第189話 最高の弟子(前編)
「……」
男が去った後の『場』に、俄かに静寂が訪れる。誰一人として言葉を発する事なく、辺りがシーーンと静まり返る。冷たい風が吹き抜けて、道端の雑草がカサカサ揺れる音だけが鳴る。
誰も何も言い出せず、どよんと重苦しい空気が立ち込めたが……。
「ミサキさんっ! 本当にあんなのと一対一の勝負するんですか!?」
現状を打破するようにアミカが問いかける。とても不安そうな顔をして、体をもぞもぞさせる。仲間の命が心配になったあまり、居ても立ってもいられない様子だった。
「私は反対だわ! ミサキも前に言ったじゃない、エッジマスター・ガイルはザルヴァと互角に渡り合える剣の使い手だって。そんなのと一人でやり合うなんて、死にに行くようなものよっ!」
ゆりかがミサキの決断に真っ向から反対する。かつて戦った強敵の強さを思い出し、どう考えても正しい判断をしたとは思えないと異を唱える。
「そうですわ。あんなサムライもどき、みんなでリンチして差し上げればよろしいですの。その後で拷問してゆっくり聞き出せば良いんですの」
マリナが、とてもお嬢様とは思えない物騒な提案をする。
三人が三人とも、一騎打ちに応じるべきでないと口を揃える。危険な戦いに身を投げ出そうとする仲間を心から案じている。ミサキにも当然それは分かっていた。
博士も彼女たちの意見に賛同するように三人と肩を並べる。
「……師匠は嘘や出まかせを口にする人物ではない。情報が得られなければ基地に辿り着けないというのは、恐らく本当なのだろう。であればこの申し出、受ける以外に道は無い。みんなの気遣いはありがたいが、もう私の答えは決まっている」
ミサキが重苦しい表情を浮かべたまま、果たし合いに臨む覚悟を述べる。自分の身を心配してくれた仲間に感謝しつつも、決闘の意志が固い事を伝えた。
「大丈夫だ……私は命を捨てるような覚悟はしない。必ず生きたまま勝負に勝って、情報を引き出してみせる」
仲間の不安を吹き飛ばそうとするようにフッと口元を緩ませて、雄々しく笑ってみせた。彼女の決断が硬そうなのを見て、ゆりか達もそれ以上は強く出られない。
「……」
それまで態度を保留するように静観していたさやかが突然歩き出す。ミサキの前まで来て立ち止まると、真剣な表情で相手の顔をじっと見る。
「ミサキちゃん、大丈夫だって言うからには、アイツに勝つ方法ちゃんと考えてあるって事だよね?」
顔と顔の距離をグッと近付けながら、真面目な口調で問い質す。唇を前に突き出したらキスしてしまいそうな状態だが、当然そんな事をする空気ではない。
「ああ……もちろんだ。師匠に勝つための秘策を思い付いたんだ。だから一騎打ちの申し出を受けた。七日間の猶予をもらったのは、その秘策をマスターするのに七日は掛かるからだ。遺書を書くためではない」
仲間の疑問にミサキが答える。あえて敵の誘いに乗った事、頼もしい発言をした事に、彼女なりの根拠があった事を明かす。いつも通りの冷静で落ち着いた口調から、少女が嘘を言っていない事が十二分に伝わる。
「ヨシッ! だったらもう、私から言う事は何も無しッ! 素直にミサキちゃんの背中を押すよ!」
さやかが満足げな笑みを浮かべてニコニコしながら、ミサキの肩を手でポンポンと叩く。これまで胸に抱えていたモヤモヤが吹き飛んでスッキリしたのか、便秘が解消されたように晴れやかな表情になる。
「もう……しょうがないわねっ」
さやかがミサキの意思を尊重したのを見て、ゆりかがやれやれと溜息を漏らしながら、しぶしぶ納得する。他の仲間たちも仕方ないと言いたげに困り顔になりながら決断に従う。異論は出ない。
「それでその秘策についてなんだが……ゆりか、マリナ、それにゼル博士。三人にぜひ協力してもらいたい事がある」
みんなの考えが一つにまとまると、ミサキが早速三人の名前を呼ぶ。
「実は……ゴニョゴニョゴニョ」
三人を一箇所に集めると、今後についてひそひそと小声で打ち合わせを始めた。
◇ ◇ ◇
翌日……森に囲まれた、学校のグラウンドくらいの広さがある草地の平原。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
装甲少女に変身済みのミサキが、大の字になりながら仰向けに寝転がる。何らかの特訓をしたのか、体中びっしょりと汗まみれになり、胸を動かしてハァハァと息を切らしている。表情には疲労の色が浮かぶ。
かなり厳しい特訓だったらしく、地面に倒れたまま一ミリも動けない。彼女の体にテントウムシが留まっても、手で払う力すら残っていない。
完全に疲れ切った少女を、もう一人の少女が立ったまま見下ろす。
それは同じく装甲少女に変身済みのゆりかだった。何らかの技を伝授しようとしているのか、ミサキほど疲れてはいない。
「……いくら何でも、無茶しすぎよ」
腰に手を当てて呆れた表情しながら、仲間の無鉄砲ぶりを咎める。このまま体を酷使したら、戦いに負けるより先に自滅してしまうんじゃないかと心配になる。
