送信された事を確認するとメモリを持って大塚の研究室へと戻った。そして、各パーツを装着して動作確認を始める。
「ターゲットが見つかったようだね。今さっき届いたよ。今二人にイベントを作成して貰っている。次のメンテナンスを挟んで週末には行えるかな。こっちもその時に稼動させよう。」
大塚の言葉に応えつつ貰ってきたコンピュータの動作確認をした。それから研究室内に置いてあるOSや必要なソフトウェアをインストールし、サポートシステム向けのサーバーを構築した。そして、バックアップしておいた現在稼動しているサポートシステムをインストールし動作確認を行った。プログラムの動作及び外部からのアクセスによる処理もうまくいった。あとは、次回メンテナンス時にサポートプログラムの処理を新しく構築したサーバー側で行えるようにするだけだ。
「現行のサポートシステムは入れました。これから研究室に戻って新種の収集と多人数向けのサポートシステムの構築を進めます。ターゲットのほうはお願いします。」
大塚の応えに佐々木は頷くと大塚の研究室を出て自分の研究室へと戻った。
佐々木は研究室に戻るとコーヒーを淹れてコンピュータの前に座る。それからしばらく、彼はディスプレイを見たままキーボードを叩くのみとなった。
何時しか辺りは暗くなり荒谷と約束した時間が近づく。しかし、佐々木自身はその事に気が付いない。
佐々木は椅子にもたれかかり、背伸びをする。新しいサポートシステムについてはほぼ完成し、実機での動作確認をするのみである。しかし、これは多人数向けにシステムを変更しただけであり使用する側が目に見えて変化を感じられる物では無い。折角メインシステムからサポートシステムが切り離されたのだから、今後はもっと便利で不具合の無いサポートシステムを作るために現行のシステムを改良していくことにする。
そこへ、ドアをノックする音が聞こえた。
「はい、どうぞ。」
佐々木の声に反応してドアを開けたのは荒谷だ。既に帰宅可能な状態になっている。そこで彼は昼間自分が言った事を思いだした。
「あ、そうだ。ちょっとそこで待っていてくれ。」
すぐに目の前の作業を区切りの良い所で終わらせコンピュータを終了させる。コンピュータが終了の作業を始めると自らも帰り支度を始めた。
「済まない。自分で言ったのにすっかり忘れていたよ。」
まとめた荷物を持つと荒谷の所に向かう。
「少しぐらい良いよ。お前のとこはオンラインゲーム作っているんだろ。新しいシステムの構築とかメンテナンスとか、色々大変なんじゃないか。」
荒谷は佐々木の研究室を出る。佐々木も研究室の明かりを消して出た。
「いや、オンラインゲームを含んだ削除ソフトウェアだよ。削除対象は色々あるけど。僕はサポートだけ。今は大塚さんのほうでメインシステムを作ってる。」
佐々木は研究室のドアの鍵を閉めながら荒谷の発言に対応する。
「何にせよ。生身の人間がコンピュータを挟んだ反対側に居るんだから大変だよな。」
佐々木と荒谷は研究所を出て夜でも賑わいを見せる区域へと向かった。
駅前から少し離れた通りには居酒屋やカラオケ店、ゲームセンターなどが遅くまで明かりを灯している。
「何時ものとこでいいよな。」
佐々木の言葉に荒谷が頷くと通りの中にある居酒屋へと入った。
「いらっしゃいませ。」
二人はテーブル席に通され、店員に注文を伝える。店員が去ると二人はそれぞれが今行っている研究について意見を交換した。
荒谷は大きなサーバーと複数のPCを用いて何の研究をしているのか。彼の研究分野は一言で言えばシミュレーションである。シミュレーションする相手は人間を含む世界。しかし、無数の人間の行動をシミュレーションするには沢山のコンピュータが必要になる。しかも人それぞれの行動は現行のコンピュータのように順番に処理を行うのでは無く同時に処理を行う必要がある。つまり、並列計算が必要となる。そのため、荒谷は複数のPCを合わせて並列に動作させる事によって同時に複数の人間や人間を含む世界をシミュレーションしようとした。
荒谷の研究は人間相手ではあるものの生身の人間では無く、データ化した人間の情報を元に実験を行っている。そのため、荒谷自身へ不満を言うのは彼の上司や仲間といった研究外の者である。シミュレーションしている世界の住人は見えない創造主を神として信仰し日々を過ごしている。現実世界の現状を反映させればさせるほどシミュレーションの世界は現実に近づき、よりリアルになる。
リアルになったのはシミュレーションしている人間や世界の状態だけで無く、その世界自体もである。つまり、荒谷が作り上げシミュレーションしている世界を一人の住人として自由に歩きまわれるようにしたのだ。現実の人間が仮想の世界の住人として人々と触れ合うゲームはこれまでにも幾つか存在する。しかし、それらは必ず反対側に生身の人間が存在し、現実世界と大差無い仮想世界を作るだけであった。しかし、荒谷が行っている研究はそのようなものでは無い。シミュレーションを行っている世界を自由に歩きまわれる機能はシミュレーションによって出来上がった世界を確認するためであり、自ら住人とはならない。住人はシミュレーションを行っている世界の住人のみである。また、現実世界の人間がその世界への過度な干渉も避ける必要がある。
