第86話 黒い剣士……その名はザルヴァ!(後編)
ゼル博士から受け取った薬を投与し、全身の筋肉がムキムキに膨れ上がったさやか……新たな力に目覚めた自分の姿を、『全能力三倍モード』と呼んだ。
『馬鹿め……たかが三倍強くなった程度で、この俺に勝てると思っているのかッ! 計算が正しければ、俺と貴様らの力の差は、三倍どころの開きではないッ! 多少強くなった程度で勝てる次元では無いのだッ!!』
肉体強化された彼女を見て、無駄な足掻きと言わんばかりにザルヴァが吐き捨てた。そして自身の言葉を証明すべく、二本の刀を天高く掲げる。
『己の無力さ、死して悔いるがいいッ! 天王秘剣……斬鉄閃ッ!!』
大声で技名を叫ぶと、二本の刀をXの軌道を描くように全力で振り下ろした。直後彼の足元の地面が爆発し、そこから巨大な龍のオーラをまとった衝撃波が放たれる。
さやかは避ける間も無く、ザルヴァの放った衝撃波に呑み込まれた。
「さっ……さやかぁぁぁあああああーーーーっっ!!」
ゆりかが悲痛な叫び声を上げる。敵の必殺技をまともに受けた姿を見て、彼女の死を予感せずにはいられなかった。
衝撃波によって撒き上げられた砂埃が周囲の視界を遮って、少女の姿を覆い隠す。
ザルヴァも、ゆりかも、アミカも、その場にいる誰もが、少女が無事でいるとは思わなかった。
「そんな……」
仲間の死を覚悟し、アミカが悲嘆に暮れる。もうどんなに頑張っても勝てないという悲観的な考えが胸の内に湧き上がり、絶望の色に染まってゆく。
やがて周囲を覆っていた砂埃が消えていき、視界が開けてくる。
うっすらと薄れてゆく砂塵の中に、人影が立っていた。
『……ッ!?』
完全に視界が晴れた時、そこに立っていた人物を目にして、ザルヴァは驚愕した。
「さやかっ!」
ゆりかが目に涙を浮かべて、感激した表情で名を呼ぶ。
砂煙の中から姿を現したのは、ザルヴァの技をまともに受けて、誰もがその死を確信したはずの、他ならぬさやかだった。
彼女は腰を落として両腕で上半身を守るようにガードした構えのまま、二本の足でしっかりと大地に立っていた。衝撃波が通り抜けた地面は巨大な龍の爪で抉られたような跡になっていたが、彼女が立っている場所だけ土が残っている。
そして技を受けたと思しき両腕と両足は、表面が赤く焼け焦げて、ブスブスと音を立てて煙が立ち上っていた。
『ばっ……馬鹿なッ!!』
ザルヴァが声に出して困惑する。精神的に動揺したあまり手足がブルブルと震え、機械の体でなければとっくに冷や汗を掻いたほどだ。自身の最大威力の必殺技に少女が耐えたという事実に、とても冷静ではいられなかった。
(これは一体どういう事だッ!? 言葉通りに三倍強くなっただけなら、あの技に耐えられる筈が無いッ! 三倍なんて、そんなチャチなレベルじゃないッ! 今の彼女は明らかに、それ以上にパワーアップしているッ! それも筋力増強剤とは別の何かが、彼女の力に上乗せされているッ! 一体それは何だッ! 何なんだッ!!)
