第75話 ひとりじゃない(後編)
これまでしてきた仕打ちをミサキに謝ろうとするアミカであったが、そうする時間は与えられない。ミサキに吹っ飛ばされて地面に倒れていた男が、落とした銃を拾い上げて、慌てて立ち上がったからだ。
「おのれ、忌々しい小娘がッ! よくものこのこと出てきおったなッ! ならば貴様から先に眠らせてやるッ! 己の無力さを嘆き、悔いるがいいッ!」
横槍を入れられた事がよほど気に入らなかったのか、男は声に出して怒りだす。そして銃口をミサキに向けると、銃の引き金を指で引いた。
ブスッブスッと低めの発射音が鳴り響き、小さい注射器のような物体が銃口から発射される。ミサキはそれを避ける間も無く食らってしまう。
「ウッ!」
針が刺さった痛みのあまり、思わず声が漏れだす。発射された五発の銃弾は彼女の首筋、胸元、右腕、左脚、腹に突き刺さっていた。注射器の中に入っていた液体がどんどん減っていき、少女の体内へと注がれてゆく。
「ミサキさんっ!」
アミカが心配そうな表情を浮かべながら名を呼ぶ。心の内には深い絶望の感情が広がる。体中に麻酔の銃弾を食らった姿を目にして、少女が眠らされる事を疑う余地は無かった。
自身の勝利を確信した男が、ニヤリと邪悪にほくそ笑む。
ところが……。
「どぉぉりゃぁぁああああっっ!!」
麻酔を打ち込まれても、ミサキは眠るどころかひるみすらせずに、大声で叫びながら飛びかかっていく。そして男の腹に全力を込めた右拳を叩き込んでいた。
「オグワァァアアアーーーーッ!!」
またも奇声を発しながら、男が後ろへと吹っ飛んでいく。咄嗟に両足で大地に立って転倒を防いだものの、腹に広がる痛みを堪えきれず、思わず前のめりにうずくまる。少しでも気を抜いたら、胃の中の物を吐きそうな衝動に駆られた。
「グッ……シャツの裏側に衝撃緩衝材を仕込んでいなければ、危うく気を失う所であったわッ! だが何故だ!? 巨象を十秒で眠らせる麻酔が、何故効かないッ!?」
想定外の事態に焦るあまり、つい声に出して問いかける。ミサキが麻酔で眠らなかった事は、男にとっては全く以て理解できない、到底受け入れがたい事象であった。とても納得の行かない理不尽な状況に憤りを覚え、疑問をぶつけずにはいられなかった。
「残念だったな……私たち装甲少女は、ナノマシンで細胞を強化されている。それは変身前だろうと何ら変わりない。常人の致死量程度の毒や麻酔では、足止めにもならない」
体中に刺さった注射針を素手で引っこ抜きながら、ミサキが得意げに語る。
「もっともメタルノイドの中には、私たちを殺す毒を生成する者もいるだろうが……貴様が今持っているのはアミカをさらうための物で、私たちと戦う事は想定していなかったのだろう」
そして相手の計画ミスを冷静に指摘する。彼女の言葉は決して強がりから出たものでは無く、麻酔は本当に効いていないように見える。それどころか注射針が刺さった肌も、出血する事無くみるみるうちに塞がってゆく。それはアームド・ギアの装着者たる彼女たちだからこそ成せる技だった。
「クッ……これで勝ったと思うなよッ!」
男は悔し紛れに捨て台詞を吐くと、コートの裏側から手榴弾のような物を取り出して、ピンを引き抜く。そして地面に向かって勢い良く投げ付けた。
男が投げた物体を一目見て、それが何かを見抜いたミサキの顔が一瞬青ざめる。
「しまった! スタン・グレネードだっ! アミカっ! エルミナっ! 今すぐ目を閉じて、耳を塞げっ!」
咄嗟に警告を促し、一人と一匹が彼女の言葉に従った直後、空気を詰めたタイヤが破裂したような音が鳴り響き、辺り一帯が眩い閃光で覆われる。
効果はほんの数秒だが、光が完全に消えて無くなった時、男は何処かへと姿をくらましていた。
「逃げられたか……」
男を取り逃がした事を、ミサキは声に出して残念がる。身柄を押さえておけば、何か情報を聞き出せたかもしれないという思いに駆られる。
それでも男は自分一人が逃げるので精一杯だったのか、アミカを連れて行く事まではしなかった。バロウズの魔の手から少女を守れただけでも、ミサキにとっては御の字と言うべきか。
「エルミナっ!」
ひとまず安全になった事を察すると、アミカは慌てて猫へと駆け寄る。自分を庇ったせいで深い傷を負ったのではないかと不安でたまらなかった。
「……ニャア」
猫は四本の足で立ち上がると、笑みを浮かべながら一声鳴く。大丈夫だとでも言いたげだ。踏まれた痛みのせいか体をよろめかせてはいたものの、血が出たり、骨が折れたりしている形跡は無い。それでも皮膚の毛はボロボロに剥げており、見るからに痛ましい。
