第一話 製作者の言葉
第一話 製作者の言葉
まだ太陽の陽が当たらない冬の朝。
佐々木は仕事場である研究所へ向かって道を歩いていた。朝早いためか、すれ違う人は少ない。吸い込む空気は冷たくて、吐く息は白い。
研究所の門を入ると、警備室に居る警備員を見る。
「おはようございます。」
佐々木の声に警備員も応える。警備員とは毎日挨拶を交わしているためか反応が良い。佐々木はそれから建物へ向かって歩いた。
建物の入り口に書かれている名前は「情報通信技術研究所」。ここが、佐々木の仕事場である。彼はそのまま建物内に入り、自分の研究室へと入った。
佐々木は部屋に入ると、真っ直ぐ机に向かった。彼の部屋は資料や本だらけで決して綺麗といえる状態では無い。コンピュータは机の前に一台と少し離れた所にもう一台ある。鞄やコートを脱いで机の傍に置くと、机の前にあるコンピュータを起動してサーバーにアクセスする。サーバー自体は廊下を挟んだ反対側の部屋にあり、今も誰かが予期せぬトラブルのためにくっ付いているだろう。サーバー側に届いているメールの総数を数えると五十ほどだ。メールの数を見た佐々木は頷く。数からしてまだ増強する必要は無さそうだ。
部屋の扉をノックする音が聞こえる。佐々木は作業を中断すると、扉を見た。大塚が扉を開けて入ってくる。
「佐々木君。プロジェクトの最近の動向はどうかね。」
大塚は佐々木に尋ねる。大塚は佐々木の上司であり、二人はあるプロジェクトを行っている。佐々木は大塚の前で素早くキーボードを叩いて画面に二つのグラフを表示した。
「まだユーザは少ないですが、確実に削除された数は増えています。ユーザが増えればもっと数が増えるでしょう。」
佐々木は大塚にディスプレイに表示した二つのグラフを見せる。一つは縦をユーザー数と横を日付とした赤の折れ線グラフ。もう一つは縦を削除数と横を日付とした青の折れ線グラフである。どちらもゆっくりと右上がりに上昇している。
「そうか。メインシステムは私や若い連中にまかせてくれ。君は何時も通りサポートと新種の収集を頼む。」
大塚はそれだけ言うと部屋を出ていこうとする。その時、佐々木のコンピュータの画面に新しいウィンドウが表示された。
「ちょっと来てください。」
大塚は扉を開けて出ようとした所を引き返してくる。画面には新たなターゲットが発見された旨が表示されていた。そう簡単にはお目にかかれない画面である。
「久しぶりにターゲットが見つかったらしいです。今週中にイベントが開催できそうですね。」
佐々木は大塚を見た。大塚は画面を見て頷いている。
「よし、この情報を私のほうに送ってくれ。早速組み込もう。また何かあった伝えてくれ。」
大塚はそれだけ言うと部屋を出て行った。佐々木はすぐにターゲットの情報を大塚のコンピュータへ送る。
それから、佐々木はサポートプログラムから自分に回された質問内容について一通り目を通す。それぞれに返答を行い。良く質問されそうな内容についてはプログラム側に学習させた。最後に、こちら側で改善すべき点は大塚のほうに送る。
「ふぅ。」
椅子にもたれかかり、天井を見る。
「こんな時間に人が居るのか。」
プログラムから回された質問には質問された時刻を必ず付与している。それらの時刻を見れば中には深夜の三時や五時もある。実際サーバー自体はずっと動いているが、そんな時間に遊んでいる人は学生だけかもしれない。
佐々木は再びディスプレイに向かうと、新種の収集を始めた。
佐々木は今ではサポートプログラムのメンテナンスと新種の収集だけであるが、元はメインシステムの構築に関わっていた。現在使用されているシステムの半分以上は大塚と佐々木が実験的に作成していたものである。
