第93話 最強の侵略者(後編)
圧倒的な強さを誇るテトラ・ボットを前にして、ファイナルモードの使用に踏み切ろうとするアミカを、さやかが慌てて制止した。敵を倒し切れないまま全能力が百分の一に低下するリスクがあったからだ。
シャイン・ナックルとオメガ・ストライクは威力が同じであるため、通用するか否か自分が確かめようと提案する。
「最終ギア……解放ッ!!」
掛け声と共に右腕の装甲に内蔵されたギアが高速で回りだし、凄まじい速さでエネルギーが蓄積されていく。やがて装甲内部から赤い光が漏れ出し、限界までパワーが溜まり切ると、敵に向かって一直線に駆け出す。
「オメガ・スト……」
さやかが技名を叫びながら拳を振ろうとした瞬間、目の前にいたテトラ・ボットが突然ワープしたようにフッと消える。最初に避けられた時と同様、高速移動して彼女の背後に回り込んだのだ。
「……」
だがその時彼女の表情に浮かんだのは、攻撃を避けられた事への絶望では無かった。口元をニヤリと歪ませて不敵な笑みを浮かべるその顔は、まるで敵がそう対処する事が最初から分かっていたようだった。
敵が自分の行動を読んでいたと悟り、ボットが一瞬焦りだす。声には出さずとも、内心「しまった」と後悔する気持ちが広がる。
さやかは片足を軸にしてコンパスのように横回転すると、背後にいたテトラ・ボットへと向き直る。そして右拳に力を溜め込んだまま、再度敵に向かって駆け出した。
「……ターンオメガ・ストライクッ!!」
技名と共に全てを賭した拳の一撃が放たれる。少女の拳が相手に触れようとした瞬間、突如目の前にオレンジ色に光る半透明のバリアが発生して、あと少しという所で止めてしまう。
「えっ……ええええぇぇーーーーーーーーっっ!!」
さやかが思わず驚きの言葉を発する。あまりの予想外すぎる展開に目が点になり、金魚のように口をパクパクさせた。
戦いを見守っていたミサキ達の顔は真っ青になり、瞬く間に絶望の色に染まっていく。まさか敵もバリアを張る能力を持っていたなんて……そんな思いに駆られた。これまで使うそぶりを全く見せなかったから、尚更だ。
「きっと、自分にとって脅威だと判断した攻撃に対してのみ、バリアを張るんだわ」
ボットが使用に踏み切った理由について、ゆりかが冷静に仮説を立てる。
「今までは、使う価値すら無かったという事か……クソッ!」
仲間の言葉を聞いて、ミサキは腹立たしげに地団駄を踏んだ。全力を出すまでもないと敵に舐められた心地になり、戦士としての誇りを強く傷付けられた。
「くっ……だったら!」
当のさやか本人は悔しさを滲ませながらも、冷静に後ろへとジャンプして、一旦相手との距離を開く。攻撃を防がれた瞬間こそ慌てたものの、すぐに落ち着きを取り戻していた。
「もう、これしかない……薬物注入ッ!!」
覚悟を決めると、背中のバックパックに開いた穴から、薬品が入った一本の注射器を取り出す。そしてそれを一切の躊躇なく自分の首に突き刺した。
薬液が体内へと注がれると、少女の体全体が一瞬ビクンッと激しく震える。全身の血管がドクッドクッと強く脈打ち、筋肉がムキムキに盛り上がり、皮膚が真っ赤に火照って熱くなる。
「おおっ! あれはっ!」
さやかの体に訪れた変化を目にして、ミサキが歓声を上げる。
それは薬物投与による能力強化モードだった。三分しか持続しない代わりに全ての能力が三倍になる力は、かつて強敵ザルヴァをたやすく屠ったほどの強さだ。
今回もきっと……いや間違いなく、彼女はやってくれる……ミサキはそんな揺るぎない勝利への確信を抱き、期待に目を輝かせた。
「最終ギア……解放ッ!!」
さやかは再度右腕に力を溜め始めると、ボディビルダーのように屈強な肉体で、敵目がけて走り出した。大地を力強く踏むたびにドスンドスンと重い音が鳴り、周囲が軽く振動する。あたかも猛り狂う巨大なマンモスが、全速力でダッシュしているかのようだ。
そして敵の間合いに飛び込むと、すぐさまパンチを繰り出す体勢に入った。
「これが、三倍の威力……トライオメガ・ストライクだぁぁああああああああーーーーーーっっ!!」
