第17話 道すがら(1)〜「旅」〜
唐突だが、俺、小春、木陰には旅をした経験がない。
しかし旅行ならもちろんある。
小春と木陰が中学生になったお祝いとして夏休み三人で沖縄に行ったのだ。
もちろん海で泳ぐためである。
二人の可愛らしい水着姿は今でも忘れられないし、他にも普段できないような体験をたくさんした。
あれは本当に楽しい旅行だった。
だがしかし、旅行と旅は異なるものだと思う。
前者は得てして計画的である。どこへ行くのか。いつ行くのか。どう行くのか。これら全てを決定してから家を出るものだ。電車のチケットを買っていない、ホテルを予約していない、そんな人が旅行できるわけがない。
だとしたら、後者が全くの無計画によって行われるものなのかと言えばそうじゃない。
ただ、旅行に比べれば旅の方が幾分かは自由な気がする。
目的地くらいは決まっているかもしれないが、それ以外は特に制約がない。どこへ寄り道をしようが、どんな速度で移動しようが勝手なのである。
ここで、知りたいことが一つ。
『俺たちが今しているのは旅なのだろうか旅行なのだろうか』
かなりどうでもいいようなことなのだが、気になってしまった。
だから少しだけ考えてみようと思う。
なぁに。ちょっとした暇つぶしみたいなものさ。
とは言っても、俺はかなり前から旅の方だと思っている。
王都へ行くという目的や期限なんかは決まっているものの、そこへの道程は特に決まっていないからだ。
もちろん最短ルートで行ければ良いのだが、そう簡単にいくわけがない。
レナータさんの話によれば、街から離れれば離れるほど野盗に襲われる可能性が上がるのだと言う。
そういった連中が出現しやすい場所を避けようとすると、自ずと遠回りになってしまうのだ。
こういうわけで俺は旅をしているんだと思っている。
なんだかすでに結論が出てしまっているような気もするが、小春や木陰、エリシアちゃんやレナータさんはどう思っているんだろう。
せっかくだから彼女たちの意見を聞いてから最終的な判断を下すとしよう。
*
ゴトゴトゴト
「二人とも疲れてないか?」
「私はまだ大丈夫です」
「木陰も大丈夫!」
バスールさんの領地を出てからおよそ一時間。
あたりには草原が広がっているだけで目ぼしいものは特にない。
ふあ〜
俺は想像よりも遥かにゆったりした旅になったと思いながら馬車に揺られている。
現在手綱を引いているのはラバズ。
初めは誰か人を雇うことになっていたのだが、ラバズとレナータさんが同行することになってその必要がなくなったのだ。
そろそろレナータさんと交代する時間だがあいつのことだから一生交代しないだろう。
そういう点ではついて来てくれて助かったと思う。
「そう言えば、小春と木陰に聞いておきたいことがあったんだ」
「なんですか?」
「二人は怖くないか?こうして旅に出て」
「木陰は平気だよ。だっておにーちゃんがいるもん!」
「そうですね。私も兄さんがいれば何も心配することはありません」
どうも小春と木陰はあまり危機感を持っていないようだ。
何も起こらなければそれでいいんだが・・・
「二人ともわかってるか?これは旅なんだぞ。昔行ったような旅行じゃないんだからな」
「うーん・・・よくわかんないけど、木陰はおにーちゃんと旅ができて嬉しいよ」
「旅行よりもか?」
「おにーちゃんと行った旅行も楽しかったよ。でも、あっという間に終わっちゃって少しだけ寂しかったなぁ。だからこうやっておにーちゃんと長くお出かけできるのが嬉しいんだ」
どうやら木陰にとって旅と旅行の違いは出かける時間の長さにあるようだ。
一応の目安としては王都に着くまで最短三週間以上かかる。
さらに、王都に滞在する日数、帰りの日数も含めれば相当な長さになるだろう。
そう考えると確かにこれを旅行とは言いづらいかもしれない。
ただ、世界旅行という言葉があるように、出かける期間が長いからといって必ずしも旅になるわけではないだろう。
「小春はどうだ?」
「私もだいたい木陰に同感です。こうやって旅をしている方が旅行をしていた時よりもドキドキワクワクしますし」
「どうしてだ?」
