第25話 ドクター・ブロディの卑劣な罠(後編)
「ドクター・ブロディっ! 貴方の相手はこの私よっ! 私が貴方を倒し……必ずさやかを助け出すっ! 私を檻に入れなかった事が最大の失策だったと、必ず後悔させてやるわっ!」
ゆりかはブロディの左手を槍で受け止めたまま、宣戦布告するように啖呵を切ってみせた。
そんな彼女から、ブロディは警戒するように一旦距離を取る。
『後悔させるじゃと? クククッ……小娘よ。ワシがただ卑劣で狡猾なだけの老人だと思っているなら、その認識をすぐにでも改めるハメになるぞい』
そう言って余裕ありげにククッと声に出して笑う。明らかに何か策があるように見えた。
底が知れないブロディを前にして、ゼル博士とゆりかは共に警戒心を隠さない。二人の顔には緊張の色と共に汗がじっとりと浮かび、無意識のうちにジリ……と後ずさる。慎重な性格の二人だからこそ、ブロディの狡猾さを恐れずにはいられなかった。
「気をつけろっ! どんな能力を隠し持っているか、分かったものじゃないぞっ!」
博士が大声で叫んで忠告し、ゆりかがそれにコクリと頷いて答える。
「分かってるわ。今回は最初から出し惜しみ無しの……全力で行くっ!」
そう口にすると、すぐさま右腕の装置にあるボタンに手を掛けた。
「エア・ナイト……ブースト・モードッ!!」
その掛け声と共に背中のバーニアから青い光が天使の翼のように噴射され、キラキラ光る粒子となってゆりかの全身にまとわり付いていく。
光のオーラをその身にまとった事によって速度が十倍に跳ね上がった彼女は、槍を手にしてブロディに正面から飛びかかっていった。
「このスピードには、高性能なコンピューターでも計算が追い付かないっ! 正面から向かっていったとしても、ブロディには私の攻撃を見てから防ぐ事は絶対に不可能っ!」
そんな確信めいた言葉が口をついて出た。だが……。
「……なっ!」
ゆりかの顔がすぐに驚きの色に変わる。
目にも止まらぬ速さで放ったはずの槍の一撃は、ブロディの背中から生えている四本のアームによって防がれていた。槍が迫り来るその一点に四本のアームを正確に重ね合わせる事により、彼女の一撃に耐えてみせたのだ。
「……」
予想外の結果に驚くあまり、ゆりかは言葉を失ってしまう。まるで鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。己の速度に自信を持つ彼女ならば、尚の事であった。
呆気に取られたその表情を見て、ブロディがニヤリと笑みを浮かべる。
『クククッ……どうした? 後悔させてやるのでは無かったのか? まだワシは後悔も何もしてはおらんぞ? せめてもう少し粘ってもらわんと、張り合いが無いのう……ファッファファファ』
そう言って声に出しておちょくるように笑っている。
完全に余裕ありげな態度のブロディを前にして、すぐに冷静に立ち返ったゆりかは、仕切り直すように一旦後ろに下がって大きく距離を開ける。まだ倍速モードの制限である20秒は経過していない。
「だったら……これはどうっ!」
意を決したように口にすると、再び大地を蹴って高速で駆け出した。そして最高速度を維持させたまま、ブロディの周りを円を描くように走り続ける。
『フンッ……虎みたいにグルグルと回って、バターにでもなるつもりかのっ!』
自分の周りを延々と走り回るゆりかを見て、ブロディが皮肉めいたジョークを口にした。どんな小細工を弄しても無駄だと、彼女を小馬鹿にしているかのようだ。
「……」
ゆりかはそんなブロディのジョークを意に介さない。そうしてしばらくの間、何もせずにただブロディの周りを高速で走り回っていたが……やがて彼女の姿が、突然二体へと分裂した。
『何ぃっ!?』
走りながら分裂した姿を見て、さしものブロディも予想外だったのか驚きの声を上げる。二人いる以上片方が本物で片方が残像である事は間違いないのだが、彼にはそれを肉眼で判別する事が出来なかった。
やがて分裂したうちの片方がブロディに向かって突進していく。
「やぁぁああああっっ!!」
威勢の良い掛け声と共に突進してきたゆりかの一撃を、四本のアームが咄嗟にガードする。
すると彼女の姿は霧のようになり、四方八方へと散っていった。
『チィッ! こっちが残像じゃったかぁっ!!』
フェイントに掛かった事を悟り、ブロディが悔しまぎれに軽く舌打ちする。彼は内心してやられたと思った。
