第151話 最強の敵、もう一人のワタシ。(中編-2)
さやかそっくりの見た目をした少女、赤城サヤカは悪の戦士ゼノ・グレイブに変身して、一行を苦もなく叩きのめす。そして自身がさやか達の二十倍の強さを持つ事を明かした。
それでも臆する事なく立ち上がったミサキをあっさり返り討ちにすると、彼女を性的に貶めようとする。
「ミサキを辱める事は許さないっ!」
行為を邪魔せんと後ろから声を掛けたのは、自力で負傷から立ち直ったゆりかだった。
「はぁ……勝ち目が無いと分かっていて、のこのこと戦いを挑もうだなんて……どんだけお馬鹿さんなの? 生憎だけど私、他人の自殺を手伝ってあげるような趣味は持ち合わせてないから」
サヤカはめんどくさそうに右手の小指で鼻の穴をほじりながら、皮肉めいた言葉を吐く。最後は指に付いたゴミを息で吹き飛ばしながら、気だるそうに尻を手でボリボリと掻いた。戦いの緊張感などと呼べるものは全く持ち合わせておらず、完全に相手を舐めた態度を取っていた。
鼻くそをほじるとは、なんて汚いマネをするんだっ! ゼル博士はそう考えて、彼女を心から蔑んだ。
「勝ち目が無いかどうかなんて……そんなの、やってみなくちゃ分からないじゃないッ! 私はまだ全力を出し切っていないッ!」
敵のやる気の無さに反発するように、ゆりかが勇ましく吠えた。油断した相手の鼻を明かしてやろうという気迫が表情に浮かぶ。
「エア・ナイト……ブーストモードッ!!」
右腕にあるボタンを指で押しながら、大きな声で叫ぶ。直後背中のバーニアから青い光が蒸気のように噴射して、天使の翼のようなオーラを形作る。更にそこから大気に散ったキラキラ光る粒子が、彼女の肌に吸い込まれるように付着していく。
ゆりかは全身を青い光に包まれると、すぐさま十倍に跳ね上がった速さで走り出す。ビュウッと風を斬る音を鳴らしながら大地を駆け抜けて、敵めがけて突進する。
「もらったぁぁぁぁああああああっっ!!」
勝利を確信した言葉と共に、必殺の一撃が放たれた。槍の刃をドリルのように高速で回転させて、相手の胴体を串刺しにしようとする。
「フッ」
その刹那、サヤカがニヤリと不敵に笑う。そして目にも止まらぬ速さで繰り出された突きを、ひょいっと横に動いてかわしてみせた。
あまりにあっさり攻撃をかわされたため、ゆりかは自分が十倍速で動いた事を一瞬忘れそうになる。
「くっ……このおおおおおっ!」
悔し紛れに大声で叫びながら、相手をメッタ刺しにしようと、槍による高速の突きを何度も繰り出す。
「フッフフフーーーーン」
サヤカは楽しそうに鼻歌を唄いながら、槍の刃を巧みにかわす。手足をひらひらさせて、まるでタコが踊るような奇妙な動きをしていた。
見るからに不格好な避け方をされた事に、ゆりかは余計に腹が立ったが、怒りに身を任せた所で攻撃が掠る気配は全く無い。ただいたずらに体力を消耗しただけだ。
「ハァ……ハァ……」
そのまま二十秒が経過して、倍速モードが解除されてしまう。
少女は急激な疲労感に襲われて、全身びっしょりと汗まみれになる。動悸が激しくなり、胸が苦しくなって息をするのも辛くなる。足がガタガタ震えて力が入らず、槍を支えにして立つのがやっとだった。
「フンッ……だから言ったでしょ、勝ち目が無いって。二十倍の強さの私に、たかだか十倍速くなった程度で立ち向かおうだなんて、どうかしてる。聞き分けが無い子には、お仕置きが必要ね」
サヤカが小馬鹿にするように鼻で笑う。空を見上げたまま目だけ少女の方に向けて、侮蔑する仕草をした。彼女にとっては結果が見えていた勝負にあえて挑んだ相手の判断を、何の意味も無い、頭の悪い行動だと内心深く見下していた。
サヤカはスタスタと早足で少女の前まで来ると、彼女の頬を全力で引っぱたく。
「うわぁぁぁぁぁぁあああああああああっっ!!」
バチーーンと音が鳴るほど強烈なビンタを喰らって、ゆりかが悲鳴を上げながら弾き飛ばされる。高々と空に打ち上げられると、墜落するように地面に激突して、体が半分めり込んだ。
「……」
少女は仰向けに寝転がったまま微動だにしない。気を失ったらしく、目を瞑ったまま全身をだらんとさせていた。時折、意識とは無関係に体だけがピクッピクッと動く。
「あらあら、気絶しちゃったのね……もっとじっくりたっぷりと、苦痛を味あわせたかったのに。まったく、しょうがない子」
サヤカは楽しそうにクスクスと笑いながらも、相手が気を失った事を深く残念がる。彼女は相手が痛がる姿を見て楽しんでいたのであり、何の反応も示さないのでは、冷凍マグロを解体するのと何ら変わらなかった。
「まあ良いわ……寝てる間に素っ裸に剥いて、体中にエッチなイタズラして、目覚めた後に鏡で自分の姿を見て悶絶してもらうとしましょう」
起きた後に精神的ショックを受けてもらおうと、冷静に思い直した。
方針が定まると、早速少女を辱めようと歩き出す。
「そんな事させませんっ!」
ゆりかに向かってズカズカと歩いていたサヤカの前に、仲間を庇うようにアミカが立ちはだかる。通せんぼするように両腕を左右いっぱいに広げながら、グワッと見開かれた瞳で敵を睨み付けた。
ミサキもゆりかも、彼女にとっては家族のように大切な仲間だ。その仲間に屈辱を与えようとする敵の卑劣さを許せない正義の怒りが、少女の体を突き動かす。
「エア・ライズ……ファイナルモードッ!!」
大きな声で叫ぶと、右腕にある三つのボタンを全て同時に押す。強敵を前にして力を出し惜しみする余裕は無いと判断し、あえてリスクある切り札の使用に踏み切る。
金色の光に包まれて全能力が百倍に跳ね上がると、アミカは敵に向かって一気に駆け出す。
(なんて速さなのッ!)