敵の強さの秘密についてあれこれ思考を張り巡らすものの、納得の行く答えは見つからない。
『貴様……どうやって、斬鉄閃を無傷で耐え凌いだッ!?』
困惑するあまりパニックに陥りかけたザルヴァだったが、ひとまず落ち着いて少女に問いかけた。
「無傷? 無傷で耐えたなんて、そんなワケ無いじゃん。むしろ痛いよ……メチャクチャ痛いよ。痛くて痛くて痛すぎて、ちょっとでも気を抜いたら、ぶっ倒れちゃいそうだよ。ただ女の意地で、我慢してるだけだよ……」
さやかはガードの構えを解いて顔を上げると、ニィッと歯を出して強気に笑ってみせた。瞼はピクピクと小刻みに痙攣し、口元は微かに引きつっている。
彼女が相当の痩せ我慢をしている事が、表情だけで十二分に窺い知れた。
『女の意地だとッ!? ふざけるなッ! 意地や執念だけで、人がいきなり強くなれるものかッ! くだらんまやかしの強さなど俺には通用しないと、今すぐ証明してやるッ!!』
少女の言葉がよほど気に障ったのか、ザルヴァが罵るように吐き捨てた。そして怒りに身を任せるように、目の前の敵に向かって駆け出していた。
『冥府魔道の塵と化せぇええええっ!!』
死を宣告する言葉を吐きながら、左手に握った刀を少女に向かって全力で振り下ろす。
巨大な金属の刃が迫った時、さやかは気合を入れるように両拳をグッと握り締めて、右足を一歩後ろへと引いた。
「どぉぉおおおおおりゃぁぁああああああっっ!!」
天にも届かんばかりの雄叫びを発すると、右足を一気に振り抜いて、渾身の回し蹴りを放つ。振り下ろされた刃と少女の足裏が激突し、ギィンッと鈍い金属音が鳴り、刀を握ったザルヴァの左手が激しく振動する。
直後彼の左手がビリビリと痺れたような感覚に襲われて、思わず刀を握っていた手を離してしまう。
『しまっ……!!』
一瞬焦りと後悔が広がるものの、時既に遅し。
彼の手を離れた刀は、目にも止まらぬ速さで縦回転しながら、空に向かって豪快に弾き飛ばされた。飛んでいきざまに彼の左瞼の古傷を切り裂くと、遥か彼方へと飛んでいき、そのまま見えなくなる。
『グゥッ! おっ……おのれぇぇええええええーーーーーっっ!!』
切られた古傷を左手で隠しながら、ザルヴァが声に出して激昂する。かつてバエルに付けられたのと全く同じ箇所に上書きするように傷を付けられた事は、彼にとっては戦士として誇りを穢されたに等しい屈辱だった。
(チャンスは……今しか無いッ!)
苦しそうに傷口を抑えながら片膝をつくザルヴァを見て、さやかは相手に大きな隙が生まれた事を悟る。
「最終ギア……解放ッ!!」
掛け声を口にすると、彼女の右腕に内蔵されたギアが、ドリルのような音を立てて高速で回りだす。やがてエネルギーが最大まで蓄積されて技を放つ準備が整うと、すぐに目の前の敵に向かって走り出した。
「これが、三倍の威力……トライオメガ・ストライクだぁぁああああああああーーーーーーっっ!!」
喉が裂けんばかりの大声で吠えると、全身全霊を賭けた必殺のパンチが放たれる。
『させるかぁぁぁああああああーーーーーっっ!!』
ザルヴァはすかさず立ち上がると、両手で握った一本の刀を横薙ぎに振って、敵を迎え撃とうとする。
少女の拳と男の刃とが正面から激突し、さっきよりも一段と大きな金属音が鳴り響く。その衝撃が周囲へと伝わり、空気がビリビリと震えると、街中にいたカラス達が恐れをなして一斉に飛び立った。
ザルヴァの刀は拳を受けても折れはしなかったものの、刀越しに伝わった振動が彼の全身を電流のように駆け巡り、体のあちこちにビシビシと音を立てて亀裂が入りだす。
『……馬鹿なッ!?』
その事に驚いて気が緩んだ瞬間、彼の体は物凄い速さで後方へと押し出されていた。
『ムォォオオオオオオオッッ!!』
黒い鉄の塊が奇声と共に宙を舞い、ビルの外壁に叩き付けられるように激突する。そのまま内部をブチ抜いて、一気に反対側へと飛び出ると、地面に墜落して倒れ込んだ。
しばしの静寂の後、ザルヴァはすぐに体を起こそうとする。だが亀裂は体中に血管のように走っていて、傷口からはバチバチと音を立てて火花が散り出す。彼が致命傷を受けた事を疑う余地は無かった。
(負けた……そうか、俺は負けたのか。だが悔いは無い……いっそ清々しい気分だ。ようやく目にする事が出来たのだからな……バエルが敗れたという、あの女の強さ……その一端をッ!!)
