第91話 最強の侵略者(前編)
空に開いたブラックホールから突如姿を現した、全高10mにも及ぶ四本足のクモのようなロボット……ミサキはそれをテトラ・ボットと呼んだ。
かつて彼女たちがいた星を侵略し、メタルノイドと壮絶な死闘を繰り広げた自律型の人類殲滅兵器なのだという。
「人類殲滅兵器……テトラ・ボット……」
ミサキの言葉を復唱するように、さやかがその名を口にする。
これまで戦ったメタルノイドとは明らかに異質の存在に、言い知れぬ不安と恐怖が頭をよぎり、無意識のうちにジリジリと後ずさる。
メタルノイドが星を守るために戦った相手という事は、彼らと同等か、それ以上の実力を持つかもしれないのだ。彼ら相手にすら手こずる自分たちが、まともに戦えるだろうか……そんな心理に駆られていた。
「そのテトラ・ボットがこうしてワープしてきたという事は、バロウズは彼らの複製に成功したって事なの?」
さやかとは対照的に落ち着いた様子のゆりかは、胸の内に湧き上がった疑問をミサキにぶつける。もし悪魔の殺人兵器がバロウズの手駒となったのなら、とても恐ろしい事になると考えた。
「いや……テトラ・ボットは超次元的存在により生み出された兵器……今のバロウズの科学力を以てしても、製造する事は不可能だ。恐らくはそれなりに原型を留めていた残骸を、可能な範囲で修理したのだろう」
ミサキはボットの科学力がバロウズを遥かに凌駕する事を、仲間に伝える。
「だとしても、とても厄介な話だ……何しろテトラ・ボット一体の戦力は、メタルノイド五体分に匹敵する……人間相手なら無敵の力を誇るメタルノイドも、彼ら相手ではスズメバチに蹂躙されるミツバチのように蹴散らされてしまう。事実、かつての戦争では数多くのメタルノイドが無惨に破壊され、命を落としたのだからな……正直言って、私たち程度がまともに戦える相手ではない……ッ!!」
そして彼らの恐るべき強さについて語りながら、苦悶の表情を浮かべた。額には汗が浮かび、眉間には皺を寄せて、ギリギリと音を立てて歯軋りする。
それはあたかも天敵に壁際へと追い詰められた野生動物が、勝てないと分かっていても、命を賭して戦わざるを得ないかのようであった。
「皆さん、ここはひとまず変身しましょうっ!」
アミカが他の三人にそう提案する。
少女の言葉によって落ち着きを取り戻すと、四人は右腕にブレスレットを出現させて、すぐに変身の構えを取る。
「覚醒ッ! アームド・ギア……ウェイクアップ!! 装甲少女……その赤き力の戦士、エア・グレイブ!」
「青き知性の騎士、エア・ナイト!」
「白き鋼の刃、エア・エッジ!」
「未来を照らす星の光、エア・ライズ!」
全身がまばゆい光に包まれて戦士の姿へと変わると、即座に名乗りを上げた。
「……」
変身して警戒するように身構える四人の少女を前にして、テトラ・ボットはしばらく立ったまま黙り込む。完全自律型とはいえ人工知能を搭載しているのか、初めて遭遇した敵である装甲少女を相手に、どう対処すべきか考えているようであった。
「キッ……キキキキキキキキキェェェェエエエエエエエーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッッ!!」
やがて円盤の目の下部分に口のような穴が開くと、そこから突如けたたましい絶叫が放たれる。
まるでガラス板を爪で引っ掻いた音を、大音量で流したような不快な金切り声に、さやか達はたまらずに耳を塞いでうずくまった。
たとえ無防備な姿を晒す事になったとしても、そうしなければ、鼓膜が破れ、脳が破裂しかねない勢いだったのだ。それ自体が敵の攻撃だったのか、それとも単に相手を威嚇しただけなのかは分からなかったが……。
絶叫が止むと、一転して辺りはシーーンと静まり返る。普段なら公園付近にいるはずのスズメやハトやカラスら野生動物は、悪魔のような奇声に恐れを為して、一斉に逃げ去っていた。
「……何て大きな声なの」
ゆりかが思わずそう呟く。
一声発しただけで少女たちを黙らせた敵の声量に、驚愕せずにはいられなかった。底知れぬ力を持った相手だという事が、叫び声を聞いただけで十分に伝わるほどだった。
