第193話 過去の戦いの夢
ガイルとの戦いを終えたさやか達は、敵要塞のある旭川へと一路向かう。彼から渡された地図の通りに進むと、『死の蜘蛛』に襲われる心配が無くなり、安全な旅が出来るようになる。このまま何の障害も無く進めば、一週間足らずで目的地に着けそうに思われた。
順調に旅していた日の夜……キャンピングカーの車内にて。
「うーん……うーん……」
さやかが簡易ベッドに寝たまま、ウンウンと声に出してうなされる。とても嫌な夢を見ているのか、目を瞑ったまま寝汗を掻きながら暑苦しそうに体を動かす。それでも相当深い眠りに就いたのか、起きる気配は無い。
◇ ◇ ◇
少女が見た夢の景色……それは草木も生えない渇いた大地が何処までも広がる、絶望の荒野だった。空は切れ目無く暗雲に覆われており、陽の光が一切射さない。ビュウビュウと激しい風が吹き抜けて、砂埃を何度も宙に舞わせる。
まるでついさっきまで巨大な怪獣同士の戦いがあったかのように、地面のあちこちにクレーターが出来ている。荒野の遥か彼方で、天まで届かんばかりの高い塔が倒壊しており、瓦礫の山と化している。
……そこに広がっていたのは、正にこの世の終わりが訪れたような光景と呼ぶ他無かった。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
荒野の大地に三人の少女が並び立つ。皆辛そうに息を切らす。
彼女たちは顔立ちや背格好から、およそ中学二年生くらいの年頃に見えた。三人ともアニメに出てくる魔法少女のような、フリルのレースが付いたミニスカートのドレスを着ている。ドレスはそれぞれ赤、青、オレンジの色に染まっており、彼女たちのイメージを表しているようだ。
彼女たちの側にもう一人、少女が倒れている。やはり魔法少女風のドレスを着ている。胸から血を流しており、全く息をしていない。その様子から、既に命を落としたであろう事が窺える。
少女たちが空を見上げると、視界の先に巨大な『何か』があった。
……それは山のように大きな、人型の骸骨だった。
空に開いたブラックホールのような穴から、巨大な人間の骸骨が、上半身だけを覗かせていた。全身が暗めの紫色に染まっており、瞳の奥に赤い光が宿り、肋骨の内部で心臓のようなものが不気味に蠢く。体中に禍々しい瘴気のようなものを纏っている。
見た目は『がしゃどくろ』と呼ばれる妖怪に似ているが、それよりもっと恐ろしいもののようだ。
何よりも驚嘆すべきは、その大きさだ。
原子力空母を遥かに超える大きさの『それ』は、背丈五十メートルの超な怪獣を片手で掴んでしまえるほど大きく、握り拳を大地に向かって振り下ろせば、その衝撃で街が一つ消し飛んでしまいそうだ。
それは正に世界を破滅させる邪神と呼ぶに相応しい存在だった。
三人の魔法少女と、骸骨の化け物のような一体の邪神……一目で敵対関係にあると分かる両者が、相手を牽制するように睨み合う。
「……」
双方共に相手の出方を窺うように何もせずにいたが、やがて三人のリーダーと思しき赤い服を着た少女が、覚悟を決めたように前に一歩踏み出す。
少女は目を閉じてスゥーーッと息を吸い込むと、目を開けずに下を向いたままボソボソと小声で何かを囁きだす。胸の前で開いた両手を向き合わせると、手と手と間にある空間に白い光の球のようなものが生まれる。
最初小さかった『それ』は、力が凝縮されたように次第に大きくなっていく。少女は恐らく何らかの呪文を詠唱しているらしかった。
『ムムッ、ソノ詠唱ハ……オノレ小娘、禁断ノ魔法ヲ使ウ気カ! ソウハサセン、ソウハサセンゾ!!』
