第34話 前兆/隠れ家は森の中に
「ぐう……ぐう……」
ゼル博士の運転する車……その後部座席に座っていたさやかは、戦いの疲れによるものか深い眠りに落ちていた。
その眠りの中で、何者かが彼女の頭に直接語りかけてくる。
「ママ……おきて……ママ……」
声に促されて目を開けると、一人の少女が立っている。さやかにとっては馴染みの深い、よく知っている顔だ。
「……ルミナっ!」
少女は、かつてさやかと実の親子のように深い愛情を交わしたルミナだった。
その彼女が今、こうして目の前に立っている。
「ルミナ、どうかしたの?」
さやかが不思議そうに首を傾げながら問いかける。
ルミナはとても深刻な顔をしており、何やらただならぬ用事である事が伺えた。やがて重苦しい表情を浮かべたままそっと口を開く。
「ママ……きをつけて。アイツが……てつのオバケの、いちばんエラいひとが、もうすぐくる……」
彼女の口から放たれた言葉……それは近い将来、さやか達の身に訪れる危険を知らせる物であった。
「ええっ、メタルノイドの一番偉い人っ!? それって……」
予想だにしなかった娘の発言に、さやかは驚くあまり言葉を失う。
これまでメタルノイドを七体倒してきたとはいえ、バロウズの総統が自ら攻めてくるなど、俄かには信じがたい話だった。まだ戦いは始まったばかりだというのに、突然悪の首領が攻めてくるというのだから……。
もっとも、さやか達の存在を本気で危険視したのだとしたら、それは極めて合理的で妥当な判断なのだが。
ルミナは尚も言葉を続ける。
「てつのオバケのいちばんエラいひと、とってもおこってる……ママとママのおともだちをぜんいんやっつけるために、もうすぐやってくる。そのひと、とってもつよい……てつのオバケで、いちばんつよい。ママ、きをつけて……もしまけたら、ママもママのおともだちも、ぜんいんころされちゃう……」
彼女がもたらしたそのあまりにも恐ろしい情報を聞いて、さやかはゾクッと背筋が凍る思いがした。それでも深呼吸して気持ちを落ち着けると、自分の中の恐怖を抑えるようにゴクリと唾を飲み込んだ。
「大丈夫……どんな強いヤツが攻めてきても、ママは絶対に負けたりなんかしないよっ!」
力強くそう言い切ると、恐怖に屈するまいと精一杯元気に笑ってみせた。
さやかの笑顔を見て、ルミナも安心したように穏やかに微笑み返す。
「それじゃママ、わたしいかなくちゃ……だいじょうぶ、しんぱいしないで。すぐにまたあえる。ママがアイツにころされそうになったら、わたしがたすける。それじゃあ、またね……ママ。あいしてる」
そう言い終えると、彼女の姿が白い光に包まれて、うっすらと消えていく。
さやかはその光に向かって必死に手を伸ばそうとした。
「えっ!? ちょっと待って! すぐに会えるって……どういう事!? ルミナっ! 説明してよっ! 待って! ルミナ……ルミナ……」
「ルミナぁぁあああああーーーーーーっっ!!」
大声で叫びながら慌てて飛び起きた勢いで、さやかは車の天井に思いっきり頭をぶつけてしまう。
「いたぁっ!」
頭にじんわり広がる痛みで、急激に目が覚める。さやかが落ち着いて辺りを見回すと、そこは博士が運転する車の中だった。
さやか・ゆりか・ミサキは車の後部座席に三人並んで座っており、二人とも気持ちよさそうにスゥスゥと寝息を立てている。
ダムドを倒した直後、博士から協力者の隠れ家を突き止めたとの知らせを受けたさやか達は、そのまま車に乗って隠れ家に向かう途中で眠りについたのであった。
そうして少しの時間でも休息を取ったおかげか、戦いの疲れはだいぶ和らいでいた。
さやかが目を覚ました事に気付いて、博士が車を運転したままバックミラー越しに話しかける。
「何か夢でも見ていたのかね?」
博士の問いにさやかは話すべきかどうか少しだけ躊躇したが、やがて恐る恐る口を開いた。
「ルミナが私に教えてくれたの……バロウズの一番偉いヤツが攻めてくるって」
彼女の言葉を聞いて、博士の目付きが一瞬にして変わる。眉間にはグワッと皺が寄り、額から汗が滝のように流れ出す。
「何ぃっ!? バエルが……攻めてくるだとぉぉおおおーーーーーっ!!」
彼女の言葉によほど驚いたのか、博士は精神的ショックのあまりガタガタと手が震えて運転に集中できなくなる。
あやうく車がガードレールにぶつかりそうになり、さやかが慌てて大声で叫んだ。
「博士っ! 博士……運転に集中してくださいっ! このままだと私たち、奴らに殺される前に交通事故で亡くなっちゃいますっ!」
注意を促されて、博士はハッと我に立ち返った。
