第57話 下された鉄槌(前編)
バエルとの戦いに敗れた末に命までも奪われたさやかだったが、両親に立ち上がる勇気を与えられて、新たな力を得て蘇るという奇跡を成し遂げた。
そしてエア・グレイブ、エア・グレイブルに続く第三の形態に、『エアロ・グレイブ』と自ら名を付けていた。
「ああっ……さやか……」
生き返った友の姿を目にして、ゆりかが感激のあまり目を潤ませる。内心では友の死を受け入れて絶望していただけに、喜びもひとしおだった。
ミサキもまた、新たな力に目覚めた仲間の頼もしい立ち姿に、彼女の勝利を確信した笑みを浮かべていた。
今の二人にとって、さやかはまさに絶体絶命のピンチに駆け付けたヒーローそのものだった。
「大変身……エアロ・グレイブ……だとぉ?」
仲間の復活を喜ぶ少女達とは対照的に、バエルは名乗り口上を聞いて怪訝そうな顔をしていた。
目の前の敵がパワーアップを遂げた事は間違いないものの、どれだけ強くなって、どんな能力を手に入れたのか、内心では測りかねていた。
顎に右手を添えて考え込む仕草をしながら、少女の全身を舐めるような視線でじっくり見回す。
(フゥーーム……背中の羽は、重力制御装置か? バーニアをオミットした分の出力を、他の場所に回したようにも見える……だが、それだけではない。それだけではないはずだ……もっと何か、隠された能力が……)
相手の能力について考察していたバエルだったが、やがてそれにも飽きたのか、思い立ったように攻撃を繰り出す構えに入った。
「フンッ、まあ良い……どんな能力を持っているかなど、戦ってみればすぐに分かる事だ。どのみち、今の私を殺せる者など……この宇宙には存在せんのだからなぁっ!」
自信に満ちた言葉を口にすると、正面の敵に向かって全力で駆け出していた。
「死ねぇええいっ!!」
淀みなき殺意の込められた拳の一撃が、声と共に放たれる。最初から一切の躊躇なく彼女を殴り殺すつもりの、本気の一撃だ。
だがさやかに触れる直前、拳は突然ビタッと止まって、全く動かなくなる。
「何っ……!?」
バエルが俄かに顔を青ざめさせる。
自分に向かって振り下ろされた拳を、さやかは驚くべき事に片手だけで止めていた。
少女の手は、魔王の拳をガッシリとワシ掴みにしたまま決して離そうとしない。
「グッ……離せぇええええっ!!」
バエルが怒りの言葉を口にしながら力ずくで振りほどこうとしても、振りほどく事が出来ない。まるで獰猛なる野生のワニに噛まれてしまったかのようだ。
その力には驚嘆すべきものがあった。今の彼女は、宇宙最強と称するバエルをも凌ぐ力を持っていたかもしれないのだ。
さやかがバエルの拳を止めたのを目の当たりにして、ゆりかもミサキも期待に胸を躍らせ、目を輝かせずにはいられなかった。
「……」
苛立ちを募らせるバエルを、さやかはまるで道端に落ちていた汚物を見るような目で見ていた。それは完全に相手を見下した、冷酷で侮蔑的な眼差しだった。
直後、相手の拳を掴んだまま軽くジャンプしながら宙返りし、豪快なサマーソルトキックを放った。
「うぐぅおおおおおっ!!」
顎を思いっきり蹴り上げられて、バエルが奇声を発しながら空高く打ち上げられる。魔王の巨体が軽々と吹き飛ばされると、掴まれた拳も少女の手から離れていた。
そして宙を舞った巨体は地面に落下して、ドォォーーンという激しい衝突音と共に、砂塵を一気に巻き上げた。
「グッ……」
悔しげに下唇を噛みながら、バエルが慌てて立ち上がる。
さやかがまたしても自分に匹敵しうる力を手に入れた事に、内心では焦りを募らせていた。
