第167話 雷(いかずち)は三たび鳴る。(中編-1)
丸いノコギリ状の兵器『ソーサー』を倒した一行だったが、輸送コンテナから飛び出した発光体がフラフープのような形状へと変化し、さやか以外の三人を縛って無力化してしまう。
全てはさやかと一対一の勝負に持っていこうとする、ブリッツの上司が立てた作戦だった。
二度目の復活を果たしたブリッツと対峙するさやかだが、ミサイルに仕込んであった毒ガスを吸って身体機能が低下する。もはや敵と互角に戦う力を失った少女は、ただ一方的に痛め付けられるしかない。
「……うぐぅ」
六千度の火炎放射器で焼かれて全身に大ヤケドを負った少女が、地べたに這いつくばったまま、今にも消え入りそうにか細い声で悶える。とても立ち上がる力が残っているようには見えない。
『俺たちの長きに渡る因縁に終止符を打とう……むろん俺の逆転大勝利という、ウルトラハッピーなエンドでな。はっははは』
邪悪な笑いを浮かべた悪魔のような男が、倒れた少女に迫ってゆく。完全に虫の息となった相手に、自ら止めを刺そうと息巻く。
「さやか、立ち上がって! このままじゃアイツに殺されちゃうっ! さやかっ! さやかぁぁぁぁああああああーーーーーーーっっ!!」
輪っかに縛られてイモムシのように転がったままのゆりかが、涙目になりながら何度も呼びかける。それが無理な注文だと分かっていても、叫ばずにはいられない。今の彼女には喉が枯れるまで声を出し続ける事しか出来ない。
目の前で友が殺される光景を見るくらいなら、いっそ大声を出し過ぎて、心臓が破裂して死んでしまっても構わないとさえ思った。
「さやか、起きろっ!」
「さやかさんっ!」
ミサキとアミカも力を尽くして声を出す。何としても友を立ち上がらせようと躍起になる。だが少女が動く気配は全く無い。気を失ってしまったかのように沈黙する。
『フフフッ……無駄なあがきを。重傷を負った人間が、治療もせずただ声を掛けただけで起き上がる訳が無いだろう? せいぜい仲間が殺されるサマを見せ付けられて絶望するがいい』
少女たちの必死の努力を、ブリッツが馬鹿げた行為だと鼻で笑う。奇跡を信じようとする若者の願いを、大人の正論によって否定する。
男は微かな希望を砕こうとするように、死にかけたさやかの前に立つ。
『赤城さやか……何もかも、これで全て終わりだッ! あの世へ行って、両親と仲良く暮らすがいいッ! 死ねぇぇぇぇぇぇええええええええーーーーーーーーーーっっ!!』
右足を大きく上げると、死を宣告する言葉を吐きながら、全力で相手を踏み潰そうとする。ダンプカーのように巨大な鉄の塊が、無防備な少女の顔面に迫ってゆく。直撃すれば即死は免れない。
「さやかぁっ! 立てぇぇぇぇぇぇええええええええーーーーーーーーーーっっ!!」
ミサキはたった一言、魂を燃やし尽くす勢いで叫んだ。天にも届かんばかりの大声が辺り一帯に響き渡った時、少女の手の指先がピクリと動いたように見えた。
巨大な足が触れようとした正にその瞬間、さやかが横に動いて相手の一撃をかわす。そのまま横向きにゴロゴロ転がっていって、敵から距離を取ろうとする。
『なっ、何ぃぃぃぃぃいいいいいいいっっ!?』
予想外の展開に、ブリッツが思わず声に出して驚く。自らの勝利を疑いもしなかった為に、それが覆された事にショックを禁じえない。
さやかは相手から大きく離れると、すぐに体を起こして立ち上がる。わずかに体をよろめかせながらも、しっかりと敵の方を向く。
「はあ……はあ……はあ……」
