第68話 悲しみの姉妹(中編-3)
マイとミサキの戦いが最終局面を迎えた時、突然一人の少女が駆け付けて、戦いを止めに入った。
彼女たちの前に現れた少女……それは他でもないマイの妹、アミカだった。
「アミカ……何故ここにっ!」
そんな驚きの言葉がマイの口から飛び出す。彼女にとっては完全に想定の範囲外だった。まさに寝耳に水と言うべきか。
「何でって……それはこっちのセリフだよっ! お姉ちゃん、どうして急にいなくなって、パワード・スーツなんか着て……悪の手先になっちゃってるのっ!」
アミカが声を荒らげて問い質す。うっすらと涙を浮かべた瞳は姉に対する強い怒りに満ち、頬は真っ赤に紅潮し、高ぶる感情のあまり全身をプルプル震わせている。何の相談もせずに突然失踪し、次に現れた時には悪事に手を染めていた姉の行いが許せなかったのだ。
「……」
妹に問い詰められて、マイは思わず黙り込んでしまう。無言のまま立ち尽くしている姿からは、パワード・スーツに覆われた表情を見る事は出来ずとも、何とも居心地の悪さを感じている様子が窺えた。
たとえ妹のためを思っての行動であっても、自分が悪事に手を染めている所を、妹にだけは見られたくなかったのだろう。うまく言い訳する言葉が見つからず、困り果てているようでもあった。
しばらく立ったまま黙り込んでいたマイだったが、やがて観念したように語りだす。
「もうこうするしか無かった……他に方法が無かったんだ」
強い葛藤を滲ませた言葉を口にする。今にも消え入りそうにか細く震えた涙声は、何とも言えない悲壮さを漂わせており、その場にいる者に彼女への憐れみを抱かせずにはいられなかった。
「ずっと嫌だった……貧しくて苦しい生活から、どうしても抜け出したかったんだっ! いつも他人と自分を比較していた……他のみんなは裕福な家に生まれたのに、どうして自分はこんなに貧しいんだろうって、いつも心の底で他人を妬んでいた。そんな自分が惨めで、嫌で嫌で仕方が無かったんだ……いっそこの苦しみから逃れられるならと、妹と心中する事すら考えるほど追い詰められていた」
そしてこれまでに味わってきた、貧困ゆえの苦汁を吐露する。その生々しい嫉妬と自虐の感情が入り混じった言葉からは、貧困から抜け出したい彼女の切実な思いが嫌というほど強烈に伝わってきた。
「マイ……」
彼女の言葉を聞いて、さやかはとても悲しそうな顔をする。彼女の境遇を不憫に思うあまり胸が締め付けられて、何もしてあげられない自分の無力さに対する自責の念すら湧き上がっていた。
マイはなおも語り続ける。
「そんな時だ……私の前にバロウズの協力者を名乗る、黒服の男が現れたのは。さやか達三人を殺せば、一生金に困らない暮らしをさせてやる……そう取引を持ちかけられた。最初はさすがに迷ったさ。金のために、かけがえの無い友達を手にかけてしまって良いのか……と。でも自殺を考えるほど追い詰められた私は、結局は男の誘いに乗ってしまった」
そこまで喋ると、さやかから目を背けようとするように顔をうつむかせる。これまで受けた恩を仇で返すような選択をしたばかりに、友に合わせる顔が無いと言いたげだった。
「別に金持ちになりたかった訳じゃない……贅沢な暮らしがしたかった訳じゃない。ただごく普通の中流家庭が送る、裕福な暮らしがしたかった……たったそれだけなんだっ! 今の私たちには、それすら許されていなかった……私はクラスの他のみんなと同じ、当たり前の幸せが欲しかったんだ……」
下を向いたまま体を小刻みに震わせながら、悪魔の誘いに乗った動機を打ち明ける。その何とも惨めでしょぼくれた姿からは、貧困生活にあえぐ者の哀愁を感じずにはいられなかった。
「……」
