第190話 最高の弟子(中編-1)
バロウズ要塞のある旭川へと車で向かうさやか達であったが、クモ型地雷を警戒しなければならず、その歩みは非常に遅い。これでは目的地に着くのに数週間は掛かると誰もがむず痒さを感じた時、彼らの前に一体のメタルノイドが姿を現す。
エッジマスター・ガイルと名乗る鎧武者の甲冑を着た男は、ミサキに剣術を教えた師匠なのだという。男はミサキに一対一の決闘を申し込み、もし勝てたなら基地に向かう方法を教えると条件を提示する。
ミサキは師匠の提案を受け入れて、七日後の勝負を約束する。
そして七日後、決闘の場に指定した平野にて、装甲少女に変身したミサキが師匠と対峙する。
『エッジマスター・ガイル……いざ推して参るッ!!』
男は背中の鞘に挿してあった一振りの大太刀を引き抜いて柄を両手で握ると、戦いの始まりを宣言する。
『ヌゥンッ!』
刀を大きく振り上げて構えると、気迫の篭った掛け声と共に縦一閃に振り下ろす。直後ブォンッと風を切る音が鳴り、巨大な剣圧が衝撃波となって放たれた。
ミサキが咄嗟に横に動いてかわすと、衝撃波は彼女の遥か後方にある森に激突し、地を裂くような轟音と共に爆発する。木が粉々に粉砕されて、衝撃によって巻き上げられた大量の木片がバラバラとゴミのように降り注ぐ。
(なんて威力だッ!)
師匠の剣圧の凄まじさにミサキがゴクリと唾を飲む。一撃でもまともに当たれば無事では済まない。
ガイルは刀の重さを物ともせず、まるで木の棒のように振り回す。鉄塊の如き剛剣が振るわれるたびに巨大な突風がビュンビュンッと吹き荒れて、そのたびに森の木が破壊される。
ミサキは回避に徹するので精一杯で、攻撃に転じる事が出来ない。
このままでは接近すらままならないッ! 少女がそんな焦りを抱いた時……。
『どうしたッ! 避けてばかりでは勝負にすらならんぞッ!!』
ガイルがそう叫びながら少女に向かって走り出す。近接戦の間合いに入ると、今度は直に刀を振って相手を叩き斬ろうとする。
「くっ!」
ミサキがすかさずバック宙返りして刀の間合いから逃れる。直接触れずとも、ギロチンの刃のような剛剣がビュウッと側を通り抜けると、肌をビリビリ突き刺す衝撃が空気を通して伝わる。それだけでも尋常ならざる痛みを感じる。
ミサキも相当鍛えたが、男の強さは桁が違う。腕力ではとても勝負にならない。アリと象が綱引きするようなものだ。
(やはり師匠との真っ向勝負では分が悪い……ならばッ!)
純粋な力比べでは勝ち目が薄いと判断した少女が、ある策を思い付く。
後ろに下がって大きく距離を開けると、腰に挿してあった爆弾クナイのうち一本を手で引き抜いて、相手めがけて一直線に投げ付けた。
『今更こんな……何!?』
彼女の行動を苦し紛れの抵抗と侮り、ガイルが飛んできたクナイを刀で弾こうとする。だがクナイが刀に触れて爆発した瞬間粉のようなものが空気中にバラ撒かれて、男の周囲に砂煙となって立ち込める。
『かような小細工、目くらましにもならぬわッ!』
視界を閉ざされても男は慌てる素振りを全く見せない。彼にしてみれば、この程度は子供の児戯でしかない。
『フンッ!』
喝を入れるように一声発すると、刀を力任せに横薙ぎに振る。巨大な竜巻のような突風が吹き荒れて、周囲に立ち込めた砂煙を一瞬で吹き飛ばす。
再び視界が開けた時、男から十メートル離れた場所に立っていたミサキが、両手に握った刀を大きく振り上げていた。
「一時的に視界を隠したのは、力を溜める時間を稼ぐためだッ! 師匠、我が技を受けるがいいッ! 冥王秘剣、断空牙ッ!!」
少女が技名を叫びながら全力で刀を振り下ろすと、風を切る音を鳴らしながら、三日月状の斬撃が男に向けて放たれる。斬撃の進む速度は非常に速く、今からではとても回避が間に合わない。
