第15話 遠ざける矛盾
「どうしたんですか先輩?中に入らないんですか?」
晴れて俺と同じ中高一貫校に入学した小春と木陰。
二人が早速部活動の見学をしたいということで俺が案内役を務めたのだが・・・最初に連れて行った柔道場の前でお役御免となってしまった。
ちなみにどうしてここへ一番に来たのかというと、今の時間帯であればまだ他の部員が来てないだろうと思ったからだ。
別に小春や木陰と一緒にいるところを見られるのが恥ずかしいというわけじゃない。
ただ・・・なるべく二人をうちの柔道部から遠ざけたかったのだ。
もっと正確に言えば俺自身からということになるのだが・・・
しかし、やはりというか予想通りというか、二人が俺への接近を緩めることはなかった。
同じ学校に通うことだけでは飽き足らず、同じ部活に入ろうとしているわけだ。
それがおかしいというわけじゃない。
小春と木陰が俺のことをどう思っているかは別として、誰だって好きな人がいればその人とより長く時間を共有したい、一緒にいたいと思うだろう。
俺だって本来なら二人が入部届けを渡してきた時に喜ぶのが自然だった。
だけど、俺は喜べなかった・・・
俺は小春と木陰のことが好きだ。愛している。これは間違いない。
いつだって二人のことを抱きしめたいし、キスだってしたいと思ってる。
なのに・・・なんだろう。この底しれぬ不安は。
それは二人が俺に近づいてくればくるほど増大していく。
全く意味がわからない。だから怖い。
俺は望んでいるはずなんだ。
いつか兄妹という枠を超えるほどの関係になりたい、と。
なのに・・・俺たちの仲がどんどん深まっているはずなのに・・・むしろ小春と木陰の姿がだんだんと薄まっていくように感じてしまう。
だから二人を遠ざけようとした。判然としないこの不安感を払拭するために。
矛盾していることは自分でもわかってる。
それでも、他に方法が思いつかないんだ。だから試してみるしかない。
そして手始めに、俺の所属する部活動とは関わらせないようにした。
小春と木陰には俺と一緒にいる以外でも楽しめるようなことを見つけて欲しいと思ったのだ。
それに一応、男子柔道部には女子部員がこれ以上入れないという大義名分だってある。
二人を泣かせるつもりはなかったが、これも仕方ない。
後は二人を速やかに他の場所に移動させて男子柔道部への入部を諦めさせればいい。
そう思っていたのだが・・・予期しない事態に陥ってしまった。
今一番小春と木陰に合わせてはいけない人物が現れたのだ。
中学三年生にしては少し低い身長。
短く切りそろえられた髪の毛が爽やかな印象を与える。
手には学校指定のカバンが、肩には大きなバッグが下がっている。
部活動で使うタオルや水筒なんかが入っているのだろう。
彼女はその大きなバッグをいつも家から持ってきては、使ったものを全て持って帰っている。
別にわざわざ持って帰らなくてもいいとは言ったのだが、彼女はマネージャーとして当然のことをしているだけだと言って譲らなかった。
他にも、俺たち部員の身の回りのサポートを一年生の時からずっとしてくれている。
今となっては男子柔道部にとって欠かせない人物だ。
だから・・・まずい。
このままでは必ず一悶着ある。俺の勘がそう警告し始めたのだ。
しかし彼女がちょうど出口に通じる廊下の真ん中に立っているため、この場を立ち去ることもままらない。
かといって、彼女を二人にどう紹介したものか・・・
「それで、あの・・・先輩。そちらの二人は・・・」
「あの方は兄さんのお知り合いですか?」
「どういう関係なの?」
三方向から一斉に質問をぶつけられた途端、俺の背筋にぞくっと悪寒が走った。
どうしてこんな修羅場みたいな状況に・・・
「もしかして一年生ですか?」
そう言って彼女は俺との距離を縮めた。
もう逃れることはできそうにない。
こうなれば説明するしかないか・・・
「この二人は俺の妹なんだ。名前はこっちが小春でこっちが木陰」
「妹さんだったんですか」
俺の説明を聞いた彼女はどこかホッとしたような安堵を見せた。
何か疑っていたのだろうか・・・
そして彼女は小春と木陰の元に近寄って軽く頭を下げた。
「は、初めまして。小岩井春香です。先輩とは・・・えっと・・・マネージャーをしています」
妙におどおどとした挨拶だ。
これではまるで彼女が俺の専属マネージャーみたいに聞こえてしまうんだが・・・
そう思いながら小春と木陰を見ると、二人はぽかんとした表情のまま固まっていた。
「ほら。二人もちゃんと挨拶しなきゃダメだろ」
「は、はい。小春です。初めまして」
「・・・木陰です」
二人ともどうしたのだろうか。
