第96話 ずっとそばにいるよ(前編)
「ううっ……」
深い暗闇の中で、さやかが目を覚ます。空も大地も、全てが黒一色に染められた空間に、彼女は横たわっていた。衣服は変身前の学生服へと戻っている。
現実空間でさやかが狂気に呑まれた時、彼女の魂はこの奇妙な空間に囚われていた。彼女自身は、ここが精神空間である事に気が付いていない。
「私……テトラ・ボットと戦ってたはずなのに……」
戦いの最中に気を失った事を思い出す。ぼやけた頭を揺り動かして思考を整理しながら、ゆっくりと体を起こして立ち上がった。
「ここ……どこ?」
周囲を見回して少女が困惑する。音も光も一切届かない暗闇の中に、ただ一人ぽつんといる事に、自分だけが外界から隔離されたような感覚を覚えて、急激に寂しさが募りだす。ここから出たい、仲間に会いたいという気持ちがどんどん強くなる。
文字通り右も左も分からぬ状況だが、それでも少女は正面に向かって歩きだす。たとえどれだけ広大な空間でも、一点を目指して突き進めば、必ず外に出られる……そう信じたかった。
さやかが内心不安になりながら、数分ほど歩き続けた時……。
『逃がさんよ……』
何者かの声が頭の中に鳴り響く。
明らかなる悪意に満ちた声は、少女を精神世界に引きずり込んだ張本人であるマインド・フレイアのものだった。
『赤城さやか……ここは貴様の精神世界。狂気に呑まれた末に、貴様の意識はこの世界へと囚われてしまったのだ。今現実の世界では、正気を失った破壊者と化した貴様が、仲間をその手に掛けているぞ……こんな風になぁっ!』
そう言い終えるや否や、壁が無いはずの空間に、スクリーンに映し出されたかのような映像が浮かび上がる。
「ああぁっ……あっ……」
映像を見て、さやかの顔が俄かに青ざめる。肌からはサーッと血の気が引いて、手足はガタガタと震えて、今にも泣きそうな表情になる。
そこに映っていたのは、エア・グレイブルになった彼女自身が、仲間に襲いかかっている光景だった。ゆりか、ミサキ、アミカ……三人が順番に狂犬と化した少女の餌食となる。
彼女たちは素手で髪を引っ掴まれたまま、顔を何発も殴られたり、腹を何回も蹴られたりして、あっという間に血のサンドバッグとなる。やがて死んだように動かなくなると、飽きられたオモチャのようにポイ捨てされて、次の獲物へと襲いかかる。それが三度繰り返された。
「うっ……嘘よ……こんなの……嘘よぉおおおっ!」
見せ付けられた映像のあまりの惨劇に、さやかが思わず大声で叫んだ。
自分が仲間にむごたらしい仕打ちをしたなんて、とても信じたくなかった。夢であって欲しかった。もしそれが現実に起こった出来事なら、とても耐えられない思いがあった。
フレイアが見せたのは巧妙に捏造されたまやかしだったが、それでもさやかにショックを与えるには十分だった。
『フフフッ……嘘ではないぞ。証拠を見せてやろう』
動揺する少女を嘲るように笑うと、その瞬間辺りの景色が一変する。
大地は一面真っ赤な血に染まり、見慣れた制服姿の少女が三人、体が半分血の池に浸かりながら仰向けに倒れていた。
「ゆりちゃん……ミサキ……アミカ……」
倒れた人影を目にして、さやかが顔面蒼白する。
そこにいたのは他ならぬ彼女の仲間たちだった。少女たちは全身に殴打された跡があり、口からは真っ赤な血が流れている。開いたままの目からは完全に生気が失われていて、死んだ事が一目で分かるほどだった。
『そいつらはお前が殺したのだ……お前のその、薄汚れた手でな……』
邪悪な声が、この光景を楽しむようにククッと笑う。
声に促されてさやかが自分の両手を見ると、ベットリした血に染まって、微かに生暖かかった。
「いやぁ……」
少女の口から情けない言葉が漏れだす。目にはうっすらと涙が浮かび、両足が震えて力が入らなくなる。胸の奥からきゅうっと締め付けられたように息苦しくなり、目まいがして吐きそうになった。
大事な仲間を自らの手で殺めた事実に心を強く打ちのめされて、頭がおかしくなりそうだった。
さやかが何も出来ずにただ茫然と立ち尽くすと、目の前に倒れた三人の少女がむくっと起き上がる。死んだはずの人間がよろよろと力なく歩きだす姿は、まさにゾンビと呼ばれる不死の怪物そのものだ。
「さやかぁ……」
