第175話 新たなライバル(中編-1)
マリナと名乗るアメリカ出身の女子高生が装甲奴隷ギル・グライドに変身、悪の戦士となってさやかの前に立ちはだかる。さやかは仲間の反対を押し切って、彼女との戦いに臨む。
博士から渡されたドリンクによって僅かながら体力が回復したさやかだったが、万全の状態には程遠く、マリナに苦戦を強いられる。全てはベルセデスの立てた計画通りだった。
このままマリナの圧勝に終わるかと思われた時……。
「ううっ! ゲホゲホッ」
マリナがいきなり咳き込んで、両手で腹を押さえたまま苦しみ出す。あまりの激痛に立っていられなくなり、思わず大地に膝をつく。
急激に痛みが湧き上がった腹を見てみると、大きなアザが付いていた。それはさやかに殴られた事によって出来たものだ。
(そんな……さっきは何とも無かったのに!)
全く効いていないと思っていた一撃が、自分にダメージを与えていた。その事にマリナは深く動揺した。
楽に勝てる勝負だと見込んでいた。少なくとも負ける要素など一ミリも無いと踏んでいた。手傷を負わされる事など、万に一つも起こらない筈だった。
だが今目の前にいる少女は、圧倒的力の差があるはずの相手に強烈な一撃を喰らわせたのだ。かわいい幼稚園児のポカポカ叩きだと油断していたら、ヘビー級ボクサーのパンチに顎ごと持っていかれたようなものだ。
少女が僅かでも自分を殺せる可能性があった事に、マリナは恐怖し、戦慄し、恐れるあまり手足の震えが止まらなくなる。
マリナが冷静さを失いかけた時、地べたに倒れていたさやかがゆっくりと立ち上がる。
「言ったでしょ……絶対に勝つって」
そう口にしながら強気な笑みを浮かべる。右手の人差し指でへへんっと鼻擦りしながら、得意げなドヤ顔で笑う。
「……」
さやかの余裕ありげな態度が癪に触ったのか、マリナが顔をうつむかせたまま黙り込む。他人に聞こえないくらい小さな声でブツブツと呟く。プルプルと体が小刻みに震えて、牛のように鼻息が荒くなる。顔が見る見るうちに紅潮し、明らかに頭の血管が切れそうになっている。
「……サヤカ・アカギッ!! よくも……よくもやってくれましたわねッ! 生まれも育ちも高貴なレディたるワタクシに対してこのような仕打ち、到底許せませんわッ! 私、堪忍袋の緒がプッツンしましてよッ! オラオラですのッ! もう手加減しませんわッ! フルパワーでファックユーして、セップクして差し上げますのッ!!」
胸の内に湧き上がった怒りを、声に出してぶちまけた。あまりに早口だったため、何を言ってるのか半分ほど聞き取れない。しかも後半になるほど文法がおかしい。
だが彼女にとっては些細な問題だ。言葉の間違いなど気にしないほど激昂していたのだから。
「You bastard!! Fuck off right now!!」
相手を罵倒する言葉を喚き散らすと、そのテンションのまま前方へと駆け出す。
「Die!!」
眉間に皺を寄せて目を吊り上げた鬼のような表情になりながら、少女に全力で殴りかかろうとした。
「でぇぇぇぇやぁぁぁぁああああああーーーーーーーーっっ!!」
さやかも負けじと大声で叫びながら、右拳によるパンチを繰り出す。
両者の拳が正面からぶつかり合って、ドォォーーーーンッ! と周囲一帯に響かんばかりの激しい衝突音が鳴る。
「Ughhhhhhhhh!!」
「うわぁぁぁぁぁあああああああっっ!!」
次の瞬間、二人の少女が共に悲鳴を上げながら後方へと弾き飛ばされる。そのまま大地に激突して、強い衝撃で全身を打ち付けられた。勝負は全くの互角だった。
「……Shucks」
地面に倒れていたマリナが困惑気味にため息を漏らしながら、体を起こす。一方的に打ち勝てたはずの相手と相討ちになった事に、心の中に微かな焦りを抱く。力押しで勝てる相手ではないという警戒心が湧く。
今後どう戦うべきか思案していると、視界の彼方でさやかが起き上がる。
「……」
