第61話 後悔などする筈(はず)も無し
「んっ……」
さやかが目を覚ますと、そこは研究所と思しき建物の一室にあるベッドの上だった。バエルを倒した直後に安心して気が緩んだのか、彼女は突然気を失ったようにその場に倒れてしまい、精密検査を受けるためにゼル博士の研究所へと運ばれたのだ。
窓の外はすっかり暗くなっている。慎重に事実確認を行っているためか、バエルが死んだにも関わらず、街中が戦勝ムードに包まれている気配は無い。
バエルを倒した本人からすれば意外なほど、窓から見える夜の街はひっそりと静まり返っていた。
「……」
部屋を見回して誰もいない事を確認すると、さやかは服を脱ぎ出して、自分の体に異常が無いか目で確かめた。
戦いの疲れが残っている感覚はあるものの、後遺症が残ったり、何処かがおかしくなったりしている形跡は無い。二つあった心臓も、今は一つに戻っている。
その時部屋の外から足音が聞こえてきたため、彼女は慌てて服を着て、ベッドに横になった。
「さやかっ! 物音が聞こえたから、そろそろ起きたんじゃないかと思って来たぞっ!」
ミサキがそう口にしながら、駆け足気味に入ってくる。ゆりかも彼女の後に続く。二人とも怪我をしている様子は無い。彼女達の元気な姿は、あの戦いを乗り越えた後である事を考えれば奇跡なほどだった。
「良かった……二人とも、無事で……」
さやかが安心してホッとしたように胸を撫で下ろしていると、開いたままのドアから一匹の猫が部屋へと入ってくる。首には飼い猫である事を示す首輪が付いていた。
「ニャニャーーーーーーッ!!」
何とも特徴的な鳴き方をすると、猫は迷う事無くさやかの膝上に飛び乗り、甘えるように体を丸める。そしてリラックスしたように穏やかな表情を浮かべながら、喉をゴロゴロ鳴らしていた。
「おーーよしよし、猫ちゃんどっから入ってきたのかなーー?」
さやかはまんざらでも無さそうに、あやすような口調で猫の体を撫でる。内心このままお世話したい気持ちになっていたが、迷い込んだ飼い猫であるならば、飼い主に返さなければならないとも考えた。
その時ミサキが答え辛そうに顔をうつむかせながら、そっと口を開く。
「さやか……その、大変言いにくいんだが……その猫は……エルミナだ」
彼女の言葉を聞いて、さやかは一瞬目が点になった。
「えっ……えええええぇぇぇーーーーーーっっ!!」
そして驚くあまり、建物の外まで響かんばかりの大きな声で叫んだ。
「ねねねっ、猫がルミナって……どどど、どういう事ぉぉおおおっ!?」
さやかは俄かにパニックに陥って、声に出して慌てふためく。娘が猫になったという、そのあまりに突拍子も無い発言に、頭がおかしくなりそうな気分になっていた。
友の言葉がとても信じられず、自分はからかわれているではないかという疑心暗鬼にすら陥った。
思考の整理も付かずに混乱するさやかに、ミサキは諭すように落ち着いて話しかける。
「メモリチップは無事だったものの、今すぐに用意できる人型のボディが無かったんだ。だからネコ型ロボット……と言っても青いタヌキの方ではなく、本物の猫に精巧に似せて作ったロボットに、エルミナのメモリチップをその場凌ぎで積んでしまった……という訳さ。本来のエルミナのボディは、自衛隊が早急に修理している所だ」
エルミナが猫となってしまった経緯について、詳細な説明を行う。
彼女の話を聞いて、さやかもさすがに納得した様子だった。
「そっかぁ……ルミナ、猫になっちゃったんだねーー、よしよし」
安堵と困惑が入り混じったような苦笑いを浮かべながら、猫の首筋を優しく指で撫でる。内心では娘が猫になってしまった事に奇妙な違和感を覚えたが、それでも娘が無事であるという事実に一安心していた。
「ニャニャーーーーッ!!」
猫となったエルミナが、またも特徴的な声を発しながら、さやかに甘えるようにスリスリと体を擦り付ける。奇妙な鳴き方をする以外は、完全に本物の猫にしか見えなかった。
(そのニャニャーーって、もしかしてママーーって言ってるつもりなのっ!?)