「ああ……すまない。私とした事が、つい取り乱してしまった。もし本当にバエルが攻めてくるとしたら、とても恐ろしい話だ。だが今日はもう既にダムドがワープ済みだから、来るとしても明日になるだろう。まずは落ち着いて目の前の案件を片付けていこうじゃないか」
落ち着いた口調でさやかにそう言い聞かせながら、車の運転に集中しようとする。それでも車のハンドルを握る博士の手は、微かに震えていた。
◇ ◇ ◇
どれほど時間が経過したか……やがて車は、人里からだいぶ離れた山の麓へと到着した。
「車で入れるのはここまでだ。ここから先は歩いていく事になる」
博士がそう言いながら車のエンジンを切ると、後部座席に座っていたミサキとゆりかが目を覚ます。
「ふぁああーーー……よく寝た」
「ウウン……目的地に着いたのね?」
二人ともそう言って大きなあくびをしたり、体を伸ばしたりする。だいぶ熟睡していたためか、ダムド戦の疲れはすっかり取れたように見えた。
博士に続いて三人が車から降りると、目の前には広大な森林が広がっている。
木々は隙間を埋め尽くすようにビッシリと生い茂っており、森の向こうを見通す事は出来ない。その森の近くには大きな湖があり、森の動物たちが水を飲みに来ていた。
「この森の奥に、連中の隠れ家があるんですか?」
ゆりかが、天まで届きそうなほど高く育った木を見上げながら問いかける。
「ああ、そうだ……この奥に、何十年も前に使われなくなって廃墟と化した病院がある。奴らはそこを隠れ家にしているんだ。もし奴らを一網打尽にすれば、バロウズの活動は大きく制限されるだろう。そうなれば我々にとって有利に事は運ぶはずだ」
彼女の問いに、博士は森の奥の方を指差しながら答えた。
「よっしゃ! そうと分かれば、さっそく連中をとっ捕まえに行きましょう!」
そう言って腕まくりしながらガニ股で歩き出そうとするさやかを、博士が突然呼び止めた。
「待ちたまえ、さやか君。隠れ家に向かう前に、君に渡しておきたい物がある」
「えっ!? 渡したいもの?」
彼女が慌てて振り返ると、博士は何か機械の部品のような物を手渡した。
その赤い部品は、エア・グレイブの右腕に取り付けるパーツである事が一目見て分かるような特徴的な外見をしていた。
「これは?」
手渡されたパーツを、不思議そうな顔で見つめながら問いかけるさやかに、博士は丁寧な口調で解説を始める。
「それはオメガ・ストライクの溜め時間を三分の一に短縮させる強化パーツだ。それがあれば戦いの最中であっても、問題なく溜めを行う事が出来るようになる。激化する戦いに必要になるだろうと思って、前々から開発していたんだが、それが今日やっと完成した所なんだ。これを前もって君に渡しておきたい」
それは必殺技がパンチ一択の彼女にとっては、とてもありがたい物であった。
「ありがとうございますっ! これがあれば、今後はもっと積極的に奴らをブン殴りに行けますっ! 博士の研究は、必ずや私が有効活用してみせますっ!」
さやかは感謝の言葉を述べて頭を下げると、受け取ったパーツをスカートのポケットに入れて、嬉しそうに鼻歌を唄っていた。
◇ ◇ ◇
それから三十分後……四人は森の中をひたすら歩き続けていたが、一向に目的地に着く気配は無い。
博士は方角を見失わないように方位磁針を手にしながら歩いている。
三人は黙って博士の後について歩いていたが、やがてゆりかが足腰の痛みに耐え切れずに音を上げてしまう。
「うああーーーっ! もうだめぇっ! これ以上は歩けないっ!」
大声で弱音を吐くと、そのまま地べたに座り込んでしまった。
変身前から身体能力が高かったさやかやミサキに比べて、ゆりかは元々運動が苦手なタイプだった。体より頭を動かす方が得意なタイプの彼女にとって、この山登りは苦行以外の何物でもなかったのだろう。
不満そうに疲れているゆりかに、さやかがなだめるように声を掛けた。
「まぁまぁゆりちゃん、そんなにプリプリしないで元気出して。もし目的地に着いたら、私がご褒美にチュウしてあげるから、ね。んんーーーっ」
そう言うと、目をつぶってタコみたいに唇を突き出す仕草をした。
「い、いらないわよっ! バカッ!」
ゆりかは顔を真っ赤にして怒ると、タコみたいな顔をしていたさやかの頭を素手でポカポカ叩いた。
「痛い痛いっ! ゆりちゃんやめてっ! 私が悪かった!」
さやかは必死に両手で頭を押さえて痛がる。
二人のやりとりを少し離れた場所から見ていたミサキの胸に、ある思いが湧き上がる。
(目的地に着いたら……私もキスしてもらえるのか!?)