少女が呪文を詠唱する姿を見て、邪神が俄かに焦りだす。彼女が使おうとする術に心当たりがあるのか、明らかに危機感を抱いている様子だ。
『死ネェェェェエエエエエエッッ!!』
死を宣告する言葉を吐きながら、口から赤いレーザーのようなものを発射する。
「させないッ!」
残る二人の少女が咄嗟に前に出て、両手のひらを前面にかざして、半透明のバリアをドーム状に張り巡らす。二つのバリアが重なって厚みを増し、相手のレーザーを弾く。
邪神は怯む事無くレーザーを発射し続けたが、少女たちも負けじとバリアを維持する。
「かすみちゃん、今のうちに!」
青い服を着た少女が、バリアを張り続けたまま後ろを振り返って、赤い服の少女に話しかける。
「ここは私たちが絶対に食い止めるから、その間にヤツを封じ込めて!」
オレンジの服を着た少女が、後に続くように言葉を掛ける。
「シズクちゃん……あかりちゃん……ありがとう」
かすみという名で呼ばれた赤い服の少女が、詠唱を続けたまま目を開けてニッコリと笑う。呪文を詠唱する時間を稼いでくれた仲間の行動に深く感謝の言葉を述べる。
(ミナちゃん……ごめんね。私もすぐに行くから……)
最後に息絶えた少女の方を振り返り、心の中で詫びる。
赤い服の少女が呪文の詠唱を行い、残る二人が邪神の攻撃を食い止める……その状態が時間にしておよそ一分ほど続いた後、魔法を発動する準備が整ったのか、呪文の詠唱が唐突に止まる。少女が瞼を閉じて集中するように数回深呼吸した後、目をグワッと見開いて真剣な表情になる。
「禁断魔法、次元反転……永久幽閉ッ!!」
魔法名らしき言葉を大声で叫ぶと、凝縮された光の球を右手でガシッと掴んで、空に向かって野球のボールのように投げ付けた。
光の球が、邪神が這い出てきた黒い穴に吸い込まれると、ゴゴゴッと空気が激しく振動する音が鳴り、穴が眩い光を放って黒から白へと反転する。
すると突然邪神の体が白い穴へと吸い込まれだした。
『グアアアアッ! ヤメロッ! ヤメテクレェェェェエエエエエエッ!! 嫌ダ……虚数空間ニ封印サレルノダケハ……絶対嫌ダァァァァァァアアアアアアアアアーーーーーーーーッッ!!』
骸骨の化け物が、心の底から怯えたように絶叫する。完全に神の威厳を捨てたように狼狽する。何としても穴に吸い込まれまいと、必死に体を動かして抵抗する。
だが穴の吸い込む力は非常に強力で、彼がいくら抵抗しようとお構いなしだ。
遂には右手と頭以外、全て穴に呑まれてしまう。
『オノレ……私ハ諦メン……諦メンゾッ!! 現世ヘト復活ヲ果タシ、必ズヤ貴様ラヲ地獄ニ引キズリ下ロサ……ン……グ……ズ……ギャァァァァァァアアアアアアアアッッ!!』
悪あがきするように呪詛の言葉を吐き散らすと、断末魔のような悲鳴を発する。右手の指先一本まで残らず吸い込まれると、穴が次第に閉じていき、跡形も無く消滅する。
邪神が完全に封印されると、天を覆っていた暗雲が晴れていき、青い空が開けてくる。それまで激しく吹いていた風が急に止み、周囲が静けさに包まれる。
太陽が空高く昇り、眩い日光が辺り一面を照らし出す。何処からか飛んできた一羽のツバメが、平和の到来を告げるようにチュンチュンと鳴く。
青い服を着た少女、オレンジの服を着た少女、二人は戦いが終わった実感が湧かず、しばらく茫然と立ち尽くしていたが……。
「……やった! やったよ! 私たち、遂に最強の邪神を……オーズを倒したんだよっ!」
青い服の少女が歓声を上げる。宿敵を討ち果たした実感が胸の内に湧き上がり、嬉しさのあまりピョンピョン飛び跳ねてはしゃぐ。最後は拳を握り締めてガッツポーズを決める。