音を超えた速さで走り抜ける少女のスピードは目を見張るものがあり、さしものサヤカも驚嘆した。彼女がゴクリと唾を飲んだ一瞬の間に、既に相手は目の前まで迫っていた。
少女は今この瞬間、速さにおいてだけは強大な敵に打ち勝ったのだ。
「……シャイン・ナックル!!」
アミカは距離を詰めると、有無を言わさず必殺のパンチを繰り出す。
全力を込めた拳が相手の腹にぶつかると、ボムッとサンドバッグを殴り付けたような感触がして、拳が後ろへと弾かれる。サヤカの皮膚は鋼のように硬く、並みの破壊力では貫けない事が瞬時に伝わる。
「シャイン・ナックル……ガトリング・ショット!!」
それでもアミカは物怖じせずに、両手を駆使した拳のラッシュを繰り出す。
シャイン・ナックルと技名を付けたそれは、オメガ・ストライク級の威力があっても、いわば百倍に跳ね上がった彼女が放つ普通のパンチだ。それを百発叩き込めば、オメガ・ストライクを百発叩き込んだのと原理は同じだと彼女は考えた。
「うららららららららぁぁぁぁぁあああああああーーーーーーーっっ!!」
勇ましい雄叫びと共に、ガトリングの砲弾の如きパンチが繰り出される。少女の拳がサヤカの腹筋を殴るたびにボムボムッと鈍い音が鳴り、それが演奏のように止む事なく鳴り続ける。
音だけ聞くと、砂の詰まったサンドバッグに千手観音が張り手をしているようだ。
「……ううっ」
そうこうしている内に五秒が経過して、百倍モードが解除されてしまう。
力を出し尽くして全ての能力が百分の一に低下したアミカは、もはや立つ力も残っておらず、土下座するように膝と両手を地面につく。表情には疲労の色が浮かび、額からは汗が滝のように流れ出す。
「はい、残念でした。チャーーラリーーラリーー、デデンッ」
一方のサヤカは、からかうようにゲームのキャラが死んだ時の音を口ずさむ。
腰に手を当てて立ったまま、余裕たっぷりのドヤ顔で少女を見下ろす。ダメージを受けた形跡は全く無く、腹筋は六つに割れたままだ。
アミカは何十発、何百発と拳を叩き込んでも、彼女に一矢報いる事が出来なかったのだ。
サヤカはその場にしゃがむと、少女の顔をじーーっと見つめる。すぐには殺そうとしない。
「まーー、アンタはよくやったよ。相手が私でなきゃ、勝てたかもね。その点は心から同情する」
相手の健闘ぶりを讃える言葉が口から飛び出す。敵に向けたと思えない馴れ馴れしい態度は、勝者の余裕と、格上の敵に立ち向かわなければならない弱者への憐れみが込められていた。
「だから、これで勘弁してあげる」
そう言うや否や、おでこにデコピンをする。ビシィッと大きな音が鳴り、強い衝撃で少女が後方へと弾き飛ばされる。
「ぐぁぁぁぁああああああっ!」
額を徹甲弾で撃たれたような痛みが広がり、アミカが大声で叫ぶ。たかがデコピンと言えど、サヤカが放ったそれは羆が一撃死するほどの威力があり、装甲少女でも無傷ではいられない。
アミカは両手で額を押さえたまま呻き声を発しながら、地面で激しくのたうち回る。やがてそのまま動かなくなった。
まさかデコピンで死ぬはずは……博士はそう思いながらも、嫌な想像をしてしまい、胸が俄かにざわつく。
「さて……と」
敵を倒した事に満足すると、サヤカはすぐ立ち上がって後ろを振り返る。視線の先には彼女と同じ顔をした、もう一人の少女がいる。
「まだやる気?」
サヤカが気だるそうにあくびしながら言葉を掛けた。無駄な抵抗はやめて降参しろと言いたげな態度だ。
「やるよっ! ここまでコケにされて、黙って引き下がれるモンですかっ! アンタだけは絶対に許さないっ! この変態ゴリラの悪党っ! バラバラに砕いて、永久に悪事が働けないようにしてやるっ!」
さやかが大声で喚き散らす。これまで受けた仕打ちに対するありったけの恨みをぶちまけた。ギリギリと割れんばかりの勢いで歯軋りし、眉間には皺が寄り、瞳は大きく見開かれて、少女とは思えない阿修羅のような顔になる。
敵への怒りで全身の血管が煮えたぎり、興奮するあまり心臓は爆発寸前になっていた。
