第178話 新たなライバル(中編-4)
バロウズの刺客として差し向けられた蛟神マリナ……さやかの思わぬ反撃に遭い深手を負ったものの、気力を振り絞って立ち上がろうとする。彼女にも決して負けられない理由があった。
引き下がれない両者の激突は互角となり、不思議な友情が芽生える。
だが敵と馴れ合う事は許されないと悟ったマリナは、遂に戦いを終わらせる覚悟を固める。手のひらから光線を放ち、さやかを一瞬にして銅像に変えてしまう。
「ブレイク・ショット……対象の分子配列を組み替えて、ブロンズ像へと変えて、永久に仮死状態にする技……一度の変身につき一回きりしか使えない、バエル直伝の必殺奥義ですのッ! 受けたら最後、治す方法はありませんのッ! 赤城さやかは永久にこのままですわッ!」
それはこれまで温存していた正真正銘、彼女の切り札だった。
「何という事だ……」
少女が倒された事にゼル博士がガクッとうなだれる。他の仲間たちも皆深い悲しみに染まる。世界を救う最後の希望が打ち砕かれた事に、落胆せずにいられない。
「うふふ……あはは……あーーはっはっはぁっ!」
悲嘆に暮れる彼らとは対照的に、マリナが大声で高笑いした。強敵を討ち果たせた達成感、自らの願いが叶えられる歓喜……それらの感情が胸の奥底から湧き上がって、しゃっくりのように笑いが止まらなくなる。
あまりの嬉しさに世界全てがバラ色に見えて、歌を唄いながら踊り出したい気分だった。
「フッフフフーーーン、フッフーーーン」
上機嫌で鼻歌交じりにスキップしながら、さやかの所へと向かう。銅像の前に立つと、自分の顎に手を当ててお宝を鑑定するように渋い顔をしながら、像をまじまじと眺める。やがて像の頭を手でポンポンと叩いたり、体中を指でコチョコチョくすぐったり、息を吹きかけたりと、相手が動けないのを良い事にやりたい放題する。
ゆりかはその光景を目にして、思わず歯軋りした。
「本当に……動けませんのね」
マリナがそう言ってため息をつく。寂しそうな表情になり、急にテンションが下がる。うまく言葉で言い表せないモヤモヤ感が胸の内に湧く。
何故そうなったか自分でも分からない。勝利した事を喜んだ筈なのに……。
心の何処かで復活を望んだかもしれない。こんな形での決着を望まなかったかもしれない。もしかしたら、彼女を愛していたのかもしれない。
マリナは自分の感情を理解して納得するために、様々な仮説を立てた。
彼女は同性愛者ではない。だがそれでも野性的で男気溢れるゴリラに、心惹かれたかもしれないのだ。それはお嬢様にとって新鮮で刺激的で、胸が躍る体験だった。そのドキドキをもっと味あわせて欲しいとさえ思った。
だがそれももう、終わった事だ。彼女自身が掛けた、永久に解けない銅像化の呪いによって。
「サヤカ・アカギ……ワタクシから、せめてものプレゼントですわ」
マリナはそう口にすると、銅像の唇にそっとキスした。
「ああっ!」
友の唇が奪われた事に、ゆりかが思わず叫ぶ。直後とても悲しそうな顔になる。友にそういう感情は抱いていないつもりだったが、やはり悔しかった。
「このまま永久に銅像にしてあげてもよろしいのですけど、それではあまりにかわいそうですわ。永久に解けぬなら、いっそワタクシがトドメを刺して、粉々に砕いて差し上げるのがブシの情けというもの……お命頂戴しますの」
口付けを済ませて踏ん切りが付いたのか、マリナが自らの手で終わらせる覚悟を抱く。相手の命を奪う事で、未練を断ち切ろうとする。
ググッと強く握った右拳を、反動を付けるように大きく後ろに引いて、パンチを繰り出す構えに入る。
「I'll break you!!」
そう叫ぶや否や、相手めがけて全力で殴りかかる。
少女の拳が銅像の顔面に命中し、お寺の鐘を叩いたような鈍い金属音が鳴り響く。そこから発せられた衝撃波が辺り一帯に伝わり、空気が俄かに震える。
「ッ!!」
ゆりか達はさやかの像が砕かれた場面を想像し、無惨な光景を見たくない一心で目を逸らす。友の死を現実として受け入れたくなかった。
……それから数秒が経過。
拳を突き出した姿勢のマリナが硬直し、全く動こうとしない。銅像も殴られたまま微動だにしない。両者共にビデオを一時停止したようにピクリとも動かない。
そのまま静寂の時間がしばらく続く。
戦いを見守っていた者たちがゴクリと唾を飲む。
「あの……」
長い沈黙に耐えられず、アミカがつい声を掛けようとした瞬間……。
「ンアアアアアアッ!!」
マリナが突然悲鳴を上げて苦しみだす。像を殴った右手を庇うように左手で押さえたまま、地面に倒れて激しくのたうち回る。あまりの痛さに目に涙を浮かべて泣きそうになっている。
「一体何がどうなってるんだ……」
ミサキが困惑の言葉を口にする。他の者もポカンと口を開けたまま茫然と立ち尽くす。
一行には何が起こったのか全く理解できなかった。本来なら全力のパンチを叩き込まれたさやかの像は木っ端微塵に砕ける筈なのだ。その場にいた誰もが、そうなると確信した。
にも関わらず、殴られた銅像は全くの無傷だった。掠り傷一つ付いていない。
それどころか、殴った側であるはずのマリナが痛がっている。その状況が頭で受け入れられず、冷静な思考が働かない。
『おい、マリナッ! 一体何がどうなっているッ! 状況を説明しろッ!!』