苦悩に満ちたマイの告白を聞かされて、さやか達三人は何も言葉を掛けられなかった。あまりにも哀れな彼女の心境を知って、さやかとゆりかだけでなく、ミサキですらも同情せずにはいられなかった。
もちろんそれを理由に殺される訳には行かないものの、そこまで切羽詰まっていたのなら、藁にもすがる思いで悪魔に魂を売っても仕方が無いのではないか……そう思わずにはいられなかった。
「……お姉ちゃんの、バカっ!」
さやか達が何も言えずに黙っている中、ただ一人アミカだけが、淀んだ空気を破ろうとするかのように大きな声で叫んだ。
「どうしてそんなになるまで自分を責めて、追い詰めようとするのっ! そりゃ確かに暮らしは豊かじゃなかったけど……でもだからって、お金なんかのために危ない事に手を出すなんて、絶対間違ってるっ! お姉ちゃんが何も言わず急にいなくなって、私がどれだけ不安になったか……このままずっと帰って来ないんじゃないかって、とっても心配したんだからっ!」
早口でまくし立てながら、顔を真っ赤にして目から涙を溢れさせる。とても真剣な表情からは、姉がいなくなって天涯孤独の身となる事の辛さが、痛いほどよく伝わってきた。
「靴がボロボロでも、新しいゲーム機が買えなくても、ご飯の量が少なくても、真冬にエアコンが使えなくても……私はそれでもいいっ! お姉ちゃんがそばにいてくれれば、私はそれで幸せだもんっ! だからもう、私を置いて一人でいなくならないで……これからもずっと、私のそばにいてよぉっ! うわぁぁぁあああああんっ!!」
そしてありったけの思いをぶちまけるように叫ぶと、そのままわんわんと声に出して泣き出した。目からは大粒の涙がボロボロと流れ出し、いたいけな少女の頬を伝って地面へと零れ落ちていく。
「ああっ……アミカっ! 私は……」
目の前で声を上げて泣く妹の姿を見て、マイはわなわなと全身を震わせて、ガクッと地に膝をついた。自分といる事が一番の幸せという妹の言葉に目を覚まされた気分になり、それまで抱えていた貧困さに対する劣等感は急激に晴れていく。
(私は馬鹿だ……なんて馬鹿な女なんだっ! 他人を羨む事ばかり考えて、自分の足元にある幸せに気付こうともしなかったっ! その結果、自殺まで考え出したり、危険な仕事に手を出したりして……今持っている幸せすら、失ってしまう所だった!)
金への執着が薄れると共に、これまでしてきた行いに対する後悔の念が彼女の中に湧き上がる。もうさやか達を殺して報酬を受け取ろうという考えは完全に消え失せていた。
「アミカ……ごめんねっ! お姉ちゃん、もう何処にも行かないっ! 悪い事もしないっ! もうずっと……ずっとアミカのそばにいるよっ!」
そう大きな声で叫ぶと、マイはパワード・スーツ姿のまま妹を包み込むように両手で抱き締めた。
「ううっ……マイお姉ちゃぁああんっ!」
アミカもまた大声で姉の名を口にすると、甘えるように彼女の胸に抱き着く。金属の腕に抱かれながら、グスッグスッと声に出して泣きじゃくっている。
絆を取り戻したように強く抱き合っている姉妹を、さやか達三人は少し離れた場所から見守っていた。
「マイ……アミカ……良かった、二人とも……本当に……」
さやかがそう口にして安堵の表情を浮かべた、その時だった。
『……失望したぞ』
何処からか、突然そんな声が聞こえてきた。それは脳内へのテレパシーといった類のものではなく、その場にいる者全員に聞こえる物理的な音声であったが、何処から発せられたものか、すぐには分からない。
「誰だっ! 何処にいるっ! 隠れてないで、姿を見せろっ!」
ミサキが威嚇するように声を荒らげて問いかけるものの、謎の声がそれに答える気配は無い。最初に言葉を発したきり、用は済んだと言わんばかりに黙り込んでしまう。