第170話 雷(いかずち)は三たび鳴る。(後編)
「ブリッツ……ようやく分かったよ。やはりアンタは生きてちゃいけない……ここで死ぬべき人間なんだッ!!」
さやかはそう口にするや否や、自分を踏み潰そうとしたブリッツの足を力ずくで押し返す。重さ10tはあるはずの巨大ロボの足を、明らかにサイズ比で劣る少女が、火事場の馬鹿力で持ち上げようとしていた。
少女の力は想像を絶するものがあり、男がいくら足に体重を乗せても、相手を踏み殺す事が出来ない。自分より遥かに小さいはずの相手に、グイグイと上に押されていく。
「うらぁぁああああっ!」
さやかは勇ましく吠えると、敵を一気に押し返して二本の足で立ち上がる。相手の片足を両手で掴んで体ごと持ち上げると、そのまま空に向かって力任せに放り投げた。
『ぬおおおおおっ!』
ブリッツが声に出して驚く。彼の視点では何が起こったのか全く分からず、冷静な判断が出来なかった。宙に投げ出された男の体はパニックに陥って何も出来ないまま、ただ重力に任せて真下へと落下する。
鋼鉄の巨体が凄まじい速さで大地に激突して、ドォォーーーーンッ! という音が荒野にこだまする。そこから生じた振動が周囲一帯へと伝わっていき、地面が微かに揺れる。
『ぐぬぅぅううううっ……』
男が呻き声を漏らしながら起き上がろうとする。体中に付いた砂や泥を、すぐに手で振り払う。彼のいた地面は、落下の衝撃でクレーターのようになっていた。
装甲の頑丈さによりダメージは皆無だったものの、彼は心中穏やかではない。体に受けた痛みよりも、投げ飛ばされた屈辱、少女が反撃した事への驚きで胸が激しくざわついた。
男にとって、少女が起き上がるなど決してあってはならない事だった。たとえ宝くじで一等が当たり、猫が逆立ちして歩くような事があっても、それだけは絶対に起こらないという確信があったのだ。
起き上がったブリッツが慌てて辺りを見回すと、数メートル離れた先にさやかが立つ。
「はあ……はあ……はあ……」
重さ10tの巨体を投げ飛ばした少女が、呼吸を荒くする。表情に疲労の色が浮かんでおり、辛そうに姿勢を低くして膝を曲げる。全身から滝のように汗が噴き出す。傷口は塞がったものの、体力が全快したようには到底見えない。
(……疲労が回復した訳ではないのか? いくら自己修復機能を備えたといっても、最終形態にならない限り、やはり限界があるようだ。だがそうだとすれば、立ち上がった事……俺を投げ飛ばした事に、説明が付かん。一体どういう原理なんだ? あの女は間違いなく死にかけだというのに……)
少女の様子を遠巻きに眺めながら、男が状況を分析する。彼女が不可解な強さを見せ付けた事に、俄かに訝る。
(まさか……まさか既にボロボロであるはずの体を、気迫だけで持たせているのかっ!? だとしたら、とんでもない話だッ! 常軌を逸しているッ! イカれているッ!)
