第69話 悲しみの姉妹(後編)
さやか達が声の主を警戒して周囲を見回していた時、ただ一人マイだけが怯えるように肩をすくませていた。明らかに声の主に心当たりがある素振りを見せている。
「ヴォイド……様……」
声の主であろうと思われる人物の名を、彼女が口にした直後……。
「ウウッ! グッ……グァァアアアアアッッ!!」
突然マイが大声で叫んで苦しみだした。両手で頭を抱えながら、上半身を激しくのけぞらせたり前屈みになったりして暴れている。その様子からは、頭が割れんばかりの激痛に襲われているであろう事が容易に想像出来た。
口からは首を絞められた猫のような奇声を発しており、このまま放っておいたら数分と経たずにショック死してしまうのではないかと思える勢いだった。
「お姉ちゃんっ! どうしたのっ!」
急に苦しみだした姉が心配になってアミカが必死に声を掛けるものの、マイはもがき苦しんで暴れた勢いで、自分にしがみ付いていたアミカを振り払ってしまう。
そしてふらついた足取りで数歩後ろへと下がると、その場に立ち止まった。
「……ウッ……ウゥゥァァアアアアアアッッ!!」
しばらく立ったまま黙っていたマイだったが、突然飢えた獣のようなけたたましい咆哮を上げた。
「マイっ!?」
明らかに彼女の様子がおかしくなったのを見てさやか達は困惑するが、何が起こったのか考える暇すら与えられない。
「フゥーーッ……フゥーーッ……ウァァッ!」
狼のような唸り声を上げると、マイは目の前にいるアミカに向かって迷い無く襲いかかった。完全に正気を失ってしまったかのようだ。
「危ないっ!」
危険を察知したゆりかがすかさずアミカの元へと駆け寄り、彼女を両腕で抱き抱えたまま後ろへとジャンプする。次の瞬間、少女が立っていた地面に鋼鉄の拳が叩き付けられて、大量のコンクリート片が飛び散っていた。
殴られた衝撃で地面に空いた大穴は、外した一撃がもし少女に命中していたら、間違いなく命を奪う威力である事を克明に語っていた。
「お姉……ちゃ……ん」
突然の出来事にショックを受けるあまり、アミカが顔を青ざめさせる。姉が一片の躊躇も無く自分を殺そうとした現実がとても受け入れられず、思考停止したようにぼう然としていた。
ゆりかは石のように固まったアミカをひとまず安全な場所に避難させようと、少し離れた電柱の陰へと隠れさせる。
なおも妹を追おうとするマイの前に、さやかとミサキが通せんぼするように両腕を左右に広げながら立ち塞がった。
「マイっ! 一体どうしちゃったのっ!」
「お前が殺そうとしたのは、実の妹だぞっ!」
二人して必死に声を掛けながら力ずくで止めようと両腕で捕まえるものの、相手が鎮まる気配は無い。
「ウォォオオオオオーーーーッッ!!」
マイは大声で叫びながら猛り狂うと、自分を抑え込もうとした二人を、ブンブンと暴れるように振り回した両腕で払いのけてしまう。その姿はさながらフランケンシュタインの怪物か、狂った暴れ牛のようだった。
「うぁああっ!」
「ぐぅっ!」
力負けして振りほどかれたさやかとミサキは、そのままの勢いで地面に叩き付けられてしまう。
「グッ……なんて力だっ! 戦闘能力が、さっきの数倍は上がっているぞっ! これもマイが言っていたヴォイドとやらの仕業なのかっ!?」
ミサキがすぐに起き上がって体勢を立て直しながら、彼女なりの分析を口にする。
もはやマイは、さやか達の知っているマイでは無くなっていた。誰よりも妹を思いやる優しい姉の面影は何処にも無く、ただ狂気に取り憑かれて他者の命を手にかけようとするだけの悪鬼に成り果てていた。能力はメタルノイドと比べても遜色無いレベルにまで跳ね上がっている。
「パワード・スーツだけ破壊すれば、正気に戻るはずっ!」
ゆりかは揺るぎない確信を抱くと、すぐに実行に移そうと槍を手にして駆け出す。素早さを生かしてマイの背後に回り込み、外側の装甲だけを破壊するように狙いを定めて槍による一撃を繰り出す。
「……っ!!」
だがゆりかが放った一撃は、即座に反応して振り向いたマイの素手に掴まれて止められてしまう。今の彼女はスピード、パワー共にゆりかのそれを圧倒していた。
そして掴んだ槍ごとゆりかを片手で軽々と持ち上げると、街の建物に向かって力任せにぶん投げた。
