第33話 奈落の処刑人(後編)
「うっ……」
……ミサキが目を覚ますと、そこは暗闇の中だった。足は地に着いており呼吸も出来るが、1m先すらも見通せない完全な闇だ。ダムドの幻術に再び囚われてしまったであろう事は、状況から容易に推測出来た。
静寂に包まれた空間で、彼女が聞き耳を立てていると、何やら呻き声のような音が聞こえてくる。
「ウウウ……」
「ミサキィ……ユルサナイ……」
それは紛れもなく、ミサキが殺してきた者達の呻き声だった。ズル……ズル……と腐った肉を引きずるような足音らしき音も聞こえている。姿こそ見えないが、間違いなくゾンビの群れが彼女に向かって歩いてきている。
このまま何もせずにいたら、取り囲まれて彼らの餌食になる事は火を見るより明らかだった。その事実に恐怖し、彼女の心が再び絶望に染まっていく。
「や……やめろぉっ! こっちに来るなぁっ!」
ミサキは何とも弱々しい悲鳴を上げて涙目になりながら、足音が聞こえない方角に向かって走り出した。
(もういやだ……いやだぁっ!!)
ゾンビが完全にトラウマとなったのか、心の中で泣き言を口走りながら必死に走り続ける。やがて目に見えない巨大な壁にブチ当たり、ミサキはそれ以上逃げる事が出来なくなってしまう。
「い……いやぁ……」
壁を前にして悲嘆に暮れて絶望し、弱音を吐きながらガックリと膝をつく。目からは大粒の涙がボロボロと溢れ出し、頬は涙で真っ赤に染まっている。
そうして絶望している間にも、ゾンビの群れは確実に彼女に迫ってきている。
「お願いだ……誰か……誰か、助けてくれぇええーーーーっ!!」
ミサキが天に祈るように大きな声で叫んだ、その時だった。
彼女の周囲が眩い光で照らし出されて、ゾンビの声も足音も全く聞こえなくなる。
突然の出来事にミサキが呆気に取られていると、目の前に一人の少年が現れた。
「やあ、お姉ちゃん……久しぶり。また会えたね」
「……イルマっ!」
……親しげに語りかけてきたのは、かつて一緒に焼き殺されたはずの弟イルマだった。
「イルマがこんな所にいるはずが……くっ! これもダムドが作り出した幻なのかっ!?」
死んだはずの弟が目の前に現れた事が俄かに信じられず、ミサキは困惑しながら問いかける。
彼女の問いに、イルマは首を横にぶんぶんと振って答えた。
「お姉ちゃん……今ここにいる僕も、さっきのゾンビも、お姉ちゃんの心の中を映し出した存在なんだ。お姉ちゃんは自分で自分を許せないと思っている。ダムドはその罪悪感を利用して、ゾンビという幻を見せつけて、お姉ちゃんをいじめているだけなんだ」
弟の言葉を聞いて、ミサキはフッと暗い表情をしながら顔をうつむかせた。その顔は納得と諦めの色に満ちた、自嘲気味な乾いた笑顔だった。
「分かっている。本当は最初から全部……分かってたんだ。誰に許されなかったわけでもない。私は自分で自分が一番許せなかったんだ……」
苦悩を滲ませながら、ガックリと地に膝をつく。
「こんな自分を……許せるわけがないっ! たとえ誰かが私を許そうとも……私は何万人もの人間を死に追いやった、大悪人……いや殺人鬼なんだっ! 一体どうすれば、こんな私の罪を許せるようになるというんだっ!」
思いの丈をぶちまけるように大声で叫ぶと、頭を抱え込みながらその場にうずくまった。
そんな自責の念に駆られて落ち込んでいるミサキの頭を、イルマがなだめるようにそっと優しくなでた。
「お姉ちゃん、大丈夫だよ……元気出して。お姉ちゃんは確かにたくさんの人を不幸にしたかもしれない。でもその不幸にしたのと同じくらい、たくさんの人を幸せにして……いっぱい元気にしてあげれば、いつか自分で自分を許せるようになる日が来るよ」