彼女以上に動揺しているように見える。
木陰にいたっては俺の後ろにそっと隠れようとする始末。
もう中学生になったんだし人見知りも治ったと思ったんだけどなぁ・・・
「悪いな。少し人見知りなんだ」
「い、いえ。それにしても先輩によく似てますね。目元なんかそっくりです」
「よく言われるよ。というかバッグ重いだろ。持つよ」
「だ、大丈夫です」
そうは言うが、明らかに彼女の細い肩がいつまでも持っていられるような大きさではないので、俺は手を伸ばそうとした。
しかし、袖を後ろから引っ張られてそれができなかった。
どうやら小春がやったようだ。
「どうした?」
「・・・この方が男子柔道部のマネージャーさんなんですか?」
「そうだ」
「・・・」
やはりそのことを気にしていたか・・・
小春の表情がわずかに曇る。
木陰は俺の背後から彼女をじっと睨んでいた。
これはさすがにやりすぎだと思い、俺は注意しようとしたが、その前に彼女が口を開いた。
「もしかしてマネージャーになりたいんですか?」
マネージャーという言葉に小春と木陰が反応したのがわかった。
なんとか諦めさせようとしていたんだが、これではまた二人に熱が入ってしまう。
なんとか話題をそらさねば・・・
「いや、別にそういうわけじゃ・・・」
「なりたいです!」
「木陰もなりたい!」
俺の言葉を遮るようにして小春と木陰が大きな声を出した。
急なことに俺も彼女もあっけに取られてしまう。
「えっと・・・」
どうやら先ほどの言葉は俺ではなく彼女に向けられたものだったらしい。
二人の真剣な瞳はじっと彼女を見つめていた。
まるで獲物を狙うハンターのように・・・
これは・・・ここにきてこれが一体何を意味するのか理解した。
二人はマネージャーの座を狙っている。
より正確に言えば、彼女から奪おうとしている。そんな目だ。
「さっきも言っただろ。二人はマネージャーになれないんだ」
「で、でも・・・」
「先輩・・・いいんじゃないでしょうか。マネージャーが三人でも・・・」
「それはできない。これは決まりなんだ。女子はこれ以上入部できない」
間違ったことは言っていない。
二人がいくらわがままを言ってもルールはルール。
俺にすらどうしようもできないんだ。
だから、そろそろ諦めてくれるといいんだが・・・そう期待していた時、小春が一歩前に踏み出した。
彼女の方に近づいて、
「でしたら・・・私たちにマネージャーを譲ってください」
「えっ」
ドン
彼女の持っていたバッグが床に叩きつけられ、大きな音が出る。
それでも、そんな音に構うことなく木陰も小春に続く形で前に出た。
「おにーちゃんのマネージャーは木陰たちがする!」
二人があまりにも近づくため、彼女はわずかに後ずさりながらひどく困惑した表情を浮かべた。
これでは・・・恐喝も同然じゃないか。
「二人ともやりすぎだ」
俺は小春と木陰の肩に手をやってから強めに引っ張った。
こうでもしなければ二人が今にも彼女に襲いかかりそうな気がしてしまったのだ。
そんなことをするような子たちじゃないとはわかっているが・・・
「ですが兄さん。私はどうしても兄さんと同じ部活に入りたいんです」
「いいでしょ、おにーちゃん」
それでも頑なに押し通そうとする小春と木陰。
あまりにも諦めが悪い二人の姿を見て、俺は少しだけうんざりしてしまった。
「何度言ったらわかるんだ。彼女も困ってるだろ。これ以上わがまま言うんもんじゃない」
「「・・・」」
少し強く言い過ぎたせいか、小春と木陰の目元がうっすらと赤くなっていた。
今にも泣きそうという具合に肩を震わせている。
こうして二人を怒鳴ったのは初めてかもしれない。
心は痛むが、ここは兄としてきちんと言い聞かせないといけない。
マネージャーの座が初めから空いていたならともかく、すでに埋まってしまっているのだから、そこに割り込もうとするのはマナー違反だ。
二人ならわかってる、そう信じていたのだが・・・
「小春!木陰!」
引き止める前に二人は駆け出していた。
そんな・・・
「先輩・・・すみません。私のせいで・・・」
「いや、悪いのは俺だ・・・二人を追ってくる」
そう言ってから俺は二人を追った。
こんなことは初めてだ。
二人が泣くことはよくあった。最近は少しずつ減ってきたような気もするが、それでも突然の不安感に苛まれて泣き出してしまうことはある。
だが、二人はいつも俺の胸の中で泣いていた。
こんな風に俺のそばから離れるなんてことは一度もなかった。
二人に嫌われた・・・?
「小春・・・木陰・・・」
俺は激しく後悔の念に押しつぶされそうになりながら・・・愛すべき妹たちを追った。