「かすみちゃんっ! 私たち……」
満面の笑みを浮かべながら、後ろにいる仲間に話しかけようとした時……。
「かすみ……ちゃん……」
少女の表情が一転して凍り付いたように固まる。よほどショッキングな出来事があったのか、恐怖と絶望に呑まれたような顔をして、歯がガタガタと震えだす。
彼女が目にした光景……それは『かすみ』と呼ばれた赤い服の少女の体が何度も発光して、キラキラ光る粒子となって、砂のように分解されて散っていく姿だった。
「シズクちゃん……ごめんね」
かすみが申し訳無さそうに儚げな笑みを浮かべながら、仲間に詫びる。
「永久幽閉は、術者の命を代償にして発動する禁断の魔法……唱えれば私の命が尽きる事は分かってた。でもこうするしか無かった……他に方法が無かったの」
邪神を封印するために唱えた魔法が、自らの命を犠牲にするものだった事を伝える。
彼女は最初から唱えれば自分が死ぬ事を分かった上で、その覚悟を固めて、決死の戦いに臨んだのだ。
「そんな……」
衝撃の事実を明かされて、『シズク』と呼ばれた青い服の少女が悲しそうな顔をする。邪神に勝った喜びは一瞬で吹き飛び、深い絶望に打ちのめされた。
「いやあっ! かすみちゃん、消えないでっ! いつか全ての争いを無くして、みんながずっと笑顔でいられる平和な世界を作るんだって、そう言ったじゃない! それなのに、かすみちゃんが消えちゃったら何も意味ないよ! かすみちゃんのバカっ! 無責任っ! ウソツキっ!」
消えて欲しくない気持ちのあまり、彼女を責める言葉を早口でまくし立てた。最後は思わず罵るような台詞が口から飛び出す。
無論そんな事をした所で、かすみの消滅が止まる筈もない。彼女の体は残り僅かとなり、あと十秒かそこらで完全に消えてしまいそうになる。
「嫌だっ! 行かないで! 私を一人にしないでっ! かすみちゃんがいなくなったら私、生きていけなくなっちゃう! ずっと側にいてくれるって……そう約束したのにっ!!」
シズクが目に涙を浮かべて今にも泣きそうな顔になりながら、大きな声で叫ぶ。大切な友を失う悲しみで胸が張り裂けそうになる。
「シズクちゃん、ゴメンね……本当にゴメン」
かすみもまた目に涙を浮かべて、申し訳無さそうな顔をしながら何度も平謝りする。彼女自身仲間に対して酷い仕打ちをした負い目を感じたのか、相手の言葉に一切反論しない。
「約束も守れないダメなわた……し……で……」
そう言い終わらない内に光の粒子となって分解されて、影も形も残らずに消滅する。
シズクは咄嗟に手を伸ばして、一瞬光の粒子をその手に掴みかけたが、粒子は彼女の手から離れるように風で飛ばされて空に散っていった。
……そしてかすみが立っていた場所には、何も無い大地だけが残った。
「いっ……いやぁぁぁぁぁぁああああああああああーーーーーーーーーーーーっっ!!」
喉が裂けんばかりの絶叫が、シズクの口から放たれた。平和を取り戻したはずの荒野が、仲間の死に嘆く少女の悲鳴で埋め尽くされた。あまりの声の大きさで喉が潰れそうになってもお構いなしだ。彼女はいっそここのまま死んでしまいたい気持ちにすらなった。
「うううっ……うっ……うっ……うわぁぁぁぁぁぁああああああああんっ!」
叫ぶ事に疲れると、今度は背中を丸めてうずくまったまま号泣する。子供のようにわんわんと声に出して泣く。
「かすみちゃん、酷いよっ! こんなのって無いよっ! あんまりだよおっ!!」
目から大粒の涙を溢れさせながら、仲間の取った選択を罵る。
