第218話 決着の一撃
あらゆる攻撃を防ぐ無敵形態を発動させたバエルだったが、唯一の弱点をさやかに見抜かれて、致命的な打撃を与えられる。バエルは炎に包まれて姿が見えなくなり、さやかは十分のタイムリミットを迎えた事により変身が解除される。
だが敵を倒したと喜んだのも束の間、少女が観客席を向いた瞬間、背後から発射されたレーザーに胸を撃ち抜かれる。
彼女が激痛に顔を歪ませながら後ろを振り返ると、そこに立っていたのは変わり果てたゾンビのような姿となったバエルだった。
「マダダ……マダ、終ラセンゾ……」
壊れた機械音声のような声で、戦いの続行を宣言する。致命傷に等しいダメージを負ったにも関わらず、自身の敗北を受け入れようとしない。
いつ自壊してもおかしくないほどボロボロに傷付いた体で、尚も敵を仕留めようとする……それは正に絶対王者としてのプライドが為せる執念だった。
「ぐうっ……」
さやかが胸の痛みに耐え切れずガクッと膝をつく。どうにか立ち上がろうとしたものの、傷口から大量の血が流れたせいで手足に力が入らず、体が思うように動かない。
彼女はもはや敵に襲われるのをただ待つだけの、まな板の上の鯉と化してしまった。
何の力も残っていない少女に向かって、バエルがズル……ズル……と足をひきずって歩く。移動はゆっくりだが、相手が全く動けないので問題無い。やがて目の前に立つと、少女の頭を右手でガシッと掴んで高々と持ち上げる。
「んんんんっ!」
顔を掴まれても、さやかはもがく事すら叶わない。ただ声に出して嫌がるので精一杯だった。
「フンッ!」
バエルは不愉快そうに一声発すると、手に持っていた少女を闘技場の壁に向かって思いっきりぶん投げた。装甲少女に変身していない生身の体が、核シェルターのように分厚い壁にドガァッと音を立てて叩き付けられ、ズルッと力なく地面に落下する。
「あと少し……だった……の……に」
さやかは無念そうな言葉を口にすると、地べたに倒れて目を閉じたまま動かなくなる。死んだかどうかまでは分からない。
だが彼女が気絶へと追いやられた事は、魔王に勝利の確信を抱かせるには十分だった。
「フハハハハッ……勝ッタ……赤城サヤカニ勝ッタゾ! ヤハリ私コソガ、宇宙ヲ統ベルニ相応シイ存在……天ハ私ヲ選ンダ! 私コソ宇宙最強ダッタノダ! フフフフフッ……フハハハハッ……ハァーーッハッハッハァッ!!」
宿敵を仕留めた喜びで、バエルが心の底から嬉しそうに高笑いする。自分の体が崩壊寸前だというのに、それを気にする素振りは微塵もない。ただ純粋に、一途に、少女に勝てた満足感に浸る。瀕死の重傷を負った影響か、もはや正気を失っているようにも見えた。
「何という事だ……」
一連の光景を目にして、ゼル博士が顔をうつむかせたまま口惜しそうに漏らす。苦悶の表情を浮かべて両肩を震わせて泣きそうになりながら、さやかが行動不能に追い込まれた事を心の底から嘆く。
「ちくしょう……」
「あと少しだってのに……」
戦いを見ていた観衆も皆声に出して残念がる。せっかくここまで追い詰めたのに、という無力感に苛まれた。
バエルは本当にあと一発殴るだけで死にそうなほどボロボロなのだ。それこそ観衆が総出でタコ殴りにすれば、それだけで勝てそうな勢いだった。
だが客席と戦いの場は頑丈な結界で仕切られており、徒歩では駆け付けられない。かといって他に道は見つからず、人々は閉じ込められた状態にある。
敵が瀕死だというのに、自分たちは手が出せない……それが何ともむず痒い。
(ゆりか……ミサキ……アミカ……マリナ……誰でもいいッ! 誰か……誰か一人でも起き上がって、魔王に止めを刺してくれッ!!)
博士は目を瞑って両手を組んで、神に祈るように奇跡が起きる事を必死に願った。
(頼む……私の体……動けッ! 動いてくれぇえええッ!!)
その時、うつ伏せに倒れたミサキが気力を振り絞って自分の手足を動かそうと試みた。
博士たちは気付かなかったが、ザルヴァに倒された四人の中で彼女だけが意識を失っていなかった。体は全く動かず、言葉すら喋れなかったが、聴覚は正常に機能しており、一連の出来事は耳で聞いて把握していた。
彼女は今ここでバエルを倒せるのは自分しかいないと思い、気合で起き上がろうとする。だがいくら体を動かそうと踏ん張ってみても、手足が全く言う事を聞かない。まるで首から下が自分のもので無くなったかのように硬直している。
あと一撃で倒せる敵が目の前にいるというのに、自分は何も出来ない。それが悔しくてたまらない。さやかがあれだけ必死になって頑張ったのに、それに引き換え私はなんて情けないんだ……と思う気持ちで胸がいっぱいになる。
自分の不甲斐なさを嘆くあまり目に涙が浮かんで、ボロボロと悔し涙が止まらなくなる。人々に聞こえない小声でウッウッとすすり泣く。
(私はしょせんこの程度の女だったのか……)
ミサキが自分の弱さに打ちひしがれて絶望しかけた時……。
『そんな簡単に諦めるように育てた覚えは無いぞ……我が弟子よ』
何者かが彼女の脳内に直接語りかける。
(誰だ?)
