第47話 ブラック・ナノマシン(前編)
ついに戦闘形態へと『変身』を遂げたバエル……それは背丈2.5mで、バッタが人型になったような怪人であった。
その虫と人間を混ぜ合わせた異様な姿は、彼自らが名乗った『バエル・ゼブブ』という悪魔的な響きを、この上なく体現しているように思えた。
「遺書はしたためたか? 愛しき人と、別れのキスは済ませたか? くれぐれもやり残した事の無いようにな……。人生とは、諦めと後悔の石を積み重ねて墓を築くようなもの……お前たちは死の運命からは、決して逃れられない。さぁ嘆き、悲しみ、絶望し……そして、ついに死ぬがよいっ!!」
気取った台詞を吐きながら、バエルが天を仰ぐように両腕を広げたポーズで死を宣告する。まるで自分が裁きを下す存在、神になったとでも言いたげだ。
「バエルが……変身……した!?」
目の前の敵がバッタ怪人へと姿を変えた一連の流れを見て、さやか達は驚きを隠せない。
見るからに不気味なバッタ男に変化した事もそうだが、何よりも戦闘形態に変身した動作そのものに驚いていた。
「クククッ……そう驚く事もあるまい。私がこの姿に変身する技術を、ゼル博士が無断で持ち出して、独自に改良を加えたもの……それが、お前たちが装甲少女に変身する技術の正体なのだからな。そう、あえて言うならば私は装甲少女の試作型にして、お前たちの大先輩に当たるのだよ。君たち、少しは私を尊敬する気になったかね? ファッハハハッ!!」
衝撃の事実を明かしながら、バエルが不敵に笑う。大師匠たる自分に敬意を払えと言わんばかりの、相手を馬鹿にして見下した傲慢な態度だ。
むろん装甲少女とバエルの変身技術が根底で繋がっていたとしても、さやかには尊敬する気は微塵も無かった。
「誰がアンタなんて……アンタなんか、先輩でも何でもないっ! 今すぐボッコボコのギッタギタにブチのめして、舐めた口が利けないように後悔させて土下座させてやるんだからっ!!」
怒りに満ちた口調で言うと、さやかはその勢いのままバエルに猛然と殴りかかった。
「でぇええやぁぁあああああっっ!!」
気迫の篭った剛拳が、雄叫びと共に放たれる。
ビュンッと風を切る音を鳴らして突き進んだその拳が、敵の体に触れようとした時……。
「っ!?」
何者かが、彼女の拳を素手で掴んで押し止めた。
さやかの前に突如現れたそれは、バエルと同じ背丈で全身黒一色に染まった、筋骨隆々とした体格の全裸の男だった。
髪の毛が生えていないその姿は、一見マネキンを黒塗りしたようにも見える。
あえて雑な表現をするなら、『黒いハゲのマッチョなおっさん』と言った所か。
「なっ……」
あまりに予想外すぎる乱入者の出現に驚いている間に、さやかは拳を掴まれた体勢のまま軽々と片手で持ち上げられて、力任せに空中へと放り投げられてしまう。
「うぁぁああああっ!!」
悲鳴を上げて急速に落下する少女……その体が地面に叩き付けられそうになった時、すかさず着地点に駆け付けたゆりかとミサキが両腕でキャッチした。
「さやかっ!」
「大丈夫かっ!?」
二人がほぼ同時に声を掛ける。
彼女たちの腕に抱えられたまま声を掛けられて、さやかは少し気恥ずかしそうに苦笑いする。
「大丈夫……二人とも、ありがとう」
助けられた事への感謝を口にすると、ゆっくり地面に降り立った。負傷している様子は無い。
「それにしても……一体何なんだ、アイツはっ!?」
ミサキが慌てて振り返りながら叫ぶ。バエルを守るように突如さやかの前に立ちはだかった黒い男の存在に、困惑せずにはいられなかった。
強さに絶対の自信を持つバエルが、戦いに部下を連れてくるなどとは考えも及ばなかった。
男の正体についてあれこれ思考を張り巡らすものの、納得のいく答えは見つからない。
バエルのいる方角にさやか達三人が目を向けると、男は主君に忠誠を誓うように跪いて、頭を垂れていた。
その男の頭を遊ぶように撫で回しながら、バエルが口を開く。
「ブラック・ナノマシン……私の周囲には、私の脳波を感知して動く何十億個ものナノマシンが常に飛び交っているのだよ。普段は目に見えないが、一箇所に集まって形を成せば目に見えるようになる。この男は、私の意思によってナノマシンが人の形を成したものだ」