彼女は根性によって無理を押し通しているという結論に達し、そのトンデモぶりに驚嘆した。少女にとって自己修復能力などオマケに過ぎず、真に恐れるべきは、肉体の限界をいともたやすく超えてしまう精神力にあった……男はそう解釈した。
とは言え、少女が満身創痍である事に何ら変わりない。男が圧倒的有利な立場に立てている戦況は揺らいでいない。普通に考えれば少女には一パーセントの勝ち目も無い。
『その痩せ我慢が何処まで持つか……すぐに化けの皮を引っ剥がしてやるッ!!』
ブリッツはさやかが万全の状態ではないと冷静に思い直し、落ち着きを取り戻す。あと一撃で死ぬかもしれない相手に恐れを抱く必要は無いと判断し、止めを刺すべく早足で駆け出す。
『圧倒的な力の差が、ガッツだけで埋まるほど戦争は甘くないッ! それを肝に銘じて、死ねぇぇぇえええええっ!!』
間合いを詰めると、死を宣告する言葉を吐きながら、少女を全力で殴り殺そうとした。
さやかは自分めがけて振り下ろされた巨大な拳を、両手のひらを前に突き出して、咄嗟に受け止める。だが力及ばず、そのまま後ろへと押されていく。
「うっ……ぐぅぅううううっ!」
少女が歯を強く食い縛らせて、必死に粘ろうとする。鼻の穴おっぴろげたゴリラ顔になって、今にも頭の血管が切れそうになる。どっしり腰を落とし込んだガニ股になると、その場に踏み止まろうとした。
敵の拳を両手で受けたまま数メートル後ろに押されて、大地に付けた足がズザザァァーーーーッと音を立てて、大量の砂埃を舞わせる。
そのまま力で押し切ろうとしたブリッツだったが……。
『……なっ!』
拳を受けた少女の後退が、急ブレーキを掛けたように突然止まる。いくら男が腕に力を込めても、ビクともしない。まるで彼女の体重が突然男の数十倍になったような錯覚すら覚えた。
「ふんぬうっ……どりゃぁぁぁぁぁあああああああーーーーーーーーっっ!!」
さやかが、とても少女とは思えない鬼のような形相で、両腕をグイッと前に押す。
直後ブリッツの体が一気に後方へと押し出される。地面から足が離れて、風で吹き飛ばされたダンボール箱のように飛んでいく。
『なっ……何ぃぃぃぃいいいいいいっ!?』
突然の出来事に男が心の底から驚愕する。力で押し負けた事が到底頭で受け入れられず、ただただ困惑するしか無い。宙を舞うロボの巨体はやがて大地に激突して、強い衝撃で全身を打ち付けられた。
(……なんてパワーだっ! これがあと一撃で死ぬ女の力なのかっ!? 本当にガッツだけでやってのけたのなら、とんだバケモノだっ!!)
慌てて立ち上がりながら、ブリッツが激しく動揺した。あと一歩で掴めるかもしれない勝利に、どうしても手が届かない事に、焦りが募りだす。
残りHP1になったゲームのザコ敵が、いつまで経っても死なないような……そんな奇妙な違和感を覚えた。
『……クソッ! 一体なんなんだ、オマエはっ! なんでいつもいつもいつも、そうやって俺の邪魔ばっかりする!? お前さえいなかったら、俺は二度も死なずに済んだのにっ! 特別な血筋で生まれた訳でもない凡人の癖に、何故そうまでして抗うッ! 凡人は凡人らしく、ゴミのように惨たらしく死ねばいいのにッ!!』
少女のしぶとさに苛立ったあまり、早口でまくし立てる。思い通りに事が運ばない理不尽さに対する怒りで、感情的にならずにいられない。
もはや彼の中にあったのは積年の怨みを晴らす復讐心などではなく、ただただ彼女の打たれ強さにウンザリした。もういっそ、さっさと終わらせておウチに帰りたい気持ちにすらなった。
「……死ぬわけないでしょ」
立ったまま話に聞き入っていたさやかが、思い立ったように口を開く。
「ここで死んだら、今までやってきた事全部ムダになっちゃう……そんなのイヤに決まってる。アンタみたいな悪党をブッ潰すためなら、体が引き裂かれるような痛みだって耐えてみせる……いっそ体が分解されて塵になっても、アンタらの体内に侵入して、排気口を詰まらせてやる。そう決めたんだもの」