「どうしてなんでしょう・・・もしかしたら、これから何が起きるのか全然わからないからでしょうか。もちろん王都という場所に向かっているわけですけれど、そこまでの間にどんな場所を通るのか、どんなものを食べるのか、そして王都自体がどんな場所なのかということが全く想像できませんから・・・それを知るのがとても楽しみなんです」
行動力という点では木陰に軍配が上がるだろうが、小春は昔から人一倍好奇心旺盛な子だった。
比較的控えめな性格であっても、知ろうとする意欲は絶えず持っている。
だから物覚えも早いし、なんでもすぐに上達してしまう。
小春と木陰はレナータさんに戦い方を教わっていたが、ほんの数日しかなかったにもかかわらず小春の動きは以前と比較にならないほど洗練されていた。
さらに、異能〈瞬間移動〉の使い方もだんだんとわかってきたようで、今や目算で10メートルほどの距離を瞬時に移動できるそうだ。
レナータさんによれば、これはものすごいことらしい。
普通なら大人、つまり20歳を超えたくらいでようやく到達できる領域なんだと言う。それに、たとえ早くできるようになったとしても体力の方がもたないんだとか。
にも関わらず、小春は疲れを全く見せることなくやってしまうのだから天才じゃないかと言われた。
自慢の妹、愛しの妹が褒められて、俺は自分のこと以上に嬉しかった。
一方の木陰は、毎日目を細めたりしながら「うーうー」唸っている。
何か見えるような気がするんだけどモヤモヤしていてよくわからない、らしい。
俺としては何か助言してやりたいのだが、こればっかりはどうしようもないので、木陰に任せるしかない。
それはそうと話を戻すが、小春は旅と旅行の違いは事前知識の有無にあると考えているようだ。
確かに以前沖縄に行った時も、沖縄という場所へは行ったことがなくてもだいたいのイメージはあったし、海で泳ぐことができるというのも知っていた。
言わば旅行するというのは、自分の具体的イメージや願望なんかを実現することなのかもしれない。
となると旅の方は、未知へ向かうこと、新たなイメージを形成することなのだろう。
未知だから、今まで考えたこともないことだからこそ道程は定まらないし、自然と時間がかかることになってしまう。
なるほど。
木陰と小春の話を聞いて旅と旅行の違いがだいぶはっきりしてきたような気がする。
*
ゴトゴトゴト
「さすがニシキは覚えが早いな」
「ありがとうございます」
「何調子に乗ってやがる。俺様なんか10秒もかからずにマスターしてやったぜ」
「嘘を言うな。お前は何回も馬に逃げられていただろ」
「それは言わないでくださいよー」
俺はレナータさんに教わりながら馬車の手綱を引いていた。
初めての経験でなかなかうまくいかない部分もあったけど、そろそろ慣れてきた頃合いだ。
街を出立してからおよそ二時間。かなりの距離を進んでるはずなんだが見渡す限りの草原は一向に変わらない。
地図を見る限りではもうすぐ『ドレミンの森』に着くはずだ。そしてそれを抜けるとソルプケという比較的大きな街がある。
俺たちは現在その街を目指しているのだ。
「そのドレミンの森というのは大きいんですか?」
「何よそ見してやがる。テメェには百億年早いんだよ」
横でいちいちうるさいなぁ・・・
まあでも、荷台に行かれるよりましか。
今は後ろで小春と木陰、エリシアちゃんがお昼寝をしている。
こんなやかましい奴がいたら邪魔だろうし、何より小春と木陰の寝顔をラバズなんかに見せてたまるか。
「ラバズはもう少し静かにしろ。それでドレミンの森だったか・・・あそこはそれなりに大きい。だけどそこまで木々が密集しているわけじゃないから迷う心配はないよ」
「レナータさんは前にも来たことがあるんですか?」
「ああ。訓練の一環でね」
「王都もですか?」
「それは・・・恥ずかしい話、王都へは行ったことがないんだ」
「そうなんですか」
俺はてっきり行ったことがあるもんだと思っていたが、確かにバスールさんの領地から王都へ行くにはかなりの準備と覚悟が必要だからな。なかなか行く機会がないんだろう。
「テ、テメェ。何レナータ姉さんを辱めてんだよ!このクソが!」
「いや、辱めたって・・・」
こいつアホじゃないのか?