ベルセデスが思わず声を荒らげて問い質す。訳の分からなさに苛立ってしまい、ストレスを発散させようと怒号を上げずにいられなかった。
「わ……ワタクシにも、何が何だか分かりませんのッ! 銅と同じ硬さなら、間違いなく砕けましたのッ! ですがさやかの像は、核の直撃に耐えるメタルノイドの装甲の何十倍……いや何百倍もの硬さがありましたのッ!!」
マリナが必死に痛みを堪えながら疑問に答える。像の想定外の強度に、砕く事が出来なかったというのだ。像を殴った彼女の拳を見てみると、表面の装甲に亀裂が入っていた。
『馬鹿な……』
彼女の言葉を聞いて、ベルセデスが深く動揺する。マリナが嘘をついたとは思わないが、とても信じられない話だった。
ゆりか達も彼と同様に驚きを隠せない。本来仲間が壊されなかった事を喜ぶべき所だが、そんな感情すら吹き飛んでしまうほど想定外の事態だった。
その場にいた誰もが呆気に取られていた時……。
「あっ! あれを見て下さい!」
アミカが銅像に注目するように促す。
少女の言葉に従い一同の視線が注がれた時、像が微かに振動していた。
一瞬地震が起こったのかと錯覚したが、そうではない。外部から一切力を加えられていないにも関わらず、像が自分で動いていたのだ。
やがて像はゴゴゴと音を鳴らしながら、左右に激しく揺れだす。まるでポルターガイストと呼ばれる怪現象だ。
「Oh No!! Unbelievable!! Help me!!」
ホラー映画のような光景を目の当たりにして、マリナがパニックに陥る。四つん這いになって犬のように地べたを這ったまま、なりふり構わず泣き叫んで助けを求める。動くはずの無い像が自力で動き出した事に、正気を保っていられなかった。
像の揺れは更に激しさを増す。マッサージチェアの電源を入れたかのようにブルブルと音を立てて振動する。
「んんんんんーーーーーーーーっっ!!」
さやかのものと思しき声が発せられた瞬間、銅像が眩い光を放つ。目が焼き切られんばかりの光量に直視できず、誰もが顔を背けたり、目を閉じたりする。
そのまま数分が経過した後、周囲を覆っていた光が弱まって、うっすらと視界が開けてくる。やがて辺りが完全に見えるようになった時、光の発生地点に一人の少女が立つ。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
それは他ならぬさやか本人だった。銅像化が解除されて元の姿に戻っている。
相手の術に打ち勝つために力を使ったのか、息を切らせて疲れた表情をしている。
『ばっ……馬鹿な……そんな馬鹿なぁっ! 赤城さやか、ききき貴様一体どうやって元に戻った!? 元になど、戻れるはずが無いんだッ! 外部からも、内部からも! 絶対にッ! それを一体どうやって!!』
ベルセデスが声を震わせて狼狽する。完全に予想しなかった展開に、とても冷静でいられなかった。百歩譲ってパンチに耐えた事までは許せても、銅化から立ち直った事は到底許容できなかった。
次から次へと理解不能な出来事が起こってしまい、ストレスで目眩と吐き気がして、頭がおかしくなりかけた。
「どうやって元に戻ったって? そんなの簡単だよ。分子配列を組み替えて銅に変えるなら、それと逆の事をすれば、銅から元に戻せる。アームド・ギアのナノマシンがそれをやった……たったそれだけ。それとマリナ、動けない間にチュウしてくれてありがと」
さやかが銅化を解除した原理を説明する。さも簡単にやってのけたと言わんばかりに、腰に手を当てて鼻息を吹かせながら誇らしげなドヤ顔になる。
そして銅像でいた間も意識があり、キスされた記憶がある事を伝えた。
「……ッ!!」
さやかの言葉を聞いて、マリナの顔がカーッと赤くなる。知られたくない事を知られてしまい、恥ずかしさで目を合わせられない。肩をプルプル震わせて、目に涙を浮かべて下を向いたまま、何も言えず黙り込む。
野蛮なゴリラに秘密の花園を覗かれた気分になり、胸が激しくざわついた。
『かっ……簡単だとぉ!? 馬鹿野郎ッ! そんな事、簡単に出来るわきゃ、ねえだろぉぉぉぉおおおおおおっっ!! コンチクショウ! コノヤロウ! バカヤロウ! ウスバカゲロウ! チートゴリラッ! キングコング!!』
相手の言葉に納得できず、ベルセデスがありったけの罵詈雑言を喚き散らす。頭に血が上ってしまい、元帥としての威厳をかなぐり捨てて、子供のケンカのような悪口しか言えなくなる。
さやかは男の言葉など気にも止めず、マリナに向かってスタスタと歩き出す。四つん這いになった少女の前に立つと足を止める。
「……で、どうするの。まだやる? アンタの技、全部攻略したよ」
腕組みしながら勝ち誇ったように見下ろしながら言う。その表情は相手の技を破った自信に満ち溢れている。勝ち目は無いから降参しろと、そう言っているのだ。
「まっ……まだですわッ!」
マリナが悔しそうに歯軋りしながら、慌てて立ち上がる。相手の方を向いたまま早足で後ろに下がって距離を開ける。
「ワタクシにはまだ、最後の技が残ってますの! サヤカ・アカギ! 正真正銘、これで決着が付きますのッ! これがこの戦いのラスト・ターン……どちらが上か、白黒ハッキリさせますのッ!!」
そう言うや否や、右足の装甲の側面に付いた小さなレバーを、手で強く引いた。
「最終ギア……解放ッ!!」