思い詰めた表情になりながら、淡々とした口調で語る。言葉の節々からは、強敵に打ち勝つためならば、我が身を犠牲にする事も厭わない少女の悲壮な覚悟を滲ませた。
「だって、しょうがないじゃない。最後まで諦めずに痩せ我慢する事……それが凡人たる私に与えられた、たった一つの取り柄なんだからっ!」
自分にはそれしか無いのだと、卑下するように叫んだ。
ブリッツが指摘するように、彼女には特別な血など流れていない。英雄の子孫でも無ければ、親が有名人だった訳でもない。ただケンカが強かっただけのゴリラな女子高生が、感情が爆発した勢いで変身して、ナノマシンに肉体を改造されただけだ。
センスや技術、応用力では明らかに仲間に劣っている。そんな彼女にあるのは、とてつもない馬鹿力と、どんな危機的状況に置かれても決して折れない不屈の精神だった。それだけでここまで勝ち残れた事が、彼女の強みであり誇りだった。
「私の覚悟……見せてあげるッ! 薬物注入ッ!!」
そう口にするや否や、背中のバックパックから一本の注射器を取り出し、それを迷わず自分の首に突き刺す。中の液体が一滴残らず体内へと注がれると、少女の体がドクンドクンと激しく脈動し、全身の筋肉がムキムキに膨れ上がる。
「最終ギア……解放ッ!!」
全能力三倍モードになると、間髪入れずに右肩のリミッターを解除してパワーを溜める動作に入る。右腕に内蔵されたギアが高速で回りだし、エネルギーが凄まじい速さで蓄積されていく。やがてパワーが完全に溜まり切ると、さやかはすぐに敵に向かって駆け出す。
彼女はこの一撃で勝負を決めるつもりでいた。
『馬鹿めッ! 俺の周囲に大量の地雷が仕掛けられているのを、よもや忘れたワケではあるまい!? ボロボロに傷付いた今の貴様が強行突破しようとすれば、間違いなく死ぬ事になるぞッ! どうやらピンチになってヤケを起こしたようだなぁっ! ハハハハハハハァッ!!』
少女の判断を、ブリッツが馬鹿げた愚行だと嘲る。一撃でも致命傷になりかねない地雷原に彼女が突っ込んでいく姿は、男からすれば完全に自殺行為だった。追い詰められて、何の考えも浮かばずに猪突猛進したようにしか見えなかった。自らの揺るぎない勝利を確信して、男は笑いが止まらなくなる。
『……ッ!?』
だがその確信はすぐに覆された。次の瞬間目にした光景に、男は顔面蒼白になる。
「うぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおっっ!!」
さやかが鬼気迫る表情になりながら、地雷原を一気に駆け抜けていた。むろん彼女の速さで安全圏まで逃れられる筈もなく、踏まれるたびに地雷が爆発し、そのたびに少女が炎に包まれる。パワーが増した事により吹き飛ばされはしないものの、皮膚が黒く焦げている。負傷した事は明らかだった。
だが彼女はそれを無視するかのように、平然と走っていた。
(……何という事だッ!!)
ブリッツは驚愕した。あと一撃で死ぬはずだった少女が、体の痛みを気迫によって打ち消して、自分に向かってきているのだ。たとえこの後に倒れて命を失う事になろうとも、今この瞬間、彼女は間違いなく自分を殺そうとしている。その全てを投げ打ったゾンビのような執念に、体の芯から凍り付く心地がした。
「ブリッツ……これが最後まで諦めない私の、本気の一撃だぁぁぁぁぁあああああああーーーーーーーーっっ!!」
さやかは近接の間合いに入ると、気迫の篭った雄叫びと共に、必殺のパンチを繰り出す。少女の全てを賭した拳が金属の装甲に叩き付けられると、周囲一帯が揺れるほど激しい爆発音が鳴る。
「……トライオメガ・ストライクッ!!」
彼女が技名を口にした途端、殴られた箇所の装甲が砂のように脆く崩れだす。少女の拳はロボの巨体をドリルのように掘り進んでいき、そのまま向こう側へと突き抜けて、相手の背後に着地する。
『グォォォォォオオオオオオオッッ!!』