「ミナちゃんが死んだっ! 女王様も死んだっ! 博士もブラックホールに呑まれたっ! 他にもたくさん人が死んだっ! この上更にかすみちゃんまで死んで、残ったのが私たち二人だけなんて、こんなの酷すぎるよっ! こんなんじゃ、邪神を倒したって全然嬉しくないよっ! 世界に平和を取り戻したなんて、とても言えないよおっ!!」
これまで数多くの仲間の命が失われた事、多大な犠牲を払って得た勝利に何の意味も無いと口にする。
彼女にとってかすみはかけがえの無い大切な女だった。家族のように大切に思う仲間を失って手に入れた勝利に、一ミリの価値も見い出せなかったのだ。
少女は深い悲しみのあまり、目の前が真っ暗になった心地がした。
「シズクちゃん……」
オレンジの服を着た『あかり』と呼ばれた少女が、絶望に呑まれた仲間を辛そうな表情で見守る。慰めてあげたい気持ちになったものの、掛ける言葉が見つからない。
『かすみの復活』以外の如何なる事象が、シズクの心を癒せるというのか。下手に気休めの言葉を掛ければ、却って心の傷を深く抉るだけだ。あかりにはただ側に立つ事しか出来なかった。
しばらく泣き続けたシズクだったが、やがて思い立ったようにゆっくりと立ち上がる。涙で濡らして顔を真っ赤にしたまま、仲間の方へと振り返る。
「あかりちゃん……貴方、知ってたんでしょ。邪神を封印する魔法が、術者の命を代償として支払うものだって」
心の中に湧き上がった疑問を相手にぶつける。隠し事をされた事に苛立ったような怒り顔になる。
かすみから消滅の事実を明かされた時、ショックを受けたのはシズクだけだった。あかりの反応はそれほどでも無かった。これまで苦楽を共にした仲間だったにも関わらず……その事がシズクに深い疑念を抱かせた。
「……」
あかりは図星を突かれたように気まずそうな表情を浮かべて、顔をうつむかせる。うまく言い訳する言葉が見つからず、口をモゴモゴさせる。
「だって……しょうがないじゃない。言ったらシズクちゃん絶対反対するって分かってたんだもの。私だって辛いよ……かすみちゃんに死んで欲しく無かったから」
だが最後は観念したように口を開く。彼女なりに仲間の死に胸を痛めた事を明かす。
「でもこうするしか無かったんだよ……オーズを倒す方法なんて他に無かった。女王様が召喚した切り札だって、アイツに勝てなかったんだから。かすみちゃんが決断しなかったら、あのまま私たち全員殺されるしか無かったんだから」
仲間の死が必要な犠牲だった事を、根拠ある理由を述べて伝えようとした。
「あかりちゃんのバカっ!」
だがシズクは聞く耳を持たない。親の仇を見るような目付きになると、あかりの頬を手で思いっきり引っぱたく。
「そんなの反対するに決まってるでしょっ! だって大切な仲間だものっ! それでも……それでも私に教えて欲しかったよっ! そうしたら、かすみちゃんを一人でなんて行かせなかった! 私も一緒に行きたかった!」
怒りをぶつけて八つ当たりするように恨み節を吐く。大切な想い人と一緒に死ねた方がマシだったと叫ぶ。
「かすみちゃんのいない世界なんて……そんなのいらないよおっ! うわぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああんっっ!!」
最後はそう口にすると、またも大きな声で泣き出す。
「……」
頬をビンタされた勢いで地面に倒れたあかりは一切反論しない。仲間が深く傷付いた事に責任を感じるように押し黙っている。
二人の少女は仲間の死から立ち直れないように、いつまでも荒野に居続けた。
……そしてさやかの視界に映る景色が、夢の終わりを告げたかのように暗くなっていき、次第にフェードアウトしていく。