そうして四本のアームが固まっている間に、残像が突進してきたのとは真逆の方向から本物のゆりかが突進してきた。
アームもすぐに動き出すが、ガードが間に合うよりも槍の先端がブロディ本体に届くタイミングの方が速かった。
「もらったぁっ!」
ゆりかが大声で叫ぶ。心の中には揺るぎない勝利への確信があった。
……彼女の一撃は、またしてもブロディを仕留める事が出来なかった。
彼の両肩に乗っていた、盾を背負った蜘蛛型の独立メカ。そのメカが高速でブロディの体を這いずり回って、槍の先端をガードしていたのだ。
「ああっ……」
ゆりかの口から気の抜けたような、何とも情けない声が漏れ出す。彼女にとってそれは、今の自分が持ち得る全てを賭けた必殺の一撃だった。決して防がれる事などありはしないという、計算と確信に満ちた一撃だったのだ。それを防がれた事は、彼女の闘志をへし折る材料として十分だった。
さらには20秒が経過してブースト・モードが解除された事が、彼女の敗北感に拍車を掛けた。もはや手詰まりと言っても差し支え無い、絶望的な状況だ。
「知覚してからでは絶対間に合わない速さで……それも死角から放ったのに……先読みして……それも最初から来る方向が分かってなければ、到底防げないはず……なのに、どうして……」
ゆりかは茫然自失となって地に膝をつくと、青ざめた表情でうわ言のようにブツブツと呟く。作戦が失敗した事実を受け入れられないあまり、現実から目を背けているようにすら見えた。
敗北感に打ちひしがれた彼女の姿を見て、ブロディが大声で楽しそうに笑い出す。
『クククッ……カァーーーッカッカッカァッ!! お前達装甲少女の戦闘データは全てワシの体内のコンピューターにインプットされておるっ! そしてお前達がどの角度から、どの速さで、どんな攻撃を繰り出してくるかを、0.0001秒という超超高速の演算処理能力で割り出し、ワシの意思とは無関係に自動で防いでくれるのじゃよっ! お前達がこのワシに傷を付ける事など不可能っ! 絶対にのうっ!』
攻撃を防いだ仕組みについて、自信満々に語りだす。卑劣で狡猾な性格たる彼があえて敵の前に姿を現したのは、それなりに勝算があっての事だった。
彼が語っている間に四本のアームがゆりかの方に向き直ると、先端の四本指がまるで何かを掴もうとするかのようにクワッと開いた。
『サブアームの機能は、攻撃を防ぐ事だけではないっ! その真の力……目に焼き付けて死ぬがよいっ!』
ブロディがそう口にした直後、アームの指先がバチバチと音を立てて放電しだす。
その様子を見て危険を察知したゼル博士が、ゆりかに向かって大声で叫んだ。
「いかんっ! ゆりか君、すぐにそこから離れるんだぁっ!」
「……」
だが博士の警告を聞いても、身も心も疲れ果てて憔悴しきった今の彼女には、攻撃を避ける余力すら残っていなかった。もはや死に対する恐怖を感じる事すら出来ないほど無気力になってしまっている。普段の冷静で理知的な彼女からは、とても想像が付かない姿だ。
『喰らえぇぃっ! ……ブローデス・サンダーストームッッ!!』
ブロディが気合の篭った声で技名を叫ぶと、アームの先端から青白く光る巨大な雷が一斉に迸る。その雷は天に轟かんばかりの音と共に、ゆりかの体を一瞬にして貫いた。
「ぐぅぅぁぁあああああーーーーっっ!!」
少女の悲痛な叫び声が、辺り一帯に響き渡る……骨の髄まで高圧電流で貫かれたゆりかは、激痛のあまりその場に倒れ込んでしまった。
「ううっ……」
かろうじて意識は保ったものの、自力では立ち上がれないほど深い傷を負い、ぐったりと死んだように仰向けに大地に横たわる。体中がビリビリと痺れたような感覚に襲われ、指先の一本にすらまともに力が入らない。今の彼女なら、ネズミの大群に襲われたとしても、何の抵抗も出来ずに捕食されてしまうだろう。
ブロディはただの無力な女と化したゆりかの前に立つと、自らの影に覆い被せるように身を乗り出した。機械の体だというのに、何か卑猥な企みをしているようにも見える。その光景を目にした者は皆、彼女の貞操を心配せずにはいられなかった。
『ファッファッファッ……どうやら万策尽きたようじゃのう。いやぁ……愉快愉快。気の強い小娘を力で打ち負かして屈服させるのは、とても気分が良いわい。これから何の抵抗も出来ずに身も心も穢されて堕ちていく屈辱を、たっぷりと味あわせてやるとしよう……クククッ』