「うぐぁああっ!」
コンクリートの壁に強い衝撃で叩き付けられて、ゆりかがたまらずに悲鳴を上げる。全身を強打した痛みのあまり呻き声を漏らしながら、地べたに寝転がったままダンゴ虫のように体を丸まらせた。
その時さやか達の行動を嘲笑うかのように、再び謎の声が何処からか発せられた。
『フハハハハハハァッ!! 貴様らが何をしようと無駄な事だッ! もうその女を正気に戻す事は出来んッ! その女は脳を完全に支配されて、目に付く物全てを無差別に破壊するだけの殺戮マシーンと化したッ! その女を正気に戻す唯一の方法……それは息の根を止める事だけだッ! 貴様らにそれが出来ればの話だがなぁっ! ハッハッハッハッハッ……』
冷酷な事実を口にしながら、心の底から楽しそうに高笑いする。まさに人の心を持たぬ悪魔の所業に他ならなかった。
「そこかぁああっ!」
声が聞こえた方角を耳で探り当てると、ミサキは反射的に刀を投げ付けていた。そして後を追うように刀を投げた場所に徒歩で駆け付けると、刀で貫かれた紙袋のような物が落ちている。
彼女が紙袋の中を覗いでみると、入っていたのは無線の小型スピーカーだった。
「クソッ! あくまで自分は姿を現さないつもりかっ!」
ミサキは腹立たしげに言いながら、手にしたスピーカーを思いっきり地面に叩き付けた。
「お姉ちゃん……」
謎の声が発した言葉を聞いて、アミカはつい我慢できずに電柱の陰から心配そうに顔を覗かせた。だがそのせいで、次なる獲物を探して周囲を見回していたマイの視界に入ってしまう。
「ウォォオオオオオッッ!!」
マイはまたも実の妹を手にかけようと、柱の陰に隠れた彼女に向かって勢いよく走り出す。
「マイっ! だめぇえええっ!」
さやかはすかさずマイの前に立ちはだかり、両腕でしがみ付いて相手の動きを止めようとする。だが二人がかりでも抑えられない彼女の力をさやか一人で抑えられる筈も無く、あっさりと振り払われてしまう。
そしてマイは電柱の裏へと回り込むと、怯えるアミカの前に立った。
「……殺スッ!!」
明確なる殺意を口にしながら、獲物を仕留めようとする野生の虎のような目でかよわい少女を見下ろす。もはや目の前にいる少女が最愛の妹アミカであると分からなくなり、ただ狂気の赴くままに殺すだけの獣と化してしまったかのようだ。
「お……お姉ちゃん……や……やめ……」
完全に狂気に支配された姉にギロリと睨まれて、アミカは思わずその場にへたり込んでしまう。足腰が震えて力が入らなくなり、立とうとしても立ち上がれなくなる。心では動かなきゃと思っていても、体がそれについていかない。
彼女は蛇に睨まれたカエルのように硬直してしまう。
「死ネェェエエエエーーーーーーッ!!」
マイは拳を高く振り上げると、完全に動けなくなったアミカに向かって全力で振り下ろす。
「うわぁああっ! マイお姉ちゃん、やめてぇえええっ!」
自身に迫る死に恐怖するあまり、アミカは両手で頭を抱えて目をつぶりながら、藁にもすがる思いで姉の名を大声で叫んだ。
無力な少女に金属の剛拳が迫り、その場にいる誰もが彼女の死を確信した時……。
「……っ!?」
突如その場に訪れる静寂……目を閉じたアミカには、何が起こったのか分からない。状況を確かめるために恐る恐る目を開けると、彼女に向けて放たれた筈の拳は、触れる直前でビタッと止まっていた。マイはパンチを繰り出した姿勢のまま、ビデオを一時停止したように固まっている。
「アミ……カ……」
絞り出すように妹の名を口にする。微かに正気を取り戻したのか、突き出した拳をすぐに引っ込めると、ふらついた足取りで後ろへと下がって妹から距離を開ける。そしてその場に立ったまま動かなくなる。
「サヤカ……ミサキ……私ヲ殺セ……殺シテ、私ヲ止メテクレ……モウソレシカ、方法ガ無イ……頼ム……タノ……ウッ……ウグァァアアアアッ!!」
自らの死を懇願すると、両手で頭を抱えながら声に出して苦しみだす。体を激しく動かして暴れようとする姿からは、わずかに残った理性と、彼女を支配せんとする狂気とがぶつかり合っているように見えた。
「マイ……」
親友の痛ましい姿を目にして、さやかとゆりかが悲しげな顔をする。何とかしてあげたい思いに駆られながらも、彼女を救う方法が見つからない。命を奪って止める事など、二人の選択肢には最初から無かった。
