第29話 束の間の安息
ゼル博士が助手の報告を聞いて慌てていた頃、さやか達三人は昼間の町中をぶらぶらと歩いて回っていた。
いつメタルノイドが攻めて来るか分からない状況とは言え、町は平和そのもので、行き交う人々で賑わっている。戦時下のような不穏さを感じさせる空気は無い。
それはあたかも、いつも通りの日常生活を送る事そのものが、メタルノイドの脅威に抗う行為であるかのように思えた。時折、壁や電柱に装甲少女を応援するポスターが貼られているのを見かける。
そんな町中を歩いていたさやかとゆりかは、ミサキを洋服屋へと連れて行く。
「外に着ていく服が学生服だけじゃ味気ないでしょ。やっぱり女の子は、オシャレに気を使わなくっちゃ!」
店内に陳列された洋服を、楽しそうに見回しながら呟くさやかとは対照的に、ミサキは相変わらず気乗りしない表情で顔をうつむかせている。
「私は人を殺すために生み出された殺戮兵器だ……生まれてこの方、オシャレに気を使った事など、一度たりとて無い……」
自分にはそんな資格が無いとでも言いたげに、陰気な表情でそう語る。
そんなミサキに喝を入れるかのように、さやかが尻を叩いた。
「なーに言っちゃってんの! 今のミサキちゃんは兵器じゃなくて、ただの可愛い女の子っ! しかも私より背が高くて、スタイルが良くて、おっぱいもデカい! うらやましい! そんなモデルさんみたいな美貌を持ってるのにオシャレしないなんて、神に対する冒涜行為よ! もったいないお化けが出るんだから!」
早口でそうまくし立てると、ほぼ勢いだけで陳列棚から一着の洋服を取り出した。
(……もったいないお化けって、なんだ?)
今まで一度も聞いた事が無い何とも奇妙な単語を聞いて、ミサキの頭にふと疑問が湧き上がったが、あえてそれを聞く勇気は無かった。
「さぁ、ミサキちゃんっ! 私がミサキちゃんにたぶん似合う服を選んであげたから、これを着なさい! いや、力ずくでも着せてやるんだからっ! 必殺、オメガ・着せ替え!」
さやかはそう言うと、ミサキを試着室に自分もろとも強引に押し込んでしまった。
「やめろっ! 手伝ってもらわずとも、自分で着られるっ!」
「そんな事言ってぇー、どうせ私が無理やり着せなきゃ、自分じゃ着ないんでしょ」
「そう言いながら、どさくさに紛れて変な所を触るなっ!」
「フフン、ただのラッキースケベだよ、ミサキくぅーーん」
「変なオッサンみたいな口調で喋るなっ! っていうか、誰だっ!!」
……そんな二人の声が中から流れてくる。
ゆりかは試着室の外で苦笑いを浮かべながら、やりとりに聞き入っていた。
やがて服を着せる作業が終わったのか二人の会話が途切れ、試着室のカーテンが開いて中からミサキが出てくる。
「おお……」
その姿を見て、ゆりかが思わず感嘆の声を漏らした。
さやかが選んで着せた服は、フリルの付いたとても可愛らしいエプロンドレスだった。
それは恐らく今まで一度もミサキが着た事のない代物だったであろう。
「ミサキちゃん……可愛いっ!」
ドレスを着た姿がよほど気に入ったのか、さやかは感動しながら目をキラキラさせている。
そんなさやかとは対照的に、当のミサキは恥ずかしさのあまり顔を赤くしていた。
「こ、こんなフリルの付いたドレス……私に似合うはずが……くっ……これは敗軍の将たる私に対して、辱めを与えようという精神的拷問なのか……っ!」
そんな事を口にしながら、顔を真っ赤にして全身をプルプル震わせている。
「ミサキちゃん、その服とっても似合ってるよ! ねえ、試しにそれ着て町中を歩いてみてよっ!」
「むっ、無茶を言うなっ! こんな格好で町中を歩くくらいなら、いっそ素っ裸で町中を歩いてた方がまだマシだっ!」
さやかの提案をにべもなく断ると、ミサキは制服に着替えてさっさと店を出て行ってしまった。
◇ ◇ ◇
「まったく……確かに私は負けた時、好きにしろとは言った……だがそれにしても限度というものがだな……」
ミサキは何やらブツブツと小言を口にしながら、怒った様子で町中を歩いている。
そんなミサキを、さやかが平謝りしながら必死になだめる。
「ミサキちゃーん、さっきは悪かったってばー。おいしい物おごってあげるから、機嫌直してー」
そうして歩きながら謝っている間に、三人はファミレスに着く。
四角いテーブルを囲むように椅子に座った後、さやかが満面の笑みでミサキに問いかける。
「ねえ、ミサキちゃんは何が食べたい? 何でもおごるから、好きなの言ってね」