ブリッツが眉間に銃弾を撃ち込まれた羆の如き絶叫を轟かせた。胴体に少女と同じ大きさの風穴を開けられて、断面部分の機械がズタズタに捩じ切れて、そこから真っ赤な油が血のように漏れ出す。彼に致命傷を負った事を悟らせるには十分だった。
終わった、何もかも……ブリッツはそう実感した。
如何に部下の失敗に寛大なバエルでも、同じ相手に三度も敗れた者を許すとは到底思えない。戦士として誇りを穢されたと感じたら、尚更だ。
ここで死ねば、今後蘇生させられる事は決して無いだろう……男はそう考えた。
これまでの生き方を悔いた訳ではないが、遂に天罰が下ったかと嘆かずにいられない。
『……クククククッ』
自らの命運が尽きた事に深く絶望したブリッツだったが、何かを思い出したように突然笑い出す。
「何がおかしいッ!」
ミサキが思わず声を荒らげた。輪っかに縛られてイモムシのように転がったまま、体をジタバタさせる。彼女からすれば、男は死の恐怖に心を押し潰されて、頭がおかしくなったようにしか見えない。
『全テ、アノオ方ノ計画通リ……俺ガ ココデ死ヌ事モ……赤城サヤカガ、俺トノ戦イデ力ヲ使イ果タス事モ……全テ……ナ……ハハハハハッ……ハッ……ハヴゥゥルゥゥァァアアアアアアッッ!!』
ブリッツは意味深な言葉を口にすると、穴が空いた箇所から火が点いたように爆発して、木っ端微塵に吹き飛んだ。大地に散らばって焦げた金属の部品が、彼が二度と復活しない事を印象付けるように、風に飛ばされてゆく。
クモ型地雷も全て少女に踏まれたのか、新たに起爆する気配は無い。
「はあ……はあ……はあ……お、終わったぁーーーー」
さやかは強敵の確実なる死を見届けると、安心してニッコリ笑う。戦いが終わって緊張の糸が解けたのか、崩れるように地面に倒れてしまう。
「さやかっ!」
仲間の安否を心配したゆりかが急いで駆け寄ろうとしたものの、彼女を縛る輪っかは消えておらず、身動きが取れない。これまでと同じく、イモムシのように地べたを這う事しか出来ない。他の二人も同様だった。
「さやか君っ!」
三人が何も出来ず困っていた時、ゼル博士が駆け付ける。片手には救急箱が握られている。彼はブリッツに襲われた村人を安全な場所まで送り届けた後、この場に戻ってきたのだ。
「大丈夫かっ!? 待ってろ! すぐ傷の手当てを……」
博士は負傷した少女の元へと駆け寄ると、救急箱から消毒液と包帯を取り出そうとする。
「だっ、だいじょーぶです、はかせ……このまま放っといても、私は死にません。もう戦いは終わったんで、先に他の三人を助けてください……」
さやかは全身グッタリさせたまま地べたに倒れながら、あえて仲間の救出を優先するように頼む。
「しかし……むぅ……分かった」
博士は一瞬躊躇したものの、少女の言葉に大人しく従う。彼女の言う通り戦いが終わったのなら、急ぐ必要も無いという思考が働いた。
地面に転がっていたゆりかの元へ向かい、彼女を縛る輪っかを手で外そうとする。だが輪っかは非常に頑丈であり、いくら指に力を込めても外す事が出来ない。
(おかしい……この輪っかがブリッツの力によるものなら、彼が死ねば、輪っかも消えるはず……それがまだ残っているという事は、これは彼の力によるものでは無いのか?)
少女を拘束するリングがいつまでも消えない事に、博士が疑念を抱く。顎に手を当てて気難しい表情になりながら、あれこれ考える。
(まさか……まさかこれを仕組んだ敵は、他にいるというのか!?)
とてつもなく恐ろしい予感が彼の頭をよぎった時、それを裏付けるように、何処からか声が響く。
『……ブリッツは期待通りの仕事をしてくれたようだな』
その場にいた者全員が、声が聞こえた方角に一斉に振り返ると、遠く離れた大地に二つの人影が立つ。それらはやがて、さやか達のいる場所に向かってゆっくりと歩き出す。人影のうち一方はメタルノイドで、もう一方は人間の少女のように見えた。
……謎の二人組の登場に、一行は新たな激闘を予感せずにいられなかった。