ゆりかは思わずツッコミを入れそうになったが、あえて声には出さずにグッと飲み込んだ。そしてゼル博士に頼まれていた事を思い出し、すぐに口を開く。
「それよりもさやか、博士が話したい事があるって言ってたわ。さやかが来るのを、ずっと部屋で待ってるわよ」
彼女の言葉を聞いて、ならば急がねばと、さやかは思い立ったようにベッドから立ち上がった。
「分かったわ、すぐ行く。ミサキちゃん、ちょっとこの子を預かってて」
そう言って友に猫を託すと、早足で部屋から出て行った。
◇ ◇ ◇
廊下を歩いていると、大きめなガラスのショウケースが置かれているのが目に付いた。ケースの中には博士が戦場から回収したと思しきメタルノイドの部品が、展示するように陳列されている。
そしてその中の一つに、バエルが投げ付けたサーベルがあった。
本来忌むべき対象である魔王の武器を眺めながら、さやかは顎に手を当てて考え込むような仕草をする。
(後で何かの役に立つかもしれない……譲ってもらえるかどうか、博士に頼んでみようかな)
そんな事を考えている内、博士を待たせていた事を思い出して、再び廊下を歩き出す。
◇ ◇ ◇
「……」
博士はパソコンのある自室の椅子に座ったまま、一枚の写真を手に取って眺めていた。そこには魔法少女らしき姿をした一人の女の子が写っていた。それが本当に変身した姿なのか、それともただコスプレをしただけなのかは、一見しただけでは分からない。
「……焔かすみ」
思い詰めた表情を浮かべながら、写真の少女らしき名を口にする。その時ドアをノックする音が聞こえたため、博士は慌てて写真をポケットにしまい込んだ。
「博士、失礼します」
さやかがそう言って部屋に入ると、博士は椅子を回転させて彼女の方へと振り向く。
その必要が無いと踏んだのか、写真の少女の事を口にする気配は無い。
「待っていたよ、さやか君。まずは用件を話す前に、よくぞ生きて戻ってくれたと言わせてもらう……よくぞ、よくぞ本当に……」
さやかの顔を見るや否や、ねぎらいの言葉を掛ける。だが言葉とは裏腹に、博士の表情はあまり嬉しそうではない。むしろ少女を死地に送り込んだ事に負い目を感じる、強い苦悩に満ちた表情だった。
バエルと戦わせるという事は、彼にとってはいたいけな少女を地獄の釜に放り込むに等しい行為だったのだ。とても無神経に喜んではしゃげる気分では無かった。
「顔を上げてください、博士……それよりも話したい事って、何ですか?」
さやかは優しく言葉を掛けながら、呼び出された用件について問いかける。
「……」
博士は一瞬話すべきかどうか躊躇したように押し黙ったが、やがて覚悟を決めたように重い口を開いた。
「さやか君、どうか今から私が言う事を、驚かずに聞いてもらいたい。悪の首魁バエルは、確かに君の手によって倒されて、そして死んだ。確かに死んだのだが……ヤツはまだ完全には死んでいないッ!」
「……ッ!!」
博士から告げられた言葉にショックを受けるあまり、さやかは石のように固まってしまう。
死すら経験したほどの壮絶な戦いを乗り越えた末に勝利を掴み取った彼女からすれば、博士の言葉は到底受け入れられるものでは無かった。
フリーズしたパソコンのように思考が働かなくなってしまい、発言の真意を問い質すために舌を動かす事すら出来なかった。
そんなさやかの意を汲んで、博士は問われずとも自ら進んで真相について語りだす。
「さやか君、これを見てくれ」
そう言ってマウスをクリックすると、パソコンの画面にバエルが爆発する瞬間の映像がスロー再生される。そして一時停止すると、画面のある部分を指差した。そこには黒い小さな物体が映っていた。
「バエルが爆発した瞬間、ほんの一瞬だが、この黒い物体が高速で射出されたのを、ライブカメラが捉えたんだ。破片の類などでは無い。恐らくバエルは爆死する寸前、メモリチップが搭載された本体であるコア・ユニットを切り離して脱出させたのだろう」
そこまで語ると、博士は深刻そうに両手を組んで顔をうつむかせた。
「バエルは確かに死んだ……君と戦って、君に敗れたんだ。だがヤツはいずれ戦闘用のボディを新調して、再び君の前に現れるだろう。そしてヤツが完全には死んでいない限り、バエルを含む残り二十四体のメタルノイドが、人類に対して攻撃を止める事も決して無い……」
「……」
博士の言葉を聞いて、さやかは何も言えずに押し黙ってしまう。普段なら持ち前の明るさを見せ付ける所だが、全てを投げ打つ覚悟までして倒した相手が生きていたとあっては、そんな気力も湧かなかった。