黒い男の正体について得意げに語る。
バエルの思考を読み取って、どんな形にも変化するナノマシンの集合体……それが男の正体だった。それは彼の武器であり、彼の能力そのものなのだ。
「そんな子供だましで……私たちが殺せるものかぁっ!」
ミサキが腹立たしげに口にしながら、刀を手にして男に斬りかかる。
男はその巨躯からは想像も付かないほど俊敏な動きで、彼女の斬撃を軽快にかわす。まるでオリンピックの体操選手のような動きだ。
「くっ……ならば、これでも食らえええーーーっっ!!」
それまで男と戦っていたミサキだったが、突如標的を切り替えたかのようにバエルに向かって勢いよく刀を投げ付けた。男が主人から離れている、その隙を突いたつもりだった。
高速で横回転するブーメランと化した刀が、バエルに向かって飛んでいった時、男が物凄い速さで地面を駆け出した。
男は走りながら人の形を捨てて黒い霧となって散っていくと、すぐさまバエルの前に結集し、一枚の黒いカーテンへと姿を変える。
主君を守る盾と化したカーテンに激突し、その衝撃で刀が弾き飛ばされる。
「チィィッ!!」
咄嗟の策を見破られて、ミサキが腹立たしげに舌を鳴らした。
空飛ぶ刀はさまざまな角度からバエルに襲いかかるものの、そのたびに黒のカーテンが巧みにガードして主君の身を守る。
やがて遠隔操作する刀で斬る事を諦めたのか、刀はミサキの手元へと戻っていった。
「ならば、断空牙で……っ!!」
ミサキがそう口にしながら、刀を天に向かって掲げる。
貫通力に優れた断空牙ならば、ナノマシンの障壁を突破できるという判断からだった。
「クククッ……させんよ」
バエルが不敵な笑みを浮かべながら、右手の人差し指で何か空に文字を描くような仕草をすると、ナノマシンはバエルの指先へと寄り集まって、黒い小さな球体へと姿を変えていく。
直後、彼の指先から黒いレーザーのような物体が高速で放たれて、刀を振り下ろそうとしていたミサキの左足の膝小僧を一瞬にして撃ち抜いた。
「ぐぁぁああああっっ!!」
膝を貫かれた痛みに、ミサキが思わず手に握っていた刀を手放し、苦しそうに膝を抱えたまま悲鳴を上げてのたうち回る。
ビリビリと焼け付くような痛みが膝全体に広がり、傷口から真っ赤な血がとめどなく溢れ出す。激しい痛みのあまり、頭がおかしくなって気を失いそうになる。
「ミサキぃっ!」
痛がるミサキに、ゆりかが心配になって慌てて駆け寄る。
傷口に手を当てて青い光を放つと、血が止まり傷口は急速に塞がっていく。
「ゆりか……すまない」
ミサキは辛そうにハァハァと息を吐いて顔を赤くしながら、上目遣いで感謝の言葉を口にする。
痛みが引いて気持ちが落ち着くと、すぐに傷を癒してくれた仲間に対して恩義を感じずにはいられなかった。もし自分が男なら、彼女に惚れていたかもしれないほどだ。
そんなミサキに、ゆりかは仲間を助けるなど当然とばかりに、いたわるように天使の微笑みを向ける。
「見たか……これぞナノマシン・デスビームッ!! ナノマシンを飛び道具として物理的に射出しているから、エア・グレイブの右腕で吸収する事も出来んっ! それでいて、厚さ2mの鉄塊を容易に貫けるほど貫通性能に優れているっ! お前たちにこの技を防ぐ手段は無い……絶対にっ!!」
二人を余裕の表情で見下ろしながら、バエルが得意げに語り出す。よほど技の性能に自信を持っているような口ぶりだ。
ビームとなって放たれたナノマシンは一度霧になって散らばった後、バエルの元へと結集し、再び男の姿へと戻っていく。そして相手を挑発するように上半身の筋肉を強調したマッチョポーズを取っていた。
「クッ……」
小馬鹿にするような敵の態度に、ゆりかが悔しげに下唇を噛んだ。
これまで敵の能力を見極めるために目立った動きをしなかったが、彼の圧倒的な強さを目の当たりにして、並みの小細工では歯が立たないという焦りの感情が湧き上がる。
大きすぎる力の差の前では、策を弄したとしても付け焼刃にしかならないという思いに駆られた。
「だったら……正面から、全力でぶつかっていくっ!」
決意を固めたように口にすると、右腕のスイッチに迷わず手を伸ばした。
「エア・ナイト……ブーストモードッ!!」




