第39話 魔王バエル
それはブリッツを倒した日の翌朝の事だった。
さやか達三人は研究所の一室で朝食を摂りながら、テレビをつけてニュース番組を見ていた。朝食のメニューは薄切りのハムとレタスをパンに挟んだサンドイッチ、ブイヨンのスープ、そして鶏肉の唐揚げだ。さやかはご飯とみそ汁が食べたかったと、時折不満を口にしている。
時計の針が7時55分を指した時、テレビではその日の天気予報を流す所だった。
「今日の西日本の天気をお知らせします。京都は曇りのちは……ザザ……」
女子アナが語っている最中、急に雑音が混ざりだして画面が砂嵐に変わる。
「あれ? 急にテレビが映らなくなるなんて……どうしたんだろう」
「地デジの受信レベルが低下したのか?」
さやか達は首を傾げながら、テレビが突然映らなくなった事を訝る。
だがしばらく経つと、やがて再びテレビが映るようになった。
「やぁ諸君……今日の天気は絶望のち血の雨だ。浴びたくなければ傘と、涙を拭くためのハンカチを持っていくがよかろう」
その時画面に映ったのは女子アナではなく、玉座に座って鉄仮面を被った怪しげな男だった。一瞬お笑い番組のコントでも始まったのかと思うような、何とも滑稽な映像だった。
だが玉座に座っていたのはお笑い芸人でも無ければ、ましてや有名な映画俳優などでもない。
「バエルっ!?」
仮面の男を見て、ミサキが大声で叫んだ。あまりに意表を突かれた出来事だったのか、その表情のまま固まっている。
「えっ、この男がバエルっ!?」
彼女の言葉を聞いて、さやかとゆりかは画面に映っている怪しげな男が、バロウズの総統バエルだと知る。まさか敵の総大将がテレビでお茶の間デビューするなどとは、想像もしていなかった。
突然の出来事にさやか達が凍り付いている間にも、バエルが語りだす。
「塵芥の如き下等な人類種よ……神に等しき我が言葉を聞くがよい。我が名はバエル……異星攻撃隊バロウズの最高指導者にして、最強のメタルノイド也。その我が、お前達人類の最後の希望たるエア・グレイブら三人の小娘を、本日を以て処刑する事が決まった。エア・グレイブとその仲間達よ……今から一時間後、午前9時に○○広場に来るがよい。そこをお前達の処刑の場とする……」
自分に酔うかのように玉座からゆっくり立ち上がりながら、さらに言葉を続ける。
「お前達は死の運命からは、決して逃れられない。運命に怯え、嘆き悲しみ、そして絶望するがよい。我は万物の支配者、宇宙の王たる存在……我を崇めよ、我を讃えよ。宇宙に住まう全ての命の生き死にを決める権利は我のみにあり。この先我に忠誠を誓いし者のみが生きる事を許され、それ以外の者は皆等しく死を迎える時が訪れようぞ……ファッハハハッ!!」
そこまで語り終えると、画面は再び砂嵐になって映らなくなる。
彼の言葉を一通り聞いて、さやかはとても腹立たしげな表情を浮かべていた。
「バエル……話が長い上に難しくて、一回聞いただけじゃ何言ってんのかよく分かんなかったけど、とりあえず悪そうなヤツだったわ。ゆりちゃん後で解説お願い。バロウズの総統バエル……絶対に許さないっ! だいたい、絶望のち血の雨ってなによ! タチの悪い冗談だわ! お笑い芸人の漫才の方が、まだ笑えるんだからっ!」
そう言って鼻息を荒くして息巻いている。
そんなさやかの態度とは対照的に、ミサキは自信無さげに暗い顔をしていた。まるで風邪でも引いたかのように、真っ青になって全身を小刻みに震わせている。
「……ミサキちゃん?」
ただならぬ様子のミサキを見て、さやかが心配になって声を掛ける。
「総統は……いやバエルは……最強にして、最悪のメタルノイドだ。これまで戦ってきたどのメタルノイドよりも、そしてこの先戦うかもしれないどのメタルノイドよりも、間違いなくバエルが一番強い。もし彼が本気を出せば、私達三人は今の十倍の強さになったとしても、かすり傷一つ付けられずに、一方的になぶり殺しにされるだろう……」
彼女はそう口にして、死の恐怖に怯えるように震えていた。その言葉が決して誇張の入り混じった物でない事は、彼女の様子からも嫌というほど伝わってきた。
それでもさやかは、少しも臆する事なく強気な笑みを浮かべる。
「大丈夫……ミサキちゃん、私たちは絶対に負けたりなんかしないよっ! 諦めなければ、可能性はゼロにはならない……でしょっ!」
ミサキを勇気付けようと、明るい言葉を掛ける。
「ああ、そうだな……我々三人なら、きっとやれる。ありがとう……さやか」
少し気持ちが落ち着いたのか、ミサキが感謝の言葉を述べる。表情は穏やかになり、口元には笑みを浮かべている。体の震えはすっかり収まっていた。
「そうよミサキ、きっと大丈夫だわ。私たち、今までどんな困難を迎えても、必ず乗り越えてきたんだもの」
