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装甲少女エア・グレイブ  作者: 大月秋野
第二部 「破」
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第53話 餓狼の一撃(後編)

「ウォォオオオッ!!」


 さやかは体勢を立て直すと、間髪入れずにバエルへと襲いかかった。劣勢に立たされても、敵を恐れる気配は微塵も見せない。

 バエルはそんなさやかに、まるで指名でもするように右手の人差し指を向ける。


「……ひざまずけ」


 彼がそう口にした途端、さやかの体が強い力で地面へと叩き付けられて、ドォォーーンと大型トレーラーが地面に落下して激突したような音が、振動と共に鳴り響いた。

 彼女はまるで巨人の足に踏まれたように目に見えない力で押し潰されて、うつ伏せに大の字に寝転がったまま起き上がる事が出来ない。


「ウッ……ガァアアアッ!!」


 全身が鉄アレイのように重くなり、さやかが苦しげに悲鳴を漏らす。

 体中の骨も内蔵もミシミシと音を立てており、全身を駆け巡る痛みのあまり意識を失いそうになる。自分がどんな技を食らったのか、考える余裕すら無かった。


暗黒重力ダーク・グラビティ……貴様の体にナノマシンを付着させて、地球の百倍の重力を掛けてやった。このまま何の抵抗も出来なければ、あと数分と経たない内に、貴様は潰れたヒキガエルになって死んでしまうぞ……ファッハハハッ!!」


 人差し指を向けた姿のまま、バエルが声に出して笑い出す。直接手も触れずに敵を跪かせる姿は、まさに地獄の魔王と呼ぶに相応しかった。


「ウッ……ググッ……グッ」


 しばらく何も出来ずに這いつくばっていたさやかだったが、やがて力を振り絞って、重力に抗うように少しずつ立ち上がる。


「ウッ……ウァァォォオオオオッ!!」


 そして二本の足でしっかりと大地に立つと、天を仰ぎながら野獣の如き咆哮を上げた。

 その時彼女の体から発せられたオーラがナノマシンを吹き飛ばしたのか、バエルに掛けられていた重力の術も解けていた。


「ウァァ……アァ……アァ……」


 だが術に打ち勝つために相当体力を消耗したのか、彼女は全身グッタリさせて、見るからに疲れ切っている。

 口からはゼェハァと辛そうに息を吐き、目は虚ろになり、全身からは滝のように汗が流れ出す。少しでも集中力を切らしたら、すぐその場に倒れてしまいそうな勢いだった。

 たとえ気力で奮い立たせても、せいぜい一撃放つのが限界のように見えた。


 そんな満身創痍な彼女を眺めながら、バエルは顎に右手を添えて、考え込むような仕草をしている。


「赤城さやか……エア・グレイブル。貴様は確かに強い。私がこれまで戦った中で、十本の指にも入るほどにな……だが、残念ながらその程度の実力では、この姿になった私の足元にも及ばない……」


 言葉にしながら、残念がるように溜息を漏らしていた。


「少し名残惜しいが、そろそろ終わりにするとしよう。貴様の事は一生忘れはしない……何十年かぶりに、楽しませてもらったよ。昔付き合った恋人のように、君との戦いを、良き思い出として振り返れる日が来るだろう……」


 その口調には、これまで激闘を繰り広げた相手との別れを惜しむ、未練のような感情を覗かせていた。

 あるいは他者への愛を失い、野心と戦いだけの猛者と化した彼にとって、戦いの中で飢えや渇きを満たしてくれる女性だけが、唯一にして真に恋人と呼ぶに値する存在だったのかもしれない。