その言葉に、ミサキは少しだけ顔を暗くした。
「バロウズの一員だった頃は、栄養食と栄養ドリンクしか食べていない。私は普段他の人間がどんな物を食べているかさえ知らないんだ……」
儚げにそう呟いて顔をうつむかせた。
その時さやかは少しだけ憐れむような顔をしたが、すぐにいつもの笑顔に切り替える。そんなミサキだからこそ、自分達が幸せにしなきゃいけないという使命感があった。
「分かった……それじゃあ人間界の最高においしい物、食べさせてあげるからっ!」
そう言うと、決意を固めたように力強く注文用の呼び出しボタンを押した。
「ハンバーグ定食三人前っ! あとドリンクバーも!」
……注文が済んでからしばらくした後、料理が運ばれてくる。
テーブルに置かれた料理を見て、ミサキが感嘆の声を漏らした。
「おおっ……何だこれはっ! これは肉か! 焼いた肉なのかっ!」
今まで一度も目にした事がなかったのか、焼きたての肉汁滴るハンバーグを見て驚いていた。まともな料理を食べた事がない彼女にとって、それはもはや未知の領域だった。
「そう、これがハンバーグっ! 人間界の最高においしい物っ! それをこうやってソースを掛けて、ナイフで切ってフォークを刺して、口に運んで食べるんだよ」
さやかは手本を見せるように、目の前でハンバーグを食べてみせた。
ミサキも早速その手順を真似る。
「そうか、こうやってハンバーグを食べれば良いのか! ……うっ!」
ハンバーグを口の中に入れた途端、石のように固まって動かなくなる。
無言のまま硬直しているミサキを見て、さやかとゆりかの顔が次第に青ざめてくる。何かいけない物を食べさせてしまったのではないか……そんな思いに駆られた。
「……ミサキ?」
さやかが恐る恐る、声を掛けた時だった。
「うっ……」
「う?」
「うっ……うまいぞぉぉぉおおおおおおーーーーーーっっ!!」
それまで石のように固まっていたミサキが、突然大声でそう叫んだ。
まるで人生最大の幸福を味わったかのような喜びに満ち溢れ、目からは涙がとめどなく溢れ出す。瞳は星のようにキラキラ輝いている。
そのあまりの声の大きさに、店内の端っこのテーブルで一人で料理を食べていた中年の男が驚いてひっくり返り、頭に被っていたカツラが外れていた。
「口の中に広がる、この肉の旨味っ! 絶妙な焼き加減っ! 肉の柔らかさっ! 噛むたびに肉汁が溢れてくるっ! これは……これはまさに、人類最高の料理……世界の至宝っっ!!」
よほどハンバーグの味が気に入ったのか、ミサキはまるで味を極めた皇のように大げさに語りだす。そのまま巨大化して口からビームでも吐きかねない勢いだ。きっとこの時彼女の脳内では、とても壮大な音楽が流れていたに違いない。
そんな大げさなリアクションで感動しているミサキを見て、さやかとゆりかは安心しながらも若干引き気味に苦笑いしていた。
その時、店内にいた中年の男は周囲を見回しながら慌ててカツラを被り直していた。
◇ ◇ ◇
その後ゲームセンターにミサキを連れて行き、ゲームの遊び方を教える二人。
「おおっ! なんだこれはっ! ボタンを押したら、ヒゲの男がジャンプしたぞ! ゴリラが……ゴリラが樽を投げてくるっ! ハンマーを取ったら、樽が壊せるっ! ああっ! ヒゲの男が死んだっ! くっ……私のせいで……すまない」
そんな事を言いながら、ミサキは懐かしのレトロゲームに食い入るようにハマっていた。
その後三人で対戦ゲームをしたり、協力プレイをしたり、レースゲームやクレーンゲームを遊んだりして屋内のゲームを一通り遊びつくした後、さやかが一つの提案をした。
「ねえ、三人でプリクラ撮らない?」
そう口にすると、ミサキとゆりかをカーテンで仕切られた筐体の前へと連れて行く。
「これは何だっ! ゲームとはまた違うようだが……」
プリクラの筐体を前にして戸惑っているミサキに、さやかがなだめるように機械の解説をする。
「これはねえ……分かりやすく言うと、記念写真を撮って遊ぶ機械っ! 今日の楽しかった思い出を、写真として形に残しておこう、ねっ!」
そう言いながら慣れた手つきで筐体のパネルをタッチすると、機械が動き出して撮影の準備に入る。
「さ、今から写真撮るよー。ミサキちゃん笑ってー」
「そんな……急に笑えと言われても、私には無理だ」
「そう? だったら私が笑うのを手伝ってあげる。こちょこちょ」
「わははっ……や、やめろっ! 腋をくすぐるなっ! 顔が……顔が変に写ってしまうっ!」
