第219話 眠りに就いた少女
「……はっ!」
バエルを倒して気を失ったミサキが目を覚ます。
彼女は建物の一室にあるベッドに寝かされていた。外見は変身前の制服姿に戻っており、戦いで受けた傷は完全に塞がっている。
布のカーテンで仕切られたベッド、清潔感を漂わせる屋内は、そこが病院であろうと容易に推測出来た。
室内に一人の女性看護師がいる。ミサキが目覚めた事には気が付いていない。
「おい、ここは何処だッ! バエルはどうなった!? さやかは……みんなは無事かッ!!」
ミサキは慌ててベッドから起き上がると、近くにいた看護師に強い調子で詰め寄る。肩を掴んでガクガク揺らしながら、頭の中に湧き上がった疑問を怒涛の如く浴びせた。
「おおお、落ち着いて下さい霧崎さんっ! ここは京都府内にある病院ですっ! 戦いが終わった後自衛隊が駆け付けて、皆さんをここに連れて来たんです! お仲間は全員無事です! バエルの遺体は自衛隊が回収しましたっ! 後でチェーンソーで解体するそうです!」
看護師が慌てふためきながら質問に答える。少女に物凄い剣幕で迫られて、驚いたあまり危うく舌を噛みそうになった。
「そうか……みんな無事か」
看護師の言葉を聞いて、ミサキがホッと胸を撫で下ろす。バエルの死を確認できた事もそうだが、何より仲間の犠牲者が一人も出なかった事に心から安堵する。
「ええ……赤城さん以外は」
看護師が伏し目がちになりながら、ボソッと小声で呟く。
その一言でミサキの顔がサーッと青ざめた。
「それはどういう事だッ! さやかに……さやかに一体何があったぁぁぁぁぁぁああああああああッッ!!」
再び大声で喚きながら看護師に掴み掛かる。病院中に響かんばかりの大きな声で叫んでも、他人の迷惑など気にしない。仲間の安否を気遣う気持ちで頭がいっぱいになり、なりふりなど構っていられなかった。
看護師は少し言いにくそうに口をモゴモゴさせたが、やがて恐る恐る事実を話す。
◇ ◇ ◇
「さやかぁぁぁぁああああああーーーーーーーーっっ!!」
ミサキが大声で名を呼びながら廊下をドタドタ走る。看護師から教えられた病室の前まで来ると、力任せにドアを蹴破る。
少女が部屋に入ると、病室のベッドにさやかが寝かされていた。彼女の周囲にゆりか、アミカ、マリナ、それにエルミナとゼル博士もいる。仲間は一通り揃っており、全員無事だ。皆不安そうな表情でさやかを見守っている。
当のさやかは深い眠りに就いたままだ。人工呼吸器は付けておらず、眠ったまま自力で呼吸している。体の傷も癒えており、命に別状は無さそうに見えた。
にも関わらず、一向に目を覚ます気配が無い。さながら毒リンゴを喰わされた童話の眠り姫のように……。
「さやかの身に一体何があった! 何処か内蔵でも痛めたかッ! あるいはおかしな病気に罹ったのか!?」
ミサキが半ば困惑気味になりながら仲間に問い質す。何処にも異常は見当たらないのに少女が目覚めない事に、胸が激しくざわついた。
「さやかの体は何処もおかしくなってないわ。ただ……」
ゆりかが沈痛な面持ちで口を開く。それ以上言いにくいのか、言葉を詰まらせた。
彼女の心情を察して、ならば代わりにと博士が話を続ける。
「変身が解けたままレーザーで胸を撃ち抜かれた事は、さやか君にとってかなりショックだったらしい……魔王を倒せなかった事も大きなストレスに繋がったようだ。心に深い傷を負った事が原因で、彼女は今もこうして眠り続けている」
最後の戦いで受けた傷が引き金となって、昏睡状態になった事を明かす。
「様々な治療法を試みたが、どれもダメだった……もしこのまま治す手立てが見つからなければ、彼女は一生死ぬまで眠ったままかもしれない」
病気の治療に最善を尽くしたが成功しなかったと伝える。想定し得る最悪の可能性を口にして、自分の不甲斐なさを嘆くように苦悶の表情を浮かべた。
「そんな……」
悲壮な現実を突き付けられて、ミサキが顔面蒼白になる。あまりのショックに頭がクラクラして、目眩がして吐きそうになる。戦いが終わった喜びは完全に吹き飛んでしまい、目の前が真っ暗闇になった心地がした。
「そんなの嘘だァッ! さやか、起きろ! 起きてくれッ! 世界が平和になっても、お前が元気でいなければ何の意味も無い! なのにこんな所で一生眠ったままなんて、そんなのあんまりじゃないかッ! さやか、お願いだから起きてくれッ! 起きて、いつもの元気なアホ面を私たちに見せてくれぇぇぇぇぇぇええええええええッッ!!」