無言のままマリナの方を見ながら、歯を見せてニカッと笑う。まだピンピンしている事をアピールするように、自分の腹を手でポンポン叩く。
あえて口に出さずとも、力勝負が互角だった事を喜ぶような態度を見せる。マリナにはそれが不愉快でたまらなかった。
「……サヤカ・アカギッ!! 余裕ぶるのもそこまでですわッ! ワタクシ、貴方を倒すための武器をいくつも用意しましてよッ! これから地獄に送って差し上げますわッ!!」
そう叫ぶや否や、腰に挿してあったクナイのうち一本を手で引き抜いて、少女めがけて全力で投げ付けた。
「今更こんなものッ! でやぁぁあああっ!」
さやかはあっさりとタイミングを見切り、足で蹴り飛ばそうとする。
だが少女の足が触れた瞬間クナイが爆発して、一瞬にして巨大な業火の餌食になってしまう。
「ぐぁぁぁぁああああああーーーーーーっ!」
ダイナマイト級の爆風をまともに浴びて、少女が全身炎に包まれたまま吹き飛ばされる。火だるまになりながら地面をゴロゴロ転がって鎮火させると、すぐに立ち上がろうとしたものの、体中にビリビリと火傷の痛みが残り、手足が思うように動かない。地面に手のひらと両膝をついたまま、起き上がれずにもたついてしまう。
「アハハハハッ! やりましたわッ! 内部に爆弾を仕込んだクナイ、貴方なら必ず引っかかると確信してましたのよッ! Sayaka Akagi、You idiot!!」
まんまと策が成功した喜びにマリナが胸を躍らせた。あまりの嬉しさに思わずガッツポーズを取ると、鼻歌交じりにウキウキしながらスキップしだす。
「トドメを刺してあげますのッ!」
死を宣告する言葉を口にすると、さやかに向かって一直線に駆け出す。四つん這いになった少女の前に立つと、相手の顔面めがけて貫手を放つ。
だがその瞬間少女の目がグワッと見開かれて、鋭い剣のように研ぎ澄まされた貫手を、右手だけで掴んで止める。マリナがいくら腕に力を込めても、引き剥がす事が出来ない。ボルトをきつく締めたようにガッチリと固定される。
「オラァッ!」
さやかはケンカする不良のような声を発すると、相手の顔面に渾身の頭突きを喰らわす。ドガァッと車がぶつかったような大きな音が鳴り、鮮血と思しき赤い液体が飛び散る。
「Ergwahhhhhhhhhh!!」
ダイヤモンドのような石頭を顔面に叩き込まれて、マリナが滑稽な奇声を上げながら豪快に弾き飛ばされる。完全に不意を突かれた形となり、ガードする暇が全く無かった。そのまま地面に激突して仰向けに倒れる。
「……」
だらしなく大股開きになって天を仰いだまま、茫然自失になる。何も考えられなくなり、頭が真っ白になる。軽い目眩と脳震盪を起こしたのもあるが、それ以上に頭突きという屈辱的な反撃を受けた事に、心を激しく揺さぶられた。
それは彼女にとって美しくない、野蛮で暴力的で、反知性的な一撃だったのだ。優雅な香り漂うバラ園を、醜いゴリラに踏み荒らされて、穢されたに等しかった。
彼女の胸は激しくざわついて、そして微かにドキドキした。それが怒りに拠るものなのか、それとも初めての体験に興奮したからなのか、彼女自身にも分からなかったが……。
鼻の下を指でスッと拭うと、真っ赤な血がベットリと付着した。既に出血は止まっているものの、大量に出たらしい血を慌てて両手で拭い、背中のバックパックからハンカチを取り出して、手を綺麗に拭く。最後にハンカチをバックパックにしまう。
「……フゥーーッ」
深呼吸して気持ちを落ち着かせると、仕切り直すようにゆっくりと立ち上がる。
「……私とした事が、少し熱くなりすぎましたの。エレガントじゃありませんわね。何しろこのようなリアリィなタマの取り合いは初めてなもので、ガラにもなく昂ぶってしまいましたわ。やれやれですの」
気だるそうに空を眺めて前髪を手でかき分けて、腋を強調したポーズを見せる。少し疲れたように鼻息を吹かせながら、自己反省する弁を述べた。
