第18話 絶望に生きた女(中編-1)
弟の仇を取ろうと博士に斬りかかるギル・セイバー……霧崎ミサキ。
博士を庇い、彼女の前に立ちはだかるエア・グレイブ……赤城さやか。
もはや両者の衝突は避けられなかった。
「そうか……ならばエア・グレイブッ! お前から地獄に送ってやるっ!」
ミサキはそう言うと、即座にさやかに斬りかかっていった。
「地獄になんて……行かないっ!」
さやかも負けじと叫びながらミサキに飛びかかっていく。彼女に対する哀れみの感情はあっても、その闘志には一切の迷いが無い。
「でぇぁあああっ!」
「どぉりゃぁああああっ!」
さやかは気合の入った雄叫びと共に全力の拳を放ち、それとほぼ同時にミサキも刀で斬りかかる。拳と刀、互いの全身全霊を賭けた一撃がドォォッと激しくぶつかり合うと、その衝撃で両者は共に後方に勢いよく弾き飛ばされた。
「っ!?」
ミサキは一瞬驚きながらも、すぐに距離を取って体勢を立て直す。内心では相手の力を侮っていた自身の認識を、改めなければならないという思いに駆られていた。
「フフッ、力はほぼ互角という訳か……ならば、これはどうだっ!」
口元に微かな笑みを浮かべると、ミサキは空を切ろうとするかのように、手にした刀を横一閃に振り抜いた。それと同時に刀身から三日月の形をした衝撃波のような物体が放たれて、目にも止まらぬ速さでさやかに襲い掛かる。
「くっ!」
さやかがそれを咄嗟に避けると、衝撃波は彼女の遥か後方にそびえ立っていた大木を真っ二つに切り裂いて倒壊させた。
「我が愛刀ムラマサは、触れずとも相手を切り裂くっ! お前は私に近付く事すら出来んっ!」
ミサキが勝ち誇ったように笑みを浮かべる。心の内には戦況において優位に立ったという、余裕の感情が生まれる。
彼女が刀を振り回すたびにヒュンヒュンッと蔓がしなるような風切り音が鳴り、そのたびに刀身から三日月状の衝撃波が放たれる。
相手の攻撃が届かない間合いを保ったまま、一方的にさやかをなぶり殺しにするつもりだった。
一方のさやかは衝撃波を避けるので精一杯だった。今までならビームキャノンで応戦していた局面だが、新技を習得した今、彼女の中にエネルギーを温存しておきたい思いがあり、使用をためらわせていた。
だが今あれこれ考えている暇は無い。このまま避ける事だけに専念していては、体力を削られる事は目に見えているのだ。
「……」
スゥーーッと深呼吸して意識を集中させると、意を決したように一直線にミサキの元へと走り出した。
恐らく、何か対策を思い付いたのだろう。そうでなければ、ただの自殺行為だ。
「何をするつもりだっ!! 正気でも失ったか?」
さやかの行動に驚きつつ、ミサキはなおも刀を振り回して衝撃波を砲台のように放ち続ける。内心この技に対処など出来る筈が無いと考えていた。
「……っ!?」
一瞬、彼女は起こった出来事に目を丸くさせた。
衝撃波が当たる寸前、さやかは見計らったように右か左に素早く動いてかわしていたのだ。それは着弾のタイミングを把握していなければ、とても出来ない芸当だった。
「ばっ……馬鹿なぁっ!?」
ミサキが驚きのあまり、声に出して慌てふためく。とても信じられない、何かの見間違いではないかと思わずにはいられなかった。
衝撃波の進むスピードは極めて速く、走りながらではとても避けられない代物のはずだった。何しろ放たれてから目標に命中するまで、文字通り瞬きする程度の時間しか無いのだ。
それでも彼女は、それをやってのけた。
「発射の間隔……軌道……速度……毎回同じなら、覚えて避けるのは難しくないっ! うぉぉおおおおっっ!!」
そう叫びながら間合いに入ると、さやかは躊躇なくミサキの顔面に向かって拳を放つ。
ミサキは自分に向けて放たれたその拳を、刀の側面を盾のようにしてすかさず受け止めた。
両者はその姿勢のまま、互いに牽制するようにギリギリと力を入れて睨み合う。
「エア・グレイブ……いや、赤城さやかと言ったか。お前は大した女だ……賞賛に値する。さすがこれまで激戦を戦い抜いてきただけの事はある。どうやらただの脳筋ゴリラ女では無いらしい。だがそれでも……お前の実力では、私には絶対に勝てんっ!」
ミサキはそう言って自信ありげにニヤリと笑うと、不意打ち気味にさやかの腹に膝蹴りを食らわせた。
「ぐはぁっ!」
腹に強烈な一撃を食らい、さやかはたまらず声に出してその場にうずくまる。思わず胃の中にある未消化の食べ物を、吐き出してしまいそうな衝動に駆られた。
痛そうに腹を押さえて苦しむ彼女に、絶好のチャンスとばかりにミサキの刀が振り下ろされる。
「私の勝ちだっ! その首もらったぁっ!」