二人がそうしている間に写真が撮られて、腋をくすぐられて笑っているミサキの顔が写ってしまう。
「ああっ! 見ろっ! さやかのせいで……私の顔が、とてつもなく変に写ってしまったじゃないかぁっ! こんなもの、思い出として残しておけるかぁぁぁあああああっっ!!」
変な顔で撮れてしまった写真を見て、ミサキが顔を真っ赤にして怒りだす。
そんなミサキに、さやかはただただ申し訳なさそうに平謝りする。
「ううっ……ごめん! ごめん、ミサキちゃんっ! 正直スマンかった! もうくすぐったりしないから、どうか許して! 写真代は私が持つから、もう一度やり直し!」
そう言ってプリクラの筐体にお金を入れてパネルをタッチすると、再び機械が動き出して撮影の準備に入る。
「ミサキちゃん、今度はくすぐったりしないから。ちゃんと笑顔になってねー」
「笑顔と言われても……私には笑い方が分からない」
「今日の楽しかった出来事を思い浮かべるの。そうすると、きっと自然に笑えるよ」
「楽しかった出来事……か」
ミサキはさやかに言われた通り、その日体験した様々な出来事を思い出す。
そうしている間にシャッター音が鳴り、筐体からプリントされた写真が出てくる。
その写真を見て、さやかとゆりかが嬉しそうにはしゃぎだす。
「ミサキちゃん、これ見て!」
さやかに促されて、ミサキは手渡された写真を見る。
その写真に写っているミサキはとても穏やかで、幸せそうな笑みを浮かべていた。
「……良い笑顔だ」
思わずミサキの口からそんな言葉が漏れる。
そしてその言葉を発した時の彼女もまた、写真の中と同様に微笑んでいた。
「二人共……今日は本当にありがとう。とても楽しかった。食事もゲームもプリクラも……本音を言えば、服を着せられた時も心の中では楽しんでいた。今まで生きていて、こんな楽しいと思えた事は無かった。私は今日の出来事を、一生忘れないだろう」
ミサキは二人に向かって頭を下げると、心の篭った感謝の言葉を述べる。
その言葉の重さが何やら今生の別れの挨拶に思えて、さやかとゆりかは微かに不安を覚えた。
「ちょっとトイレに行ってくる。大丈夫……すぐに戻ってくるから、ここで待っていてくれ」
ミサキはそう告げると、すぐにゲームセンターのトイレに駆け込んだ。
用を済ませた後、洗面台で手を洗いながら鏡に映っている自分の顔を覗き込む。
そこには先程と同様に、幸せそうに微笑む自分の姿が映っている。
鏡に映る自分の姿を見て、彼女の中にある思いが湧き上がる。
私は今……とっても幸せだ。
かつて多くの命を手にかけてきた私が……。
その私が幸せになる事が、許されるのだろうか。
むろん、あの二人ならきっと許してくれるだろう。
だが……。
……そんな事を考えて思い詰めていた時、彼女の頭に突然ある声が聞こえてくる。
『言ったはずだ……ミサキ。お前は決して赦されないと……』
その声はミサキが悪夢を見てうなされていた時に、夢の中で話しかけてきた声と全く同じものだった。
「誰だっ! 何処にいる! 姿を表せっ!」
ミサキが敵を威嚇するように大きな声で叫んだ。自分に悪夢を見せた張本人と思しき、その人物を許せない気持ちがあった。
ミサキの問いに、相手は消え入りそうなか細い声で答える。
『××地区に来い……そこでお前を待つ。必ず一人で来い……もし来なければ、町を無差別に破壊する……』
◇ ◇ ◇
謎の声が指定した場所……そこは不燃ゴミを土の中に埋める、ゴミ処理場だった。辺り一帯には悪臭が立ち込めており、空には大量のカラスとトビが舞っている。
そんな場所に足を踏み入れて、ミサキが言葉を発した。
「……酷い場所だ」
周囲に立ち込める悪臭と醜い景観に、思わずそう呟いていると、またも謎の声が語りかけてくる。
『そして……ここがお前の処刑場となるッ!』
そう言い終えるや否や、空中にブラックホールが発生すると、そこから一体のメタルノイドが姿を現す。
そのメタルノイド……全身を覆う黒いローブを羽織っており、そこから骸骨のような細い手を出している。ローブの中から覗かせた顔も骸骨のような顔をしており、首には巨大な数珠をぶら下げている。
背丈は4m程度と、6mが標準のメタルノイドの中では低い部類だった。機械でありながら、まるで死神のような風貌だ。
その異様な姿をしたメタルノイドは、今度は頭の中に語りかけるテレパシーのような声ではなく、直に言葉を発してミサキに語りだす。
『我はNo.007 コードネーム:ネクロマンサー・ダムド……奈落の処刑人と呼ばれた男ッ!!』