「すまない……どうしても期日に間に合わせたくてな。七日というのは余裕を見積もった数字だが、それでも遊んでいる訳には行かない」
ミサキが大の字に寝転がって息を切らしたまま返答する。かなり体力を消耗したはずだが、まだやれると言いたげにニッコリ笑う。無性に特訓したくてウズウズしている様子だ。
「とにかく、少し休憩……そうじゃないと特訓にならないわ」
ゆりかがそう言いながら地面に腰を下ろす。尻の下に虫がいないか慎重に確かめた後、両膝を抱えて体育座りする。
「ねえ……ガイルって、貴方とどういう関係なの?」
ついそんな言葉が口を衝いて出る。時間を稼げる雑談なら話題は何でも良かったが、頭の片隅にあった疑問が無意識のうちに声になっていた。師弟関係というのは分かっていたが、それだけでは無いかもしれないと彼女は勘ぐる。
「……師匠は私の父だ」
ミサキが空をボーッと眺めながら、小声で呟く。
「ええっ!?」
ゆりかの口から思わず変な声が漏れ出た。あまりに想定外の返答だったため、一瞬頭が真っ白になって何も考えられなくなり、金魚のように口をパクパクさせた。
「師匠が霧崎骸瑠という名の生身の人間だった頃……彼には一人の娘がいた。その娘は幼くして事故で亡くなり、彼女の遺伝子細胞から作られたクローン……それがこの私だ。当時まだ技術が不完全だったため記憶を継げず、私は生前の彼女と別人格となった」
ガイルに一人の娘がいた事、彼女がクローンの元となる素体であった事をミサキが明かす。
「師匠は別人格の私を弟子として扱い、娘として扱わなかった……私たちの間に親子のようなやり取りが為される事は無かった。私を生み出したドクター・ブロディは私を実験動物と見なした。私は物心が付いてから、一度も親の愛情を受けずに育った……私に家族と呼べる者などいなかった」
昔の境遇について語りながら、表情が暗くなる。他人に愛されなかった自分を憐れむように、少し寂しげにフッと笑う。その姿が何とも儚げで切ない。
「……」
仲間の境遇を知らされて、ゆりかが悲しい顔になる。何とかしてあげたい気持ちになったものの、掛ける言葉が見つからない。友に辛い思いをさせたのだとしたら、聞かなければ良かったという後悔すら湧き上がる。
「だが、今の私には友がいる……家族のように大切な仲間がいるッ!!」
ミサキが力強い言葉を吐きながら起き上がる。一転して明るくなった表情からは、親の愛情を受けなかった事に対する未練を感じさせない。昔は寂しかったが、今は寂しくない……そう言いたげだ。
「……ミサキッ!!」
仲間の言葉に胸が熱くなり、ゆりかが感極まって少女に抱き着く。大切な家族として扱われた喜びを噛み締めるように、腕に力を込める。ミサキもそんな相方の思いを受け止めるようにしっかりと抱く。
そうして二人は特訓を再開するまで数分、互いに抱き合う。これからの難局に備えて、仲間の絆を深め合うように……。
◇ ◇ ◇
約束を交わした日から七日が経過……ガイルが決闘の場に指定した原っぱ。
装甲少女に変身済みのミサキが一本の刀を右手に握ったまま、敵が来るのを待ち構えるように立つ。
彼女から十メートルほど離れた場所に、さやか達四人の少女とゼル博士が立つ。少女たちは戦いに参加しない意思を示すために、装甲少女に変身しない制服姿のままだ。
ミサキの両腰に、本来マリナの武器であった爆弾クナイが左右三つずつぶら下がる。それが相手に勝つ秘策かどうかは分からない。
ミサキが立ったまま待っていると、平野の彼方からガイルがゆっくりと歩いてくる。草地を踏むたびにガシャッガシャッと重い甲冑の音が鳴る。
『……時間通りだな』
そう口にしながら、少女から五メートルほど離れた地点まで来て止まる。
「彼女たちは見届け人だ。勝負には参加しない。決闘は約束通り、私と師匠が一対一で執り行う」
ミサキが仲間を指差しながら、一騎打ちを遵守する事を伝える。
『フム……良いだろう』
少女の言葉にガイルが納得して頷く。弟子がちゃんと約束を守った事に安心したようにも見える。
『霧崎ミサキ……そなたの持てる力全てぶつけてくるがいい。ここでそれがしに勝てぬようでは、この先に進んだとしても、無惨に屍を晒すだけだ。ならばいっそ、この場で潔く弟子の命を散らさせるのが師匠の務め。然るに手加減はせぬ。全力を以て、そなたを討つッ!!』
背中の鞘から一本の大太刀を引き抜いて、両手で握って構えると、これから勝負で一切手を抜かない事を誓う。弟子の首を獲る事も師匠の大事な役目と説く。
『エッジマスター・ガイル……いざ推して参るッ!!』
目をグワッと見開いて、雷の如く響き渡る声で戦いの始まりを宣告する。
(ミサキ……負けないで)
ゆりかは固唾を飲んで二人の戦いを見守る。たとえ何も出来ずとも、それでもせめて仲間が無事でいられますようにと、両手を合わせて神に祈った。




