第18話 ドレミンの森〜囚われの兄妹〜
ガタゴト・・・ガタゴト・・・
ドレミンの森に入ってからしばらく、馬車の進み具合が悪くなっていた。
この辺り一帯の地面がひどくぬかるんでいるからだ。
レナータさんによると、これでも昔に比べればかなりマシな方だと言う。
かつては馬車が絶対に通れないほどの沼地であったが、それでは人の行き来に支障が出るということで、灌漑工事が行われて今の状態になったらしい。
それでも、いくら改善されたとはいえ初心者の俺からすれば運転はかなり難しい。
やっぱりレナータさんに交代してもらおうか・・・
けど、それだと絶対ラバズに馬鹿にされそうでなんか交代しにくい。
「ねぇねぇおにーちゃん」
「うん?」
「向こうに何か建ってるよ」
隣に座る木陰は俺の服を引っ張りながら十時の方角を指差した。
何か建ってる?
正直木々が邪魔で何があるのか全くわからない。
「私には何も見えないけど」
「え〜。絶対あるよ」
「うーん・・・・・・確かに。何かあるな」
目を凝らしてよーく見てみる。
すると、木陰が指差す方角、まばらな木々の隙間から時折ねずみ色をした何かがちらちらと姿を現わした。
断言はできないがおそらく何かの建物だろう。
しかし木陰もよくあんなのが見えたものだ。
ここから少なくとも一キロ以上は離れてる。しかもこんなに揺れる馬車の上でだ。
もしかしたらこれが木陰の異能〈千里眼〉の力なのだろうか。
でも木陰は昔から目が良かったし、何とも言えない・・・
「あれって・・・お城じゃないかなぁ?」
「こんなところに城?」
木陰の言葉を疑うわけじゃないがこんな何もないような場所に城だけポツンと建っているものなんだろうか。
近くに街はないし、地面はこんなにぬかるんでる。生活するにしてはあまりにも不便な立地だと思うんだが。
「何かあったのかい?」
「レナータさん」
荷台で休憩していたレナータさんが後ろから顔を出した。
「それが、木陰がお城を見たって・・・」
「城?ああ。それは間違いなくルプスブルグ城だね」
本当に城だったのか。
けど、それだとやはり疑問が残る。
どうしてあんな辺鄙な場所に城が建ってるんだろう。
「ねぇ木陰。そのお城はどんな形をしてるの?」
「えっと・・・壁はねずみみたいな色で、屋根がとんがってて、大きなギザギザした門があるね」
すごいな。木陰の視力は驚異的だ。
俺にはそこまで見えない。
やはり異能の力が働いているとみていいんだろうか。
「なんだか外国のお城みたいで素敵ね。私も見てみたい」
「それは・・・やめておいたほうがいいと思うよ」
「どうしてですか?」
「・・・」
小春の質問に対してレナータさんは言い淀んだ。
何か言いにくいことがあるような、そんな顔をしている。
「・・・まあ、話すくらいならいいか。ルプスブルグ城はね、正確に言えば城というよりは牢獄なんだ」
牢獄?
牢獄というと・・・つまりあそこには誰かが捕らえられているということか?
なんだか物騒な話だ。
もしそうだとしたらあまりこの森には長居していたくないな。
「それに、あの牢獄はちょっと訳ありでね。あまり関わらない方がいい」
そう言って、レナータさんは再び荷台の方へと戻ってしまった。
まるでこれ以上話を続けたくないかのように。
訳ありって言ってたけれど、どういうことなんだろう・・・
「おにーちゃん止まって!」
木陰が突然叫んだ。
咄嗟のことに俺も小春も驚いてしまったが、なんとか手綱を引いて馬を止まらせた。
「どうしたんだ木陰」
「人が、女の子が倒れてる!」
「女の子?」
***
石の壁に囲まれただけの空っぽな部屋。
窓もなければ日の光も届かない。
暗くてジメジメした沼地のような空間。
ポツ・・・・・・ポツ・・・・・・ポツ・・・・・・
どこかの隙間から漏れ出ているのだろう。
ポツ・・・・・・ポツ・・・・・・ポツ・・・・・・
石の床に打ち付けられる水滴の音。
普通の生活を送る者からすればなんの変哲も無い音に過ぎないのだろうが・・・彼女には違った。
彼女にとってその音はあまりにも苦痛で苦痛で仕方がないのだ。
まして小さな雫が硬い床に落ちてから儚く散っていく姿を見ることすらできない。
だから目を閉じ両の耳を塞ぎながら部屋の隅で固まるしかなかった。
ポツ・・・・・・ポツ・・・・・・ポツ・・・・・・
これは断末魔。
水滴たちが最後にあげる悲痛の叫び。
彼らになすすべはなく、自分が散っていく瞬間を今か今かと待つことしかできない。
ポツ・・・・・・
一人。
ポツ・・・・・・
また一人。
ポツ・・・・・・
そしてまた一人・・・散っていった。
*
とある別の部屋。
同じく窓はないがいくつかのランプによって明かりは保たれている。
比較的広い空間には多くの若い男女が集められていた。
「オラァ!ちんたらやってんじゃねぇ!」
一人の男が大きな声で怒鳴り散らす。
手に持った馬用の鞭で壁やら床やらを何度も何度も叩いて。