その言葉に心を動かされたのか、ミサキが顔を上げる。
「どうすれば……どうすれば、たくさんの人を幸せにできる?」
すがりつくような表情で問いかける。
彼女の問いに、イルマは静かに口を開いた。
「全ての……メタルノイド……を……」
……その頃、現実世界では、さやかとゆりかがメタルノイドのゾンビ達と必死に応戦していた。
ミサキはダムドに術を掛けられてから、ずっと眠ったままだ。
それでもさやかは決して諦めようとはしない。
「ミサキちゃんは必ず目を覚ます! それまで、何としても二人だけで持ちこたえなきゃ!」
鼓舞するようにゆりかに声を掛けながら、ひたすら敵を殴り倒していく。
だが二人が戦っている間に、一体だけガラ空きになっていたドクター・ブロディが、眠ったままのミサキに猛然と襲いかかる。
『ヴァッハハハァッ! ジネェエエーーーーッ!!』
その雄叫びは、彼女を殺せる事への喜びに満ち溢れていた。ダムドの操り人形と化してなお、その執念は健在だというのか。
「しまった!」
「ミサキちゃんっ!」
敵の襲撃に気付いて、ゆりかとさやかが慌てて駆け寄ろうとする。
だが二人が駆けつけるよりも、ブロディの手が届くタイミングの方が早かった。
ミサキの頭を握り潰そうと、彼がその手を伸ばした瞬間――――。
『バカ……ナ……』
口惜しげな言葉が発せられる。
直後にブロディの体が縦一文字に切り裂かれて、左右に分離していく。
鉄の巨体が割れて視界が開けた後には、マサムネを手にしたミサキが立っていた。
『エア・エッジ……いやミサキっ! 貴様、我が術を破ったというのか!? そんな馬鹿な……どうやって!』
幻術を破られた事に、ダムドが焦り出す。もはや冷静ではいられなかった。
霊層呪縛陣を破られた事も想定外ではあったが、この幻術については絶対に破られない自信があった。彼にとって、まさに対装甲少女用の切り札といっても過言では無かったのだ。その切り札を破られた事は、彼の戦略を完全に狂わせるものであった。
「イルマ……ようやく分かったよ。ありがとう……」
そんなダムドをよそに、ミサキは天を仰ぎながらイルマへの感謝の言葉を口にした。
「メタルノイドは全ての人間を苦しめ、不幸にする存在……奴らを倒す事こそ、全ての人を幸せにする行い……バロウズと戦い続ける事こそ、私が私を許せるようになるための償いなんだっ!」
刀を手にしてダムドの方に振り返ると、決意を固めたように大声で叫んだ。
その頼もしい姿は、自責の念に囚われていた心の弱さを克服したであろう事が、容易に推測できるだけの力強さがあった。
さっき注入された毒も、体内から完全に浄化されたように見えた。
「ミサキ……っ!!」
完全に立ち直った彼女の様子を見て、さやかが感激のあまり目を潤ませる。
さやかとは対照的に、よほど癪に障ったのか、ダムドはギリギリと歯軋りして不快感をあらわにしていた。
『馬鹿者めが……ッ!! 幻術を破った程度で、調子に乗るでないわッ! 野蛮な雌犬がッ! だいたい貴様一人が増えた程度で、戦況がどうにかなるものではないッ! どのみち今の貴様らに、この私を殺す方法などありはしないのだからな……ッ!!』
ありったけの怒りをぶちまけるように口汚く吐き捨てた。
そんなダムドとは対照的に、ミサキはあくまで冷静な態度を崩さない。明らかにダムドに対して何か秘策があるようだった。
「そうか……ならば、確かめてやろうっ!」
そう口にすると、刀を真上に大きく振り上げて、その姿勢のまま力を溜めるように静止した。
「冥王秘剣……断空牙ッ!!」
