第149話 最強の敵、もう一人のワタシ。(前編)
敵が最も恐れる姿に変身し、その者の記憶と能力、果ては人格までも完全にコピーするというミスター・エックス……さやかと瓜二つの少女へと変身する。
彼……いや彼女は名を赤城サヤカと言い、自らを平行世界のさやか本人と称した。
事もあろうにバエルに忠誠を誓った旨を告げると、悪の戦士である装甲少女ゼノ・グレイブへと変身するのだった。
「赤城サヤカ……ゼノ・グレイブ……」
自分そっくりの少女に言われた言葉が到底受け入れられず、さやかは虚ろな目をしたままポカンと口を開ける。これから戦いが始まろうというのに、それに気付けないほど心を強くかき乱された。
彼女の言葉が真実なら、たとえ平行世界だとしても、さやかは自分自身と戦わなければならない。しかももう一人の自分は人類に愛想を尽かし、忌むべき魔王の手下に成り下がったというのだ。とても正気ではいられなかった。
だが少女が棒立ちになっていようとお構いなしにサヤカが襲いかかる。
「ボーーッとしてる暇なんか無いわよっ! もう一人の私っ!」
皮肉交じりに言うと、まずは挨拶とばかりに右拳によるパンチを繰り出す。さやかはそれを避ける間もなく喰らってしまう。
「うっ……ぶるぁぁぁぁああああああっっ!!」
みぞ落ちに岩のような剛拳がドグォッとめり込んで、口から奇声が漏れ出す。内蔵が激しく圧迫された衝撃に、気持ち悪くなって吐きそうになり、それを堪えるのに必死だった。少女はあっけなく後方へと弾き飛ばされて、強い衝撃で大地に激突してめり込んだ。
「ううっ……」
そして車に轢かれて死にかけたヒキガエルのように、だらしなく大の字に寝転がったまま手足をピクピクさせた。
「おのれ、赤城サヤカとやらッ! 私は貴様をもう一人のさやかなどとは思わんッ! 悪魔に魂を売り、他人を殺す事を躊躇しなくなった者が、さやかと同じでなどあろう筈がないッ! 少女の皮を被った悪魔め、今すぐ化けの皮をひん剥いてやるッ!」
仲間を傷付けられた事にミサキが激昂する。サヤカの悪行を激しい口調で罵ると、たとえ同じ顔をしようとも、倒す事に一片の迷いも抱かないのだと決意を伝えた。そして一本の刀を両手で握って構えると、感情の赴くままに敵に向かって走り出した。
「我が剣の錆となるがいいッ! この偽者めッ!」
大声で叫びながら、少女に斬りかかろうとする。だが振り下ろされた刃が触れかけた瞬間、サヤカの姿がフッとワープしたように消えてしまう。
「ッ!?」
敵の姿を見失った事にミサキが深く困惑した。嫌な予感が頭をよぎり、急いで後ろを振り返ると、目と鼻の先にサヤカが余裕ありげに仁王立ちしていた。少しでも顔を突き出したらキスしてしまいそうな距離だった。
いきなり敵が目の前に現れた事に驚いて、ミサキは反射的に後ろに下がってしまう。
「ふんっ!」
サヤカはすぐさま右手でビンタを放つ。
「うぐわぁぁぁぁああああああっ!」
頬をベチーーンと引っぱたかれて、少女が悲鳴を上げながら吹き飛ばされる。それはとてもビンタとは思えないほど強烈な破壊力で、ミサキは高速で錐揉み回転しながら廃墟の家に激突して、その衝撃で建物が倒壊して瓦礫に呑まれてしまう。
「ミサキっ!」
ゆりかが心配そうな顔をしながら、慌てて仲間の元へと走り出す。
「他人の心配する余裕なんて無いわよ」
だが彼女の邪魔をしようとサヤカが眼前に立ちはだかる。
「うららららららぁっ!」
そして気合の篭った掛け声と共に、両拳を使った高速のラッシュを繰り出してきた。
「ぐうっ!」
ゆりかは槍の刃先を盾代わりにして、咄嗟に相手の拳をガードする。ガトリングの弾のように放たれる連打を、同じくらいの速さで受け流して耐え凌ごうとする。拳と刃がぶつかるたびにギィンッと甲高い金属音が、雨音のように鳴り響く。
エア・ナイトはスピード重視タイプだが、サヤカはそれと互角に渡り合える速さがあった。更にパワーは相手の方が上であり、一撃防ぐたびにゆりかは後ろへと押されていく。槍を持つ手にビリビリと振動が伝わり、腕の筋肉が悲鳴を上げる。次第に呼吸が荒くなり、体力の激しい消耗を自覚する。
このまま防戦一方に徹しては、防御を崩される事は目に見えていた。
「……だったら!」
少女はそう口にすると、すかさず後ろへとジャンプして敵との距離を大きく開ける。直後少女の姿が二人に分裂して、それぞれ真逆の方角に走り出した。
