法眼と天逆
「蘭丸殿。我が最初に蘭丸殿に手を貸したのは、そなただけのために力添えをしたかったに過ぎぬ。
正直、怨霊に祟られた信長の転生せし猫など気にも止めておらなんだ……。だが、どうやらその猫は何としても護らねばならぬようだな。
今後、そなたと信長の猫は、我が力の限り護るとここに誓おうぞ」
「法眼殿……」
見つめ合う二人。
「父上、また性懲りもなく男の尻追いかけてるの~? もぉ、サイテ~。母上が愛想つかすの超ワカル~」
「うるさい! ちと黙っておれ。何処の方言なのだそれは?」
「ブゥ~。教えな~い」
「まったく。そのようなけったいな言葉遣い、何処で覚えたのやら……まぁ、それでだ。“悪魔”なる敵の存在が明らかになった今、上天狗・下天狗だけでは心許ない。これなる我の娘 天逆を護衛として同行させる」
「え~。聞いてなぁい!」
「……そなたは、このような姿に成り果てた父の頼みを聞けぬのか?」
法眼がひしゃげた左の腕と満身創痍の全身を見せる。
「父上、頼んで無いじゃん……でも、わかった。やるよ~」
「蘭丸殿。コレは頭が少々アレだが、根は優しい娘だ。それに、妖力は折紙付きの兵。
出来れば、我が付いていてやりたいが、この有り様では足手まといにしか……。
そなたらが戻るまで“悪魔”なる者どもの事は、出来る限り調べておく。
天逆、蘭丸殿を頼んだぞ!?」
「うん! 任せて~」
片手をヒラヒラさせて答える天逆。
「蘭丸殿に手を出すなよ?」
「バッカじゃないのぉ? ありえな~い」
こうして“信長の猫捜索隊”に女狐天狗 天逆が加わった。
…………
蘭丸達を見送った法眼が
「……烏天狗達よ、待たせたな」
と声をかけると、隠れて控えていた側近の烏天狗四人が現れた。
烏天狗達に支えられると、法眼の身体から力が抜ける。
「すまぬが、松山の隠神屋敷まで……頼む。……我は……少し……眠…る……」
三日月の夜空。ぐったりとうなだれた法眼を烏天狗達が運んで行く。
法眼を気づかい、出来るだけ静かに、出来るだけゆっくりと。
(法眼様を起こしてはならぬ。法眼様の眠りを妨げてはならぬ……)
妖怪は深い眠りで傷を癒す。
夜はまだ明けぬ。法眼の傷を癒すのに、後どれ程の眠りが必要なのか? それは、法眼自身にも分からぬ事だった……。
――――
沈没した難破船の周辺を探す蘭丸達であったが、信長の猫を見付ける事は出来なかった。
黒猫に獲り憑いていた悪霊・怨霊の気配も消え失せている。
海に潜った下天狗が、海底で溺れ死んだ船頭を見付けたが、猫の姿は海底にも無い。
(黒猫様はもしかすると、この船に乗ってはおられなかったのでは?)
自分は見当違いをして時間を無駄にしたのでは無いか? と、蘭丸が自責の念を抱く。
「蘭丸さん、蘭丸さん」
不意に耳元で名を呼ばれ、自分を抱えて海上を飛んでいる上天狗に呼ばれたのかと思ったが違う。天逆でもない。蘭丸がキョロキョロと辺りを見回す。
「ここですよ。蘭丸さんの肩の上です」
蘭丸が自分の肩を見る。そこに手のひら大の小さな子狸がちょこんと座っている。
動物の現実的な子狸では無い。作り物めいた二頭身の子狸の人形が自分を呼んでいた。
「何ですか、あなたは?」
「わたしは隠神刑部の分身です。
本体は大天狗さんたちのお世話をしなければならないので、分身のわたしが蘭丸さんをお手伝いしますよ!
わたしのことは“刑部”とお呼び下さいまし」
隠神の分身だと言う割に、声や喋り方が子供っぽい。小さい分、精神も幼くなっているのだろうか?
「うわ~! なにコレ~!? 超ぉカワイイんですけど~」
目ざとく小狸を見付けた天逆が、蘭丸の肩から引ったくり自分の胸に抱き寄せる。
「ちょっ! わたしは蘭丸さんにご報告したいことが……って、天逆さんけっこう胸大きいんですね」
心なしか、小狸の頬が赤い。
蘭丸は、藁にもすがる思いで小狸に問いただす。
「私に報告したき事とは?」
「あ、はい。この難破船の残骸から、微かに黒猫さんの気配の残り香を感知しました。
この船に黒猫さんが乗っていたのは、間違いないでしょう」
「では、未だどこかで溺れておられるのやもしれぬと!?」
天逆が放してくれず、胸に押し込まれた小狸は仕方なく胸の谷間からピョコっと小さな頭だけを出して、スンスンと鼻を鳴らす。
「この船には他に三人乗ってましたね。
一人は、海の底で死んでた船頭さんです」
「それ、ウチも感じた~。あとの二人は男と女の子かな~?」
狐妖怪“天狐”の血を継ぐ天逆も鼻が利く能力が高いようだ。
「烏天狗さんの報告にあった、金子家の家臣と姫でしょうね。彼らがここで死んでなければ、黒猫さんも一緒にいるかもですよ?」
「では、その者達を探しましょう。跡を追えますか?」
「うーん。それは難しいですねー。さすがに海の上でそこまでは……」
「そぉねぇ。波で匂いが流されちゃうしぃ、海って塩味だしぃ~」
……それにしても、天逆の独特の訛りは何処の国の方言なのだろうか?
黒猫の無事を強く祈りながらも、蘭丸はそんな事を考えていた。