「まっ……まだだぁっ!」
さやかは咄嗟に地面に両手を着くと、逆立ちの姿勢で上に向かって蹴りを放つ。
その何としても負けまいとする執念によって放たれた渾身の蹴りは、刀を振り下ろそうとしてガラ空きになっていたミサキの顔面にまともに命中した。
「ぐあああぁっ! きっ……貴様ぁぁあああっっ!!」
戦士と言えど、やはり顔は女の命……その顔に蹴りを入れられて烈火の如く怒り出すミサキであったが、すぐに冷静に立ち返って警戒するように距離を取った。
心の内には、感情に身を任せての力押しでは到底勝ち目が無い相手だという思いがあったからだ。
一方さやかもすぐにその場から立ち上がって、腹の痛みを堪えながら体勢を立て直す。
「ハァ……ハァ……」
「くうぅぅ……」
仕切り直すように、互いに正面から向き合って対峙する。
二人共すっかり息を荒くしており、全身から疲労の汗が滝のように吹き出す。極度の緊張のあまり震えるその足は、もはや相手に負けたくないという執念と意地のみによって支えられているかのようだ。
戦いが始まってまだ数分しか経っていないのに、お互いかなり消耗しているように見えた。だがその膠着状態も、長くは続かない。
「うぁぁぁああああーーーーっっ!!」
先に仕掛けたのはさやかの方だった。
自身を奮い立たせる雄叫びと共にミサキの間合いに飛び込むと、両手を駆使して拳の猛ラッシュを放つ。一撃の威力を軽くした代わりに数で攻める、アサルトライフルの弾のような連撃だった。
キツツキのくちばしのように高速でドガガガッと放たれる拳を、ミサキは刀の側面を盾にして、しなやかに何度も受け流していた。まさに力と技のぶつかり合いだ。
「うららららららぁぁぁぁあああああーーーーーーっっ!!」
「フンフンフンフンフンフンッッ!!」
体の底から力を振り絞るように互いに声を張り上げながら、激しい攻防が続く。
拳を振るうヒュンッという音と、その拳を刀で弾いたギィンッという鈍い音が、まるで楽器の演奏のようにリズミカルに鳴り響く。
両者共に一歩も譲らない。実力はほぼ互角であるように見えた。
そんな両者の激しいせめぎ合いを、力を使い切ったゆりかは、ただ遠くから見守る事しか出来なかった。
「こんな時に、私だけ何も出来ないなんて……」
そう呟いて悔しげに顔をうつむかせる。親友の力になれない自身の無力さに対する苛立ちが、胸の内に広がる。
己の不甲斐なさに落ち込んでうなだれているゆりかに、ゼル博士が冷静に言葉を掛ける。
「君は十分よくやってくれた……敵の正体が分かったのは、君が力を使ってくれたおかげだ。何も気に病む事は無い。後はさやか君に任せよう。大丈夫……彼女は絶対に負けたりしない。私はそう信じている」
そう言って落ち着いた口調でゆりかを励まし、二人はなおも遠くから戦いを見守っていた。仲間の勝利を強く願う気持ちと共に……。
さやかとミサキの互角のせめぎ合いはしばらく続いていたが、やがてそれにも終わりが訪れた。
「ううっ……」
これまでの戦いで疲労が限界に達したのか、さやかが不意にバランスを崩す。敵との我慢比べに根負けして、集中力を切らしたようにも見えた。
もちろんその一瞬の隙をミサキが見逃すはずはない。
「もらったぁっ!」
絶好の機会到来と見るや、ミサキはここで一気に勝負を決めようと、さやかの顔面に向かって大振りの一撃を放つ。当たれば確実に肉が両断される威力の、全身全霊を賭けた一撃だ。
だが刃が触れる直前、さやかは急に動きが良くなったかのように、その一撃をいともたやすくかわして見せた。
……疲労で偶然隙が生まれたのではない。彼女はわざと隙が生まれたように見せかけて、相手が空振りするのを狙っていたのだ。
「しまっ……!!」
まんまと策に乗せられた事に気付いて、ミサキが露骨に焦り出す。
慌てて体勢を立て直そうとするものの、刀の切っ先は大地に深く突き刺さっており、簡単には抜けそうにない。
彼女は内心してやられたと思った。さやかが策など使う筈がないという無意識下の慢心が、この重大な局面において目測を見誤らせたというのか。
「かかったわねっ! ……11thギア、解放ッ!!」
慌てふためくミサキを前にして策が成功した事を悟ると、さやかは即座に右肩のリミッターを解放してパワーを溜め始める。
敵の前に無防備な姿をさらけ出す大技だが、今の彼女に対しては、フルパワーでなければ十分間に合うだけの余裕があった。
やがて刀の切っ先が地面から抜けた時、パワーは完全に溜まり切っていた。
「ラムザ・ストライクッ!!」
掛け声と共に、さやかの全力を込めた拳の一撃が放たれる。