パシッ
「「「ッ・・・!」」」
何かが叩かれるたびに少年少女たちはあまりの恐怖にビクッと肩を震わせる。
それでも決して手を止めたりしない。
ビクビク震える手で一生懸命に布を編んだりものを組み立てたりしている。
少しでも手を休めようものならあの男によって容赦なく鞭打たれるとわかっているからだ。
バシッ
「きゃぁぁぁぁぁぁ!」
「誰が休んでいいと言った!」
一人。
バシッ
「うわぁぁぁぁぁ!!!」
「もたついてんじゃねぇ!」
また一人。
バシッ
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「手を止めてんじゃねぇ!」
そしてまた一人・・・悲痛の叫びを上げた。
彼ら彼女らには抵抗することができない。
すれば今以上に痛めつけられる。それで何人もが帰らぬ人となったのだ・・・
ここに集められたのは元貴族の息子や娘。
不正を行なっていたことが発覚し、親が処刑されるもしくは投獄されると同時に子供達はこぞってここルプスブルグ城に監禁されるのだ。
この場所へ来たら最後、二度と日の光を浴びることはできない。
散々こき使われた挙句、食事も十分に取ることができず病気にかかって死んでしまう。
たとえそれが分かっていても、子供達が反抗することはない。
もちろんここへ連れてこられた頃は激しく抵抗したものの、鞭で三度ほど叩かれればそんな気力は一瞬で吹き飛んでしまうのだ。
そしてこう考えるようになる。
一生この檻からは抜け出せないんだ、一生日の光を浴びることなく死んでいくんだ、と。
この場にいる誰もが諦めていた・・・・・・一人の少年を除いて。
*
「急ぐんだキャシー!」
「待ってお兄ちゃん!」
兄ケインと妹キャシーは全力で走っていた。
草むらを掻き分け、枝を掻い潜り、ひたすら前に前に進んでいく。
靴を履いていない足はボロボロ。
キャシーはもはや限界だ。
何ヶ月も部屋の中に閉じ込められていた状態では体力も筋力もすっかり衰えてしまっている。
それでも兄ケインに引っ張られながら無我夢中で走り続けた。
「こっちだ!逃すな!」
「犬に追わせろ!最悪殺しても構わん!」
どう猛な番犬たちが野に放たれた。
逃げる兄妹めがけて勢いよくかけていく。
お互いの距離は刻一刻と縮まる。
「キャシー・・・・・・今から一人で走って行くんだ」
「どうしてお兄ちゃん?どうして一緒に行かないの」
「すぐに追いつくから」
兄ケインは悟っていた。
このままでは間違いなく二人とも追っ手に捕まってしまう。
だが、できるならキャシーだけでも逃がしてやりたい・・・
そしてケインは自分が身代わりになることを思いついた。
「やだ!私、お兄ちゃんと一緒じゃなきゃやだ!」
「・・・キャシー聞いてくれ。今はちょっと離れ離れになっちゃうけど、また絶対に会えるから。この森を出たところにソルプケっていう街があるはずだ。そこで合流しよう」
「でも・・・」
兄ケインはなんでもないといった風に言い聞かせたが、内心はこの先で待ち構えているであろうことに対する恐怖と妹に対して嘘をついてしまったことに対する罪悪感とでいっぱいだった。
「お兄ちゃんの言葉が信じられないか?」
「そんことない・・・でも・・・」
キャシーの踏ん切りはなかなかつかない。
しかし、兄妹にはこれ以上話し合っている余裕はなかった。
すぐそこまで追跡者たちがさしかかっているのだから。
兄ケインはこの際と決心して固く握られていた手を離し、妹とは別の方向へと走り出した。
「お兄ちゃん!」
「止まっちゃダメだキャシー!大丈夫!またすぐに会えるから!」
兄妹の距離はどんどんひらいていく。
キャシーは兄を追うことも走ることもできないまま訳もわからずただ立ち尽くすことしかできなかった。
暗い森の中で一人ぼっち・・・・・・その瞬間、地下牢に閉じ込められていた時の記憶が思い起こされた。
あの時の無力感が再びキャシーに襲いかかってきているのだ。
「こっちだ!こっちに逃げたぞ!」
追っ手の声が聞こえる。
次いでどう猛な獣の雄叫びも。
しかしそれは次第にキャシーのいる場所から離れていった。
兄ケインがうまく自分の方へと誘導しているのだ。
「お兄ちゃん・・・・・・グスッ・・・痛いよ・・・・・・怖いよ・・・・・・寂しいよ・・・・・・」
心身ともに疲弊しきった今の状態では走ることも動くもできない。
まして完全な暗闇に包まれた森の中に取り残されてしまってはどっちに向かっていいのか見当もつかない。
キャシーはどうすることもできないでいた。
しかし、
「お兄ちゃん・・・待って・・・」
体中が痛いのを我慢して、涙が出るのを我慢して、なんとか歩き始めた。
一歩、そしてまた一歩と。
兄の向かった方を目指すようにしてゆっくりと進んで行った。
・・・その先できっと兄が待ってくれていると信じて。
ポツン・・・・・・
そして、一滴の雫が地面に落ちた。