全力疾走して疲れ切ったように肩で激しく息をして、全身から滝のように汗が流れ出す。膝を折り曲げて姿勢が低くなっていて、手足をだらんとさせている。体力が回復した様子は無い。
一発殴られたら再び倒れてしまいそうなほど頼りない。
それでも彼女は間違いなく立ち上がったのだ。それだけでも、その場にいた者たちにとっては奇跡だった。
『……』
ブリッツは困惑したあまり言葉も出ない。またも不可能を可能にしてみせた少女の姿に、過去の嫌な記憶がフラッシュバックして、体の震えが止まらなくなる。否が応でも自分が殺される光景を想像してしまい、急激な目眩と吐き気に襲われた。
それと同時に、彼女の不死身ぶりに「なんで俺ばっかりこんな目に……」とウンザリした気持ちが強い苛立ちを生んで、激しい怒りへと転嫁される。少女のデタラメな理不尽さに対する不満が爆発寸前になる。
男の中で憎悪と恐怖がせめぎ合っていたが、やがて相手を殺したいと願う殺人衝動の方が上回った。
『ふざけやがってぇ! そのまま死んでおれば、楽にあの世へ旅立てたものをッ! よくも……よくものうのうと立ち上がりおったなぁっ! この一片も生きる価値の無い、哀れなウジ虫めがぁぁぁぁぁぁああああああああーーーーーーーーーーっっ!!』
マグマのように煮え滾る憤激を、声に出してぶちまけた。
少女に殺されるかもしれない不安など、何処かに吹き飛んでしまっていた。
もはや男にとって少女は目に付いただけで不快感を催す汚物のような存在であり、細胞の一ミリたりとも宇宙に残しておけないほど憎たらしい害虫と化した。
彼女を消し去らない限り、魂の平穏など決して訪れないほど目障りに感じたのだ。
『……許さん! 殺すッ! 百回殺すッ! じわじわとなぶり殺しにして、死ぬほど痛め付けて、楽に死ねなかった事を地獄で後悔させてやるわぁぁぁぁぁぁああああああああーーーーーーーーーーっっ!!』
ありったけの罵詈雑言を喚き散らすと、荒ぶる感情のままに敵に向かって走り出す。巨大なロボットの足が地面を踏むたびにドスドスと音が鳴る。
『死ねッ! このクソッタレの、ゴミ蛆虫がッ!!』
悪口を吐きながら、強く握った拳を高々と振り上げて、少女めがけて振り下ろそうとする。
ショベルカーのアームの如き剛拳が触れようとした瞬間、彼女の姿がワープしたように忽然と消える。
『!?』
相手を見失った事に慌てたブリッツが、後ろを振り返ろうとした時……。
「でぇぇぇぇやぁぁぁぁぁぁああああああああーーーーーーーーっっ!!」
気迫の篭った雄叫びと共に、さやかがジャンプしながら横回転しての豪快な回し蹴りを放とうとする姿が、彼の視界に映り込んだ。
ブリッツは避ける暇もなく、少女の蹴りをまともに受けてしまう。
『なっ……どブォォォォォォオオオオオオオオッッ!!』
顔面に凄まじい破壊力の蹴りを叩き込まれて、男が滑稽な奇声を発しながら弾き飛ばされる。ろくに受身を取れないまま地面に激突して、強い衝撃で全身を打ち付けられた。
脳を激しく揺さぶられた感覚を覚えて目が回ったものの、すぐに正気を取り戻して急いで立ち上がる。
『ヌゥウウウ……今のは一体なんだッ!? まぐれか!? そうか……ただのまぐれかッ! ならばそれでヨシッ! 何しろあの女は毒を吸った上に死にかけだ! 普通に考えれば、反撃など出来る筈が無いのだからなッ! フムッ!!』
男は思わぬ反撃を受けた事に一瞬たじろいだものの、単なる偶然だと自分に言い聞かせた。それによって心の落ち着きを取り戻すと、再び少女に向かって駆け出す。
『死にかけたのだから、大人しく死ねッ!!』
飾り気もへったくれも無いド直球な台詞を吐きながら、全力で相手を殴り殺そうとした。
