第71話 リーサル・アタック(後編)
ゆりかとミサキは執拗に何度も斬りかかってくる敵を前にして、ただ回避に徹する事しか出来なかった。このまま殺される訳には行かないとしても、自分が死ぬリスクを侵してまで相手を攻撃する覚悟に踏み込めなかったのだ。
(いっそ閃光弾を使って逃げた方が……)
ゆりかは内心、撤退する事まで考えだしていた。その場凌ぎにしかならないとしても、今この場で殺されるよりはマシだという考えが頭の中にあった。たとえ姉妹を連れていく事が出来ずに、彼女たちを置き去りにする事になろうとも……。
「ゆりちゃん……ミサキ……」
脱力感が抜けきって落ち着きを取り戻したさやかが、心配そうな表情で戦いを見守る。今すぐ飛び入りで参加したいのは山々だが、無策のまま飛び込めば追われる獲物の数が増えるだけなのは目に見えていた。
何か方法は無いものかと思いながらも、手立てが見つからずに歯痒い思いをしていた時……。
「さや……か……」
瀕死の状態にあったマイが、今にも消え入りそうにか細い声で言葉を発する。
「マイっ!?」
「お姉ちゃんっ!」
名前を呼ばれて、さやかは慌てて彼女の側へと駆け寄る。姉が喋りだしたのを聞いて、それまで彼女にすがってただ泣き続けていたアミカも、泣くのをやめて顔を上げる。
無論マイが死にかけている事に変わりは無い。本来なら声を発する力すら残っていない筈だった。それでも彼女はかろうじて右腕だけ動かすと、左肩の装甲に付いた蓋のようなものを外して、そこから液体の入った小さなガラス瓶を取り出す。そしてそれを地面に落とさないように慎重にさやかへと手渡した。
「これは……?」
手渡された薬をまじまじと眺めながら、さやかが不思議そうな顔で問いかける。瓶にはラベルが貼られておらず、見ただけでは何の薬か分からなかった。
「それは……緊急用に……協力者に……配られた……薬……飲めば……あらゆるダメージ……を……半分に……出来……る」
マイは残された力を全て喋る事に費やそうとするように、必死に声を絞り出す。それは何としても薬の効果だけは伝えなければという、少女の執念によるものだった。
薬の効果を伝え終わると、今度は妹の方へと向き直る。
「お姉ちゃん……」
アミカは姉の顔をじっと見ながら、今にも泣きそうになるのを必死に堪える。さっき流した涙で顔中グシャグシャに濡れており、目は泣き腫らして真っ赤になっている。時折グスッグスッと鼻水をすすっている。
マイは泣き顔の妹を慰めるように、右手で少女の頭をそっと優しく撫でた。
「アミカ……ゴメン……ね……お姉ちゃん……アミカを……幸せに……してあげられなか……った……本当に……ゴメン……お願い……どうか……ミサキの事……恨まないで……あげて……そして……私の分ま……で……精一杯……幸せに……生き……て……お姉ちゃん……ずっと……ずっとアミカのそばに……いる……か……ら……」
そこまで口にすると、ガクッと力尽きたように横を向く。妹の頭を撫でていた手も、力無く地面へと零れ落ちる。そしてそのまま動かなくなった。
「マイ……お姉ちゃん……ううっ……うっ……うわぁぁああああん」
姉の命が尽きた事を悟り、アミカは再び声に出して泣き出す。唯一の肉親を失った悲しみのあまり、絶望で胸が押し潰されそうになっていた。十二歳という若さで頼れる人を全て失くしてしまった哀れな少女は、ただ喉が涸れるまで泣く事しか出来なかった。
『フン……貴重な試作型のパワード・スーツまで与えてやったというのに、何の成果も出せないまま無様に息絶えるとはな。最後の最後まで役に立たん、ゴミクズ以下の女であったわ……両親に捨てられた女らしいが、しょせん親がクズなら子もクズという事か』
ヴォイドが腹立たしげに、マイの死を侮辱するように吐き捨てた。アミカにとってはかけがえの無い最愛の肉親も、彼からすれば取るに足らない虫ケラ程度の認識でしか無かった。