少女はその瞬間、自らの勝利を確信した。
『甘いわッ! せぇぇえええいッ!!』
だが男が威勢の良い掛け声を発しながら刀を振り上げると、まるで彼の刀に斬り払われたように斬撃が消滅する。
「な……ん……」
予想だにしない結果に、ミサキが驚きを隠せない。鳩が豆鉄砲を喰らったようにポカンと口を開けたまま、茫然と立ち尽くす。戦いを見ていた仲間たちも何が起こったのか全く理解できず、場が騒然となる。
防御不可能であるはずの断空牙が打ち消された事実が到底理解できず、俄かにパニックに陥りかけた。
『残念であったな……断空牙は同じ威力の断空牙をぶつければ相殺できる。絶対的威力の技を過信したようだが、それがしには通用せん。今のがそれがしを倒すために用意した奥の手であったなら、既にそなたは詰んでいる』
ガイルが技を破った原理について語る。相手の秘策を破れた事に気を良くしたのか、さも当然と言いたげに鼻息を吹かせる。揺るぎない勝利への自信を胸に抱く。
七日かけた準備とやらもこの程度か、と内心タカを括る。彼にとってこの勝負は、もはや決したも同然だった。
ふと正面に目をやると、ミサキは相変わらず棒立ちになっている。技を防がれたショックから立ち直れていない。
『……勝機ッ!!』
男はそれを絶好のチャンスと見なし、全速力で駆け出す。近接戦の間合いに入ると、少女めがけて刀を振り下ろそうとする。
「しまっ……グゥゥッ!!」
ミサキは一瞬反応が遅れた事に気付いたものの、後の祭りだった。とうに間合いを離す余裕は無くなっている。
咄嗟に刀の柄を右手で握ったまま刃の側面を左手で支えて、相手の一撃を刀でガードして受け止める。そのまま歯を食い縛って耐えようとする。
「ぐっ……ぐぁぁぁぁああああああっっ!!」
だがパワーは相手の方が遥かに上であり、受け切れずに押されてしまう。少女は両手で刀を支えたまま、腰を低くして膝を折り曲げて、その場にしゃがんだ状態になる。その姿勢でどうにか押し留まったものの、とても挽回できる状況ではない。このまま何の手も打てなければ、彼女が押し潰されるのは目に見えていた。
『……終わったな』
勝利を確信したガイルが、ボソリと小声で呟く。もはや万に一つも弟子に勝機は無いと悟る。
『もう少しやれるかもと期待したのだがな……控えめに言って失望したぞ。ここまで勝ち上がれたのは、ただのまぐれであったか』
想定を下回る弟子の弱さに男が落胆する。グイグイと刀を押し付けたまま、精神攻撃するように言葉責めする。残念そうに溜息を漏らす姿からは、もっと弟子に奮戦してもらいたかった複雑な心境が読み取れた。
『この程度の力量では、ここから先に進ませてやる事は出来ん。どのみち散らすしか無い命ならば、せめて一思いに葬ってやるのが師匠の務めというもの』
要塞に向かう資格無しと判断し、この場で弟子の命を奪う覚悟を決める。刀を握る腕を強く押して、少女を圧死させようとした。
「グッ……」
ミサキが相手の言葉に反論できず、無念そうに下唇を噛む。腕に力を込めて相手の刀を押し返そうとしたものの、ビクともしない。それどころか、ジリジリと少しずつ押されている。師匠に勝てない事実をこれ以上無いくらい明確に突き付けるように……。
ミサキは悔しかった。心の底から悔しかった。ほんの一瞬気を取られたばかりにピンチへと追い込まれた自分が許せなかった。一体今まで何を師匠から学んできたんだという気にすらなった。
あまりの自分の不甲斐なさに、目から大粒の涙が溢れ出す。悔し涙が止まらなくなる。
(せっかく用意した秘策も使えないまま、死んでいくのか……)
少女が半ば勝利を諦めて、敗北を受け入れかけた瞬間……。
「ミサキ、負けないでぇぇえええーーーーーーーーっ!!」