目に涙を浮かべて泣きそうな顔になりながら、さやかに起きるよう何度も呼びかけた。大切な仲間を失う悲しみに耐えられない気持ちがあり、居ても立ってもいられなくなる。どんな手段を使ってでも目を覚まさせようと、頬をペチペチ叩いたり、肩を激しく揺すってみたりする。
無論そんな事で彼女が目を覚ます筈がなく、何の反応も示さない。それがますますミサキを苦悩させた。
「うっうっ……さやかぁ……」
最後は何の手立ても無くなり、眠ったままの仲間にしがみついて、声に出してすすり泣く。
「ミサキさん……」
絶望に打ちひしがれて泣く少女を、アミカが悲しそうな目で見つめる。何の手助けもしてあげられない自分にもどかしさを抱く。
「私の知ってるママは、もっと強いもん……ずっと眠ったりなんかしないもん」
エルミナは下を向いて顔を真っ赤にしてプルプル震えながら、泣くのを必死に堪えようとする。辛い事があっても泣かない強い子でいようとした。
「……だからママ、お願いだから起きてっ! 私、これからママの言う事なんでも聞くからっ! ずっといい子のままでいるからっ!!」
だが最後は我慢できず目から涙を溢れさせると、愛する母親に抱き着いてわんわんと声に出して泣き出す。ミサキと一緒で彼女の前から離れようとしない。
「ミス・サヤカ! 貴方がいないと、人生が退屈で仕方ありませんのっ! これからもたくさん面白い事をやって、ワタクシを楽しませてくれないと困りますのっ!!」
マリナも同様に目に涙を浮かべながら、何度もさやかに声を掛ける。少しでも効果があるかもしれないと思い、病院の台所から持ってきたネギを彼女の頬にグイグイ押し当てた。
ある者は無言のまま立ち尽くし、またある者は泣きながら少女にすがりついて、またある者は彼女を目覚めさせる方法を模索する。だが誰もが、さやかが目覚めない事に悲嘆する。病室全体が深い悲しみに包まれて、重く淀んだ空気になる。
そこに世界を救った喜びは微塵も感じられない。大事な仲間を犠牲にして得られた平和に、何の価値があろうかっ! ……そう思わずにいられなかった。
(我々は……また同じ過ちを繰り返してしまうのかッ!!)
かつて世界を救うために魔法少女が犠牲になった事を思い出し、博士が悔しげに肩を震わせて、眉間に皺を寄せて、血が出るほど強く下唇を噛んだ。
◇ ◇ ◇
「……やかちゃん……さやかちゃん……起きて」
深く眠っていた彼女の意識に何者かが呼びかける。
「うっ……」
自分を呼ぶ声でさやかが目を覚ますと、目の前に一人の少女がいる。
フリルのレースが付いた赤い魔法少女のような服を着た女の子……バエルと戦うために力を貸してくれた焔かすみ、その人だ。
変身が解けた制服姿のさやかが周囲を見回すと、そこは光が届かない真っ暗闇だった。二人の他に人の気配は無い。
「私、死んじゃったの……? 他のみんなは……バエルはどうなったの?」
またしても奇妙な空間に入れられた事に、自分が死んだのではないかとさやかが不安を口にする。自分が倒れた間に仲間がどうなったか心配になり、真相を知りたくて心がモヤモヤした。
「貴方は死んでなんかいないよ……ちゃんと生きてる。みんなの事なら、心配しないで。あの後ミサキっていう子が立ち上がって、バエルを倒してくれたの。それで全てが片付いた。みんな大丈夫、全員無事だよ」
少女の疑問にかすみが逐一答える。さやかの命が無事だった事、彼女が気を失った後に魔王が倒された事、仲間の犠牲者が一人も出なかった事を伝えた。
「そっかぁ……ミサキちゃんが……良かった」
真実を告げられて、さやかが深く安堵の笑みを浮かべた。
自分が倒された後に仲間が皆殺しにされたのではないかと気が気でなかったために、そうならなかった事に心の底から安心した。それと同時に敵を仕留めてくれた仲間の活躍に大きな感謝の念を抱く。
獲物を横取りされた悲しみの感情は無い。ただ仲間が一人も死なずに、誰かが魔王を倒してくれさえすれば、それで十分だった。
「でもさやかちゃん……貴方に一つだけ、どうしても伝えなくちゃいけない事があるの」
かすみがそう口にして、急に顔を曇らせた。とても言いにくい、だが絶対に言わなければならない事実を今から明かそうとしている雰囲気が、嫌というほど感じられる。
「貴方はバエルとの戦いで、魂に深い傷を負ってしまった……その傷はいくら眠ろうが、薬を使おうが、決して癒える事は無い。そして魂の傷が癒えなければ、貴方は一生眠り続ける事になる。それが死んでないのに、貴方がこの空間にいる理由……」
さやかが置かれた現状を正確に伝えて、目を合わせ辛そうに顔を背けた。
少女が口にした真実……それは博士がミサキ達に言ったのと同様に、さやかがこのままでは永久に眠り続けるハメになるというものだった。