「最終ギア……解放ッ!!」
そして感情の赴くままに右腕のリミッターを解除する。内部のギアが高速で回りだし、バチバチと電気を放出しながらエネルギーが凄まじい速さで溜まっていく。
パワーが最大まで溜まり切ると、さやかは敵に向かって一直線に駆け出す。
「オメガ・ストライクッ!!」
技名と共に、少女の全身全霊を賭したパンチが放たれる。
いつにも増したスピードで突き進んだ剛拳を、サヤカは左手だけで受け止めた。そのままギリギリと握力で締め付けて、決して離そうとしない。
「フンッ……一度防がれた技を、懲りずにやるなんて……とんだお馬鹿さんね」
学習能力の無さを見下すように鼻で笑う。
「馬鹿は死ななきゃ治らないっていうから、私が殺してあげる……おらぁっ!」
相手の拳を左手で掴んだまま、右手を強く握って、少女の腹を思いっきりぶん殴った。
「うぶるぅぅぁぁぁぁああああああああっ!」
みぞおちにドフゥッと重い一撃を喰らい、さやかが思わず奇声を発する。殴られた衝撃で、地に足を付けたまま引きずられるように数メートル後ろへと押された。
「うぐぅ……」
両手で腹を押さえたまま、前のめりに崩れるように倒れ込む。内蔵を圧迫されて吐き気を催したのか、時折オエッと気持ち悪そうに嘔吐く。
「そろそろ終わりにしましょう……ひと思いに一撃で止めを刺してあげる」
サヤカはズカズカと歩いて少女の前まで来ると、勝ち誇ったように相手を見下ろす。それ見た事かと言わんばかりの得意げなドヤ顔を浮かべる。
一方のさやかは辛そうに呻き声を発したまま地面にうずくまっており、立ち上がる気配すら無い。もはや勝敗は決したかに見えた。
「死ねぇぇぇぇえええええっ!」
サヤカはそう叫ぶや否や、少女の首めがけて左手による貫手を放つ。
鋭い刃のように研ぎ澄まされた指先が、生身の肌を貫こうとした瞬間……。
「……うぐうっ!」
突然サヤカの左手に激痛が走り、思わず声が出た。
彼女の左手はまるで高圧電流に触れたようにビリビリ痺れて、全く力が入らなくなる。直後ブルブルと小刻みに痙攣して、腕の血管が膨張して破裂しそうになる。
「な、何なのっ! これっ!」
自分の体に発生した異常に、サヤカが深く困惑した。何の前触れも無く起こった出来事に、どうすれば良いか訳が分からず、半ばパニックに陥りかけた。
顔は恐怖で真っ青になり、額からは汗が滝のように流れ出し、寒気がして手足の震えが止まらなくなる。
(まさか、さっきオメガ・ストライクを受けたダメージが、今頃になって……!?)
……そんな憶測が、彼女の頭に浮かんだ。
普通に考えれば、ありえない事だ。二十倍の強さである今の彼女にとって、オメガ・ストライクなど屁みたいなものだ。事実、同じ威力のシャイン・ナックルを受けた時は掠り傷一つ負わなかった。更に彼女には超速の自己修復能力まで備わっていた。
だが今彼女の身に起こった異変の原因は、間違いなく技を受けた事によるものだ。しかもそれによって生じた痛みは、決して回復しないのだ。
サヤカはもちろん、博士にとっても理解が追い付かない、矛盾だらけの事象だった。
サヤカが困惑しながら腕の痛みに苦しんだ時、それを待っていたようにさやかが立ち上がる。
「うらぁっ!」
勇ましい掛け声と共に、有無を言わさず相手の顔面に頭突きをした。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁああああああああああっっ!!」
顔面に思いっきり石頭をぶつけられて、サヤカが悲鳴を上げながら、ゴミのようにあっけなく吹き飛ばされる。腕の痛みに意識が向けられていた彼女には、ガードする暇など全く無かった。
本当に二十倍の戦力比があるのか疑いたくなるほど、頭突きは彼女に大きなダメージを与えていた。
地面に倒れたまま起き上がろうとしない敵を眺めながら、さやかが「へへんっ」と得意げに右手の人差し指で鼻擦りする。
「こっからは……私の反撃よっ!」
……そう口にする少女の全身から、赤い炎のようなオーラが微かに出ていた。




