第44話 エルミナ(前編)
……バエルとの戦いで気を失って倒れた後、さやかは急いで病院へと運ばれて、病室のベッドに寝かされていた。戦いで受けた傷を癒そうとするかのように、そのまま数時間眠り続けている。
「ううっ……ううっ……」
その深い眠りの中で、さやかは悪い夢を見て酷くうなされていた。
彼女の見た悪夢……それは無限に広がる暗闇のような空間で、鉄仮面を被りローブを羽織った怪しげな男が、さやか達三人を一方的に痛め付けているものだった。
むろんその男は他ならぬバロウズ総統バエルだ。
「クククッ……」
バエルは仮面の奥から怪しく瞳を光らせながら、冷笑するように静かに声を発する。かよわい三人の少女をじわじわとなぶり殺しにする行為を、完全に娯楽として楽しんでいた。
……猫がネズミを散々オモチャのように弄んで殺すのと同じように。
そんなバエルに髪を引っつかまれて持ち上げられて、さやか達は何の抵抗も出来ないまま何度も腹を殴り付けられる。
少女のお腹に鋼鉄の拳が叩き付けられるたびに、ゲェッと踏まれたカエルのような声が漏れ出し、ゴボッゴボッと口から溢れ出るように血が吐き出される。床には真っ赤な血だまりが出来上がる。
そしてバエルが手を離して少女の体が血だまりの床に倒れ込むと、今度は追い打ちを掛けるようにその顔を足で何度も踏み付けた。
「ぐぁぁあああっ……!!」
少女たちの痛ましい叫び声が響き渡る……。
十人が見たら十人が眉をしかめずにはいられないような、何とも凄惨な光景だった。楽しんでいるのはバエルただ一人だけだ。
「ううっ……バエル……」
宿敵バエルに一方的に痛め付けられる悪夢を見せられて、さやかは苦しそうに声に出してうなされていた。体中汗まみれになってシャツはじっとりと濡れて、息遣いは荒くなり、顔は高熱を出したかのように真っ赤になる。
このまま悪夢を見続けたら、夢を見ただけで死んでしまいそうな勢いだった。
「バッ……バァァアアェェエエルゥゥウウウーーーーーーッッ!!」
忌むべき宿敵の名を大声で叫びながら、さやかは物凄い勢いでベッドから飛び起きた。その声は病院中に届かんばかりの大きさで響き渡り、振動で建物が微かに揺れる。病院の外にいた野良猫は、一瞬ビクッと驚いてから慌てて逃げ出す。
「あっ……」
さやかが目を覚ますと、病室の天井や壁が視界に入り込む。これまで何度か病院に運ばれた彼女にとっては、もはや見慣れた風景だった。
そしてさっきまで自分が見ていた光景が夢だった事に気付いて、ホッと一安心して胸を撫で下ろす。現実の出来事でなくて良かったという思いが、胸の内に広がる。
気持ちが落ち着いた彼女が部屋の中を見渡すと、壁に打ち付けられた時計の針は午後3時を差している。バエルが指定した時間まで一時間猶予があった。
「さやかっ! 大丈夫かっ!」
そう口にしながら病室のドアを開けて入ってきたのは、ミサキとゆりか、そして……自らエルミナと名乗った、あのロボットらしき少女だった。三人とも戦いで受けた傷が残っているようには見えない。
エルミナはさやか達と同じ学生服を着ており、戦闘形態と思しき装甲は身にまとっていない。
「良かった……二人とも無事で」
ゆりかとミサキが五体満足な姿を見て、さやかの口から安堵の言葉が漏れ出す。
そんなさやかの態度に、ミサキが声を荒げて怒り出す。
「良かっただとっ!? それはこっちのセリフだっ! 私たち三人の中では、お前が一番深手を負っていたんだぞっ! 私なんかの為に命を落としたら、私は……私はぁっ!! うっうっ……」
そこまで口にすると、感極まって泣き出す。瞳からは大粒の涙が溢れ出し、うつむかせたまま顔を真っ赤に紅潮させ、小刻みに体を震わせている。必死に押し殺そうとしても、口からは嗚咽が漏れ出す。