たとえどれだけ屈強な戦士でも、自分と互角に渡り合える強さを持った敵が目の前に現れたら、警戒せずにはいられない。
彼女は今まさに、宇宙の絶対的支配者という魔王の地位を脅かす存在となって、再び現れたのだ。
「良いだろう……もう舐めて掛かるのはやめだッ! 私も勝つ為には手段を選ばんッ! ここからは本気で行かせてもらうぞッ!!」
バエルは意を決したように口にすると、天に向かって拳を突き上げた。
「死に至る選択肢ッ!!」
技名を叫ぶと同時に、魔王の姿が二体へと分裂した。そしてすぐに駆け出して、二体それぞれがさやかと等間隔に距離を開けて、左右から挟み込むように立ちはだかった。
「我らのうち、どちらが本物か……貴様には見破れまいッ!!」
自信満々に言うと、二体の魔王は同時にさやかに襲いかかる。
彼の言葉を裏付けるかのように、少女はどちらを攻撃するか一瞬迷っていた。だが判断が遅れれば、何も出来ないまま殺されるのは明白だ。もはや一刻の猶予も無かった。
「でぇぇやぁぁあああっ!!」
片方に狙いを定めると、さやかは気迫の篭った雄叫びと共に鋭いパンチを放つ。だが拳が触れた途端、敵の姿は霧のように散って消えてしまう。
「馬鹿め、本物はこっちだッ!! 選択を誤った者には、約束された死が訪れるッ!!」
バエルは策略が成功した喜びを口にすると、残像に気を取られて隙を見せたさやかを、絶好のチャンスとばかりに全力の拳で殴り付けた。
「ぐぁぁあああああっ!!」
重い鉄球の如き剛拳を叩き込まれて、少女が悲鳴を上げながら弾き飛ばされる。何度も地面に全身を強く叩き付けられて、最後は干上がって死んだカエルのようにだらしなく大の字に横たわった。
少女の死を確信して、バエルは思わずニタァッと笑っていた。だが……。
「……ッ!?」
次の瞬間、魔王は驚くあまり目を丸くさせた。
以前の形態ならば確実に命を失う威力の一撃を喰らったにも関わらず、さやかは何事も無かったかのようにむくりと起き上がったのだ。
それだけではない。彼女の体は倒れた時に地面の砂埃が付いただけで、負傷している様子が全く無かった。まるで、ただ軽く突き飛ばされて倒れただけのようだ。
(馬鹿な……私は夢でも見ているのかッ!? そもそも死んだ人間が、その場で生き返った事自体ありえんのだが……それにしても、馬鹿げているッ! 常軌を逸しているッ! まるで漫画か何かの中にでもいる気分だッ! 私が今体験している事は、間違いなく現実だというのにッ!!)
バエルは内心困惑せずにはいられなかった。
さやかがある程度強くなった事は想定していたものの、それもせいぜい二倍か三倍程度だろうとタカをくくっていた。だが今の彼女の強さは、そんなレベルを遥かに超えていた。
十倍……もしかしたら百倍……とにかく彼女の力の底が知れない現状に、深い恐怖と苛立ちを覚え、胸の内をざわつかせていた。
そんな魔王の焦りなど意にも介さず、さやかは一歩ずつ前へと踏み出す。その力強く頼もしい歩き姿からは、敵に対する恐れは微塵も感じられない。
恐れる者と恐れざる者の全く正反対な姿は、まさに狩られる者と狩る者の、力関係の表れのようであった。
「チィッ!!」
バエルが腹立たしげに舌を鳴らしながら、数メートル後ろへと下がる。
彼を逃すまいと、さやかもすぐ後に地を蹴って駆け出していた。
先程自分が立っていた場所までさやかが来た時、バエルは何か策があるかのようにニヤリと笑っていた。
「……見えざる爆弾ッ!!」
そう口にしながら合図を送るように指をパチンッと鳴らすと、さやかの足元の地面がまるで地雷を踏んだように爆発し、巨大な炎の柱が天高く吹き上がる。