自分に呼びかけた声に反応して、ミサキが首から上だけを動かして正面を覗き込むと、目の前に大きな人影が立つ。背丈は四メートルほど、背中に一振りの大太刀を背負い、鎧武者のような甲冑を着て般若の面を被った大男……。
「……師匠ッ!!」
見覚えのある男の姿を目にして、ミサキが思わずそう叫んだ。
目の前に現れた男……それはかつて少女と戦い、命を落としたはずの彼女の師匠、エッジマスター・ガイルだった。体は半透明に透けており、風が吹いてもそのまま通り抜ける。
それがミサキの脳内記憶が生んだ幻覚なのか、それとも本当に幽霊が現れたのかは分からない。だが今彼は間違いなく、少女の目の前にいる。
『ミサキよ……私が最後にお前に言った言葉を思い出せ』
ガイルは自分が今際の際に弟子に伝えた教えを思い出すように言う。
「師匠が……最後に私に言った言葉……」
男の言葉を聞いて、ミサキが過去の記憶を呼び覚ます。
「お前も悔いを残さぬよう、自分の人生を精一杯生きろ。やりきったと自分に胸を張って言えるよう、最後の一瞬まで、諦めず、希望を捨てず、全力で悪あがきしろ。そこに勝機を見い出せ……」
そして師匠に言われた教えを一字一句違わずに復唱する。
すると弟子が自分の言葉を覚えていた事に安心したようにガイルがニコッと笑う。
『ミサキよ……ここで終わって、お前は本当にそれで満足なのか? それで最後までやりきったと、自分に胸を張って言えるのか? そうでは無いだろうッ! ならば立てッ! 立ち上がって、自分が満足するまで全力で悪あがきしろッ!!』
自らの言葉を引用しながら、今まさに希望を捨てて諦めようとした弟子を厳しく叱咤した。
『あの時ああすれば良かったと、自分の人生に悔いが残る生き方をするな。途中で心折れて投げ出せば、必ずそれは後の後悔へと繋がる。たとえ成果が出ずとも、その場で全てを出し切って、必死にあがいて、自分に私は最後まで頑張ったんだぞ、よくやったぞと、胸を張って言えるようになれ』
改めて最後までやり遂げる事の意義を伝えて、弟子に奮起を促させようとした。言葉の節々からは、口調は厳しくとも、弟子に後悔した人生を送って欲しくないという男の気遣いが感じ取れた。
『ミサキ……お前なら、きっとやれる……』
最後は優しく言葉を掛けながら、スゥーーッと薄れて消えていく。
後には何も無い空だけが残る。ミサキ以外には彼の姿は見えていなかったようだ。
「師匠……」
自分を育てた師の消えゆく姿を見届けた後、ミサキが物思いに耽る。
ガイルの言葉は少女の胸に深く突き刺さるものがあった。全てを諦めて絶望しそうになっていた彼女にとって、師匠に尻を叩かれて、喝を入れられた心地がしたのだ。
自分が忘れかけたものを思い出させてくれた……正にそういう気持ちになった。
(そうだ……こんな所で諦めてたまるかッ! せっかくここまで来たんだッ! あと一歩で倒せる敵が目の前にいるのに、ここで諦めてしまったら、仲間に合わせる顔が無い! さやかが最後まで諦めなかったように、私も絶対諦めないぞッ! たとえこの身が砕けようと、最後の一瞬まであがいてあがいて、あがき続けてやるッ!!)
少女の瞳の奥で、灼熱の業火のような闘志が燃え上がる。何としても絶望に屈するまいという強い感情が、彼女の執念を呼び覚ます。全身の血管がマグマのように熱くなった感覚を覚えると、体の芯から力が湧き出す。
これまで岩のように重かった自分の体が急に軽くなる。
「うおおおおおおおおッッ!!」
ミサキはスタジアム全体に響かんばかりの大声で叫ぶと、気力を振り絞って手足を動かす。両腕を支えにして上半身を起こすと、足に力を入れて踏ん張って、ゆっくりと体全体を立ち上がらせた。
「おおっ……見ろ! ミサキという子が……」
一人の少女が立ち上がったのを見て、人々の視線が一斉に彼女へと向けられた。少女の一挙手一投足を実況するように興奮気味に熱く語り、彼女ならやってくれるのではないかと期待に胸を膨らませた。
(ミサキ君……)
博士もミサキが再起してくれた事を深く喜びつつ、一抹の不安を抱く。
今この場でバエルを倒せる者がいるとしたら、それは彼女しか居ない。だからこそもし彼女が失敗すれば、今度こそ魔王を倒す手段が失われる事になる。
博士は彼女が使命を成し遂げられるようにと心の底から強く祈った。
「ミサ……キ……」
バエルも立ち上がった少女の方へと振り返る。何を考えたのか表情からは読み取れないが、新たな敵の出現に、勝利の余韻に水を差された事は確かだ。
敵を倒そうと思い立ったのか、少女に向かってゆっくりと歩き出す。
(バリアも再生能力も、完全に失われている……今のヤツなら、私でも倒せるッ!!)