「……ですが、サヤカ・アカギッ! 依然ワタクシが有利である状況に変わりはありませんのッ! 二撃や三撃がヒットした程度で、戦況は引っくり返りませんのッ! それを今から証明して差し上げますわッ!!」
未だにパワーバランスが彼女優位である事実を告げた。確かにダメージを受けた事は想定外だったが、それでもさやかが激しく消耗している事に何ら変わりなく、両者の間に膨大なスタミナの開きがある限り、勝敗は決して覆らないのだと冷静に思い直した。
「今の貴方に、これが防げましてッ!」
そう口にするや否や、腰に挿してあった残り五本の爆弾クナイを全て引き抜いて、一本ずつ時間差で投げ付けた。
五本のクナイがさやかめがけて一斉に飛んでいく。物理的に防ごうとすれば爆発するのがオチだ。対処のしようが無いと見て、マリナがニヤリとほくそ笑む。
「……Eww!?」
だが次の瞬間目にした光景に、少女が驚くあまり呆気に取られた。
さやかはクナイを撃ち落とすのではなく、反復横跳びするような動きで、一本ずつ器用にかわしていく。マリナはタイミングを見切られないようにあえて不規則なリズムで投げていたが、彼女はアドリブで対応してみせた。
クナイを全てかわしきると、さやかはすぐに敵に向かって駆け出す。飛び道具を撃ち尽くした今が絶好のチャンスだと判断する。
「でぇぇぇぇやぁぁぁぁああああああーーーーーーーーっっ!!」
勇ましい雄叫びを発しながら、全力を込めたパンチで殴りかかろうとした。
「フンッ!」
マリナは鼻息を強く吹かせると、右手のひらを正面に掲げる。すると彼女の手を中心として、半透明に黒く光るバリアがドーム状に張り巡らされた。
さやかが繰り出した必殺のパンチは、バリアに衝突して押し止められてしまう。
「そんなっ!」
友の渾身の一撃が防がれたのを見て、ゆりかの顔が青ざめる。他の仲間たちも落胆の表情を浮かべる。僅かでも彼女が勝てるかもしれないと抱いた淡い期待がへし折られた絶望感に苛まれた。
「アハハハハッ! 近接戦闘タイプの私がバリアフィールドを張れないと、心の何処かで期待していたのかしら!? 残念ですけどワタクシ、貴方のようなパワー一辺倒の脳筋と違って、様々な用途に対応できる万能タイプですのよッ!!」
バリアを維持し続けたまま、マリナが勝ち誇ったように叫ぶ。自らの能力が相手よりも優れている事に強い確信を抱いて、嬉しそうに高笑いする。
自分のバリアが打ち勝つ事に何の疑問も抱かなかったが……。
「……ふんどりゃぁぁぁぁああああああっっ!!」
さやかが鼻の穴おっぴろげたゴリラ顔になって、物凄い大声で叫ぶ。バリアに止められたままの腕に、血管が切れんばかりの凄まじい力を込める。
すると拳が衝突した部分のバリアに、ビシビシと音を立てて亀裂が入りだす。
「……No way!?」
マリナは我が目を疑う。決して起こらない筈の出来事が目の前で起こっている現実が頭で受け入れられず、俄かにパニックに陥りかけた。
直後バリーーンと音を立ててバリアはガラスのように脆く砕けて、さやかの拳がマリナの顔面に激突する。
「Ungaahhhhhh!!」
何とも形容しがたい奇声を発しながら少女が豪快に吹き飛ばされた。何度も地面に体をぶつけた挙句、車に轢かれて死にかけたカエルのようにだらんと手足を伸ばして、全身をピクピクさせた。
「……それが何だって言うのよ」
だらしなく大地に寝転がったマリナを眺めながら、さやかが吐き捨てるように言い放つ。バリアなど知ったことかという態度だ。
「言ったでしょ……どれだけ力の差があろうと、私は絶対負けないッ!!」
相手を殴った拳を強く握り締めて、高らかに宣言した。
もはや両者の間に力の差など無い……それどころか、彼女の方が勝っているのではないか? 二人の戦いを見ていた者全てが、そんな印象を抱く。
さやかが体力的に限界を迎えていた事実など、とうに頭から吹き飛んでいた。