爆発の威力は凄まじく、発生した衝撃波はその場にいた者全てを遠くへと吹き飛ばしかねないほどの風圧となって襲いかかった。
「さっ……さやかぁあああーーーーっっ!!」
吹き飛ばされまいと必死に地面にしがみつきながら、ゆりかが大きな声で叫ぶ。灼熱の業火に呑まれて見えなくなった友の姿を目にして、彼女の死を予感せずにはいられなかった。
「フハハハハハハァッ!! 私以外には視認不可能な爆弾を、任意のタイミングで起爆させる技……それが『見えざる爆弾』ッ!! 範囲は狭いが、爆弾の破壊力はダイナマイト二百発分に相当するッ! 初見でこれをかわせた者は、今まで一人もいないッ! そして爆発をまともに受けた者は、跡形も無く消し飛ぶッ! 不死身でもない限りはなぁっ!!」
バエルが自身の技について得意げに語りだす。強敵を殺せた喜びに浸るあまり、鼻歌でも唄いたい気分になっていた。
バエルもゆりかもミサキも、その場にいた者全てがさやかの死を確信し、絶望的な空気が広がりだした、その時だった。
「うぉぉおおおりゃぁぁあああああっっ!!」
激しく燃えさかる炎の中から、勇ましい雄叫びと共にさやかが飛び出してきた。全身炎に包まれたまま鬼のような形相を浮かべた姿は、さながら『炎の魔神』にでもなったかのようだった。
そして驚く暇すら与えずに、魔王の腹に拳の一撃を叩き込んでいた。
「なっ……うげぇぇええええっ!!」
全力で腹を殴り付けられて、バエルが嘔吐したような奇声を発した。強い力で胃を急激に圧迫されるあまり、車酔いしたような感覚に襲われて、胃の中が気持ち悪くなる。
少しでも気を抜いたら、ゲロを吐いてしまいそうだった。
「グゥゥ……」
呻き声を漏らしながら、両手で腹を抑えて苦しそうにうずくまる。心の中には屈辱と怒りが同時に湧き上がっていた。
ふと顔を上げると、彼の前にさやかが二本の足で立っていた。
「ハァ……ハァ……」
彼女は少し息を切らしていたものの、肌の表面は軽く焦げた程度で、致命傷を受けた様子は全く無かった。
攻撃が全く効いていないと言いたげな彼女の姿に、バエルは内心苛立ちすら覚えていた。
「どんな手品を使ったか知らんが……すぐに化けの皮を剥いでやるッ!!」
腹立たしげに口にすると、彼の右手に刀身が反り返ったサーベルのような剣が、ワープでもしたかのように出現した。
そして手に強く握った剣を、バエルは目の前にいる少女に向かって力任せに投げ付けた。
「くっ!!」
さやかは咄嗟に避けようとするものの、サーベルは彼女の左足をかすって、傷口から真っ赤な血が噴き出す。
「……ッ!?」
次の瞬間起こった出来事に、バエルは我が目を疑った。
少女の左足に付いた切り傷は、赤い光に包まれた後、まるでビデオを逆再生したように急速に塞がっていったのだ。そして最後は傷跡すら残らずに、元通りの綺麗な肌になっていた。
(効いている……攻撃自体は、確かに効いているッ! 効いているが……受けた傷が、一瞬にして塞がっているッ! まるで不死鳥……もしくは、残機が無限にあるゲームキャラのように……ッ!!)
……とてつもなく恐ろしい想像が、彼の頭をよぎった。
◇ ◇ ◇
「うっ……ママ……」
その時、上半身だけになって機能を停止させたまま地面に寝かされていたエルミナが、微かに動き出した。
非常用の予備電源が作動して、彼女に意識を取り戻させたのだ。
さやかもバエルも他の二人も、戦いに気を取られるあまり、エルミナが動き出した事には気付いていない。
「まだ……ママのために……手伝える……」
エルミナはそう口にすると、地べたを這いつくばって、ゆっくりとさやか達の元へ向かった。