……そんな事を考えて、顔を赤らめながら胸をドキドキさせる。
けれども、目的地に着いたら本当にキスしてもらえるかどうかを聞いて確かめる勇気は無かった。
「私も少し急ぎすぎた。ここいらで十分ほど休憩する事にしよう。ただしあまり離れすぎて、はぐれたりしないようにな」
ゆりかの疲労を気遣い、ゼル博士の提案により一行は少しの間だけその場で休む事になった。
ゆりかは体を休めるようにそのまま地べたに座り込み、博士は何やら地図のようなものを取り出して見入っている。
さやかとミサキはまだ体力に余裕があったのか、その辺りを気晴らしにウロウロしながら周囲を見回している。
「……美しい場所だ」
周囲の景色を見回して、ミサキが思わずそう口にした。
たくましく立派に成長して、青々と生い茂った木々たち……木と木の隙間から、かすかに森の中を照らす日の光……良質な土で育った草や花……そしてその森で元気に暮らす動物や虫たち。
それら雄大な自然を構成するもの全てが、ミサキの目には新鮮に映った。
「こんな大きな森を見るのは、生まれて初めて?」
さやかがミサキの顔を覗き込んで問いかける。
「ああ……かつて私がいた星は、長く続いた戦乱で森も湖も大半が失われてしまった。あるのはただ、草木も生えない干上がった荒野の大地のみ……そして失われた緑が戻る事は、決してない……」
ミサキが悲しげにそう語りながら顔をうつむかせると、リスの親子が彼女に寄ってくる。
彼女が足元に落ちていたドングリを拾い上げてそっと差し出すと、リスの親子はドングリをおいしそうに食べた。
「……この星を、私の故郷と同じにはしたくない」
幸せそうにドングリを食べるリスの親子を眺めながら、ミサキは決意を込めた口調で言った。
そうこうしている間に十分が経過したのか、博士がさやか達の方に歩いてくる。
座っていて疲れが取れたのか、ゆりかもすっかり元気を取り戻していた。
「では、そろそろ行くとしようか」
博士の言葉に促されて、さやか達三人は再び歩き出した。
四人がしばらく歩いていると、やがてついに森を抜けて視界が開けた場所に出られる。
「やったぁっ! 森の外に出られたっ!」
長い森から出られた事に、さやかが声を上げて歓喜する。
森を抜けた原っぱの遥か彼方には、廃病院らしき建物も見える。
「あれだっ! あれが協力者の隠れ家……」
博士が建物を指差してそう叫んだ、その時だった。
突如地を裂くような轟音が鳴り響き、それと共に大地が激しく揺れだした。その振動は、まともに立っていられないほど激しいものだった。
「な、何っ!?」
突如激しい地震が起こった事に、さやか達が慌てる。
やがて彼女達から少し離れた地面にヒビが入り、大地が二つに割れていく。
そして裂け目がかなりの大きさになると、崖の底から一体のメタルノイドが力ずくでよじ登ってきていた。
「ああっ……そんな……まさかっ!!」
その姿を目にして、さやかが顔を真っ青にする。
完全に崖を登り切ると、メタルノイドは自ら名乗りを上げた。
『フッフッフッ……ハーーーッハッハッハッ! 久しぶりだなぁっ! エア・グレイブ……いや、赤城さやかっ! そう、俺だよ……かつてお前に殺された男……ミスター・ブリッツ改め、ブリッツ・アヴェンジャー! 貴様への復讐を果たすため、地獄の底から蘇ってやったぞッ!!』
……それはさやかにとっては、決して忘れる事の出来ない顔だった。