『……馬鹿なッ!?』
次の瞬間起こった出来事に、ブリッツが顔面蒼白になる。
岩のように大きな男の拳を、少女は事もあろうに片手だけで止めていた。男がいくら腕に力を込めても、ビクともしない。万力で挟まれたようにガッチリと固定されている。
「……うらぁぁぁぁああああああっ!!」
さやかはそれまで片手で掴んでいた男の拳を、今度は両手で掴むと、力任せに腕ごと相手の体を持ち上げる。そのまま宙に向かって勢いよく放り投げた。
『おおおおおっ!!』
空に投げ出された男が、声に出して慌てふためく。海で溺れたように手足をバタつかせたものの、どうにもならない。一瞬何が起こったのか思考に理解が追い付かず、冷静に対処できなかった。
なす術なく地面に落下して、大地を揺るがす轟音と共に激しく叩き付けられてしまう。
『……グヌゥウウウ』
ブリッツが急いで上半身を起こしながら、唸り声を出す。全身を強打した痛みよりも、予想外の反撃を受けた精神的ショックの方が大きかった。
男が周囲を見回すと、先ほど彼を投げ飛ばした少女が、二本の足でしっかりと立ちながら男の方を見ている。
「フゥーーッ……」
相手を投げて満足してスッキリしたように一息つく。呼吸は落ち着いており、汗も掻いていない。それどころか戦いで受けた傷が、何事も無かったように治癒している。
勝負は仕切り直しだと言わんばかりにピンピンしていた。
(こいつ……怪我が治っている!? それどころか、毒の効果が完全に消えているぞッ! なんて女だ! バカモノ、いやバケモノかっ! 自己修復機能を備えたと話には聞いたが、まさかこれほどとは……どうりで名だたる上級幹部が敗れたワケだ……まったく)
少女の体調が目に見えて良くなった事に、ブリッツが深く困惑する。彼女のトンデモぶりに呆れたあまり、思わずため息が出る。
ピンチになってもすぐまた立ち上がる……フィクションのヒーローならよくある事だが、現実に目の当たりにすると、悪夢以外の何物でもない。
機械の体になった自分より、あの女の方が人間を捨てているではないかッ! ……男はそんな事まで考え出した。
「ブリッツ……残念だけど、この物語は貴方のハッピーエンドにはならないよ。貴方はここで終わる……コンティニュー不可の、完全ゲームオーバーというバッドエンドでね」
ブリッツが思案に暮れていると、彼の目を覚まさせるようにさやかが口を開く。毒を克服した事により対等の立場に立てた自信からか、ゲームめいたジョークで返す余裕を見せた。
「何もかも、これで全て終わらせる……そうだね。その言葉には素直に同意する。ここで終わりにしよう……私とアンタのくだらない因縁を、アンタの死によって!!」
そう口にすると、力強く握った拳を正面に突き出して戦いの意思を示す。相手を真っ直ぐに見据える精悍な瞳には、何としても因縁を断つのだという揺るぎない決意が浮かぶ。
『フッフッ……フフフッ……フハハハハハハァッ!!』
大人しく少女の言葉に耳を傾けていたブリッツが突然笑い出す。
それまで黙り込んでいたのが嘘のように饒舌に口を開く。
『……馬鹿めッ! 毒を克服した程度で、もう勝ったつもりでいやがるッ! 俺がたったそれだけの備えで、わざわざここまでやってきたと、本気で思っているのかッ!? 何処までもおめでたい脳ミソをした女だッ! 赤城さやか! 残念ながら、これで終わりではないのだよッ!!』
まだ自分には手札が残っている事を、自信たっぷりに明かす。それが真実なのか、それとも口からでまかせを言ったのかは分からない。
『思い知るがいい……ここから先が、本当のゲームオーバーだッ!!』