「……」
そんな状況の中、ただ一人ミサキだけが思いつめた表情を浮かべたまま黙り込んでいる。時折わずかに口を動かして、他人には聞こえない小さな声で独り言を呟いている。マイを救う方法を模索していたのか、まるで脳内にいるもう一人の自分と言葉を交わしているかのようであった。
「……もうこれしか方法が無いのか」
そんな言葉が彼女の口をついて出た。やがて覚悟を決めたように刀を手にすると、前へと一歩踏み出す。
その時一瞬だけミサキが悲しそうな目をしたのを、さやかとゆりかは見逃さなかった。
「マイ……さやか……ゆりか……そしてアミカ。この先一生私を恨んでくれても構わない。他に方法が無いのならば、彼女を苦しみから解き放つ為に、私は喜んで鬼畜生に成り果てようぞ」
強い決意を秘めた言葉を口走ると、両手で一本の刀を握って技を放つ構えをする。そしてそのままマイに向かって一直線に駆け出した。
「冥王秘剣……烈風斬ッ!!」
技名を叫んだ直後、一瞬だけ二十倍の速さになったミサキが、マイの脇を風のように通り抜ける。次の瞬間、マイの胴体に三日月のような切り傷が付いて、そこから真っ赤な血が噴水のように噴き出す。
鋭い刀による一撃は、パワード・スーツごと中にいた人間を切り裂いていた。
「ミサキ……ありが……と……う」
深い傷を負った事によって正気を取り戻したのか、マイが感謝の言葉を口にする。そして糸が切れた人形のように、力なく地面に仰向けに倒れ伏した。
「お……お姉ちゃぁぁあああああんんっっ!!」
悲痛な叫び声を上げながら、アミカが慌てて駆け寄る。倒れた姉の傷口からは血がとめどなく溢れ出し、辺り一面は数秒と経たずに血の海と化した。
「やだよぉ……お姉ちゃん……死なないでよぉ……」
姉の体にすがり付いたまま、声に出してすすり泣く。大切な家族を失う悲しみのあまり、胸が張り裂けそうになっていた。
「マイっ! アミカっ!」
「待ってて、今傷を治してあげるからっ!」
さやかとゆりかが急いで姉妹の元へとやってくる。ゆりかはマイの傷口に手のひらを当てると、バイド粒子の青い光を照射して傷を治そうとする。だが一旦塞がった傷口はすぐに再び開いてしまい、何度塞ごうとしても塞ぐ事が出来ない。
「傷が癒せない……そんな、どうしてっ!」
自身の能力を使っても傷を塞げない事に、ゆりかが俄かに困惑する。初めて遭遇した事態に、半ばパニックになりかけていた。
「無駄だ……博士が言っていた。ナノマシンで細胞を強化された我々ならまだしも、そうでない生身の人間が致命傷に近い傷を負ったら、バイド粒子を使ったとしても傷の進行速度に回復が追い付かない……と」
ミサキが残酷な事実を突き付ける。最初からこうなる事が分かっていたのだろう……重苦しい表情を浮かべて顔をうつむかせたまま、手から血が滲み出るほど力強く刀を握り締めていた。
「そんな……」
マイを救う方法が無いと実感させられて、さやかとゆりかが悲嘆に暮れる。
深い絶望と悲しみが場の空気を支配していた時、彼女たちから少し離れた空間が突然バチバチッと音を立てて放電しだした。
直後小型のブラックホールが発生して、そこから一体のメタルノイドが姿を現す。
『フフフッ……ハーーッハッハッハァッ!! よくぞその女を殺してくれたッ! おかげで俺様が処刑する手間が省けたというものッ! 礼を言わせてもらうぞ、小娘どもッ!!』
さやか達の悲しみを侮辱するように、声に出して嘲笑う。
その者は背丈6mの角ばった人型ロボットで、見た目は極端に太くも細くもない標準の体型をしている。体色は土のような暗めの茶色に染まっていた。
外見だけではどんな能力を持っているのか、想像が付かない。
「貴様か……さっきからスピーカー越しに喋っていたのはっ!」
ミサキが威圧するような口調で問いかける。マイを暴走させた黒幕であろうと思われる存在を前にして、怒りを抑えきれなかった。
彼女の問いに、メタルノイドは物怖じせずに答える。
『その通りッ! 俺はNo.009 コードネーム:リフレクト・ヴォイド……かつて『卑劣なるヴォイド』と呼ばれ恐れられた男……そして、そこにいるマイとかいう女を戦わせた計画の首謀者よッ!!』