二人のゆりかはサヤカから等間隔に距離を開けると、そのまま円を描くようにグルグルと走り出す。それが数秒続いた後、今度は前後から挟み込むように二人同時に敵へと襲いかかった。
サヤカにとっては一方の敵を攻撃すれば、もう一方の敵に背を向ける格好だ。
「もらったぁぁぁぁあああああーーーーーーっっ!!」
勝利を確信した言葉と共に、槍の一撃が放たれる。相手がこの策を見破れる筈がないという考えがあり、胸が俄かに沸き立つ。
だがサヤカはニヤリとほくそ笑むと、飛んできた一方のゆりかに躊躇なく拳を振るう。
「うぐぅううっ!」
少女の顔が苦痛に歪む。腹に拳が深くめり込んで、骨が軋む音がメリメリと鳴る。その直後、攻撃しなかったもう一方のゆりかが霧のように散っていく。どちらが残像か、最初から見抜いたようだった。
「うぐぅ……」
サヤカがめり込んだ拳を引き抜くと、ゆりかが呻き声を漏らしながら、崩れ落ちるように前のめりに倒れ込む。殴られた腹を辛そうに両手で押さえたまま、ダンゴムシのように体を丸まらせた。
「ウフフ……とんだお馬鹿さんね。私に子供騙しが通用すると本気で思ったの? ねえ、思った? どうなの?」
サヤカはクスクスと楽しそうに笑うと、地面に寝転がった少女の横顔を足で踏み付ける。ねちっこい言い回しをしながら、足の裏をグリグリと押し付けた。正に下僕を調教する女王様気取りだ。
「足の裏を舌で舐めて、綺麗にしなさい……全裸で四つん這いになって命乞いすれば、命だけは助けてあげる。そうね……首輪を付けて、私の言いなりになるペットとして飼ってあげてもいいわよ。アハハハハッ!」
とても親友に向けたとは思えない侮蔑的な言葉を浴びせる。相手を見下ろす冷徹な眼差しは、完全にゴミを見るような目をしていて、他人への優しさなど微塵も感じられない。まるでバエルに影響されてしまったような、上から目線の物言いだった。
(そんな……)
腹を殴られた痛みから立ち直れずにいたさやかだが、それでも視界に入るもう一人の自分の姿に、深い悲しみを抱かずにいられない。親友の顔を足蹴にして服従させようとするサディズムな嗜好が自分の中にあるかもしれないなどと、彼女は死んでも認めたくなかった。とてももう一人の自分がやってるとは思えない悪行に、怒りと悔しさで涙が止まらなくなる。思わず割れそうになるほど強く歯軋りしていた。
「ゆりさんから離れてっ!」
少女の顔を踏み続けていたサヤカの前に、アミカが立ちはだかる。揺るぎない決意に満ちた瞳で、敵を威嚇するように睨む。これまでの暴虐な振る舞いを許せない気持ちで胸が沸き立ち、何としても敵を倒さなければならない使命感に駆られた。
格上の敵と対峙する恐怖で手足が微かに震えたものの、拳を強く握って自らを奮い立たせた。
「フンッ、年上のお姉さんに逆らうとは、小生意気なガキね……だったら良いわ。望み通り、アンタから躾けてあげるッ!」
サヤカは小馬鹿にするように鼻で笑うと、すぐさま眼前の敵に向かって走り出す。右拳に力を溜め込んで、相手を全力で殴り飛ばそうとした。
だがアミカが両手のひらを正面に掲げると、手のひらを中心として金色に輝くバリアがドーム状に発生して彼女の全身を覆う。
繰り出したパンチがバリアに激突して、サヤカは強い衝撃で後ろへと押し返された。
「……やるじゃない!」
少女は咄嗟に両足に力を入れて踏み留まると、渾身の一撃を跳ね返した相手の実力を素直に称賛する。これまで舐めた態度を取り続けたが、さすがに勝ち進んできただけの事はあると冷静に思い直した。
「今度はこちらから行きますっ! エア・ライズ……スピードモードッ!!」
アミカはそう叫ぶや否や、右腕にある三つのボタンのうち一つを押す。直後五倍に跳ね上がった速さで、敵の周りを全力疾走する猫のように走り出した。相手の攻撃を空振らせて、その隙に乗じるという、いつもの彼女が取る作戦だ。
勝算もあった。敵の速さがゆりかと同程度なら、五倍速くなった自分には到底追い付けない……そうした考えが、彼女の中にあったのだ。
「……フッ」
だがそんな少女の行動を、サヤカが鼻で笑う。相手の渾身の作戦を、子供の遊びだと嘲笑うように、何もしないまま平然と突っ立っている。それが相手の策を破れる余裕からなのか、それとも強がりなのかは分からない。