ゆりかもまた落ち着いた口調でミサキを安心させようとする。
むろん彼女自身の中にも、全く不安が無かった訳ではない。
常に最悪の事態を想定してそれに備える性格だからこそ、バエルを恐れずにはいられなかった。
それでも彼女の中には、ある一つの奇跡を信じたい気持ちがあった。
(もし……もし万が一、私たちが敵わなかったとしても……さやかなら……さやかがエア・グレイブルになりさえすれば……相手がバエルだろうと、負けはしない……)
……ゆりかがそんな事を考えていると、ゼル博士が慌てて部屋に駆け込んでくる。
体は震え、額には汗を浮かべ、必死に息を切らしている。その挙動からは明らかに動揺している様子が伺えた。
「君たちっ! さっきの放送は見たかっ!?」
入りざまに博士がそんな事を叫ぶと、さやか達はコクンと頷いた。
「そうか……もっとも来て欲しくない日が、ついに来てしまった。私に出来る事は決して多くはないが……せめて君たちにこれを渡しておきたい」
博士はそう言うと、三人に白い玉のような物を手渡す。それはブリッツとの戦いの時にゆりかが使用した、逃走用の閃光弾だった。
「もし勝ち目がないと判断したら、迷わず逃げろっ! むろんバエルは激怒するだろうが……君たちにここで死なれるよりは百倍マシだ。良いか……絶対に無理はするんじゃないぞっ! 必ず生きて帰ってくれっ! 君たち三人の命は、世界の希望そのものなんだ……っ!!」
博士が深刻な表情を浮かべながら語る。その言葉からは、何としても彼女たちに生き延びて欲しいという切実な思いが伝わってくる。
「分かってます、博士……私たち三人、必ず無事に生きて帰りますっ! こんな所で命を落としたりなんて、絶対にしません! 必ず戻ると約束しますっ! それじゃ……行ってきます!」
さやかは決意を込めた口調で言い切ると、力強く立ち上がった。
彼女の後に続くように、ゆりかとミサキもすぐに立ち上がる。
そしてバエルの元に向かうべく三人は歩き出した。
前へと一歩踏み出すその足には、死地に赴く事への迷いは微塵も感じられなかった。
勇ましく部屋から出ていく少女達の背中を、博士は心配そうな表情で見送る事しか出来なかった。
「必ず……必ず生きて戻ってくれっ!」
……神にも祈るような気持ちで、無意識のうちにそう口にしていた。
◇ ◇ ◇
……バエルが処刑の場に指定した○○広場。
時計の針が9時を指した時、噴水のある広場にさやか達三人が変身済みのまま姿を現す。
既に避難が完了したのか、周囲に人の気配はない。
普段なら子供達が遊んで活気付いている筈の噴水周辺は、ひっそりと不気味に静まり返っていた。
「……待ちかねたぞ」
さやか達の到着を待っていたかのように、一人の男が歩いてくる。
西洋の騎士の鉄仮面を被り、ローブで全身を覆い隠した怪しげな服装……。鋼鉄のブーツを履いているのか、歩くたびにガチャッガチャッと重い金属音が鳴る。
それは紛れもなく、テレビに映っていた男の姿だった。背丈は2mを少し越えた程度と、メタルノイドの首領であるにしては少々低く見えた。まだ本気の姿を見せていないのだろうか。
「……バエルっ!!」
仮面の男を一目見て、さやかが怒ったような声で叫ぶ。
十年前、彼女の両親を……家を……平穏な日常を……一夜にして全てを奪い去った、バロウズという名の悪魔の集団。その頂点に立つ諸悪の根源、全ての災厄の源……総統バエル。
その男を殺さない限り、彼女にとって真に復讐が果たされる事は決して無いのだ。
「父さんと母さんを殺した奴らの黒幕……本当の仇ッ!!」
さやかはそう口走りながら、ギリギリと歯軋りする。その目は真っ赤に血走り、拳を強く握り締めて、全身の血管が浮き出そうな勢いで憤っている。本当は今すぐ飛びかかって、敵の五体をバラバラに引き裂いて、跡形もなく粉々に打ち砕いてやりたい気持ちだった。
だが迂闊に飛び込めば危険だと承知している理性が、かろうじて彼女を踏み止まらせていた。
「クククッ……」
そんなさやかの怒りを煽るように、唐突にバエルが笑い出す。
「何がおかしいっ!」
さやかが声を荒らげて問い詰める。
だがバエルがそれに動じる気配は微塵も無い。
「話には聞いているぞ……赤城さやか。親の仇の、私が憎いか? 殺したいか? クククッ……笑わせる。お前たち人間の命など、我らにしてみれば虫ケラも同然。殺した所で、何の感情も湧きはしない。道端のアリの一匹や二匹踏み潰した程度で、そうまで必死に感情的になっているお前たちの姿が、私には滑稽でたまらんのだよ」
明らかにさやかを挑発した態度を取りながら、さらに言葉を続ける。
「これから、極上の苦痛と絶望を味あわせてやる……私を憎いと思う、その感情すら忘れてしまえる程にな……。そして私に逆らった事を後悔しながら命乞いするのだ。血の海でのたうち回り、恥辱と屈辱にまみれた死のダンスを踊りながら……ハハハハハァッ!!」