レナータさんの顔がわずかに赤く、そして何よりひどく恐ろしいことになっているのをラバズはもちろん気づいていない。
「・・・静かにしろと言っただろ!お前は永遠に黙ってろ!」
「グフェッ!」
一撃でラバズが戦闘不能になった。
すごいキレと破壊力だ。あの鉄拳は是非とも習得してみたい。
「ゴホン。騒がしくして申し訳ない・・・」
「いえ。気にしないでください」
レナータさんは動かなくなったラバズを荷台に突っ込んでから俺の隣に寄ってきた。
「・・・さっきの話に戻るんだが、そもそも私は今回のように長期間領地を離れたことがないんだ」
「そうだったんですか」
「だから堂々とエリシアさんの護衛を引き受けたはいいけど、本当は少し不安でね」
こんな風にレナータさんが弱気を言うなんて珍しい。
いくら副団長とはいっても、レナータさんだって一人の女性。不安になることくらいあるか。
「レナータさんは旅行とかしたことないんですか?」
「旅行?・・・それはないかな。生まれも育ちもバスール男爵領だからね。君たち兄妹のように別の街へ移った経験はないんだ」
「いえ、そうじゃなくて。こう・・・誰かと遠くの街へ泊まりに行ったりとか、海へ泳ぎに行ったりとか、そういったことです」
「それは・・・ないかな。私は毎日訓練があるし、他のみんなも忙しいから。遠出をするのは商人か、時々旅人になる者もいるかな。ただ、そういった者たちは一生帰ってこないんだけどね」
レナータさんの言葉を聞いて、俺は驚いた。
この世界の人たちにとって旅と旅行は同じものなのかもしれない。
・・・同じというか、旅行という概念が旅という概念に含まれている感じだ。
それに、その旅というのも目的地がほとんど定まっていない。それどころか帰る場所がない場合もある。
これでは旅というよりも「住所不定」とでも言った方が近いのではないか。
現実世界とは考え方が根本的に違う・・・
この世界では娯楽というものが少ない。
基本的に生きていくので精一杯といった感じだ。
だから俺や小春と木陰が想像するような娯楽としての旅行は存在しえない。
あるとしても旅。それもかなり淡白としたもの。
例えるなら松尾芭蕉や伊能忠敬だろうか。
ある種の誇りや使命感といった思い抱きながら、もしくはそれをすることが自身のアイデンティティと感じるような、こういったものが「旅」に当たるのかもしれない。
*
とりあえず小春と木陰、そしてレナータさんの話を聞くことができた。
エリシアちゃんにも聞いてみたかったが、なかなか起きそうもなかったのでそっとしておいた。
きっと朝の件で疲れてしまったのだろう。
それはそれとして、三人の話を聞いて分かったことは、俺たちはやはり「旅」をしているということだ。
ただし、それは当初意味していたところの旅ではないのかもしれない。
俺や小春と木陰なんかは旅と旅行を別のものとみなしていたけど、どちらも「楽しいもの」という点では共通していた。
そのことを考慮すると、俺たちが今していることは、いわゆる旅や旅行どちらにも当てはまらないのではないか。
もちろん楽しいことが一切ないというわけではない。俺としては小春と木陰が一緒にいるだけで楽しいんだから・・・
しかし、この「旅」の目的はあくまでバスールさんの使者として王都に行くことだ。
つまり俺たちには責任がある。
ただ漫然と旅をしたり旅行をしたりするんじゃない。
自分のなすべきことを自覚しながら確実に前進していく。
これこそが「旅」なのであり、俺たちがしていること、しなければいけないことなんだ。
「旅」とは人生であり、人生とは「旅」である。そう俺は思う。