「フゥゥ……」


 だがそんな彼の言葉に、さやかは全く興味を示さなかった。

 狂戦士と化した彼女の心は、格上の敵との戦いの中でかすかに理性を取り戻していたが、それでもこの身を犠牲にしてでも一矢報いんとする気持ちの方が勝っていた。


「ウゥゥオオオッッ!!」


 気合を入れる雄叫びと共に、右拳をグッと握り締めると、力が集まっていくかのように右腕全体が赤く光り出す。

 それは間違いなく、彼女が必殺の一撃を放つ前動作に他ならなかった。

 そして力が溜まり切ると、バエルに向かって一直線に駆け出した。


「バエル……私ノ拳ハ、サタンヲモ砕クッ!! 今度コソ、永遠ニ地獄ニ落チテ、己ガ罪ヲ悔イルガイイッ!! オメガ・ストライク……オーバーキルゥゥッッ!!」


 技名を大声で叫びながら、全力を込めた拳の一撃が放たれる。

 それは今の彼女が持ちうる全てを賭けた、正真正銘の最大にして最後の一撃だった。内心、この一撃で相手を仕留められるなら、いっそこの身が砕けてしまっても構わないという思いにすら駆られていた。


 捨て身の覚悟が込められた拳がバエルに触れかけた瞬間、ダイナマイトが爆発したような音が鳴り響き、周囲の砂塵が一気に舞い上がる。そして視界がにわかにさえぎられた。


 物音一つしない静寂が訪れて、ただ空しく時間だけが過ぎ去る。

 二人の姿は砂ぼこりに阻まれて見る事が出来ず、戦いがどうなったのかは分からない。

 そのまま、およそ一分が経過した頃……。


「今度こそ……勝ったのか?」


 これまで戦いを見守っていたミサキが、そんな期待の言葉を口にした。

 この期に及んでは、バエルを倒せる可能性があるのは狂戦士と化したさやかだけだ。彼女の最大の一撃がバエルを仕留めてくれた事に、ゆりかもミサキも最後の望みを託すしか無かった。


(神様……お願い)


 ゆりかは心の中でそんな言葉を口にしながら、必死に両手を組んで祈りを捧げた。

 二人がさやかの勝利を願っていた時、沈黙を破るかのように一陣の風が音を立てて吹き抜けた。

 それによって辺り一帯を覆っていた砂埃が吹き飛ばされて、遮られていた視界が徐々に開けてくる。

 やがて砂埃が完全に消えて無くなると、二つの人影が立っていた。


「ああっ!!」


 その姿を目にして、ゆりかが悲壮な声を上げる。それは最後の希望が打ち砕かれた瞬間に他ならなかった。



「クククッ……私の拳はサタンをも砕く、だと? ならば教えてやろう。中世の悪魔学において、魔王ベルゼブブは……大魔王サタンよりも強いッ!!」



 ……皮肉めいた言葉を口にしながらニヤァッと笑っていたバエルは、さやかの最大威力が込められた拳の一撃を、事もあろうに左手だけで止めていた。

 彼の大きな手は、少女の拳をガッシリとワシ掴みにしたまま微動だにしない。むろん攻撃が効いている様子は全く無かった。


「ウッ……ウァァアアアッ!?」


 拳を掴まれたまま、さやかが声に出して狼狽する。

 自身の全てを賭けた一撃が全く通用しないという、そのあまりにも残酷過ぎる現実を突き付けられて、胸の内にかすかにあった希望はガラスのようにもろく打ち砕かれ、黒くよどんだ絶望へと染め上げられてゆく。


「ウァァ……」


 彼女の心は錆びた剣のようにへし折れてしまい、戦いを挑んだ事への後悔と、死に対する恐怖が湧き上がり、今すぐこの場から逃げ出したい気持ちにすらなっていた。


 完全に弱気になって怯えた子犬のような目をしたさやかを、バエルが余裕の表情で見下す。もはや少女を生かすも殺すも、彼の意思一つという状況になってしまっていた。


「ようやく分かっただろう……これが貴様と私との、決して埋めがたい力量の差なのだよ。貴様が全身全霊を賭けた必殺の一撃は、残念ながら私にはかすり傷一つ付けられなかった……ウサギがライオンに戦いを挑むが如く、君は挑んではいけない相手に戦いを挑んでしまった……その結果が、これという訳だ」