死が迫っている事を悟っても、慌てる様子は微塵も無い。
残された力を振り絞るように立ち上がると、既に体の崩壊が始まっているにも関わらず、足元をふらつかせながら、ゆっくりと歩き出す。
そして数歩前へと進むと、地面に刀を突き立てたまま、力尽きたように片膝をついた。
『エア・グレイブ……見セテモラッタゾ、ソノ力。貴様コソ、コノ俺ノ……ソシテバエルノ宿敵ニ相応シイ戦士ダ。モシ願ワクバ、地獄ノ底カラ這イ上ガリ、再ビ貴様ト相マミエ……ン……ンンッ!!』
そう言い終わるや否や、体の内部から弾けるように爆発して、木っ端微塵に吹き飛んだ。男が影も形も残らず消え去った後には、地面に突き立てた一本の刀が、墓標のように残されていた。
「アンタらのライバル認定されても、嬉しくも何とも無いんだから……」
敵の死を見届けると、さやかは不満げな口調で吐き捨てた。
戦いそのものを楽しんでいる訳じゃない彼女にしてみれば、戦闘狂に好まれても、迷惑でしかない。とても付き合っていられないという心境だった。
三分が経過した事により薬の効果が切れたのか、盛り上がっていた彼女の筋肉は元の大きさへと縮んでいく。筋肉により塞がれた傷口は、元の体に戻っても治癒されて塞がったままだった。
(……なんて強さなのッ!!)
散々自分たちを苦しめてきた強敵が、わずか一撃で粉砕された圧倒的強さに、ゆりかは見とれるあまり思わずゴクリと唾を飲んだ。
エア・グレイブルには遠く及ばないし、三分という時間制限があるものの、それでも大抵のメタルノイドはこれで倒せてしまうのではないか……そう思わずにはいられなかった。
「……ミサキちゃんっ!」
仲間が深手を負った事を思い出すと、さやかとゆりかは二人の元へと急いで駆け寄る。そして博士に連絡を取りながら、あり合わせの物で応急手当を始めた。
◇ ◇ ◇
「……んっ」
ミサキが目を覚ますと、病室と思しき部屋のベッドの上だった。刀で斬られた箇所にはグルグルと包帯が巻かれている。
彼女の周囲にはさやか、ゆりか、アミカがいて、心配そうな表情で見守っている。ベッドに寝かされた彼女と違って、他の三人は深手を負った様子は無かった。
「みっ……ミサキさぁぁあああああんっっ!!」
アミカは大声で名を呼ぶと、その勢いのまま彼女の胸に飛び込む。仲間が意識を取り戻した事に感激したあまり、目に涙を浮かべて、今にも泣き出しそうだった。
「ミサキさん……ごめんなさいっ! ごめんなさい……私のせいで……私がしっかりしなかったせいで、ミサキさんに迷惑を掛けてしまって……」
彼女の胸に顔をうずめてヒクッヒクッと泣きじゃくりながら、自分を責めて何度も謝り続ける。
「君は何も悪くない……悪いのは、私の方だ」
ミサキは申し訳無さそうな顔をしながら、少女の頭を優しく撫でる。彼女を守るために取った行動であったが、それによって深い悲しみを与えた事に、悪い事をしてしまった気になった。
「応急処置が間に合ったから良かったものの、相変わらず無茶するんだから……もうっ!」
ゆりかは呆れたような顔で、やれやれと溜息をつく。
仲間の無茶に振り回されるのは、もう慣れっこだと言いたげだ。
「すまない……ところで、ザルヴァはどうなった?」
ミサキは謝罪の言葉を口にしながら、敵の所在について問いかける。
「あんなヤツ、本気を出した私のパンチでバラバラに砕いてやったわ。楽勝よ」
さやかは腰に手を当ててドヤ顔になりながら、得意げにフンフンと鼻息を吹かす。強敵を倒したヒーローである事をアピールする姿は、何とも頼もしい。まさに男の中の男だった。
「そうか……さすがだな。見事なゴリ……もとい豪腕ぶりだ」
ミサキは仲間の強さに感嘆しながら、少しだけ苦笑いした。
「ミサキちゃん、今ゴリラって言おうとしたでしょっ! コラーーッ!」
さやかは笑いながら怒ったような器用な表情で、彼女を叱り付ける。
ミサキが反論できず、ごまかすようにクスクスと笑うと、他の皆も笑い出して、病室が明るい空気で満たされる。
……廊下にいたゼル博士は、あえて病室には入らず、ドア越しに彼女たちの会話を盗み聞きしながらニッコリと笑う。そして今後について思いを馳せた。
(四人目の戦士エア・ライズ……そしてエア・グレイブの三倍モード。これによって彼女たちの戦力を底上げすれば、もう今後さやか君はリスクある強化変身に頼らずに済む……そう願いたいものだが……)
心の中で安心したい気持ちと、それでも不安を抱いてしまう気持ちとが、せめぎ合っていた。