ミサキは大声で叫ぶと、溜めていた力を解放するように一気に刀を振り下ろした。それと同時に衝撃波のような物体が高速で放たれる。
ダムドは自分に向かって飛んでくる物体を見て、勝ち誇ったようにニヤリとほくそ笑んだ。
『馬鹿め……そんなもので私を殺せると思っているのかッ! ゾンビどもよ、私を守る盾となれぃっ!』
彼が命令を下すと、メタルノイドのゾンビ達が前に立ちはだかった。
いくら飛び道具を撃たれようとも、ゾンビが盾になれば防げる……たとえ防ぎきれなくても威力が減衰するため、自分に致命傷を与えるには至らない……そういう計算だった。
だが予測に反してゾンビを切り裂いた物体は、その威力を保ったまま前進し、背後にいたダムドをも一瞬にして貫いた。
『!? ば……馬鹿な……』
体を貫かれた事実が受け入れられず、ダムドは傷口を両手で抑えたまま困惑する。
切断面は既に致命傷に達しており、体中のあちこちからバチバチと火花が散り始める。
ミサキはそんなダムドを見下すような目をしながら、得意げに語りだす。
「超高速で刀を振って空間を切り裂き、空間の裂け目そのものを飛び道具として前方に発射する技……それが断空牙ッ!! 裂け目は時間と共に閉じられるが……物質を切り裂いても、威力が減衰する事は無いっ!」
彼女の説明を聞いてもなお、ダムドは自身の敗北が受け入れられない様子だった。
『オ……オノレ、ミサキ……タトエ私ガ死ンデモ……貴様ノ罪ハ、決シテ許サレナイ……決シ……テ……グヴァァアアアッッ!!』
言葉の途中で断末魔の悲鳴を上げると、そのまま轟音と共に大爆発して跡形もなく消し飛んだ。
ダムドが消滅すると、彼に操られていたメタルノイドのゾンビ達もガラガラと崩れ去って、ただの鉄クズと化してゆく。
「もう二度と……私の前に現れるなッ!」
ミサキは腹立たしげに呟きながら、ブロディとダムドの顔を何度も踏み付けた。よほどその二人が憎かったのだろう。彼女がこれまで受けた仕打ちを考えれば、それも納得のいく行動だった。
さやかとゆりかも、彼女の行動を真似て他のメタルノイドの顔を踏み付ける。二度と蘇って欲しくないという思いは、さやか達も同じだった。
やがて気が晴れたのか、ミサキは感慨にふけるように目をつぶって天を仰ぐ。
「イルマ……本当にありがとう」
そう言って、心から感謝の念を抱く。彼女にとって弟イルマは、昔と今で二度も自分を救ってくれた恩人だった。
満足げに立ち尽くしていたミサキに、さやかとゆりかが駆け寄っていく。
「ミサキちゃんっ! もう過去のツラい事……全部克服したんだねっ!」
さやかがとても嬉しそうにはしゃいで言う。
「ああ……もう大丈夫だ。もう私は後ろを振り返って、自分を責めたり思い悩んだりしない。これからは前だけを向いて……前に進み続けるっ!」
彼女の問いに、ミサキはとても自信に満ちた口調で答えた。その表情は以前のような暗い影や哀愁を背負ったものではなく、生きる喜びや希望に満ち溢れていた。
完全に吹っ切れた姿を目の当たりにして、ゆりかも安心したようにニッコリと微笑む。
「三人とも、こんな所にいたのかっ!」
さやか達三人が楽しく話し込んでいた所に、ゼル博士が慌てて駆け付ける。よほど急いでいたのか、博士は全速力で走り抜けると、ハァハァと息を切らしていた。ようやく彼女達を見つけたという様子だった。
「博士、そんなに慌ててどうかしたんですか?」
何やらただならぬ様子の博士に、さやかがキョトンとした顔で問いかける。
彼女の問いに、博士は息も絶えだえになりながら答えた。
「ついに突き止めたんだ……ヤツらの……協力者の隠れ家をっ!」