「ああっ……エルミナぁぁあああっ!」
アミカはたまらずに大声で名を呼ぶと、感情の赴くままに猫を両手で抱き抱える。
「良かった……エルミナが生きててくれて、本当に……本当に良かったよぉっ! ううっ……うっ……うわぁぁあああああんっっ!!」
そして目から大粒の涙を溢れさせながら、愛しそうにぎゅうっと強く抱きしめた。そのまま人目もはばからず、声に出してわんわんと嬉し泣きする。
今の彼女の中にこれまで引きずった深い悲しみは微塵も無く、ただかけがえの無い大切なものを失わずに済んだ喜びに溢れていた。
猫も強く抱かれながら、あえてなすがままにさせる。少女の思いを全て受け止めるように……。
「良かったな……エルミナが無事で」
猫を抱いたまま泣き続けるアミカを、ミサキが穏やかな笑顔で見守る。一人と一匹を守れた事への安心感が、胸の内に広がる。もし駆け付けるのが少しでも遅れて、エルミナが壊されていたら……あるいはアミカがさらわれていたら、彼女はこの先自分の不甲斐なさを一生呪う事になっただろう。
「ミサキさん……」
アミカは気持ちが落ち着いたように泣き止むと、猫をそっと優しく地面に置いて、それからミサキの前へと進み出る。そして意を決したように立ったまま深々と頭を下げた。
「今まで……すみませんでしたっ! 私、ミサキさんやさやかさん達にちゃんと向き合おうとしなかった! 本当の仇じゃないって分かってたのに……心の何処かで逆恨みして、八つ当たりしようとしてたっ! そうする事で、少しでも気を紛らわそうとしてたっ!」
謝罪する言葉が口から飛び出す。これまでの態度を深く恥じ入り、苦悶の表情を浮かべたまま肩身が狭そうに体を縮こませていた。
「皆さんはずっと私を気遣ってくれてたのに……それを分かろうともしなかった! 私、バカだった! お姉ちゃんの気持ちも、皆さんの気持ちも分からずに、ただ一人でふてくされていただけの、大バカ者ですっ! ごめんなさいっ! 本当に……ごめんなさいっ!」
強い罪悪感に苛まれて、声に出して自分を卑下する。そして頭を下げたまま石のように固まる。
彼女は内心なんて馬鹿な事をしたんだろうと深く後悔した。今までの行いを恥ずかしく思うあまり、穴があったら入りたい心境になっていた。誰よりも自分が一番自分を許せなかったのだ。
「アミカ……顔を上げてくれないか」
申し訳無さそうに頭を下げ続ける少女を、ミサキが許すように顔を上げさせる。
「君は何も悪くない……悪いのは全部私なんだっ! 私の方こそ、本当に……本当にすまなかった!」
そして詫びる言葉を口にすると、両腕で包み込むように力強く抱きしめた。アミカを深く傷付けて悲しませたのは自分のせいだと責任を感じて苦悩していた事が、体温と共にひしひしと伝わる。
「ミサキさん……」
アミカもまた、そんなミサキを許すように優しく抱きしめ返す。
もはや彼女の中から、自分は姉を失って一人ぼっちになったという考えは消えて無くなっていた。確かに姉を失った事は悲しいが、それでも今の自分には三人と一匹の新しい大切な家族がいるという気持ちが湧き上がっていた。
一人じゃない……今の彼女には、たったそれだけで十分に幸せだったのだ。
二人の少女が、互いの罪を許すように抱き合っていた時……。
『ケケケッ……くだらん茶番は、そこまでにしてもらおうかッ!』
そんな不気味な男の言葉が、ミサキの頭に鳴り響く。
「誰だっ!?」
謎の声にミサキが驚いて周囲を見回した時、彼女たちから少し離れた空間が音を立てて青白く発光する。そして小型のブラックホールが発生したかと思うと、そこから一体のメタルノイドが姿を現した。
その者は背丈6m、軽装の鎧を着込んだ二足歩行するトカゲ男のような外見をしている。まるで創作に出てくるリザードマンと呼ばれる怪物を模したロボットであるかのようだ。ただ両手に武器らしい物は持ち合わせておらず、徒手空拳で戦うスタイルのように見える。
「貴様……さっきの男の仲間かっ!」
ミサキが警戒するように問いかける。休む間も無く現れた敵に、内心では苛立っていた。
トカゲ男は、蛇のように細長い舌をヒラヒラと動かして、まるで侮辱するような仕草をしながら口を開く。
『ケケケッ……如何にもッ! 俺様はNo.010 コードネーム:グラヴィガ・ヘルザード……バエル様より賜りし使命を遂行するため、ここに参上ッ!!』