このシステムは元はネットワーク上に氾濫する有害なあるモノを削除するために作り出した。しかし、相手は佐々木たちの想像を遥かに越える量が日々生産されている。システムを一つや二つ動かしたところで何も変わらないと分かった。ならば、数百、数千のシステムが同時に複数の場所で動いたらどうなるか。そこで佐々木たちはオンラインゲームを思い付いた。このシステムをゲームとして成り立たせれば、ユーザーが増えるごとにシステムが増え、削除数は増えるだろう。プレイするユーザーにとっては楽しく、佐々木たちにとっては嬉しい事となる。
そこで、佐々木たちはこれまで作成したシステムを元にオンラインゲームを作成することにした。しかし、佐々木たちは技術的には理解できても「遊ぶ」という点については良く分かっていない。そこで、ゲーム業界の知り合いを探して頼み込んだり、研究所の中でもゲームに詳しい人間にはシステム構築を手伝って貰うようにお願いした。彼らと一緒に既存システムを元にしたオンラインゲーム化計画が始動した。
集まった人間は、ゲーム内容の決定、ゲームシステムの構築と既存システムとの統合を行った。しかし、あくまでもメインシステムが存在する場所は各ユーザーのコンピュータの中である。そのため、複数のユーザーが一緒に遊ぶ場合は既存のオンラインゲームのようにサーバーにアクセスして遊ぶという方法は使えない。そこで、各ユーザーのコンピュータを直接繋ぐPeer to Peer(略称P2P)を使用して、サーバーを介さずにゲームをプレイ出来るように作成した。
代わりに、サーバーにはプレイヤー同士の交流場所やゲーム内の情報の記録場所としての役割を担って貰うことにした。ゲーム内の情報にはもちろんユーザー数や削除数も含まれている。この方法ならば、大きなサーバーでなくとも大多数の人間のゲームプレイを支えられると考えた。佐々木たちはゲームでお金を稼ぐ人たちでは無いので、出来るだけサーバー数は押さえたかったのだ。
佐々木たちは研究室内のサーバーと複数コンピュータ使用して実験を繰り返した。メインのゲームシステムが完成するにつれてゲームのユーザーサポート窓口の設置も必要になった。
しかし、常にこのオンラインゲームに関われる人数が少ないためにユーザーサポート窓口には人員が回せない。そこで、ユーザーサポートの大部分をプログラムが対応することで問題を解決しようとした。大塚の案でサポート及びプログラム作成は佐々木が担当した。また、新たな新種やターゲットの発見及び報告も兼任した。これ以降佐々木はメインシステムには直接関わらなくなった。
そして、ゲームシステムとサポートプログラムが完成し、稼動が始まる。
ゲーム名は元のシステムの役割を考えた末、「ネットワークレジスタンス」という名前に決定した。これは佐々木と大塚の二人で決めた名前である。ゲームを良く知る人達からは別の名前が良いと言って幾つか候補が挙げられたが二人で全部跳ね返した。名前の意味はネットワークに存在する抵抗をネットワークに繋がっているコンピュータによる抵抗運動によって解消するというものである。多分ゲームをプレイしている人たちはわかっていないと思う。
佐々木たちはこのゲームの運営を研究目的で行っているため、このゲームは全て無料で提供された。紹介サイトも作成し、多くの人にプレイして貰おうとした。
稼動してから今に至るまで、少しずつではあるがユーザー数が増え、それに伴って削除数が増えていることが確認されている。
当初は日本語のみの対応であったが、ユーザーの要望によって英語への対応も検討されている。それに伴って他言語でのゲーム紹介サイトも作成していく予定である。
これが今現在までの佐々木たちが行っている計画の大体の内容である。
佐々木は新しく発見した新種の詳細なデータをまとめて大塚のほうに送った。
再び椅子にもたれかかり、天井を見る。真っ白な天井を見ながら、ふと佐々木は思った。
実際にゲームをプレイしているユーザーたちに教えたほうがいいのだろうか。自分達が戦っている相手が誰なのかを。