第30話 奈落の処刑人(前編)
ネクロマンサー・ダムド……奈落の処刑人。死神のような風貌をしたメタルノイドは、自らそう名乗った。
「奈落の処刑人……だとぉ?」
その得体の知れない不気味さを漂わせたダムドを前にして、ミサキは気圧されたようにジリ……と後ずさる。明らかに他のメタルノイドとは異なる姿に、警戒心を抱かずにはいられなかった。
だがすぐに冷静さを取り戻すと、右腕にブレスレットを出現させて変身の構えを取った。
「覚醒ッ! アームド・ギア、ウェイクアップ!!」
掛け声と共にブレスレットが光り、全身が白い光に包まれる。
「装甲少女……その白き鋼の刃、エア・エッジっ!!」
ミサキは変身を終えると、すぐさまマサムネを手にして戦闘の構えを取った。
「ダムドっ! 昨晩からずっと私の頭に囁きかけてきたのは、お前かぁっ!」
ダムドに刀を向けながら、威圧するような口調で問いかける。ずっと頭の中で責められ続けていた事に内心腹を立てていたのか、その声は明らかに怒気を含んでいた。
だがそんなミサキを前にしても、ダムドは一向にひるむ気配を見せない。
『そうだ……ミサキよ。お前は身も心も、魂まで血で汚れた穢らわしい罪人……決して赦されない存在。お前はその事を忘れてはならぬ……目を背けてはならぬ』
ダムドはなおも言葉を続ける。
『自らその罪を認め、受け入れて、一生苦しみ続けるのだ。己が罪を直視し、責め続けよ……そして悔い改めよ。お前が犯した罪を忘れて幸せになる事など、我は断じて許さぬ。我は断罪する者……お前が罪から目を背ける限り、我は……何度でも現れようぞッ!!』
そう言い終えるや否や、ミサキに飛びかかっていった。
敵の体当たりを咄嗟にジャンプしてかわすと、ミサキは刀を手にして斬りかかっていく。
「たとえ私が罪人であろうと……貴様などに処断される言われはないっ!」
そう叫びながら刀を振り回し、ダムドを斬り付けようとする。
だがダムドはまるで風で飛ばされたビニール袋のようにひらひらと宙を舞い、ミサキの一撃を軽快にかわす。自身の重力を操っているのか、ダムドはバーニアらしきものを一切噴射させずに空を飛んでいた。その姿はあたかもホラー映画に出てくる悪霊のようであった。
「くっ……見た目通りの不気味な男だっ!」
攻撃を避けられて、ミサキが腹立たしげに呟いた。
そんなミサキを嘲笑うかのようにダムドは空中に留まる。
『フフフ……もう終わりか? ならば、今度はこちらから行くぞっ!』
そう言うと、ダムドの指先から何か針のような物が何本も発射される。
ミサキが咄嗟にジャンプしてかわすと、それは地面に落下して辺り一面に散乱した。
「これは……毒針かっ!?」
地面に散乱したそれを見て、ミサキが口を開いた。
……ダムドの指先から発射されたのは、細長い金属の針だった。それは先端が毒々しい紫色に変色しており、一見しただけで毒が塗られている事を容易に推測できるものだった。
驚いて一瞬隙が出来たミサキに、間髪入れずに毒針が発射される。
「くっ!」
避けられないと見るや、ミサキは手に持っていた刀をプロペラのように回転させて、毒針を防ぐ即席の盾とした。
刀に弾かれて何本もの毒針が地面に落下していく。
「フン……こんな小道具で私を殺せると思ったのか? 舐められたものだな」
ミサキはダムドを小馬鹿にするように鼻で笑いながら、強気な口調で挑発する。
実際に常人よりも遥かに強化された装甲少女の肉体は、神経毒や薬物に対しても一定の耐性があった。もし針の先端に塗られた毒が体内に侵入しても、一時的に体力を削ぐ事が出来るだけで、命を奪うまでには至らないだろう。
それでもダムドは慌てる様子を微塵も見せない。
『フフフッ……強気でいられるのも今の内だぞ……霧崎ミサキ。我の能力が毒針を飛ばすだけだと思っているなら、今すぐその認識を改める事になる。我が術を受けるがいい……アブドーラ、ガンダーラ、ボルボルギルヘム……かぁぁぁあああああーーーーーっっ!!』
両手を組んで人差し指を立てると、何やら怪しげな呪文を唱え始める。まるで邪教の僧侶が、呪いの術でも掛けようとしているかのようだった。
「一体何を……うっ!」
その時突然ミサキの周囲が暗転し、淀んだ海中のような場所へと変わる。
そして全身血まみれのゾンビのような男達が群れをなして現れ、四方から彼女を取り囲んだ。
「こ、これは……夢の中で見たのと全く同じっ!」
昨日の悪夢と同じ光景を見せられて、ミサキの顔が真っ青になる。全身からサーッと血の気が引いたような感覚を覚え、手足の震えが止まらなくなる。足の力が抜けて内股で地面にへたり込み、目にはうっすらと涙を浮かべている。