「よくも……よくも私を殺してくれたなぁ……」
「許さない……」
そんな恨みの言葉が放たれる。グワッと見開かれた目は生者に対する嫉妬と憎悪に満ちており、もはや正義のヒーローだった面影は微塵も無い。
三人はさやかが自分を殺した事を口々に罵ると、彼女に向かってゆっくりと歩き出した。
「いっ……いやあっ! 来ないでぇっ!」
さやかは声に出して怯えながら、彼女たちとは反対側の方向に慌てて逃げようとする。足元は血でぬかるんでいて非常に歩き辛かったが、それでも無我夢中で駆けようとした。
深く動揺したあまり、今見せられている光景がまやかしだと疑う余裕は完全に無くなり、仲間を傷付けた罪の意識から逃れたい気持ちと、三人に捕まったら何をされるか分からないという恐怖心だけが残った。
「うあっ!」
血だまりの上を必死に走ったさやかだったが、途中で足がもつれて前のめりに転んでしまう。急いで立ち上がろうとしても、足がすくんで力が入らない。彼女は四つん這いになったまま動けなくなってしまった。
「ウゥーーッ……」
身動きが取れないさやかを、三人の少女が取り囲む。不気味な唸り声を発して、口からはだらしなく涎を垂らしている。彼女たちは身も心も完全にゾンビと化してしまったかのようだ。
やがて三人は獲物に群がる魚のように、さやかの体へとまとわり付く。
「さやか……貴方は私たちを殺したのよ。その責任は取ってもらうわ……」
「お前も、私たちの仲間にしてやろう……」
「ここで四人一緒に、ずっと仲良く暮らしましょう……」
誘惑するような言葉を囁くと、彼女の服を脱がし始める。手、足、太股、肩、腹、胸……体のありとあらゆる部位を味わうように舌で舐めたり、歯を立てて噛み付いたりする。本当に彼女の肉を食らおうとしているようだ。
肌の肉を強く噛まれて、少女の全身を激痛が駆け巡る。だが本当なら痛い痛いと泣き叫ぶべき所なのに、彼女はそうしない。三人のなすがままにさせている。
(そっかぁ……私、本当にみんなを殺しちゃったんだ。あんな風に、ボコボコに蹴ったり殴ったりして……みんな、ゴメンね……本当にゴメン。とっても痛かったよね……苦しかったよね。みんなが私を許せないの、当たり前だよ……私だって、自分で自分を許せないもの……)
さやかの胸の内に、深く後悔する気持ちが湧き上がる。フレイアに見せられたまやかしを完全に現実に起こった出来事だと確信し、仲間を死に追いやった事に責任を感じたあまり、悲しみの涙が止まらなくなる。
(私……ずっとみんなと一緒にいるよ。みんながそれを望むなら……私に出来るのなんて、それくらいしか無いから……)
すっかり抵抗するのをやめて、彼女たちの仲間になる事を受け入れようとする。涙が溢れる瞼をそっと閉じて、そのまま安らかに眠りに就こうとした時……。
「さやかぁぁあああああーーーーーーーーっっ!!」
何処からか、とても大きな声で少女の名を呼ぶ声が聞こえた。
声のした方にさやかが顔を向けると、三つの人影が彼女に向かって走ってきている。
「……ッ!!」
人影の姿を目にして、さやかは驚愕した。それは他の誰でもない彼女の仲間であるゆりか、ミサキ、アミカだったからだ。
三人は装甲少女に変身した姿をしていて、目には生気が宿っており、体中何処も怪我をしていない。とても元気そうな彼女たちの様子は、一目見ただけで生きた人間である事が十二分に読み取れた。
(一体何がどうなってるのっ!?)
今自分にまとわり付いている三人と、彼方からやってくる三人……全く同じ顔をした人間がこの場に二人ずついる異様な状況に、さやかは何が何だか訳が分からず、頭がおかしくなりそうな心地がした。
ドッペルゲンガーと呼ばれる怪現象が起きたか、あるいはキツネかタヌキが化けてるんじゃないか……そんな事まで考えだした。
元気な方の三人は、さやか達の所まで駆け付けると、彼女に絡もうとする自分そっくりのゾンビを素手で掴んで引っ張ろうとする。
「このニセモノっ! さやかから離れなさいよっ!」
「ゾンビ映画にでも出演してろっ!」
「さやかさんは食べ物じゃありませんっ!」
口々に罵りながら、力ずくで引き剥がす。
「オオッ……」
本物らしき三人にどかされると、ゾンビ達は無念そうな声を漏らしながら、暗闇に溶け込むように消えていった。