技名を叫びながら、必殺の一撃が放たれる。ロケットランチャーの砲弾の如く突き進む剛拳が、テトラ・ボットに触れようとした瞬間、またしてもオレンジ色に光るバリアが発生する。
だがバリアに拳を止められても、少女は全くひるまない。そのまま力で押し切ろうとする。
「いっ……けぇぇぇええええええーーーーーーーーーーっっ!!」
喉が裂けんばかりの絶叫が発せられる。少女の意地も、信念も、力も、全てが右腕一本へと集中し、拳と接触したバリアに、全てを破壊する威力の凄まじいパワーが伝わる。
その威力のあまりの大きさに、周囲の空気がビリビリ震えるほどだった。
バリアは打ち消されそうになるたびに、瞬時に張り直される。更に何枚、何十枚にも重ね張りして、少女の拳を必死に押し返そうとする。
その光景がおよそ十秒ほど続き、さやかが押し負けるのではないかという考えが仲間の頭によぎりかけた時、突如ボンッという爆発音が鳴って、バリアが立ちどころに消失する。
「ギィーーーーッ!?」
ボットが声に出して慌てる。表情は変わらずとも、想定外の事態に焦りと困惑を抱いたであろう事が読み取れる。
円盤の側面にある通風口らしき穴からは、白煙がもうもうと立ち込めていた。本体に内蔵されていたバリア発生装置が、オーバーヒートを起こして破損したのだ。
目の前の障壁が取り除かれた事により突き進んだ拳は、軌道の先にあるボットの足へと激突する。一際大きな金属音が鳴り響いた直後、鋼鉄の巨体がフワリと宙に浮いて、一気に後方へと押し出される。
「ギャァァァアアアアアーーーーーーーーーーッッ!!」
テトラ・ボットがこの世の終わりと思えるような悲鳴を発する。それはもはや機械などと呼べるものではなく、完全に鳥の怪物が発する断末魔の叫びにしか聞こえなかった。
少女の拳はバリアに止められても全く威力を殺される事が無く、その破壊力をまともに喰らった悪魔の兵器は、強い衝撃で地面へと叩き付けられて、何度も大地を揺るがしながら派手にバウンドした。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
拳を振り抜いた姿勢のまま、さやかが息を切らす。額には大量の汗が浮かび、全身にドッと重い疲労感がのしかかる。たった一撃で全ての力を出し切った感覚を覚えて、目まいがして気が遠くなりかけた。
そうしている内に三分が経過して、能力強化も解除されてしまう。
テトラ・ボットは倒れたまま微動だにせず、死んだようにだらしなく地面に寝転がる。
辺りはシーーンと静まり返り、ただ風の音だけが空しく響く。
その光景を見守っていたミサキが、緊張するあまり思わずゴクリと唾を呑んだ。
「勝っ……」
勝利への期待に胸を躍らせて、そう口にしようとした瞬間、彼女の希望をへし折ろうとするかのようにテトラ・ボットが動き出した。
さすがに全くの無傷ではいられなかったのか、足がよろめいていて、動きが多少鈍い。体のあちこちからはビシビシと、機械が故障したような音が鳴る。
だが致命傷にまでは達しておらず、ゆっくりと体を起こして立ち上がると、さやか達に向かって再び歩き出した。
「そん……なぁ……」
さやかがぼう然とした表情のまま、ガクッと地に膝をつく。奥の手を使っても相手を仕留め切れなかった絶望が胸の内に広がる。
いくら手負いとはいえ、まだ敵の方が圧倒的有利という状況に変わりはなく、とても勝ち目が無いという非情な現実に、強く心を打ちのめされた。
さやか以外の三人も気持ちは同じで、ザルヴァをも遥かに凌ぐ実力を見せ付けられて、今の自分たちではどうにもならないという諦めの感情が広がる。
メタルノイドにすら苦戦する我々では、メタルノイドを遥かに凌駕した存在である、この宇宙最強の殺戮兵器に勝てる筈も無い……そんな事まで考え始めていた。
「Трестраин!! Слуминоу……Охал!!」
完全に戦意を喪失した少女たちを前にして、ボットはまたも奇怪な言語を口走ると、円盤の外周部分がまばゆく光りだす。
直後ボットの目から巨大な光球が発射されると、それが四つの小さな光へと分裂して、フラフープのような輪っかへと変化する。
光の輪はさやか達の頭上まで飛んでいくと、急速に落下して、彼女たちを輪投げの景品のように輪っかの中心に包み込む。