まるでロケットランチャーの砲弾のような剛拳を、ミサキは咄嗟に刀で弾こうとするものの、その凄まじい力のあまり後方へと一気に押されていき、どうあがいても受け流す事が出来なかった。
「オオォォッ!! こっ……こんな馬鹿なぁぁあああっっ!!」
焦りの言葉が口から漏れ出す。敗北の二文字が頭の中をかすめた瞬間、ギィンッと鈍い金属音が鳴り響き、それと共に刀が彼女の手元から離れた。
放物線を描くように宙を舞った刀は、さやかの遥か後方に落下して地べたに叩き付けられる。とても目の前の敵を無視して取りに行ける距離では無かった。
さやかは武器を失って丸腰になったミサキの腹に、躊躇せず左手でボディブローを叩き込んだ。腹の肉に拳が深くめり込んでいき、ドグオォッと重い音が鳴る。
「えぐぅぅぁぁぁあああああーーーーーっっ!!」
内蔵が潰れ胃の内容物を吐き出しかねん勢いの痛みに、ミサキはぐるんと白目を剥いて悲鳴を上げながら豪快に吹っ飛んでいった。それは相手が生身の少女であろうと一切手加減しないという強い意志が込められた、本気の一撃だった。
「勝敗は決したようだな……」
ゼル博士が安堵の表情を浮かべながら呟く。ゆりかに励ましの言葉を掛けはしたものの、心の奥底ではさやかが負けるかもしれないという不安を抱いていただけに、ホッと胸を(な)撫で下ろさずにはいられなかった。
「うぐぅぅっ……」
地面にうつ伏せに倒れたまま、苦しそうに呻き声を漏らすミサキ……殴られた腹を左手で押さえながら、どうにか力を振り絞って立ち上がろうとする。
このまま終われないという気持ちがありながら、体がそれに付いていこうとしない。
心の内には敗北感が広がりつつ、何処かでそれを認めたくないという葛藤に駆られ、悔しさのあまり血が出るほど強く下唇を噛んでいた。
そんなミサキに、さやかは一歩ずつ歩み寄っていく。もう相手に戦う力は残っていないという判断からか、その歩き姿に警戒心のような物は見られない。
「貴方の負けよ……霧崎ミサキ。大人しく降参しなさい」
さやかは彼女の前に立つと、勝ち誇ったように腰に手を当てて見下ろしながら言った。まるで子供を叱りつける母親のような目をしている。
「グッ……誰が降参などするものかぁっ! 殺したくば殺せっ! この機を逃したら、後になってから後悔してももう遅いぞぉっ!」
さやかの言葉に、ミサキもまた顔を上げて睨み付けながら答える。相手に屈するくらいなら、いっそ死んだ方がましだと言わんばかりに声を荒げる。たとえこの身は恥辱に塗れようとも、敵の軍門に下る事など彼女の選択肢には最初から無かった。
「できないよ……殺すなんて」
さやかはそう言って、目をつぶって首を左右に振った。これまで手加減せずに全力でぶつかってきた相手だが、どうしても命まで奪う気にはなれなかった。
不幸な境遇を知ってしまった以上、さやかにとって彼女は『死んでも構わない相手』では無くなったのだ。たとえそれが、甘さを捨て切れていないと非難されようとも……。
「私、貴方と分かり合いたい……もう決着ついたんだから、戦いはやめようよ。ね?」
そう言って穏やかな微笑みを浮かべながら、優しく手を差し伸べる。
……傷付いた兵士を看病する、慈愛に満ちた聖女のような目をしながら。
先ほどまでのギラついた闘争心は完全に消え失せていた。
そんなさやかを見ていて、ミサキがふいに呟いた。
「そうか……それは残念だ」
ドスッ
「……えっ?」
一瞬、さやかには何が起こったのか全く理解出来なかった。
胸がジワァッと熱くなる感覚が広がり、体からは急速に力が抜けていく。
彼女が自分の胸に目をやると、背後から飛んできた刀に胴体を貫かれて、傷口からドクドクと血が溢れ出していた。
「戦いが終わったと思って、完全に油断したな……赤城さやか。妖刀ムラマサは、私の意のままに動く……直接手を触れずともな。切り札は最後まで取っておくものだ。その甘さが、命取りになったという訳だ……」
ミサキはしてやったりと言わんばかりに邪悪な笑みを浮かべる。相手の優しさから生まれた油断に付け入った、人の心を失った悪魔の如き笑みだった。
ミサキが合図するように右手を上げた瞬間、さやかの背後に落ちていた刀が独りでに宙に浮いて、完全に無防備だった彼女を背後から貫いていたのだ。
勝者の余裕に浸りきっていた彼女にとっては、まさに虚を突かれた思いだった。
「うぁ……あ……」
さやかは状況を理解出来ないまま、胸から噴水のように血を噴き上げながら力なくその場に倒れた。まるで糸が切れた操り人形のように……。
「さ……さやか……い……いやぁぁぁあああああーーーーーっっ!!」
白目を剥いて死んだように倒れるさやかを前にして、ゆりかの悲痛な叫び声が響き渡る……。