まだ耳鳴りが止まず、まともに動けないさやか達に向かって、先手を打つとばかりにテトラ・ボットが走り出していた。
「しまっ……!!」
敵が仕掛けてきた事に気付いて、四人は慌ててその場から離れようとするものの、ボットの動きはその巨体からは想像も付かないほど速く、既に少女たちの目と鼻の先まで迫っていた。
四本足で地面を高速移動する姿は、まるでクモかカニの移動をビデオで早回ししたかのようだ。
「ギィエエエッ!」
禍々しい奇声を発すると、ボットは四本足のうち一本を、横一閃に薙ぎ払うようにぶん回す。
「うぁぁあああっ!!」
「ぐぁああっ!」
四人の少女は巨大な金属バットで殴られたように弾き飛ばされ、悲鳴を上げながら強い衝撃で地面へと叩き付けられた。
「ううっ……」
そして体中を駆け巡る痛みに、呻き声を漏らしながらダンゴ虫のように体を丸まらせた。体の芯からビリビリと感電したような痛みに襲われ、手足の指先までバラバラに千切れそうな感覚に、危うく気を失いかけた。
深手を負ってまともに立ち上がれない少女たちに向かって、テトラ・ボットが勝ち誇ったようにゆっくりと歩いていく。
「……ナメんじゃないわよっ!」
さやかが腹立たしげに敵を睨み付けた。
その目はギラついた闘志で燃えており、相手に対する怒りと殺意で、全身の細胞が激しく打ち震えている。圧倒的強さを目の当たりにしても、怯む気配を全く見せない。
「なんとかボットだか知らないけど……上等じゃない。人類殲滅兵器ですって? それが何だっていうのよっ! こっちは本気を出したバエルにだって勝ったんだから……アンタみたいなカニだかクモだかクラゲだか、よく分からないヤツに……負けたりなんかしないっ!」
強気なセリフを口にすると、二本の足でしっかりと大地に立つ。
本来まともに立てないほどの痛みに襲われたはずだが、それを気力によってカバーしていた。彼女なりの戦士としての意地が、そうさせたのか。
「アンタなんかバラバラに粉砕して、粗大ゴミとして捨ててやるっ!」
そして右拳を強く握り締めると、挑戦的な言葉を吐きながら、敵に向かって駆け出した。
「でぇぇやぁぁああああああっっ!!」
勇ましい雄叫びと共に、全力を込めたパンチが放たれる。だが少女の拳が触れかけた瞬間、テトラ・ボットがフッとワープしたように消えてしまう。
「ッ!?」
いきなり姿をくらました相手に、さやかが困惑する。
敵を見失った事に慌てて、半ばパニックに陥りながら周囲を見回す彼女を、突如背後から巨大な影がヌゥッと覆い被さった。
「さやかっ! うし……」
ミサキが咄嗟に言葉を掛ける。さやか自身も背後に敵がいる事を悟って、すぐに逃げようとするものの、彼女よりもボットが先に動くタイミングの方が早かった。
「ギィィッ!」
奇声と共に巨大な一本足による蹴りが放たれ、さやかは相手の一撃をまともに喰らってしまう。
「うぁぁあああああっっ!!」
鼻息で吹き飛ばされた埃のようにあっけなく蹴り飛ばされ、少女の体が豪快に宙を舞う。直後凄まじい速さで地面に激突して全身を叩き付けられた。
それは落下時にズゥーーンと大きな音が鳴って、辺り一帯が振動するほど強い衝撃だった。
「うぐぅ……」
さやかが苦痛に顔を歪ませながら、だらしなく大の字に横たわる。さっきよりも一段と強烈な打撃を浴びせられて、気力でカバーできないほど深手を負った。
もはや指先の一本動かす力さえ残っておらず、靴で踏まれて死にかけたカエルのようになってしまった。
虫の息となった少女にとどめを刺さんと、テトラ・ボットが一歩ずつ迫ってゆく。
「させるかぁぁぁああああああーーーーーーーーーーっ!!」
仲間を殺させはすまいと、ミサキが刀を手にして大声で叫びながら斬りかかる。だが彼女が駆け出した瞬間ボットが後ろへとジャンプして大きく距離を開ける。
勢いよく着地してすぐに彼女の方へと向き直ると、口のような穴から何か黒い物体をブゥッと吐き出した。
自分に向かって一直線に飛んでくる野球ボールくらいの大きさの黒い球体を、ミサキは咄嗟に刀で斬り払おうとする。
だが刀の刃に触れた途端球体が白く発光し、少女の全身がまばゆい光に呑まれる。
「しまっ……がぁぁぁあああああああっっ!!」
