第5話 トクベツな存在
――――これは青木ゆりかの中学時代の記憶。
「なぁアンタ……国会議員の娘なんだってなぁ?」
廊下を歩いていた彼女に突然声を掛けたのは、三人組の女だった。
耳にピアス、だらしなく着崩した制服、マニキュアを塗った異様に長い爪は、一目で不良と分かる風貌をしている。ゆりかの知っている顔ではない。
「なっ……何ですか……アナタ達……」
いかにもガラの悪い三人組に絡まれて、ゆりかが恐怖のあまり声を震わせる。
彼女たちは逃げられないようにゆりかを取り囲んで壁際まで追い込むと、リーダー格と思しき女がまず最初に口を開いた。
「アタシら今お金無くてさぁ、ちょっくら貸してくんねぇ? ヘッヘッヘッ……」
ガムをクッチャクッチャと噛んで、何ともいやらしそうなニヤついた笑みを浮かべながら金を要求する。
彼女たちは政治家の娘なら金を持っているだろうと考え、その金をふんだくる魂胆だった。俗に言うカツアゲと呼ばれる行為だ。
金銭を要求されて、ゆりかは怯えた表情のまま答える。
「お……お金なんて、学校に持ってきてません……」
彼女の言葉に、それまでヘラヘラと不気味に薄ら笑いを浮かべていた三人の表情がサッと険しくなる。
「だったら家から持ってこいよ、オラァッ! 議員の娘だから金持ってんだろぉ!?」
リーダーがそう叫びながらゆりかの背後の壁を強く蹴った。
それでも決して彼女は首を縦に振らない。
「い……嫌ですっ! 家にだってお金はありませんっ! 例えあっても、アナタ達みたいな人には絶対渡しませんっ!」
恐怖で体を震わせながらも、断じて不良に屈するまいと相手の要求を頑なに拒む。
そんな彼女の態度を目にして、リーダーがついに痺れを切らした。
「んだと、オラァ! だったら今すぐその気にさせてやんよっ! オイお前ら、やっちまえっ!」
リーダーが大声で指示を出すと、舎弟の一人がゆりかを後ろから羽交い締めにし、もう一人が彼女の両足を押さえ付ける。
ゆりかは二人に体をしっかりと掴まれて、身動きが取れなくなった。
「お前ら、暴れないようにそいつをしっかり押さえとけよ。フフフ……楽しいショーが始まるぜ」
女はニタリといやらしい笑顔を浮かべると、ゆりかの上着のボタンに手を伸ばした。
「何するのっ! 離してっ!」
明らかに服を脱がそうとしている女の行動に、ゆりかが声を荒らげて抵抗する。二人に体を拘束されながら必死にもがいていると、女が答える。
「お前の服をひん剥いて、裸にした姿をケータイに撮ってやる。後はその写真をネタにしてお前をゆすれば良いだけさ。簡単だろ?」
女の言葉を聞いて、ゆりかの顔が恐怖のあまり青ざめる。もしそのような仕打ちを受けたら、彼女の人生は破滅したも同然だった。
「いやぁっ! それだけはやめてぇっ! 誰か、誰か助けてぇっ!」
大声で助けを求めながら、激しく体を動かして暴れようとする。
女はそんなゆりかの頬を強くビンタした。
「大人しくしなっ! 泣き叫んだって、誰もアンタを助けやしないよっ! 世間はみんなクズばっかりさ。先公だってそうだ。みんな厄介事に首を突っ込みたくないから、見て見ぬふりをするんだ」
「……」
頬を引っぱたいた後、女は世間の冷たさを突きつけるように語りだす。
女の言葉を聞いて観念したのか、ゆりかは抵抗するのをやめて、すっかり大人しくなった。
彼女が諦めたのを確認して、女はゆりかの上着の一つめのボタンを外す。
……ゆりかの目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
誰か……誰か、助けてっ!
私がこんなに大声で叫んでるのに、どうして誰も助けてくれないの?