次の瞬間、輪っかが内側に縮小していって、輪の中に捉えた少女たちをぎゅうっと締め付けた。
「うわぁぁああああっ!」
「がぁぁあああっ!」
凄まじい力でギリギリ締め付けられて、少女たちが悲痛な叫び声を上げる。両腕に力を込めて必死に引き剥がそうとするものの、光輪はダイヤモンドのように頑丈で、いくら力を入れてもビクともしない。四人は為す術なく締め付けられる事しか出来ない。
ボキボキと骨が折れる音が鳴り、かよわき乙女の悲鳴が四重奏のように響き渡る。やがて少女たちは立つ気力すら失い、崩れるように地面に倒れてしまう。
「うぐぅ……」
芋虫のように地面に寝転がったまま、少女たちが呻き声を漏らす。体中をビリビリと電流のように駆け回る痛みのあまり集中力を保てず、ゴホゴホッと咳き込むたびに口から真っ赤な血が溢れ出す。周囲はあっという間に血だまりが出来上がる。
少女たちを無力化させると、光の輪は仕事を終えたとばかりにうっすらと薄れて消えてゆく。
完全に死にかけたボロ雑巾と化した少女のうち一人、ゆりかへとテトラ・ボットが迫っていく。彼女の前に立つと、足の一本を高々と振り上げた。
「ぐっ……」
死の危険が迫っていても、彼女にはどうする事も出来ない。このまま何の手も打てなければ、巨大な金属の足で踏まれて、潰れたトマトになるのは目に見えていた。
「ゆり……ちゃ……ん」
目の前で親友が殺されかかっているのを見て、さやかが無念そうに呟く。
どうにかして仲間を助けねばならないと思いながら、体がそれに付いていかない。それどころか、体から次第に力が抜けていき、意識も薄れてゆく。
(ぐやじい……ごごまで必死に頑張っだのに……)
……そんな思いが胸の内に湧き上がる。
何も出来ない自分に情けなさを感じたあまり、瞳から涙が零れ落ちる。
彼女が己の非力さに絶望しながら、意識を失いかけた時……。
『抹殺セヨ……』
突如何者かの声が頭の中に響く。
それはアームド・ギアに搭載された人工知能の声ではなく、今朝見た夢の中で彼女に呼びかけた謎の声だった。
『抹殺セヨ……汝ノ目ニ付クモノ、全テガ敵ナリ……』
「……ッ!!」
禍々しい悪意に満ちた声が呼びかけた瞬間、さやかの心臓がドクンッと高鳴る。それから全身の血流がドクンドクンと激しく鼓動し、体の奥底から力が湧き上がる。
『抹殺セヨ……汝ノ敵ヲ……破壊セヨッ!!』
謎の声が念を押すように叫んだ瞬間、さやかの頭の中が、黒いドロドロしたもので塗り潰されていく。嫉妬……憎悪……絶望……怒り……あらゆる負の感情が彼女の心を蝕んで、全てが憎い、何もかもブチ壊してしまいたい気持ちでいっぱいになる。
「ウウッ! あっ……あああああああああぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーっっ!!」
天にも届かんばかりの大声で叫んだ瞬間、何かが爆発したような音が鳴り響き、彼女の体から赤い光が炎のように溢れ出す。そして全身の傷がみるみるうちに塞がっていく。
「ギィィッ!?」
テトラ・ボットが異変を感じて、慌ててさやかの方へと振り返る。踏まれる直前だったゆりかも、地面に倒れていたミサキとアミカも、誰もが彼女の方へと目を向ける。
「まさか……」
一連の光景を目にして、ゆりかとミサキはこれから起こる出来事を予感した。それはこれまでにも彼女たちが遭遇した事のある事象だったからだ。
その場にいた全員の視線を釘付けにしながら、さやかはゆっくりと起き上がる。二本の足でしっかりと大地に立つと、すぐに変身の構えを取った。
「アームド・ギア……ウェイクアップ!!」
掛け声を発した途端、彼女の全身が赤い光に包まれて見えなくなる。それは肉眼では直視できないほどまばゆい光だった。
テトラ・ボットは何が起こったのか状況が理解できず、困惑と警戒心のあまり迂闊に手が出せず棒立ちになる。
やがて数秒が経過した後、光が薄れて消えていくと、さやかが姿を現す。全身の装甲は見るからにゴツくなっていて、先端はケモノの牙のように鋭く尖っている。
「二段階変身……エア・グレイブルッ!!」
……それは理性を持たぬ悪魔と化した、彼女の強化形態だった。




