海と黒猫
蘭丸達が、黒猫捜索のため松山を飛び立ってから、暫く経った頃――。
黒猫を乗せた船は“怪異”に見舞われていた。
その日は、風も無く穏やかな天候だったにも関わらず、日が落ちた途端に波が荒れ、船が大きく揺さぶられている。
「姫様! 何かにお捕まりになり、決して振り落とされませぬように!」
船室の外にいる吾妻虎清は、荒ぶる波に紛れて取り付こうとする“何か”に、刀を斬り衝けながら叫んでいた。
遠くの空で、雷が鳴っている。
「猫ちゃん、大丈夫だからね! わたくしが守るから」
八十姫が、怯える心を必死に抑え込みながら仔猫に話しかける。
(これはやはり“いつもの悪霊”なのだろうな。海の上という事は“舟幽霊”か“海坊主”か?
八十姫らも、俺など拾わなければ、このような目に遇わなかったものを……)
八十姫のいたいけな顔を見ながら、黒猫は何処か他人事のように考えていた。
水を苦手とする猫の身では、下手に動く事も叶わず。蘭丸が居ないのでは、成り行きに身を任せるしか他に手立ては無いのだ。
(思えば、猫に転生してから三年。蘭丸と離ればなれになるのは始めてだな)
黒猫は、ちらりと船室の外で波に向かって刀を振り回す武士・吾妻虎清を見た。
(あやつ、見えておるのか?)
吾妻虎清は、船に取り付こうとする悪霊を、全て刀で薙ぎ祓っている。
無論、吾妻虎清に悪霊など見えてはいない。“気配”を察して闇雲に刀を振り回しているに過ぎなかった。
(蘭丸ほど手際良くは無いが、あやつも中々やりおるな)
蘭丸は本能寺の変の後、黒猫を護るために、秘かに嘗て師事していた陰陽道の師匠の元に身を寄せ、悪霊への対抗手段を学び直した。
愛刀の“不動行光”に呪術文を刻み、悪霊を祓う事に特化した霊刀に改造。数々の呪符を用いての悪霊滅殺の呪法も身に付けていた。
それに比べれば、そもそも“見えていない”吾妻虎清が悪霊に対してこれ程善戦しているのは、単純に戦闘技能と感(勘)が、ずば抜けて優れていたからである。
(しかし、あやつがいくら強かろうが、船その物を転覆させられたら終いだろうな)
黒猫がそう考えた直後、
「お武家様! 船がもう持ちません。お覚悟を!」
船頭が叫んだと同時に、船が転覆した。
――――
一方、その少し前。蘭丸達は思わぬ妨害に遇っていた。
「うぬら、何者だ!?」
小天狗の一体が、夜の上空で天狗達の行く手を阻む、それまで見たことも無い謎の妖怪三名に問い質す。いや、それらが果して妖怪であるのかどうかも分からない。
まず、中央にいる一体の服装が、南蛮人のそれである。
黒衣の背広上下に黒のネクタイ。蒼白く堀の深い顔立ち。撫で付けられた、髷の無い髪型。そして三体の背中には、蝙蝠のごとき黒い羽。
(西洋の妖怪?)
蘭丸が彼らを観察する。良く見ると右端の男に見覚えがあった。
その男は、本能寺の変の直前、信長に洗礼を施した神父に似ている。
蘭丸が男を見ていると、男の方も蘭丸に気付いた。
「お久しぶりデスネ。森=蘭丸サン」
「やはり、あなたでしたか。あなた方が何者か? 問い質したいのはやまやまですが、今は一刻を争うのです。邪魔をしないでいただきたい!」
蘭丸が語気を強め睨む。
「蘭丸殿は、奴等をご存知なのか?」
鬼一法眼が蘭丸に問う。
「黒猫様は、彼を“悪魔崇拝者”だと……」
「“さたにすと”ですと? 二千年生きた我でも、そのような妖怪の名は聞いた事が無い」
「私達は崇拝者じゃないわヨ。“悪魔”そのものヨ」
左端の、これも黒衣のドレスを纏った、金髪碧眼の美女が応えた。
「その“さたん”とやらが、何故我等の行く手を阻む? 返答次第ではただでは済まさんぞ?」
鬼一法眼の妖力が膨れ上がる。
三体の中で一番年若に見える中央の男が、パチンと指を鳴らした。
それを合図に、夜の闇の中から巨大な竜が姿を現す。
「お前ら、邪魔ダ。ココデ死ネ」
竜が蘭丸達に襲いかかった。