みんな……酷いよ。
誰でも良い。
誰か……誰か私を……たす……け……。
「アンタ達、やめなさいよっ!」
ゆりかが諦めて絶望しかけた時、誰かがそう叫んだ。
気が付くと、不良たちの背後に一人の少女が立っている。仁王立ちしたまま不良をキッと睨みつけるその姿は、まるでお姫様のピンチに駆けつけたヒーローのような頼もしさを漂わせていた。
「アァン? なんだテメエはぁっ!? 正義ヅラしてっとケガすんぞっ!」
不良の一人は腹立たしげに口にすると、すぐにその少女に殴りかかっていった。
「危ないっ!」
ゆりかが大声で叫びながら、たまらずに目を瞑る。
そして訪れる一瞬の静寂。
……ゆっくりと目を開けると、少女は相手のみぞ落ちにボディブローを食らわせていた。
「げぇ……え……」
不良が声にならない呻き声を漏らして床に倒れる。口からはだらしなく涎を垂らし、まるで潰れた蛙のように地べたに寝転がった。
「コノヤロウッ! よくもやってくれたなぁっ! 許さねえぞ、このドチクショウがぁぁあああっっ!!」
仲間がやられたのを見て、二人目の女が激昂して少女に襲いかかる。その手には鋭いナイフが握られている。女はいっそ少女を殺してしまっても構わないと考えていた。
「……」
少女は腰を深く落として両足に力を溜めると、ナイフを手にして襲いかかってきた女の顔面に全力の回し蹴りを叩き込んだ。その一撃には一瞬の躊躇も無い。
武器を持った相手なら遠慮はいらないと言わんばかりの、凄まじい威力の蹴りだった。
「うんぎゃらばぁぁぁあああああっっっ!!」
女が物凄い悲鳴を上げて、錐揉み回転しながら豪快に吹っ飛んでいく。
その姿は、さながら格闘ゲームでKOされた敵キャラそのものだ。
一連の流れはスロー再生され、悲鳴にはエコーが掛かったようにすら見える。
宙を舞った肉の塊は直後床に叩き付けられ、デンデンッと音を立てて何度もバウンドした。起き上がる気配は全く無い。
女が白目を剥いて床に転がったまま体をピクピクさせているのを見て、リーダーがヒィッと声を上げて顔を引きつらせる。
「ち……チクショウッ! 覚えてろよっ!! ぺっ」
女はそう言って悔しまぎれに唾を吐き捨てると、倒れた二人を置き去りにしたまま走って逃げていった。しょせん彼女たちの間に友情と呼べる物などありはしなかった。
「危ないとこだったね。でももう大丈夫、怖がらなくても良いよ」
不良の三人組を撃退した少女は、ゆりかにそっと近寄ると外れていた上着のボタンを一つ一つ丁寧に掛け直す。
ただ強いだけでなく優しいその姿に、ゆりかは胸がキュンと高鳴る。
……その少女は、ゆりかが中学に入って知り合ったばかりのクラスメートだった。
名前を赤城さやかという。
「あ、あの……助けてくれて、ありがとう。なんとお礼をすれば良いか……」
ゆりかは恥ずかしそうに顔を赤くして体をモジモジさせながら、感謝の言葉を述べる。まるで時代劇で悪漢に絡まれていた所を助け出された町娘のようだった。
「そんなぁー、お礼なんていーのいーの。困ってる人がいたら見過ごせないのが私の性分だからさ。別にお礼が欲しくてやったワケじゃないよ」
さやかは、まさにサバサバした女と形容するのが相応しい口調でニコッと笑いながら答える。ゆりかにはその笑顔が太陽のように眩しく感じた。
「私そろそろ行くね。困った事があったら声掛けてね。なんでも相談に乗るから。それじゃバイバイ」
彼女はそう言って笑顔で手を振って立ち去ろうとする。ゆっくり自分から遠ざかっていく後ろ姿を見ているうちに、ゆりかの胸にある思いが湧き上がる。
……このまま行かせてしまって良いの?
クラスメートだから、この先何度も顔を合わせる機会はある。
でもここで思いを伝えられなければ、きっとこの先ずっと思いを伝えられない。
今伝えなくちゃダメなんだ。
今、ここで……彼女に……。
「待ってっ!」
ゆりかは大声で叫ぶと、立ち去ろうとする彼女の手を掴んで引き止めた。
「ハア……ハア……私、どうしても言いたい事があるの!」
「ん? どうしたのかな?」
さやかは目をキョトンとさせながら、ゆりかの顔を覗き込む。
ゆりかは緊張で震えて固まりながらも、必死に言葉を振り絞って吐き出した。
「あ、あの……わ、私とお友達になってくださいっ!」
……それはゆりかにとって、勇気を振り絞っての一大告白だった。
顔はカーッと林檎のように真っ赤になり、心臓はバクバクと鼓動し、緊張と恐怖で自然と体が縮こまる。
断られたらどうしようという怖さの反面、ちゃんと言えてスッキリした、断られたならそれはそれでしょうがないと割り切っている部分もあった。
「うんっ! いいよっ!」
さやかは屈託のない笑顔でそう言うと、ゆりかの思いに応えるかのようにその手をぎゅっと強く握る。彼女の手はとてもがっしりしていて、何とも頼もしかった。
「ゆりちゃん、これからヨロシクねっ! あっ、ゆりちゃんって呼んでも良いよね? ゆりちゃんも私の事、好きに読んでいいからね。そんじゃ、これからヨロシクっ!」
彼女の手はじっとりと汗ばんでいて、とても暖かい。その感触がゆりかの手に直に伝わる。ゆりかはこの時の暖かさを一生忘れる事は無かった。
……これが後にさやかの命を救う事になる親友、ゆりかの中学時代の記憶。
ゆりかにとって彼女は友達以上にトクベツな存在だった。