荒谷が言うには、創り上げた世界がそれ一つで自立して繁栄と衰退を繰り返す必要があるとのこと。創造主が行う行為は住人が住む世界の創造とその世界で通用するルール決めだけである。それ以外は行わない。後は決められた世界とルールの中で住人が生活をする姿を確認するだけである。
二人が話していると注文した酒やつまみがテーブルの上に並べられる。
「そっちは世界を創っているんだからな。面白いだろうな。」
佐々木はつまみとして出てきたなんこつをかじりながらビールを口に含む。
「佐々木の所も同じだろ。ゲーム上の世界を作り上げているじゃないか。」
荒谷は頼んだえだまめを一個ずつ口に放り込んでいる。何個か口に放り込むと手元のビールで流し込んだ。
「いや、こっちは人が集まる空間だよ。参加する人間が居なければ成り立たない。そっちは単体で十分機能するじゃないか。一つの世界があるんだ。」
そこで佐々木は荒谷の前にあるえだまめを一つ掴み口に入れる。
「世界の創造主。お前は神だな。俺も神になりたいよ。」
佐々木は笑顔のまま大きく息を吐く。
「神も面倒だぞ。自分が創った世界をシステムが停止するまでずっと見届ける必要がある。その世界でどんな事が起きてもね。」
そこに店員が来てまだ届いていないつまみがテーブルに追加される。出てきたのはサーモンのお造りと手羽揚げ。二人がそれぞれ頼んだものだ。料理が出てくると荒谷は手羽揚げを見て嬉しそうにしている。手羽揚げは荒谷の好物なのだ。佐々木は学生の時に荒谷自身から聞いた事を覚えている。佐々木はその光景を見ながらサーモンを一切れ口に運ぶ。
「やっぱり、その世界でも戦争とか紛争とか起きてるのか。」
店員が離れた事を確認すると佐々木は荒谷に尋ねる。荒谷はビールを飲むと頷いた。
「やっぱりこっちと変わらない。世界が生まれてからあまり時間が経っていないっていうのもあるかもしれないけどね。」
荒谷は言い終えると早速手羽揚げに食らいつく。肉を覆う脂が照明によって光る様はなかなかの誘惑である。荒谷が嬉しそうに食べる様を見ながら、佐々木も手羽揚げを一つ取って口に運んだ。手羽揚げを食べ始めると両手が塞がる事と同時に手が汚れる。そのため、食べるときは食べようという事なのか荒谷は二個三個と食べる。佐々木も手羽揚げの山を崩すように食べていった。他のつまみも食べつつお互いビールを二杯おかわりした。
結果、二人は店内の他の客同様酔った状態になる。
「だからぁ、やっぱ変わんないのよ。外からの力か劇的な何かが無いとさ。」
傍から見ても酔ってしまった荒谷を見ながら、佐々木は此処まで酔わす予定では無かったのにと思う。
二人はつまみを平らげ会計を済ませると居酒屋を出た。
荒谷の大きな体が左右に頼りなく揺れる様は佐々木にとって恐怖を覚える。なんとか荒谷を支えながら彼の家まで送る。
「帰ったよ。」
ドアを開けると荒谷が言う。酔っているためか何時もよりも声が大きい。すぐに足音と共に少女が玄関に来る。彼女は彼の一人娘だ。
「おう、鈴花。ただいま。」
荒谷の言葉に鈴花は大きくため息を付き佐々木を見る。
「佐々木さん。父を送って頂いてありがとうございます。」
お辞儀をする鈴花の背後から荒谷の奥さんが出てくる。
「本当にすみません。鈴花水持って来て。」
荒谷の奥さんは荒谷の傍にしゃがみ込む。それと交代して鈴花は奥へと下がった。
「いや、お互い今日は飲みすぎたんです。すみませんが、後をよろしくお願いします。」
佐々木はそれだけ言うとお辞儀をして荒谷の家を離れ自分の家へと帰った。
「ただいま。」
佐々木が帰ると彼の息子が一人出てくる。佐々木は息子の頭を軽く叩きながら自分の部屋に荷物を置き、台所に向かった。佐々木の妻がコップに入れた水を差し出す。コップを受け取り一気に水を飲み干した。彼はコップを受け取れるだけまだ大丈夫そうだと自分に言い聞かせつつダイニングチェアに座った。
「お茶漬けでも食べる。」
佐々木の妻は空になったコップに水を注ぎながら言った。佐々木は頷きながらコップを受け取り水を一口飲む。
「拓哉は寝たのか。」
佐々木の妻は頷き、息子が居る部屋を見る。
「あなたが帰ってくるまで起きて居たいって言ったのよ。今はもう寝たわ。」
佐々木はコップに残った水を一気に飲み干すとテーブルにコップを置いた。
「風呂入ってくる。お茶漬けはそれからでいい。」
佐々木は立ち上がると風呂の準備のために自分の部屋へと向かった。
「大丈夫なの。もう少し酔いが冷めてからでも良いんじゃない。」
佐々木は妻を見る。彼女は心配そうな顔で彼を見ている。彼は首を横に振り自分の部屋へ向かった。
着替えを持って脱衣所に行き服を脱ぎだす。そこで、一瞬動作を止めてある事を考えた。
「この世界と全く同じ世界をコンピュータ上で創ることが出来たとしたら、この世界がもう少し美しい世界に変わるヒントが得られるかもしれないな。」
彼は再び動き出すと、風呂場で熱いお湯を頭から被った。