天逆とオサキ
「おひさしぶりです、天逆様♥」
そう言ってイタズラっぽく声をかけてきたのは、一匹の小さな白いオコジョ。
天逆が水を飲もうと竹筒の水筒の蓋を開け、口元に持っていこうとした時、ちょうど顔面の至近距離で竹筒からヒョロっと顔を出した。
「ぅわっ! びっくりしたぁ!」
天逆が思わず竹筒の水筒を放り投げたが、オコジョは空中でぬるりと竹筒から身体を抜き、くるりと一回転。器用に竹筒をキャッチすると、ふわりと浮きながら天逆の顔前に戻る。
「どうぞ」
と水筒を差し出す。
「ちょっとぉ~!
心臓に悪いからそ~ゆぅ登場の仕方、やめてって前にも言ったよねぇ!?」
ぷりぷりと怒りながら水をくぴくぴと飲む天逆を見て蘭丸は
(……うわぁ、動物の入ってた水飲んでるよこの女)
と、若干引いている。
勿論、竹筒の中の水はキレイなモノで、このオコジョは半実体の妖精のごとき存在。
“飯綱の法”と呼ばれる法術で、筒状の物体が有れば、距離関係なく出入りし移動できる。
オコジョは、天狗十大星が一人“飯綱 三郎”の使いでやって来た。
――天狗十大星は、それぞれが一百八の眷属を従えているが、そのほとんどは小天狗や烏天狗、たまに葉天狗などである。その中で、飯綱 三郎は小天狗・烏天狗の他に“筒狐衆”と呼ばれる、竹筒に入るほど小型の小動物妖怪七十五匹を従えていた。
今回現れたのは“オサキ”と言う名の牝の個体で、天逆とは昔馴染みである。
オサキは身体をにょろ~んと延ばすと、天逆の襟首に巻き付いた。
「うり うりぃ~。ええのか? ええのんかぁ~?」
「うふふ。ちょっとぉ、くすぐったいからぁ~。や~め~て~よぉ~」
天逆が身体をくねらせて、ひゃははと笑い出した。
オサキは天逆の扱い方を心得ていて、その性感帯も知り尽くしている。オサキは天逆と遊ぶのが大好きで、最初に驚かせてからじゃれつくのがいつもの定番であった。
主人である飯綱 三郎と同じ天狗十大星メンバーの若手筆頭・天逆を玩具のごとくあしらうオサキを見て、
(今、ボクはもしかして、生涯の師匠に出会ったのかもしれない……)
ポカンと口を開けた小狸は、なんとなくそう思った。
季節は九月、まだ暑い日が続いている。
胸の谷間に小狸を挟み、襟首をオコジョに絡まれて悦んでいる天逆。
蘭丸、上天狗・下天狗の三人はそれを見て
(暑苦しいなぁ……)
と、流れる汗を拭う。
ここ最近、女悪魔タルテは姿を現さず、暇になった天逆は旅の娘に化けて蘭丸達黒猫追跡チームに合流している。黒猫を連れた吾妻と八十姫の一行に気付かれぬように、先回りして異形の魔物を(指先一つで)屠殺していた。
「で? 何の用なのぉ?」
ひとしきり笑い疲れた天逆が事後のようなトロけた顔で聞く。
天逆がくねくねと身悶えている間に、蘭丸、上天狗・下天狗は手際良く休憩の準備を終えていた。
「はい。中間報告です。
法眼様は未だ目醒めず。ですが、傷はほぼ完治してますから問題無いと太郎坊(猿田彦尊)様は仰ってました」
法眼は、二ヶ月経った今も眠り続けていた。
地獄の暴竜アバドとの戦いは、それほどの深傷を法眼に負わせていたのだ。
「…………」
それを聞いて、天逆は何も語らなかった。その眠た気な表情から感情を読み取る事は出来ないが、いつものように茶化さないところを見ると、それなりに父親の容態を心配しているのだろう。
「悪魔については引き続き調査中ですが、巨竜……暴竜アバドですか? は、死骸を腑分けして鱗、皮膚、筋肉、骨格、内臓と事細かく調べまして(悪食天狗・次郎坊の舌と胃袋は、食した物の成分、組成、性質を詳しく分析する能力を持つ)その対策法を現在検討中です。仮組で新たな獲物も何点か試作しましたし、大規模な呪術印も作成中です。
後、信長様の意識消失の件ですが……」
「何か分かったのですか!?」
静かに聞いていた蘭丸が、ガバッとオサキに掴みかからんばかりに迫った。
オサキは蘭丸にニコリと微笑みかける。
「はい。太郎坊様がおおよその仮説を立てられました。
過去に似たような事例があったそうです。
それを実証するためにも、信長様の猫と、連れている侍と姫に一度接触してみようと思いまして私が参りました」
「大丈夫なのですか? 下手にこちらから接触して信長様の存在が悪魔に悟られでもしたら……」
蘭丸は気が急く反面、信長の猫を危険に晒すのではと心配する。
「それもありまして、事は慎重に進めなければなりません。
信長様追跡調査隊はこれより、計画の第二段階“黒猫・侍・姫の三者接触作戦”に移項します。
それでは皆様、計画の概要を説明いたしますので、まずは先程お配りしましたお手元の資料をご覧下さい……」
天逆と仲の良いオサキもまた、少し言葉遣いがおかしかった。
何か関係でもあるのだろうか?