バエルがボロボロに傷付いた姿を目にして、ミサキが圧倒的優位に立った事を確信する。何としてもこの機を逃すまいと思いを強くする。
少女がふと辺りを見回すと、目の前の床に「これを使え」と言わんばかりにザルヴァの刀が刺さっていた。さやかとの決闘時に蹴り飛ばされたものだ。
「ザルヴァ……お前の刀、使わせてもらうぞ」
ミサキはそう口にすると、地面に刺さった刀を両手で引き抜く。
ザルヴァなら片手で振り回せるサイズでも、少女にとっては自身の背丈と同じくらいの大太刀となる。彼女はそれを両手で強く握ると、天に向かって高々と振り上げた。その構えのまま、力を溜め込むように数秒間静止する。
「サヤカ……ユリカ……ミサキ……オ前タチ全員、地獄ニ引キズリ込ンデヤル……」
何らかの技を放とうとするミサキに対し、バエルがそうはさせまいと息巻く。
右手のひらを彼女に向けると、手のひらに穴が開いて赤く光りだす。さやかを撃ち抜いたのと同じレーザーを発射しようとしている事は明白だ。
「!?」
だがバエルの右手が突然ボンッと音を立てて爆発し、レーザーが不発に終わる。
何処かから攻撃を受けた訳ではない。彼の手が独りでに自爆したのだ。
自壊寸前にあった彼の右腕は、せいぜいレーザーを一度発射するのが限界だったようだ。
それは少女にとって絶好のチャンスが訪れた瞬間に他ならない。
「どうやら天運に見放されたようだな、バエル! 悪いが地獄には貴様一人だけで行ってもらう! これで何もかも、全てオシマイだッ!!」
敵が攻撃の手段を全て失った事に、ミサキがニヤリと笑う。自分の勝利が決定的となった事に胸を躍らせた。
「冥王秘剣・裏奥義……断空絶牙ッ!!」
技名を口にすると、手にした刀を一気に振り下ろす。ブォンッと風を斬る音が鳴り、全力で振った刀から目に見えない一陣の突風が吹く。
その風がバエルの体をスッと通り抜けた瞬間……。
「ナッ……ガ!?」
魔王の体が縦一閃に切り裂かれて、左右へと綺麗に分かれていく。あまりに一瞬の出来事だったため、本人は斬られた事に気付いてすらいない。
(振った瞬間相手に命中する、回避不能の断空牙……それが断空絶牙ッ! 再生能力を持たぬ限り、喰らった相手は確実に一撃死する無敵の技……ッ!!)
少女が放った技の威力を目の当たりにして、博士がゴクリと唾を飲む。
左右に分かれた男の体はドォッと地面に倒れ込む。左半身はそのまま動作を停止させて、右半身だけがかろうじて動く。
「天ヲ……全テヲ、コノ手……ニ……」
バエルは空に輝く太陽に向かって右手を伸ばそうとしたが、糸が切れた人形のようにガクッと力尽きる。そして完全に死んだようにピクリとも動かなくなった。
「ハァ……ハァ……やったぞ……バエルを倒した……ぞ」
敵の明確な最期を見届けて、ミサキが心の底から嬉しそうにニッコリ笑う。
長距離を全力疾走したように呼吸が荒くなり、表情には疲労の色が浮かび、額からは汗が滝のように流れ出す。手足がガクガク震えて腕に力が入らなくなり、握っていた刀が彼女の手から零れ落ちて地面に転がる。
一撃放っただけで全ての力を出し切ったのか、まともに立っていられず、内股になって地面にへたり込む。
「さやか……ゆりか……みんな……私はやったぞ……最後までやり遂げた……ぞ……」
ミサキはそう口にすると、力なく横向きに倒れた。戦いが終わった安心感で緊張の糸が解けたのか、目を閉じたままスゥスゥと寝息を立てながら安らかに眠る。心配になった観衆がいくら声を掛けても、一切反応を示さない。
彼女は数時間後に自衛隊の救護班が駆け付けても、全く起きようとしなかった。
……だがその表情は、使命を成し遂げられた満足感に浸るように穏やかだったという。