 既に絶望したさやかの心に追い打ちを掛けるように、バエルがありのままの事実を淡々と語る。


「さて……ではこれより、必殺技でも何でもない、私のただのパンチ……その威力を、とくとお目にかけよう……ふんっ!」


 言い終えるや否や、バエルは左手でさやかの拳を掴んだまま、右の拳で腹を思いっきり殴り付けた。

 少女の腹に魔王の拳が深くめり込んで、ドグォッと鈍く重い音が鳴る。その一撃だけで明らかに骨と内蔵が潰れたような感触があり、体が内部から爆発して裂けたような痛みに襲われた。


「バッ……グギャァァアアアーーーーッッ!!」


 とても人間のものとは思えないような悲鳴を発しながら、さやかが豪快に吹き飛んでいく。

 口から真っ赤な血を噴水のように吐き散らし、白目を剥いて、高速で錐揉きりもみ回転しながらボロ雑巾のようにねじ切れそうになっていた。

 そして地面に全身を強く叩き付けられたまま、車に轢かれた猫のように動かなくなった。


 ……その必殺技でも何でもないただのパンチは、さやかが放った最大威力の一撃の、何倍……いや何十倍もの威力があるように見えた。


「さやかぁっ!」


 その光景を目にしたゆりかとミサキが、慌てて駆け寄る。

 さやかは仰向けに横たわったまま口をあんぐりと開けており、瞳孔は完全に開ききっている。体がピクピクするたびに口からは血がゴボッゴボッと溢れ出し、辺り一帯はまさに血の海と化していた。

 だが友が瀕死になっている状況で、バイド粒子を使い果たした今のゆりかには、応急処置すらままならなかった。


「さやかぁ……ごめん……ごめんね……」

「さやか、死ぬなっ! お前が死んだら、私たちは……世界はどうなるッ!」


 何の処置も施せないまま、二人はさやかの手をしっかりと握って、ただ声を掛け続ける事しか出来なかった。

 ゆりかの目にはうっすらと涙が浮かび、ミサキの顔には焦りの色が浮かび出す。

 二人は友の命の灯が消えないように天に祈ったが、その祈りも届かず……。


「アァ……ァ……ガハァァッ!!」


 さやかは最後の一滴を絞り出したように血を吐き出すと、ガクッと横を向いて、そのままピクリとも動かなくなった。


「さや……か……?」


 糸が切れた人形のように動かなくなった友を見て、ゆりかの顔がにわかに青ざめる。胸の内に湧き上がった嫌な予感に、背筋が凍るような思いがした。

 ミサキは心臓の音を確かめようと、冷静にさやかの胸に耳を当てた。そして……。


「……何という事だ」


 とても暗い表情を浮かべて、苦悩をにじませた声でそう口にした。

 悲しみに打ちひしがれたようにガックリとうなだれる姿からは、あえて言葉にせずとも、さやかの心臓が止まっている事実を明確に悟らせた。


「そん……な……」


 残酷な現実を突き付けられて、ゆりかの顔がみるみるうちに絶望に染まってゆく。目からは大粒の涙が溢れ出し、足はガタガタと震えて、力なく地に膝をついた。


「フフフッ……」


 友を失った悲しみに暮れる二人の姿を見て、バエルはさも嬉しそうに両腕を広げて笑い出した。


「フハハハハハハァッ!! エア・グレイブ、赤城さやかは……死んだッ!! 宇宙の絶対的支配者たるバエルが、この手で殺してやったッ!! 見たか……これが神の怒りに触れた愚か者の、哀れな末路よッ!! もう二度と立ち上がる事はあるまい……奇跡でも起きぬ限りはなぁっ! あーーっはっはっはっはっはぁっ!!」


 ……世界を絶望の奈落に突き落とした魔王の、無慈悲な高笑いが響き渡った。

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