第16話 黒い影の正体
……何処か地下室へと通じている階段。全身黒ずくめでサングラスを掛けたギャングのような男二人が、言葉を交わしながらゆっくりと階段を降りていく。
「……ブロディ博士から指令が下った。ついにアレを使う時が来たようだ」
その男達はバロウズに加担する協力者のようだった。
やがて階段の終着点にある重い鉄製の扉を開けると、その奥には中世ヨーロッパの拷問部屋のような空間が広がっていた。床にはおびただしい量の血痕が広がっており、使用済みと思しき注射器や手術用のメス等が散乱している。
そんな怪しげな部屋の一角で、一人の少女が両手足に金具を付けられて壁に磔にされていた。
その少女……奴隷のようなボロボロの汚い布を着ており、髪を妖怪のように振り乱している。体のあちこちには痛々しい注射痕があり、何度もメスで切り裂かれたような傷跡がある。
本来美しい容姿をしていたらしき少女だが、その面影を感じさせないほど肌は汚れ、飢えた獣のように目を血走らせている。
「ウウゥゥッ……」
少女が獣のような唸り声を上げて、黒ずくめの男を睨み付ける。もし拘束が解けたら、すぐにでも噛み付きそうな勢いだ。
それでも男は物怖じする様子を見せない。
「お前にはもう一働きしてもらうぞ。エア・グレイブを殺すための刺客としてな……」
そう口にすると、男はポケットから取り出した注射器を少女の右腕に刺した。
「ウッ……ウァァアアアアアッッ!!」
少女の悲痛な叫び声が屋内に響き渡る……それは吸血鬼でも現れてしまいそうな、美しい満月の夜の出来事であった。
――――その翌日。
さやか達はゼル博士の研究所の一室で、モニターに映し出されたある映像を何度も繰り返し見ていた。それは真夜中に京都の上空を飛行するヘリコプターの映像だった。
「……ここだっ!」
博士は映像をスロー再生しながら、ある一点を指差す。
その部分をよく見ると、ヘリコプターの外側に何か黒い影のような物体が飛び付いている。ドアを力ずくで蹴破ったらしき破片が飛び散った直後にヘリは爆発し、黒い影はアタッシュケースのような物を抱えたまま飛び去った。
「メタルノイドの装甲を自衛隊でも使えるように加工したのだが、それをヘリで輸送している最中に何者かに奪われてしまった。この黒い影……バロウズの手先だと思われるが、メタルノイドではないようだ。正体は今のところ分かっていない」
博士は更に言葉を続ける。
「今日、再び加工した素材を自衛隊の基地に輸送する事になった。今回はミサイルの直撃に耐える装甲車で輸送する事になったが、まだ安心は出来ない。そこで……」
「そこで私たち二人に装甲車の護衛をして欲しいってワケね」
腕組みして大股開きで椅子に座っているさやかが、博士の意を察したように答える。
「そういう事だ……アタッシュケースを守る事が最優先だが、可能であれば黒い影の正体を突き止めてもらいたい。むろん襲ってくるようであれば倒してしまっても構わない。話は以上だ。さっそく準備に取り掛かるとしよう」
博士は話を終えると、モニターの電源を切ってすぐに席を立った。
◇ ◇ ◇
……二時間後、住民が避難した後の閑散とした道路を走る一台の装甲車。その外側上部には、変身済みのエア・グレイブとエア・ナイトが乗っている。
「あの黒い影……一体何者かしら?」
ゆりかが、ふと疑問を口にする。今までメタルノイドだけを相手にしてきた二人にとって、黒い影は未知の存在だった。
それでもゆりかとは対照的に、さやかは黒い影を警戒している様子はない。
「へーきへーき、どんな変なのが襲ってきたって、返り討ちにしてやるんだからっ」
笑顔でそう言って、あくまでもマイペースを貫き通す。
二人がそうして言葉を交わしていると、一瞬ガンッと何かにぶつかったように車体が激しく揺れた。
「っ!?」
その衝撃に慌ててさやか達が周囲を見回すと、黒い影が猛スピードで装甲車に追走している。黒い影は何度か装甲車に体当りした後、体当たりで壊すのを諦めたかのように車体の上部に飛び乗る。
「フゥーーッ、フゥーーッ、ウウゥゥ……」
黒い影が獣のような唸り声を上げて、さやか達を睨み付ける。ほぼ人間に近い大きさをしていたが、全身が黒いオーラのような物に包まれ、目だけが怪しく光っている。
四つん這いになり唸り声を上げるその姿からは、人間なのか動物なのか、それともロボットなのか、判別する事すら出来なかった。
「ウァァアアアアッッ!!」
黒い影は大声で吠えると、考える暇も与えずさやかに襲いかかる。それは全力疾走するチーターのような速さであった。
「うわっ!」
体当たりを正面からまともに食らって、さやかは影と一緒に車から落下してしまう。
車体上部に一人残されたゆりかも、二人を追うように自分から飛び降りた。
◇ ◇ ◇
道路脇にある原っぱで、さやか達二人は黒い影と対峙する。
両者は互いに警戒するように距離を取りながら睨み合った。
「残念ね。もうアタッシュケースは追わせないわ」
さやかが勝ち誇ったように腰に手を当てて、フフンッと鼻息を荒くする。心の内には使命を達成したという満足感があった。