すっかり黙り込んださやかに、博士はなおも言葉を続ける。
「そして戦いは終わっていないと前置きした上で、あえて言うのだが……さやか君っ! 君はもう二度と、エア・グレイブルやエアロ・グレイブに変身してはいけないっ!」
強化変身をしないようにと、強い口調で警告する。その時博士の目はグワッと見開いて、眉間には皺を寄せて、額には汗がどっと浮かんでいた。
まるで悪の魔法使いのような恐ろしい形相からは、尋常ならざる事態である事が容易に窺い知れる程であった。
しかしさやかも、素直に首を縦に振る訳には行かない。
「な、何でですかっ! 理由を教えて下さい、博士っ!」
納得出来ないと言いたげに、声を荒らげて問い質す。任意に使える力では無いものの、強化変身にはこれまで何度も窮地を救われただけに、使用を禁止する言は決して受け入れられるものでは無かった。
必死に食い下がろうとする彼女に、博士がなだめるように冷静に語りだす。
「君も知っての通り、強化変身は私が仕込んだプログラムでは無い。赤のアームド・ギアが自力で進化して、勝手に生み出したものだ」
そう前置きした後、一旦言葉を切ってフゥーーッと溜息をついた。そして少し経ってから、再び口を開く。
「それらは短時間で膨大な力を得るために、君の細胞を急激に変異させている。そして解析した結果分かった事だが……エア・グレイブルは二十回、エアロ・グレイブは十回、それぞれ変身すると……君は、人間では無くなってしまうっ!」
「……ッ!!」
博士の言葉を聞いて、さやかは思わずゴクッと唾を飲み込んだ。
「あえて具体的に言うならば、全身の皮膚がボコボコに腫れ上がって真っ赤になり、見るもおぞましい人型のナマコのような化け物になってしまう。そしてその姿のまま、永遠に死ねない体になってしまうのだ……」
告げられた真実……それは強化変身を続ければ、不死の怪物に変異してしまうというものだった。
そのとてつもなく恐ろしい副作用を聞かされて、さやかは自分が奇怪な化け物になった姿を想像して、内心ゾッとさせられた。
博士の忠告にも納得し、それ以上何も言い返せなくなってしまう。
「……」
さやかが無言のままでいると、博士は何処か遠くを見るような目をして、ふいに天井を見上げた。
「少し……昔の話をしよう」
昔……この世界を救った、数人の魔法少女がいた。
公にされていないから存在を知る者は少ないが、確かにいたんだ。
雷同平八は、その内一人の子孫だとも言われている。
装甲少女とは、私がバエルの元から持ち出した技術と、平八が秘匿していた魔法少女の技術とを掛け合わせて生み出したものなのだ。
彼女達は、その身を犠牲にして戦い……最後は悲しい結末を迎えたと、記録には書かれている。
「……私は同じ轍を踏まないようにと思いを込めて、装甲少女を作った。にも関わらず、赤のアームド・ギアは装着者に力の代償を求めてしまったのだ。何かを得る為には、何かを失わねばならぬ……結局、代価を支払わずに得られる力など無いという事なのか……ッ!!」
そこまで口にすると、博士は落胆したように肩を落とした。
血が出るほど強く下唇を噛んで、ギリギリと音を立てて歯軋りする姿からは、科学者として大きな挫折を味わった事への、深い苦悩を滲ませていた。
そんな博士を気遣うように、さやかが優しく言葉を掛ける。
「博士……私だって、ナマコの化け物なんかになりたくありません。でも強化変身って、私がなろうとしてなるんじゃなくて、なんかその時が来たら勝手になっちゃってるっていう、そういう感じなんで……たぶん私自身が気を付けても、無理なんだと思います……ゴメンナサイ」
そう言って、苦笑い気味にテヘペロしてみせた。
「そうか……ならばいっそ、私も腹を括ろうっ! 残るメタルノイドは、バエルを含めて二十四体っ! 彼らを全滅させるまでの間に君が怪物にならぬよう、全面的にバックアップさせてもらうっ! そして世界からバロウズの脅威が消え去った時、君が普通の女子高生としての生活に戻れるよう、全力を尽くすっ!」
博士は椅子から立ち上がると、揺るぎない決意を込めた言葉と共に、少女の手を強く握り締めた。
「博士……っ!!」
さやかも思いに応えるように、その手を強く握り返す。
◇ ◇ ◇
一通り話しを終えて、部屋から出ようとするさやかに、博士がまたも話しかける。
「さやか君、最後に一つだけ質問させてくれ。装甲少女になった事を……後悔していないか?」