そこまで語ると、バエルは両手を広げて天を仰ぎながら高笑いした。その姿からは、あまたの人間を死に追いやった事への良心の呵責は微塵も感じられない。罪なき人間を破滅へと追い落とす事に至上の喜びすら感じる、魔王の振る舞いだった。
「……この悪党が」
さやかが吐き捨てるように口にした。バエルの言動に更なる怒りを覚えつつも、一方では何としてもここで彼を倒さなければならないという使命感が湧き上がる。その人々のためを思った使命感が、かえって彼女に冷静さを取り戻させた。
「総統バエル……アンタがどれだけ強かろうと、私たちはアンタになんか絶対負けないっ! 今日がアンタの命日よ! どっからでも掛かってきなさいっ!」
強気な口調で言い放つと、あえて相手を挑発するように拳を握り締めて、ボクシングのファイティングポーズを取る。
そんなさやかの態度を目にして、バエルは呆れたようにため息をついた。
「フゥーーーッ、やれやれ……これだから理解の足らない愚民は。調子に乗るでないぞ、この大馬鹿者が。薄汚いハエを叩き潰すのに、私が自らの手を汚すと本気で思っていたのか? 貴様ら三人を処刑するのは、私ではない……こいつらだッ!」
バエルがそう叫びながら合図を送るように右手を高く掲げると、彼の背後からローブを羽織った謎の集団が歩いてくる。
「何……っ!?」
突然現れた顔の見えない集団を目にして、ゆりかが警戒心をあらわにする。
一瞬、怪しげな宗教団体の信者が現れたのかと見紛うような異様な光景だった。
彼らはザッザッと足音を立てながら、まるでよく訓練された軍隊のように一糸乱れる事なくバエルに向かって行進していく。
やがてその一団は、バエルから一歩引いた地点に横一列に並び立つ。
「紹介しよう。彼ら……いや彼女達こそ、我が忠実なる親衛隊……今から君達三人を処刑する、バエル十三騎士だッ!」
バエルがそう言って右手で合図を送ると、指令に従うように謎の集団が一斉にローブを脱ぎ捨てた。
「ああっ!!」
その姿を目にして、さやか達三人は一様に驚きの声を上げた。
それもそのはず……彼らは皆、ギル・セイバーに変身したミサキと全く同じ外見をしていたからだ。当然その手にはムラマサによく似た黒い刀も握られており、左胸にはそれぞれ1から13まで番号が刻まれている。
「ミサキちゃんが……十三人!?」
「これは私の……クローンなのかっ!?」
目の前にミサキと同じ顔をした十三人の少女が現れた事に、さやかもミサキも動揺を隠しきれない。
自分のクローンが作られたのではないかと疑念を抱いたミサキは、体の芯から凍り付くような悪寒を覚えた。恐怖と絶望のあまり、体の震えが止まらなくなる。
現れた少女たちがもし本当にクローンならば、彼女はとても正気ではいられなかっただろう。
ゆりかは何か機械が付いたメガネのような装置を取り出すと、顔に掛けて十三人を冷静に観察する。それはゼル博士の発明品と思しき物だった。
「違うわ……彼女達はクローンなんかじゃないっ! 見た目はミサキに似せて作ってあるけど……外側を人工皮膚で覆ってあるだけで、中身は完全に機械よっ!」
装置による解析を行ったのか、さやかとミサキに向かって大声で叫ぶ。
「フフフッ……その通りだ。彼女達はクローンではない。最初はクローンにする予定だったが……ミサキが裏切ったのを見て、考えが変わった。やはり生身の人間は信用できん。彼女達は機械……それも私の命令に従って行動するだけの、自我を持たない完全ロボットだ。だが彼女達にはギル・セイバーの戦闘データをインプットしてある……戦闘力は以前のミサキの七割程度と思ってもらっていい。あえて名前を付けるとすれば、ターミネーターと言った所か……ファッハハハッ!!」
バエルはロボット兵について語りながら、愉快そうに高笑いした。完全にこの状況を、娯楽として楽しんでいる。三人を処刑しに来たと口で言いながら、ただ暇潰しにちょっかいを出しに来ただけのようにすら見えた。
「バエル……貴様ぁっ!!」
バエルの言動に、ミサキが怒りをあらわにする。自分を弄ばれたような屈辱を味わい、はらわたが煮えくり返る思いがした。
そんな彼女を侮辱するように笑っていたバエルだが、やがて笑い飽きたのか、急に落ち着きを取り戻す。その直後、思い立ったようにロボット兵の方に向き直った。
「我が忠実なる親衛隊……バエル十三騎士よ。総統の名において命ずる。我に逆らいし三人の小娘共を八つ裂きにせよ……奴らをズタズタに切り裂いて、はらわたを引きずり出して、我に供物として捧げるのだ。奴らを血の海に沈めて、この世の生き地獄を味あわせてやるがよいッ!!」
バエルが大声で叫んで命じると、ロボット兵達は彼に向かって一斉に敬礼した。
『了解、閣下ッ!!』