「い……いやぁ……」
そんな情けない言葉が、ミサキの口から漏れる。普段の男勝りで強気な戦士らしさを失い、ただのかよわい少女となって怯える。もはや戦意を完全に失ってしまっていた。彼女にとって昨晩の悪夢は、それほど深く心を傷付けられたのだ。
そんなミサキに、ゾンビ達は躊躇なく群がっていく。
「ヒト……ゴロシ……ユルサナイ……」
彼女を責めるような言葉を口にしながら、どんどん寄り集まっていく。
やがて周囲がぎっしりとゾンビで埋め尽くされると、ゾンビは彼女の体を爪で引っかいたり、手や足に噛み付いたりし始めた。
「やめろぉっ! やめてくれぇぇええええっっ!!」
ゾンビに噛み付かれて、ミサキがたまらずに悲鳴を上げる。男達の歯が柔肌に食い込んで、そこから激痛が走る。必死に体を動かして抵抗しようとするが、ゾンビ達は決して離れようとはしない。執拗に何度も噛み付かれて、くっきりと歯形が付いた所から血が流れだす。
「ううっ……もうダメだぁ……私の肉を食らう事で、お前たちの気が晴れるというなら、いっそ好きにするがいい……もう疲れた……」
そう言ってすっかり諦めると、全身の力を抜いてゾンビ達のなすがままにさせる。もうこのまま彼らの物になってしまっても構わないとさえ考えていた。
「さやか……ゆりか……すまなかった。私は……」
そう口にするミサキの瞳から、涙がとめどなく溢れ出す。彼女達の力になれなかった事への、悔恨の気持ちが胸の内に広がる。
そんなミサキの意識すらも、うっすらと遠ざかっていく……。
「……サキ……ミサキっ!」
その時さやかに声を掛けられて、ミサキは突然現実に引き戻された。
ふと気が付くと、彼女は自分で自分の首に刀を突き立てていた。ダムドに幻術を掛けられたまま、危うく自害させられそうになっていたのだ。その事に気付いて、ミサキが慌てて刀を引っ込める。
『フン……あともう少しであった所を……邪魔しおってからに』
幻術を邪魔されて、ダムドが憎々しげに呟いた。
既に装甲少女に変身していた二人は、すぐにミサキの元へと駆け寄る。
「ミサキ、大丈夫っ!?」
ゆりかが心配そうに声を掛けながら助け起こす。
内股でへたり込んでいたミサキは、彼女の肩を借りてゆっくりと立ち上がった。
「ミサキちゃん、どうして一人で行ったりなんてしたのっ! 私たちに声を掛けてくれても良かったのにっ!」
さやかが今にも泣きそうな顔で問い詰める。ミサキが相談もせずに一人で敵の元に向かった事を、完全に怒っている様子だった。
そんな彼女の顔を、ミサキは心の負い目から直視する事が出来なかった。
「これは私一人で解決すべき問題……お前たちを巻き込みたくなかった」
そう言って伏し目がちに彼女から目を背ける。
「ミサキの……ばかぁぁあああああっっ!!」
さやかは感情的になるあまり、いきなり大声で叫んだ。ミサキの煮え切らない態度が、よほど腹に据え兼ねたのだろう……その声の大きさはミサキやゆりかだけでなく、敵であるダムドまでもが一瞬ビクッと驚いてひるんだ程であった。
空にいたトビやカラス達は、化け物の雄叫びか何かと勘違いし、慌てて逃げ出している。
「何もかも全部、自分一人で抱え込もうとしないでよっ! 悩み事とか問題とか、全部私たちに相談して……打ち明けてよっ! 一緒に悩んで、一緒に解決してあげるからっ! その代わり、私たちもミサキちゃんに相談するよっ! そうやって辛い事とか苦しい事とか、私たち三人で一緒に分かち合って、乗り越えていこうよっ! だって私たち……もう友達なんだからっ!」
そう早口でまくし立てながら、目にうっすらと涙を浮かべている。
「急にミサキちゃんがいなくなって私、心配したんだから……ミサキちゃん、私たちの前から消えちゃうんじゃないかって……だからもう、いなくならないでよぉっ! うわぁぁあああああんっ!!」
そこまで語ると、さやかは突然大粒の涙を流しながら赤子のようにわんわん泣き出した。
彼女の言葉が心に突き刺さったのか、ミサキは自身の胸に手を当てて思いふける。
私は何も分かっていなかった……。
彼女達に迷惑をかけまいと、その事ばかり考えていた。
だがそれは、彼女達が本当に望んだ事ではなかったんだ。
もう一人で思い悩み、抱え込むのはやめにしよう。
彼女達はきっといつでも私の心の支えになってくれる。
そして私も、出来る限り彼女達の心の支えとなろう。
さやか……ゆりか……私は良き友に巡り会えた……っ!!
