第2話 「先輩・・・好きです」
ブーン
放課後にも小春からメールが届いた。
内容は一緒に帰ろうというものだったが、俺は部活があるという理由で断った。
これはさすがに嘘ではない。
小春は『わかった』という返信をするだけで文句は一切言ってこない。
こうして毎日のように断っている俺だが、この時の気まずさには一向に慣れることができない。
俺からの返信を見る小春や木陰の寂しげな表情が容易に想像できてしまうからだ。
それでも俺は断り続けるしかない。
二人が俺から自立できるようになるまで。
*
柔道部には俺を含めて9人の部員がいる。
決して多い方ではないが、みんな楽しくやっているのだからそれでいいのだろう。
「よろしくお願いします」
「よろしく」
高校三年生の部員がいない今、二年生の俺や主将が部内での最高学年であり、後輩を指導する立場にある。
俺は部活動では主に後輩の相手をし、部活の練習が終わってから主将に相手をしてもらってる。
個人戦に向けての練習量は減るが、団体戦で好成績をおさめるにはこれが一番良い。
「ありがとうございました」
「こちらこそ」
「先輩・・・お疲れ様です・・・」
「ありがとう」
柔道部では紅一点のマネージャーが俺にドリンクとタオルを渡す。
彼女が柔道をしているところは一度も見たことがないが、俺が中学二年の時から様々なサポートしてくれてかなり助かっている。
「あの・・・先輩・・・」
「うん?」
「俺にもくれ!」
「えっ。あ、はい」
何かを言いかけたものの、彼女は主将にもタオルとドリンクを渡しに行ってしまった。
昔からおとなしいやつだが、気の利く優しい子だ。
「今日はここまで」
「礼」
部活動が終わり、他の部員たちは帰宅していくが、俺と主将は残って引き続き練習だ。
体力的にかなりきついが、それ以上に楽しい。
「さて、始めるか」
「そうだな」
そして練習は二時間ほど続いた。
最後の方は足がほとんど動かなくっているが、爽快感は抜群だ。
「じゃあ、先に帰るからな」
「ああ。今日もありがとう」
「いいってことよ」
主将が帰った後、俺はしばらく道場で寝転んだ。
何も考えず、心と身体を休ませる。
「・・・さて、帰るか」
「先輩・・・」
制服に着替え、道場を後にした俺は不意に呼び止められた。
「どうしてここに。まだ帰ってなかったのか?」
「先輩と話したいことがありまして・・・」
「それなら部活後に言ってくれればよかったのに」
「練習の邪魔をしたくなくて・・・」
彼女の声はいつも以上にか細く、聞き取るのに苦労した。
「そうか。それで、どうしたんだ?」
「少し寒いですけど、屋上に行きませんか・・・」
「屋上?まあ、構わないが」
俺は黙って前を行く彼女について行った。
彼女のどこかふわふわしている足取りは見ていてとても危なっかしく、いまにも転んでしまいそうだった。
*
お昼時なら弁当を持ったカップルやらで混雑する屋上だが、今はもちろん誰もいない。
日もすっかり沈んでわずかに肌寒い。
「先輩・・・先輩は今、付き合っている人とかいますか?」
沈みかけの夕日をバックにして、彼女はそう切り出した。
「付き合う?恋人ということか?」
「はい・・・」
「いないな」
「それなら・・・好きな人はいますか?」
「・・・」
その質問を聞いた瞬間、俺の脳内には小春と木陰の姿が浮かび上がった。
二人の笑っている姿、落ち込んでいる姿、泣いている姿。
どれも俺が好きで好きでしょうがない二人の姿だ。
だがその好きはあくまで兄としての感情だ。
恋じゃない。恋ではいけないんだ。
「好きな人は・・・いない」
これが真実なのかは自分でもわからない。
心の底から湧き上がってくる激しい情愛。
一方でその感情を否定する自制心。
本能と理性。果たしてどちらが本物の俺なんだ・・・
「・・・」
俺が質問に答えた後、彼女は黙ってしまった。
「どうしたんだ?」
「・・・」
俺の問いかけに彼女は反応こそすれ、言葉を発することはなかった。
何か言いたいのに、言う決心がつかない。そんな状態だ。
1分以上黙ったままで、さすがに俺も不思議に思って少しだけ歩み寄ると、彼女は不意に視線を落とした。
「先輩・・・好きです。付き合ってください」
「・・・」
一瞬頭の中が真っ白になる。
告白は決して初めてというわけではないが、こればかりは何度されても慣れるものじゃない。
「・・・」
俺はなんと答えていいかわからなかった。
彼女とはかなり長い付き合いだが、今までそういう風に見てきたことがなかった。
気の利くいい後輩だと思っていた。
急に彼氏彼女の関係になって欲しいと言われても・・・
「・・・」
「やっぱりダメですよね・・・私なんかじゃ先輩には釣り合わない・・・」
「そうじゃない。ただ驚いただけだよ。俺のことを好きになってくれるなんて」
「先輩だから好きになったんです。一年生の時からずっと・・・」
それはつまり柔道部のマネージャーになった時からということか。
そんなにも俺のことを。
だが俺は小春と木陰のことが・・・
いやそれは間違っている。
さっき否定したじゃないか。
それに、俺がこんなにも未練がましいから二人とも俺から離れられないんだ。
俺はもう決めたんだ。
二人の兄であり続けると。
心の中で渦巻くこのモヤモヤとした気持ちは別の女の子に向けないといけない。
きっとその時が今、来たんだ。
「好きになってくれてありがとう。ただ、俺にはそういった感情は芽生えていないんだ」
「やっぱり・・・その、すみませんでした。私、先輩に迷惑をかけて・・・」
彼女の目から涙が流れ落ちる。
「そういうことじゃない」
「えっ」
俺は慌てて訂正した。
「もし嫌でなければなんだが、俺と付き合ってほしい。付き合っていく中で好きになっていくかもしれないからな。もちろん、絶対とは言い切れないが・・・」
「本当、ですか・・・」
「ああ。それでいいか?」
「は、はい!ありがとうございます先輩!」
今日初めての彼女の笑顔を見て、俺の心臓は強く脈打った。
こんなにも可愛らしいんだ、近い内にきっと好きになるだろう。
そして本当の恋人になれば、 小春と木陰は俺から距離を置いてくれるかもしれない。
「その・・・先輩。一緒に帰ってもいいですか?」
「もちろん」
そう言いながら俺は赤面する彼女の手を握った。
付き合っているんだし、これくらいは構わないよな。
「えっ・・・はい・・・」
一瞬驚かれてしまったが、彼女はすぐに握り返してくれた。
「帰ろうか」
「はい!」
互いの温もりを感じ取りながら、俺たちはすっかり真っ暗になった帰路をゆっくりと下った。