「ケースナド、モウドウデモイイ……ワタシノ ホントウノモクテキハ、オマエタチヲ オビキダシ……コロスコトダッ!!」
黒い影は敵意に満ちた声で叫ぶと、猛然とさやかに飛びかかった。
「ぐぅっ!」
さやかは影の一撃を咄嗟に避けるものの、脇腹を鋭い爪のような物で切り裂かれる。
その影の走りはとても速く、さやか達は目で追うのが精一杯だった。四つん這いのまま高速で走る姿は、さながら野を駆ける黒豹のようであった。
二人を翻弄するように周囲を走り回る敵を前にして、ゆりかが提案する。
「私がヤツの動きを止めるから、その間にさやかは一撃を叩き込んでちょうだい。そうすれば、影の正体が分かるはず……頼んだわっ!」
そう言って右腕の装置のボタンを押すと、背中のバーニアから青い光が蒸気のように噴出されて、天使の翼のようなオーラを形作る。
「エア・ナイト……ブースト・モードッ!!」
その掛け声と共に彼女の全身が青い光に包まれ、バイド粒子の作用によって速度が十倍に跳ね上がる。そして猛スピードで地面を蹴るように駆けると、すぐさま影の後ろに付いた。
「ウァァ!?」
そのあまりの速さに影が思わず奇声を発した。自分より速く動き回れる物体がいた事に、さすがに驚いたらしい。
ゆりかは背後から影を両手で捕まえると、すぐに羽交い締めにして動けなくする。
「さやかっ! 今よ!」
ゆりかに促され、さやかは影に向かって全力で走り出した。
「6thギア解放ッ! ……ジータ・ストライクッ!!」
掛け声と共にリミッターを解除して急速に力を溜めると、影の腹に強烈な一撃を叩き込んだ。
さやかの右拳は敵の腹深くへとめり込み、生身の肉がドグォッと鈍い音を立てる。それは影の正体が、少なくとも機械ではないと判断させるに十分な感触であった。
「グァァアアアアッッ!!」
腹に受けた痛みのあまり、影が化け物のような悲鳴を上げながら豪快に吹っ飛んでいく。地面に全身を強く打ち付けられて大量の砂ぼこりを巻き上げた後、影はその場に倒れたまま、陸に上がって呼吸出来なくなった魚のようにピクッ……ピクッ……と体を震わせている。生身の人間なら死んでいてもおかしくないダメージを食らった筈だった。
「……やったの?」
ゆりかが思わずそう口にする。既に20秒が経過しており、エア・ナイトはバイド粒子を使い切ってブースト・モードは強制解除されていた。
戦う力を全て使い果たした彼女は、これで終わって欲しいと願わずにはいられなかった。
「……」
しばらくの間影は死んだように地面に寝転がっていたが、やがて無言のままゆっくりと体を起こして立ち上がる。それと同時に影を覆っていた黒いオーラがうっすらと晴れていき、その姿があらわになる。
……そこには学生服を着た一人の少女が立っていた。
「っ!?」
影の正体が人間であった事に、さやか達は驚きを隠さない。
メタルノイドでない事は予想が付いていたが、理性を持たない荒ぶる黒豹のような野獣の正体が、生身の人間……それも年端の行かぬ少女であったなどとは、想像もしていなかった。
「……フゥーーッ」
驚くさやか達とは対照的に、その少女は妙に落ち着いた態度をしている。先程まで暴れていた影の正体とは、とても思えないほどだ。まるで黒いオーラから解き放たれた事によって、理性を取り戻したかのようであった。
その少女……艶のある綺麗な黒い髪をしている。後ろ髪は腰まで届くほど長く、前髪は綺麗に切り揃えられている。和服が似合いそうな風貌をしており、大和撫子と呼ぶに相応しかった。
年齢はさやか達と同年代くらいに見えたが、背丈はさやかより少しだけ高く、モデルのような体型はお姉さんという雰囲気を漂わせていた。
「あの……」
さやかが少女に声を掛けようと、一歩前に踏み出したその時だった。
「覚醒ッ! アームド・ギア、ウェイクアップ!!」
少女が変身の前動作らしき構えを取りながらそう叫ぶと、右腕に黒いブレスレットが出現し、全身が黒い光に包まれる。
「なっ!?」
突然の出来事にさやか達が困惑する。
やがて少女を包んでいた黒い光が消えて無くなると、その服装は全く別のものに変わっていた。
それはエア・グレイブ達のような装甲少女に非常によく似た姿をしており、装甲の色は闇を彷彿とさせる漆黒に染まっている。右手には刀身が反り返った、日本刀のような片刃の黒い剣が握られている。
変身を終えた時、その少女が口を開いた。
「装甲奴隷……その黒き地獄の刃、ギル・セイバー! 我はお前たちを殺すために、バロウズから遣わされた刺客なりっ!」
名乗りを聞いて、さやか達は呆然と立ち尽くした。
明らかに装甲少女のような姿をした人物が、まさか敵として目の前に立ちはだかるなどとは想像もしていなかったのだ。その事に驚くあまり心をかき乱され、冷静さを保てなくなっていた。
「さやか君っ!」
その時、アタッシュケースを無事に届け終えたゼル博士が駆け付けた。
ギル・セイバーに変身した少女の顔を見て、博士の顔がにわかに青ざめる。
「生きていたのか……霧崎ミサキ」
……無意識のうちに博士はそう口にしていた。