力無く大の字に横たわる若き乙女の肢体を舐めるような視線でじっくり眺めながら、ムフゥーーッと鼻息を荒くして、ニタニタと笑う。完全に女子高生に性的悪戯を働こうとしている変質者の姿だ。
『たまにはミサキ以外の女の体も弄ってみたいと思っておった所じゃ。いつも同じ女の体ばかり弄っていたのでは、マネキンを相手にしてるのと一緒じゃからのう』
ブロディが性的な目でゆりかの体を眺めている間に、彼のアームの四本指が一本に束ねられてドリルのような形状へと変化し、キュィーーンと音を立てて高速で回りだす。それは歯科医が歯をドリルで削る時によく聞くような音だった。
『殺す前にたっぷりとお楽しみさせてもらうわい。安心せい……気が向いたら後でまた生き返らせて、鎖付きの首輪を繋いでペットとして飼ってやるからのう。せいぜい可愛い雌犬のようにキャンキャン鳴いて、ワシを存分に楽しませるが良い……カァーーーッカッカッカァッ!!』
ブロディはそう言っていやらしそうに笑うと、ドリルと化したアームの指先を、装甲で覆われていない少女の白い柔肌に突き刺そうとした。
その時、檻の中から戦いを見ていたミサキが咄嗟に口を開いた。
「やめろぉっ! 私の身はどうなっても構わない……だが、彼女には手を出すなぁっ!」
天にも届かんばかりの声で叫ぶと、鬼のような気迫でブロディを睨み付ける。眉間にはグワッと皺を寄せ、瞳は真っ赤に血走り、下唇をバリバリと強く噛んで血が滲み出している。
全身に力が入らないゆりかが首だけ動かしてミサキの方を見ると、彼女はとても真剣な顔付きをしていた。それは心の底からゆりかの身を案じた、一寸の淀みなき思いが込められた表情だった。
「ミサキ……」
このミサキという少女は、さやかだけでなく彼女の仲間であるゆりかの事もまた純粋に仲間として心配していたのだ。それはこれまで彼女達にしてきた仕打ちに対する後悔の念による物だったのか……。
(私……バカだった)
ゆりかは、自分の中に微かにミサキに対するわだかまりがあった事を深く悔いていた。さやかもミサキも互いに分かり合う努力をしたのに、それをしなかった自分に恥ずかしさすら覚えた。もし無事にこの戦いが終わったら、彼女を快く仲間として迎え入れよう……そう思わずにはいられなかった。
『ふんっ! ワシの楽しい時間を邪魔するとは、野暮な女よっ! だいたいミサキよ……今のお前さんに、他人を気遣う余裕があるかのぅっ!』
良い気分になっていた所に水を差されて腹を立てたのか、ブロディが鼻息を荒くしながら答える。
だが確かに彼の言う通り、炎の柱は刻一刻とさやかとミサキに迫っている。時間の猶予は無い。このまま何の手も打てなければ、二人が焼き殺される事は目に見えていた。
『クククッ……ミサキよ。せっかくだから冥土の土産に教えてやろう。かつてお前とお前の弟イルマを死に追いやった黒幕は……このワシなのじゃよっ!』
そんな二人に更なる追い打ちを掛けるかのように、ブロディが唐突に言い放った。
「何ぃっ!? で、でたらめを言うなっ!」
ミサキにはその言葉が俄かに信じられなかった。自分に嫌がらせするためについた、その場限りの嘘としか思えなかった。彼の性格を考えれば、そのようなしょうもない事を思い付いたとしても、何ら不思議はない。
言葉を受け入れられずに困惑するミサキを見て、ブロディはククッと声に出して笑う。
『確かにお前たち二人を直接殺したのはゼルかもしれん。だがそうなるようにワシが仕向けたのだ。バロウズから放逐されたお前を、組織の一員であると人間共に吹聴し続けて……さも情報が漏れたかのように位置情報を教えて、人間共にお前を殺させたのじゃよ……用済みになったお前を、我々の手を汚さずに始末するためにのぉっ! カァーーーッカッカッカァッ!! いやぁ、愉快愉快っ!!』
衝撃の事実を打ち明けながら、ブロディが楽しそうに大声で高笑いする……それは完全に命を玩具として弄んでいる、人の心を一片も持ち合わせていない悪魔の所業だった。
そのあまりにも冷酷非道な、悪夢の如き真相を聞かされて、ミサキは悔しさのあまり目を血走らせて歯ぎしりした。
「ブ……ブロディィィーーーーーッ!! 貴様ぁぁぁあああああーーーーーっっ!!」
怒りに満ちた少女の叫び声が、採掘現場に空しく響き渡る……。
遠い空の彼方にいたカラスの群れは、少女の姿をただ憐れむような目で見ていた。