さやかの身を心の底から案じている事が、その姿からは痛いほど伝わってきた。
「ミサキちゃん、ごめん……」
そんなミサキの姿を見せられて、さやかは申し訳無さそうに肩を縮こませていた。まるで親に叱られた子供のようにしゅんとなっている。
ゆりかは今に始まった事ではないと言いたげに、無言のまま腕組みしながら、二人の様子を眺めていた。
「それで……あの……」
さやかが伏し目がちになりながら、二人と一緒に病室に入ってきたエルミナという少女に話しかけようとした、その時だった。
「ママぁーーーーーーーっっ!!」
エルミナは大声でそう叫ぶと、ベッドに腰掛けていたさやかの胸にいきなり飛び込んできたのだ。
その細腕からは想像も出来ないほどがっしりした力でさやかの体を強く抱きしめて、その胸に甘えるように顔をうずめてスリスリしている。その表情には満面の笑みを浮かべており、とても幸せそうだ。
さやかもミサキも、突然起こった出来事に困惑せずにはいられなかった。
エルミナは顔立ちも体付きもさやかより少しだけ幼いが、それでもさやか達とほぼ同年代に見えたのだ。そんな彼女が唐突にさやかを母親呼ばわりして抱きついた状況に、全く理解が追い付かなかった。
「あっ……赤城さやかぁっ! 貴様、まだ性交もしていない生娘だと思っていたのに、しっかりとやる事やってて、こんなでかい娘まで産んでいたとは……見損なったぞぉっ! お前がそんなふしだらな女だったとは、おも……おも……ちょっとだけ、思ってたぞぉおおおっっ!!」
ミサキは気が動転するあまり声を上擦らせながら、さやかが十五歳という若さで一児の母となった事を強く責めていた。傍から見ればジョークにしか聞こえない言葉も、彼女自身は至って真剣に喋っていた。
彼女はさやかがエルミナを出産したと、本気で思い込んでいたのだ。
「ミサキちゃん、ひどいっ!」
ミサキにふしだらな女呼ばわりされて、さやかが顔を真っ赤にして怒り出す。
周囲からどう思われようと、彼女は自分ではエロゴリラではないと思い込んでいた。自分がエロゴリラであるという、その極めて客観的にして的確なる事実を、頑なに受け入れようとはしなかったのだ。
「いっ、一体父親は……誰なんだぁっ! ゼル博士か、助手か、ゆりかか……それとも、この私かぁっ!!」
ミサキも負けじとムキになって声を荒げる。もはや自身の言動がおかしい事にも気付けないほど、冷静さを失って慌てている様子だった。
さやかとミサキは互いに顔を真っ赤にして言い合いを始め、そんな二人を一切気にせずエルミナはただ満足げにさやかにしがみつく。
そんなカオスな状況に水を差すように、少し離れた場所で見ていたゆりかが、冷めた目をしながら言葉を発した。
「……で、結局その子は一体何なの?」
彼女の言葉を聞いて、さやかもミサキもハッと我に返る。冷静に考えれば、十五歳の少女が十五歳の娘を産む事など、物理的に出来る訳が無かった。
けれども、エルミナという少女が何者なのか、いくら思考を働かせても納得の行く答えは見つからなかった。
「その疑問には、私自らお答えしよう」
そう口にしながら、二人の男が病室に入ってくる。片方はさやか達が見慣れた白衣姿の男、ゼル博士だ。
もう片方は紺色の背広を着てどっしりした体格をしており、頭は七三分けの黒髪、鼻の下には大きめの髭を生やしている。太ってはいるものの、覇気に満ちた精悍な顔付きをしている。筋肉と贅肉が入り混じったようなその巨漢ぶりは、戦国武将か、もしくは元柔道部か何かであったように思える。
その言葉を発したのは、背広を着た巨漢の男の方であった。
「貴方は……国防長官、雷同平八っ!!」