判断を誤ったと悟った瞬間球体が手榴弾のように爆発し、ミサキはその衝撃をモロに喰らってしまう。全身火傷まみれになりながら吹き飛ばされて、ボロ雑巾のように力なく地面に横たわった。
爆発の威力が相当凄まじかったのか彼女はピクリとも動かず、死んでしまったようにすら見えた。
「くっ……!!」
仲間を立て続けに倒したボットに、ゆりかが腹立たしげに下唇を噛む。槍を握る手にギリギリと力が入る。仲間をやられた悔しさのあまり、はらわたが煮えくり返りそうになる。
すぐに二人の仇を取りたい衝動に駆られたものの、敵の底知れぬ強さに対する警戒心が、彼女の足を踏みとどまらせた。
メタルノイドより遥かに強いというミサキの発言は決して誇張でも何でもなく、身を以て証明される事となったのだ。迂闊に飛び込めば、彼女たちの二の舞になる事は目に見えていた。
それから数秒ほど経過した後、ゆりかが意を決したように敵に向かって駆け出す。
テトラ・ボットは彼女の攻撃を迎え撃つようにその場に立ち止まる。
相手の間合いに入る直前、少女の姿が突然二体へと分裂した。
「ッ!?」
二体に増えた敵の姿を目にして、ボットが無言のまま一瞬ビクッと震えた。さしもの強敵たる彼も、初めて見かける相手の奇策に動揺を隠し切れなかった。
分身した二人のゆりかはギリギリ相手の間合いに入らない距離を保ったまま、円を描くように周囲をグルグル走り回る。
ボットは円盤の頭頂部に付いた目玉で、その光景をただじっと眺める。
やがて二人の少女は前後から挟み撃ちにするように、円の中心にいる敵に向かって同時に飛びかかった。
「もらったぁぁぁあああああーーーーーーっっ!!」
勝利を確信する言葉と共に必殺の一撃が放たれる。槍の先端は円盤の中心部を正確に狙って突き進み、このまま直撃するかと思われた。だが……。
「そん……な……」
ゆりかの表情が一転して青ざめる。
テトラ・ボットは正面から来る少女には目もくれず、一瞬にして反転すると、背後から飛んできた槍の一撃を、一本の足先だけで防いだ。どちらが残像なのか、まるで最初から見抜いていたかのようだ。
鳥の鉤爪のようにグワッと開かれたボットの手は、槍の刃先を受け止めたまま、微動だにしない。少女がいくら腕に力を込めても、敵の装甲を貫く事が出来ない。
ボットは攻撃を受け止めた足をぶん回して、ゆりかを力任せにはたき落とした。
「うぐぅぁぁあああっ!」
ハエ叩きで叩かれたハエのようにあっけなく叩き落とされて、少女の体が悲鳴と共に地面へと激突する。轟音と共に大量の砂埃が舞い上がり、辺り一帯が激しく揺れる。装甲少女ではない生身の人間ならば、一瞬で潰れたトマトになる衝撃だった。
「ううっ……」
全身を駆け巡る痛みに、ゆりかが呻き声を漏らす。ぶつかった衝撃で体が半分地中に埋まっており、すぐには体を起こす事が出来ない。
身動きが取れない彼女を、テトラ・ボットが勝ち誇ったように見下ろす。そして足の一本を高々と振り上げた。
「ギィィェェエエエエエッ!!」
悪魔のような雄叫びと共に、巨大な足が一気に振り下ろされる。
とどめを刺さんとする侵略者の足先が少女に迫った時、突然ビュウッと風を切る音と共に、何かが高速で目の前を駆け抜けた。
「ギィッ!?」
次の瞬間、テトラ・ボットが驚愕する。
全体重を乗せて大地を強く踏み抜いた時、そこにあったはずの少女の姿が無かったからだ。舞い散るのはただ無機質な土砂ばかりで、生物の血肉は一片も存在しなかった。
「ギッ……ギギギッ!!」
腹立たしげに喚きながら、風が吹き抜けた方角へとボットが振り返ると、視線の先に一人の少女がいた。彼女の両腕にはゆりかが抱きかかえられている。
「アミ……カ……」
ゆりかが顔を上げながら、少女の名を呼ぶ。
仲間の窮地を救ったのは他ならぬ、エア・ライズに変身したアミカだった。
五倍速モードに切り替えた事で、目にも止まらぬ速さで仲間を救い出したのだ。
アミカはゆりかを地面に寝かせると、数歩前へと進む。そして挑戦状を叩き付けるように敵を強く睨んだ。
「ゆりさんは癒しの力で、皆さんの手当をして下さいっ! その間に、コイツは私が片付けますっ!」
……その瞳には決して虚勢ではない、強敵に挑まんとする少女の覚悟のようなものが宿っていた。




