第50話 餓狼の一撃(中編-1)
バエルが手首をスナップすると、彼の正面にいたエルミナの体が横一閃に切り裂かれて、上と下半分ずつに分かれていく。
その時彼の手首からナイフのような光る物体が高速で射出されるのを目で捉える事が出来たのは、ゆりかただ一人であった。
彼女が光る物体が飛んでいった方角に目をやると、ビルの外壁に刀身が反り返ったサーベルのような剣が一本突き刺さっている。
(あれを手首から発射して、エルミナの体を貫いたというの……?)
……そうしてゆりかが相手の技を冷静に分析している間、さやかは二つに分たれた娘の姿をただぼう然と眺めていた。
「ルミ……ナ……?」
何が起こったのか状況が理解できず、思考の整理が付かないまま顔を青ざめさせて、金魚のように口をパクパクさせている。
だがやがて娘の体が両断されたという残酷なる現実を知って、胸の内から絶望と悲しみの感情が一気に湧き上がる。
「いっ……いやぁぁああああああーーーーーーっ!! ルミナぁぁああああああーーーーーーっ!!」
溢れる感情そのままに悲痛な叫び声を上げると、地面に転がっていた娘の上半身へと慌てて駆け寄り、すぐに両腕で抱き起こした。
「ルミナっ! 大丈夫っ!? ルミナ……ルミナっ!」
心配そうに涙目になりながら、必死に声を掛ける。娘を気遣うあまり不安でいっぱいになり、胸が張り裂けそうな気持ちになる。
上半身だけになったエルミナは切断面からピーッピーッと警告音のような音を発しながら虚ろな目をしていたが、声を掛けられて微かに意識を取り戻す。
「ママ、ごめん……私、もっと……ママの役に……立ちたか……った……」
言い終えると、力尽きたようにグッタリとうなだれる。ピーピー鳴っていた警告音もそこで止まった。
そして全く微動だにしなくなる。まるで死んでしまったかのように……。
「やだよ……ルミナ……行かないで……もう私を置いてかないって、約束したのに……うっ……うわぁぁあああああんっ……」
動かなくなった娘の体を抱き締めながら、さやかはわんわんと声を上げて泣き出した。瞳からは大粒の涙がボロボロと溢れ出し、娘の死を悲しむ気持ちで胸がいっぱいになる。抱き締める腕には自然にぎゅっと力が入り出す。
深い挫折と敗北感が湧き上がり、彼女の心を徹底的に打ちのめした。
そんなさやかを眺めながら、バエルは小馬鹿にするように鼻で笑っていた。
「フンッ……笑わせる。役立たずで出来損ないのゴミクズが、無様に一人死んだだけじゃないか。何を悲しむ事があろうか? どうせ貴様らも、すぐに後を追う事になるのだ……お前たちを全員あの世で引き会わせてやる私の慈悲に、感謝するのだな……フフフッ……ファッハハハハハッ!!」
あえて挑発的な言葉を浴びせながら、楽しそうに声に出して高笑いする。
さやかの心に絶望を突き付けた事で、バエルは大いに機嫌を良くしていた。
無垢なる少女の心が深い絶望と悲しみに染まってゆく姿は、肉体的に痛め付けて苦しむ姿を見る事以上に、至福の喜びを魔王にもたらしたのだ。
いっそこのままパーティでも開きたい気分にすらなっていた。
「さやか……あのね」
ゆりかが落ち着いて声を掛けようとする。
彼女には分かっていた。エルミナがまだ完全には死んでいない事を。
一時的に機能を停止はさせたものの、人格や記憶を司るメモリチップが破壊された訳ではない。
代替ボディを用意すればまた言葉を交わせるようになるであろう事は、ゆりかには容易に想像が付いた。
だがその事実を言葉で伝えて安心させようとした時には、もう手遅れだった。
「……ッ!!」
バエルの言葉が引き金になったのか、さやかの中で何かがブチィッと音を立てて切れた。
「ウッ……グッ……ウゥゥゥァァァアアアアアアアーーーーーーーッッ!!」
突如喉が裂けんばかりの声で叫ぶと、彼女の全身から赤い炎のような光が溢れ出す。それはミサキやゆりかはもちろん、バエルですら直視出来ないほどの眩さだった。
「何だっ!? さやかの身に、一体何が……」
突然の出来事に驚くあまり、ミサキが声に出して困惑する。始めて目にした光景に、何が起こったのか全く理解出来なかった。
だがそうして驚くミサキとは対照的に、ゆりかは落ち着いた態度で見守っていた。
彼女にとってその光景を目にするのは、今回が始めてではないからだ。
「覚醒ッ! アームド・ギア、ウェイクアップ!!」
掛け声と共に、さやかの全身を覆っていた赤い光が収束していく。
そして光が完全に消えてなくなると、彼女が身にまとっていた装甲は、見るからにゴツゴツして刃のように鋭く尖った、悪魔的な外見へと変貌していた。
「二段階変身……エア・グレイブルッ!!」
変身を終えて、即座に名乗りを上げるさやか……その目は真っ赤に血走り、眉毛は虎のように逆立っている。口からは飢えた獣のような唸り声を上げて、鬼の形相を浮かべている。肌は真っ赤に火照って、沸騰したように熱くなっている。
娘の死に激昂するあまり、またしても彼女は身も心も怒りと憎しみに染まった悪鬼と化してしまった。
「さやか……」
三度目の強化変身を遂げた親友を、ゆりかは複雑な心境で見守る。
深い絶望と悲しみに囚われた時のみ発揮される力を、無条件には喜べなかった。
この姿になるたび親友の心はえぐられ、傷付いているのだから……。
友達が深く傷付いて泣いている姿を見て、如何にして喜ぶ事が出来ようか。
だがそれでも今は、この力に頼るより他に道は無いという思いがあった。
今目の前にいるバエルという絶対的脅威に打ち勝つには、理性を失って暴走した親友に一縷の望みを託すしか無かった。
「フッ……」
悪鬼と化したさやかの姿を目にして、バエルは口元に微かな笑みを浮かべた。
「フフフッ……フハハハハハハッ!! それだっ! その姿だっ! その姿になった貴様と、一度戦ってみたかったのだ! これまで散々煽って、わざと怒らせた甲斐があったというものッ! さあ、赤城さやかッ! お前の本気の力、この私に見せ……」
言い終わらぬ内に、さやかはバエルの顔面を全力で殴り付けていた。
ドグォッと鈍い音が鳴り響き、拳から伝わる衝撃でバッタ男の顔が不気味に歪み出す。
「ミッ……ドグルゥゥァァアアアアアーーーーーッッ!!」
言葉の途中で顔面を殴り付けられて、バエルが奇声を発しながら豪快に吹っ飛ぶ。そしてゴムボールのように派手にバウンドして、何度も地面に全身を強く叩き付けられた。
それは並みのメタルノイドなら即、戦闘不能に陥るほどの、凄まじい破壊力の一撃だった。
バエルを殴り付けた拳をグッと握り締めながら、さやかは死刑宣告するように言葉を発した。
「バエル……オ前ハ今日、ココデ死ヌ……私ガ、オ前ヲ必ズ殺スッ!! 己ガ罪ヲ永遠ニ後悔シテ、絶望シナガラ地獄ニ旅立ツガイイ……」
……それは正義のヒーローが口にする言葉とは、到底思えなかった。




