姫と侍
――前回までのあらすじ
天正十三年七月。豊臣秀吉の四国攻め(天正の陣)により、金子城主・金子元宅は討ち死にする。
元宅は死する前に、未だ八歳の八十姫を落城寸前の金子城から逃がす。
伊予金子家の最後の血筋を絶さぬよう、筆頭家老・吾妻正清の嫡男、吾妻虎清は八十姫の護衛役を任された。
国は亡び、帰る場所の無い八十姫と吾妻虎清は、海へ逃げ延びる。
だが、日没から急激に海は荒れ、大波と突風により船は転覆し二人は夜の海に投げ出された……。
吾妻虎清は、溺れて意識の無い八十姫を乗せた板片を押しながら必死に夜の海を泳いだ。
三日月と星の僅かな光だけが頼りだった。
暗い海では、どれだけ泳いでも自分が進んでいるのかすら分からなくなる。
あと、どれだけ泳げば夜が終わる?
夜が終われば陸が見えるのか?
自分は今、何処にいるんだ?
…………
意識が朦朧となり、海に沈みかける。
「うぅ……」
意識の無い八十姫の微かなうめき声で、ハッと我に返る。
そしてまた、月と星の瞬きを頼りに泳ぎ出す。
(関東へ、関東の武蔵金子氏へ。そこに姫を無事に送り届ける。それで自分の役目は終わる。それまでは死ねない。自分が死ぬのは、それが終わってからだ!)
吾妻虎清は、いつの間にか海流に流されていた……。
――――
気が付いた時には、すでに夜は明けていた。
夏だというのに寒かった。
濃い霧が立ち込め、太陽が薄ぼんやりとしている。
知らずに浜に打ち上げられていたのか、濡れて身体に張り付いている衣服は砂まみれだった。
(八十姫は?)
慌てて探す。八十姫は目の前に寝かされていた。砂浜の乾いた場所に布が巻かれた状態で。
(一体誰が? 自分が? ……記憶が無い)
吾妻虎清は身体を起こすと、パァン!
と自分の頬を叩いて、海水で顔を洗う。
(よし! 目が覚めた!)
八十姫を巻かれた布ごと抱き上げ、寝息を確認する。
「……姫様? 八十姫様」
吾妻虎清が優しく呼び掛けると、八十姫がうっすらと目を開ける。
(あぁ、良かった……)
もし、自分が呼び掛けて八十姫が目を開けなかったら? もし、それが何日も、何ヵ月も、何年も目を開けなかったら?
……考えるだけで恐ろしかった。
「とらきよ……ここは、どこ?」
「……分かりませぬ。しかし、漁村が在るかもしれません。少し歩いてみましょう」
吾妻が八十姫を抱き上げたまま歩みを進めようとする。
「待って。……わたくしも歩きます」
「姫様、無理をなさらずに……」
「歩きたいのです!」
そう強く言われ、吾妻はゆっくりと八十姫を降ろす。
手を繋ぎながら二人は歩いて行く。それは、知らぬ者が見れば父娘に見えただろう。
その後から
「ニャ~」
と鳴きながら黒い仔猫が付いて行く。
「ノブ」
八十姫が、仔猫に呼び掛ける。
「ニャ?」
仔猫が八十姫を見上げ、首を傾げる。
「猫に名をお付けになられたのですか?」
「わたくしが付けたのではないわ。この仔が元々持っていた名前なの」
「何故それをお知りに?」
「ノブがそう言ったの。わたくし、ノブと夢の中でお話ししたのよ?」
「ほほぉ! それは羨ましい。
拙者の家にもトラ縞の猫がおりました。幼き頃は、いつかこの猫と話が出来るものと思い込んでおりましてな……」
二人が話しながら歩いて行くと民家が見えてきた……。