『フフフッ……だがまぁ、姉を失って泣き叫ぶ少女の姿が見れただけでも良しとしよう。我々にとって、かよわい無垢な乙女が傷付いて、心折れて、絶望の奈落へと突き落とされる姿を見る事こそ、極上の快楽なのだからな。今この戦いをモニター越しに見てらっしゃるバエル様も、さぞやお喜びになられた事であろう……あっはっはっはっはぁっ!!』
悲嘆に暮れた少女を前にしながら、心から満たされたように大声で嘲笑う。それは人の心を一辺たりとも持ち合わせていない悪魔の言動に他ならなかった。このヴォイドという卑劣極まりない男は、何の罪も無い少女の心が無惨に引き裂かれていくさまを、純粋に娯楽として楽しんでいた。
深い悲しみに包まれた少女の泣き叫ぶ声と、楽しそうに高笑いする悪党の声とが、辺り一帯へと響き渡る……陰鬱で重苦しい空気が漂い始め、絶望と空しさに満ちた雰囲気で覆われてゆく。
「……」
そんな状況の中にいながら、ゆりかとミサキは何も出来ずにただ立ち尽くす事しか出来なかった。マイを救う事も出来ず、目の前にいる敵を倒す事すら出来ない自分たちの無力さに苛立ちを覚えるあまり、顔をうつむかせたまま下唇を血が出るほど強く噛んでいた。
「……許さない」
淀んだ空気を破ろうとするかのように、さやかが唐突に言葉を発した。
「アンタも……バエルも……バロウズの連中も……マイを戦わせる計画に関わったヤツら、みんな……みんな許せないッ! 全員必ずブチ殺すッ! 私の手でバラバラに引き裂いて、はらわた引きずり出して、マイの墓に備えてやるッ!!」
友を死に追いやった者達全てへの怒りを、宣戦布告するように声に出してぶちまける。心の底から悪を憎み、断罪の裁きを下さんとする怒りに満ちた少女の瞳はグワッと大きく見開かれ、闘志には激しく燃えさかる炎が灯り、その表情は地獄全てを焼き尽くす阿修羅と化した。
そして高ぶる感情のままに瓶に入った液体を一気飲みすると、空っぽになった瓶を、少し離れた場所に置いてあったゴミ箱へと叩き付けるように放り投げた。
「……フゥーーッ」
濡れた口元を右腕で拭って一息つくと、ヴォイドに向かって歩き出す。
「最終ギア……解放ッ!!」
歩き続けたままさやかが口にする。直後右腕のギアが高速で回りだし、凄まじい勢いでエネルギーが蓄積されていく。彼女がヴォイドに必殺技を放とうとしている事は一目瞭然だった。
『貴様、あの薬を飲んだのかッ!? だが悪い事は言わん、やめておけッ! たとえ半減したとしても、俺を殺すだけのダメージを与えれば、貴様は間違いなく死ぬ……本当だぞッ! 嘘じゃないぞッ! 貴様、それでも良いのかッ!?』
我が身を顧みずに攻撃を繰り出そうとする彼女を見て、ヴォイドが慌てて忠告して止めようとする。彼の言葉は遠回しな命乞いにも聞こえたが、攻撃すれば死ぬという発言にはそれなりの真実味があった。これまでの戦いを鑑みれば、仮に死ななくても命に関わる重傷を負う事は十分に考えられた。
だがさやかは彼の言葉に一向に耳を貸そうとしない。たとえ真実だとしても知ったこっちゃないと言わんばかりに平然としている。命を捨てる覚悟など、とうに固めてしまったかのようだ。
右腕に力を溜めながら一歩一歩確実に近付いてくる少女を前にして、ヴォイドの中に焦りの感情が湧き上がる。
『なッ……オイッ! ちょっと待てッ! やめろッ! 本当に命を捨てるつもりかッ! 若い女の子が、命を粗末にするモンじゃないッ! そうだろッ!? 命は大切にしろッ! ここはひとまず落ち着いて、じっくりと話し合おうじゃないかッ! な? な?』
死を恐れるあまり、次から次へと説得する言葉が彼の口から飛び出す。相手の予想外の行動に困惑してパニックに陥ったのか、自分でも何を言っているのか分からないほど混乱していた。
そしてそんな彼の説得を、さやかが聞き入れる気配は微塵も無かった。右腕のエネルギーは既に最大まで溜まっており、技を放つ準備は完全に整っている。
「……オメガ・ストライクッ!!」
大声で技名を叫ぶと、さやかは大地を強く蹴って勢いを付けて前方へとダッシュする。そしてヴォイドの胴体に全力を込めた右拳を叩き付けると、そのまま力ずくで一気に彼の腹をブチ抜いて、向こう側にある大地へと少女を着地させた。
『ウギャァァァアアアアアッッ!!』