博士の問いに、さやかは一寸の迷い無く言葉を返した。
「後悔なんて、する訳無いじゃないですか。なれたんだもの、ずっとなりたかった正義のヒーローに……」
そう口にした彼女の笑顔は、決して強がりではない、願いが叶った事への心からの感謝に満ちていた。
そんな少女の健気な笑顔が、博士には儚げに見えて、かえって胸が痛むものがあった。
◇ ◇ ◇
その頃、バロウズの基地と思しき建物の暗がりの一室。そこで一体のメタルノイドが、頭を抱え込んでウンウンと唸っていた。
『あぁっ、何という事だ……まさかバエル様がお亡くなりになられるとは。バロウズとはすなわち、バエル様という強き指導者の元に集まった者達……バエル様亡き後、我々はこれからどうすれば良いんだ……』
何も思い付かずに困り果てていると、何処からか声が聞こえてくる。
「クククッ……ヴォイドよ、何を悩んでいる? 私なら、ちゃんとここにいるぞ」
ヴォイドと呼ばれたメタルノイドが、声がした方角に振り向くと、そこにはバレーボール大の黒い球体が、風船のように宙に浮かんでいる。
謎の物体が偉そうな口調で喋る姿は、まるでコメディ映画か何かのようで、何とも異様な光景だった。
『まっ、まさか……バエル様なのですかっ!?』
ヴォイドは驚くあまり我が耳を疑ったものの、目の前にある球体から発せられたのは、紛れもなくバエルのものだった。
「体が爆発する寸前、咄嗟にコア・ユニットを胴体から切り離して脱出させたのだ。もっとも切り離すのが二秒遅れたら、私はボディと共に爆死している所だったよ。赤城さやか、恐ろしい女だ……」
本体だけらしき姿となったバエルは、あえて負けた言い訳をせずに、自身に迫った死の危険をありのままに語る。それは彼を追い詰めた少女の強さを素直に賞賛しているようでもあった。
主君の言葉に、ヴォイドはただ無言で聞き入る事しか出来なかった。
「サンダースっ! サンダースはいるかっ!」
バエルが大声で叫ぶと、名を呼ばれたらしきメタルノイドが暗闇の中からヌッと姿を現す。
『はっ、No.14 コードネーム:アドミラル・サンダース……閣下の命により、参上しました』
名乗りを上げると、すぐに主君の前に跪いた。ヴォイドと違って、主君が黒い球体となった事に驚いている様子は無い。
その何事にも動じないどっしりと構えた姿は、幹部としての階級がヴォイドより上であるらしい事が窺い知れた。
「サンダースよ……私は戦闘用のボディを新調するために、しばらく兵器開発の現場に引きこもらねばならん。その間、西日本侵攻隊の指揮権はお前に託す事にする。残された手札は、お前たちを含めて七枚……くれぐれも粗末に扱うなよ」
『はっ! 閣下の仰せのままにっ!!』
主君の命を受けてサンダースが退出しようとした時、ヴォイドが慌てて口を挟んだ。
『おっ、お待ち下さいバエル様っ! その赤城さやかという女、バエル様より強いというのであれば、我々では到底歯が立ちませぬっ! にも関わらず倒せとお命じになるのでは、無茶振りにも程がありましょうぞっ!』
内心では主君の不興を買うかもしれないと思いつつ、それでも意見を述べずにはいられなかった。
決して勝てない相手にむざむざ特攻する事を命じられたのでは、彼にとっては到底納得の行くものでは無い。そんな事をするくらいなら、いっそこの場で処刑された方がマシだとさえ思えたのだ。
彼の懸念ももっともだと考えたのか、バエルは特に機嫌を損ねる様子も無く疑問に応える。
「案ずるな、ヴォイドよ……私の見立てが正しければ、あの女はいつでも底力を引き出せる訳では無い。これまで通り侵略を行っても、お前たちには十分に勝機があるという事だ……これでもまだ不満か?」
『いえ……分かりました』
念を押すように問いかけると、ヴォイドはしぶしぶ言葉少なげに引き下がった。部下が白だと言っても、上司が黒だと言えば、それに従うより他なかった。
「ならば、行くがよい……そして必ずや、小娘共を亡き者とせよッ!」
主君が声に出して命じると、サンダースは迷い無く、ヴォイドは少し不満げながらも、すぐに部屋から出て行く。
そして部屋に一人残されたバエルは、少女との戦いを回想しながら、静かに物思いにふける。
(赤城さやか……お前は、昔の私によく似ている。だからこそ、どんな手段を使ってでもしてみたいのだ……お前を、今の私と同じ存在にッ!!)
……心の中でそんな事を口にしながら、楽しげにククッと笑っていた。
装甲少女エア・グレイブ
第二部 「破」 完ッ!
第三部 次回スタートッ!