とても大きな声で彼女の名を呼ぶ者がいた。北海道全土に響かんばかりの声で叫んだのは、他ならぬゆりかだった。
「私、この日のために貴方が頑張ったの知ってる! だって特訓に付き合ったんだもの! それなのにこんな所で負けたら、絶対悔いが残るよ! あの努力が無駄にならなかったんだって、胸を張って言えるようになるために、勝負を捨てて諦めたりしないでっ!!」
少しでも彼女に元気になってもらおうと、喉が枯れんばかりの勢いで声を張り上げる。心が折れかけた少女に喝を入れようと必死になる。
「ミサキちゃん、ファイトだよっ!」
「まだ逆転のチャンスはあります!」
「本物のサムライソウルを見せ付けるんですの!」
他の仲間たちも一斉に声援を送る。三人が三人とも、真剣に彼女を応援する。
ゼル博士も仲間の勝利を心から願うように、手を合わせて祈っている。
それまで静かだった平野が、少女への声援一色に染まる。
「……フフフッ」
背後から送られる声援に、ミサキが思わず口元を緩ませた。目から零れていた涙がいつの間にか止まっている。
『何がおかしい? 頭でもおかしくなったか?』
ガイルには全く状況が理解できない。少女が不利である事実は何ら変わらないのに、唐突に彼女が笑いだしたからだ。一瞬ヤケを起こして正気を失ったのかと錯覚した。
「参ったな……こんな声援送られたら、意地でも勝たなきゃいけなくなる。戦士として不恰好な姿は、死んでも見せられない」
困ったような口ぶりしながら、顔がニヤけている。とても追い詰められた者がする表情ではない。
ミサキは自分でも不思議なほど高揚感に包まれた。本来仲間の声援がプレッシャーになってもおかしくない場面だが、今の彼女にあったのは仲間の期待に応えられない恐怖や重圧感などでは無い。むしろ逆だ。
彼女の中にあったのは、仲間が自分を応援してくれる喜び、どんな時でも自分は一人じゃないんだという安心感だった。
仲間が自分を信じてくれてるのに、自分が自分を信じなくてどうするんだという気持ちにすらなる。彼女は一時でも勝利を諦めかけた事を深く悔いた。
(仲間がいるって……いいものだな)
ミサキはふと心の中でそう思った。
少女の心が高揚感で満たされた時、胸がドクンドクンと激しく鼓動しだす。芯から急激に熱くなり、全身の血管が燃え上がるような感覚を覚えて、体の奥底から力がとめどなく湧き上がる。突然自分がいつもの数倍強くなった気になる。
感情が高ぶれば高ぶるほど、バイド粒子の分泌量が増える。普段さやかに起こっている現象が、自分に起こったのではないか……彼女はそう分析した。
これならやれるッ! そんな確信を胸に抱く。
「ぐんぬぅぅぉぉぉぉぉおおおおおおおあああああああああっっ!!」
腹の底から絞り出したような雄叫びを発しながら、両足に力を入れて立ち上がろうとする。少女が刀を支えた両腕をグイッと上に押すと、それまでビクともしなかったガイルの刀が一気に押し返される。
『何!? 馬鹿な……うおおおおおおッ!』
男は一瞬何が起こったのか全く分からなかった。予想を遥かに超える力で押されたと思ったら、自分の体が宙に浮いたのだ。男はそのまま地面に落下して、ドスゥゥーーーンッと音を立てて尻餅をついてしまう。その衝撃で大量の砂埃が舞い上がる。
それは正にアリが象に綱引きで勝った瞬間に他ならなかった。
「……ふうっ」
師匠を力で押し飛ばしたミサキが、二本の足で立ち上がる。ピンチを乗り越えられた事に安堵したように一息つく。額から流れ出る汗を、刀を握ったままの右腕でそっと拭う。
「師匠……私が貴方に教わらなかった事が、一つだけある」
地面に倒れたまま起き上がれずにいるガイルを眺めながら、ゆっくりと口を開く。
「……それは仲間との絆が、力になるという事だッ!!」