致命的な一撃を喰らった男の哀れな悲鳴が上がる。それはこれまで彼が他者に対してしてきた仕打ちの報いを一度に受けたような、強烈な破壊力を持った一撃だった。
胴体に人間大の風穴を空けられたまま棒立ちになるヴォイド……穴から覗かせた機械の断面はバチバチと火花を散らし、千切れたパイプからは血のような油が漏れ出す。
『ソッ……ソンナ……馬鹿ナ……イッ、イクラ何デモ、コレハ アンマリダァッ!! 無茶苦茶ダァッ!! 何デ コンナ頭ノオカシイ真似ガ……デ……キ……ギッ、ギャアアバァァアアアアアーーーーッッ!!』
さやかの行動の異常ぶりを大声で喚き立てると、穴の空いた内側から弾けるように爆発して、木っ端微塵に吹き飛んだ。そして悪魔のような男が完全なる死を迎えた数秒後……。
「ウッ! うぐぅぅぁぁああああああっっ!!」
さやかが突然悲鳴を上げて苦しみだす。白目を剥いたまま地面にひっくり返ると、この世の終わりとすら思えるような物凄い声で叫びながら、ジタバタと激しくのたうち回る。体中にはびっしりと血管が強く浮き上がり、皮膚は真っ赤に腫れ上がり、滝のように汗が噴き出す。
それが敵から反射した痛みによる症状である事は明白だった。ヴォイドが技を受ける直前に忠告した通り、彼女はまさに死にかけているのだ。
「さやかぁぁあああっ!!」
ゆりかが大声で名を叫びながら、慌てて駆け寄る。そして苦しむ友の肌に両手を添えると、青い光を照射して痛みを和らげようとする。
さやかを襲う痛みは並みの力では癒せないほど強大だったが、ゆりかは残った力を全て出し切るつもりで、大量の光を一気に放出した。
癒しの光を当てられていると、次第にさやかの様子が落ち着いていく。
「ウウウッ……うっ……ふぅ」
すっかり痛みが収まったのか、暴れるのをやめて一息つきながら、だらしなく大の字に地面に横たわる。それとほぼ同時にバイド粒子が尽きた事により、ゆりかの手から放たれる青い光も消え失せていた。
「ハァ……ハァ……ゆりちゃん、ありがとう」
全身ぐったりさせて呼吸を荒くしながら、さやかが感謝の言葉を述べる。それを見越しての行動とはいえ、ゆりかが癒しの力を使わなければ、彼女は間違いなく命を落としていただろう。
「もう、いくら何でも無茶し過ぎよっ! いくら反射する痛みを半減したとしても、私の回復が追い付く保証なんて、何処にも無かったんだからっ!」
ゆりかは腰に手を当てて怒りをあらわにしながら、地べたに寝転んださやかを見下ろす。あえて危険を冒した友の無謀さを咎めずにはいられなかった。
「だって……どうしてもヴォイドが許せなかったから……」
さやかは母親に叱られた子供のようにしゅんっとなると、姉妹の方へと顔を向ける。
「お姉ちゃん……うっ……うっ」
アミカはマイの亡骸に寄り添ったまま、ただ静かに泣き続ける。姉の仇が討たれた事にも喜んでいる様子は無い。
最愛の家族を失った悲しみのあまり、いっそこの場で死んでしまいたい気持ちにさえなっていた。もしさやか達が連れ出そうとしなければ、このまま死ぬまで泣き続けるだろう。
「アミカ……」
さやかは悲しげな顔をしながら、その場から動こうとしないアミカの元へと歩み寄る。だが泣き続ける少女の前に立っても、かける慰めの言葉が見つからない。
今この場で少女の悲しみを癒せる方法があるとしたら、それは死んだ姉が生き返る事だけだ。それ以外の如何なる方法で、彼女の心の傷を癒せるというのか。
それでも、さやかはせめて少しでも少女の心を癒したいと願い、膝をついて寄り添うと、アミカの背中を包み込むようにそっと優しく抱き締めた。
「うっ……うっ……うわぁあああんっ……」
気持ちが伝わったのか、アミカは抱かれたままさやかの方へと振り返ると、彼女の胸に顔をうずめて、声を上げて泣き出す。
さやかは少女の悲しみを全て受け止めるように、ただ静かに抱き続ける。
ゆりかとミサキは、そんな二人をただ遠くから見守る事しか出来ない。
「マイ……アミカ……」
ミサキは姉妹の名を口にしながら、自身の無力さに打ちひしがれるように顔をうつむかせた。