「さやか……すまなかったっ!!」
ミサキは反省の言葉を述べると、さやかに向かって土下座した。それは彼女の決意が込められた、とても真剣で力強い謝罪だった。
「私が間違っていた……もう一人で思い悩んだりしないっ! お前たちに何でも相談するっ! 私も、何でも相談に乗るっ! だから泣かないでくれっ!」
そう言って地に額を擦りつけて、ひたすらに謝る。
ミサキの言葉を聞くと、さやかは切り替えたようにすぐ泣き止んだ。
「うん……約束だよっ!」
涙で頬を腫らしながら、喜びの笑みを浮かべる。
ミサキはゆっくり立ち上がると、さやかと約束の指きりげんまんをした。
もし約束を破ったら、彼女は本当にハリセンボンか、針を千本飲ませようとするだろう。
……そんな彼女達のやりとりを、呆気に取られて見ていたダムドであったが、やがてハッと冷静に立ち返る。
『小娘共、くだらん茶番劇はそこまでにしてもらおうか……ッ!! どのみちお前達三人共、ここで死ぬ事になるのだからな……ッ!!』
さやか達三人を見回しながら、腹立たしげに呟く。目の前で指きりげんまんをやられた事が、よほど気に入らなかったようだ。
一方さやかもまた、怒ったような顔でダムドをキッと睨み付けた。
「ミサキちゃんを苦しめた事……絶対に許さないっ!」
そう言って怒りをあらわにする。悪夢を見せて精神的に追い詰める陰湿なやり方を、到底許せないという思いがあった。
『クククッ……許さんだとぉ? お前達がこの私を、どう許さないと言うのだ? お前達は私に指の一本も触れられぬまま、殺されるというのに……』
さやかの言葉を聞いて、ダムドが急に小馬鹿にしたように笑いだす。どう見ても、劣勢に陥った者が取る態度ではない。明らかに何か秘策を隠し持っている様子だった。
『お前達はもう既に、我が網に掛かっているッ! 喰らうがいい……秘技・霊層呪縛陣ッ!!』
そう叫びながら手のひらをかざすと、ダムドの指先から何か糸のような物が放たれる。
その実体を持たない煙のような糸は、さやか達の体に触れると即座に絡み付いた。
「なっ……!?」
糸に構わずダムドに殴りかかろうとして、さやか達三人はその場から一歩も動けなくなる。腕や脚だけではない。手と足の先端の指先、腰から首に至るまでの胴体全て、そして舌すらも思い通りに動かなくなる。目と鼻だけがかろうじて動かす事が出来、呼吸と瞬きの自由のみが与えられている。
まるで金縛りに掛かったように動けなくなった三人を見て、ダムドが勝ち誇ったように叫んだ。
『霊層呪縛陣……一度この術を受けた者は、身体の自由を剥奪されるッ! かつて私との戦いにおいてこの術を喰らい、生きて帰れた者は一人もいないッ!!』
……そうしてダムドが得意げに語っている最中、ゆりかはせめて少しでも周囲の状況を把握しようと、目だけを動かして辺り一帯を見回す。
その時視界の端っこで、一瞬何かが動いたように見えた。
(土の中に……ダムドとは別の何かが潜んでいるっ!?)
彼女が目にした、土の中で蠢いた物体……それはブラック・フォックスの頭部のように見えた。