しばらく少女が走るのをただじっと眺めていたサヤカだが、やがてそれにも飽きたのか、突然大地を強く蹴って、前方に向かって一気に駆け出す。そしてすぐさまアミカの背後にびったりくっついて、いつまでも離れない。
「……ッ!!」
アミカは驚愕した。自分がどれだけ速度を上げようと、相手と距離を開ける事が出来ない。それどころか自分は精一杯全力を出し切っているのに、相手は明らかに余力があるように笑いながら走っているのだ。
彼女はゆりかと互角に渡り合った時には本気を出していなかった。その事実に目眩がして、気が遠くなりかけた。
「そろそろ追いかけっこも終わり……お姉さんがお仕置きしてあげるッ!」
サヤカはそう言うと、すぐに追い付いてアミカを背後から両腕で抱き締める。手と手をガッチリ組んで固定すると、そのまま腕に力を込めて、ギリギリと内側に締め付けた。
「がぁぁぁぁぁぁああああああああっっ!!」
少女の悲痛な叫び声が辺り一帯に響き渡る。ゴリラのような怪力で繰り出されたベアハッグは凄まじく、骨と内蔵が砕ける音がメリメリと鳴る。アミカは苦しさのあまり手足をバタつかせてもがくが、拘束を振り解けない。やがて悲鳴を上げる余力すら失い、ピクリとも動かなくなる。
サヤカが両腕を離すと、アミカは前のめりに地面へと倒れ込んだ。
「……」
虚ろな目をして手足をだらんとさせたまま、死んだように寝転がる。口からはだらしなく涎を垂らして、一言も発しない。時折引き付けを起こしたように、体をピクッピクッと動かす。死ぬまでには至っていないものの、とても戦う力が残っているようには見えない。
「なんて事をッ!」
年端も行かない少女を傷付けられた事に、さやかが深く憤る。腹に受けた痛みから立ち直れずにいた彼女はこれまで戦いを見ている事しか出来なかったが、その痛みすら忘れさせるほど強い激情に駆られた。体の芯から悪を憎む気持ちが、激しい炎のように燃え上がり、彼女に再び立ち上がる力を与える。
「みんなを傷付けた事……許せないッ! アンタなんて、もう一人の私でも何でもないッ! 絶対に潰すッ! 一片の塵も残さず、この世から消し去ってやるッ!」
敵意に満ちた言葉を並べ立てて、平行世界の自分を倒す迷いを捨てた事を伝えた。家族のように大切に思う仲間に手出しされた怒りで、ブチ切れる寸前だった。
「最終ギア……解放ッ!!」
そしてすぐさま右腕のリミッターを外して、技を放つ準備に入る。腕に内蔵されたギアが高速で回りだし、エネルギーが凄まじい速さで溜まっていく。
やがてパワーが完全に溜まり切ると、さやかはすぐに敵に向かって駆け出す。
「オメガ・ストライクゥゥゥゥウウウウウウウウッッ!!」
大声で技名を叫びながら、必殺のパンチが繰り出される。ロケットの砲弾の如き剛拳は、ビュウウウッと風を切る音を鳴らしながら、眼前の敵めがけて突き進む。
だが破壊力のある一撃が迫っているにも関わらず、サヤカは慌てる素振りを全く見せない。それどころか相手の実力を完全に舐めたように鼻歌まで唄っている。
「アンタのヘナチョコなパンチなんて、石ころ一つで十分よ」
少女はそう言い放つと、足元に落ちていた小石を拾い上げる。それを手のひらに乗せると、フウッと強く息を吹きかけて、正面に向かって埃のように飛ばした。
飛び道具となって発射された小石が、さやかの拳に触れた瞬間……。
「うっ……うわぁぁぁぁぁぁあああああああああっっ!!」
天にも届かんばかりの絶叫が放たれた。小石はパンチに触れた途端、ダイナマイトのように爆発して、さやかはその衝撃で吹き飛ばされたのだ。
それはとても小石の威力とは思えなかった。まるで小石と同じサイズの爆弾でも投げ付けたかのようだ。
「うっ……ぐうう」
さやかが地面に倒れたまま、苦痛に表情を歪ませる。技を破られた悔しさが湧き上がったものの、それでも立ち上がれないほど深手を負った。爆発の衝撃をモロに浴びた彼女は、全身が千切れんばかりの激痛に襲われて、少しでも気を抜いたら意識を失いそうになっていた。
「ウフフッ……これで分かったでしょ? 圧倒的な力量の差が」
倒れた少女を見下ろしながら、サヤカが勝ち誇ったように笑う。
彼女は爆弾など仕込んでいない。ただ何処にでもある小石に、強く息を吹きかけて飛ばしただけだ。だが彼女の力が宿った石は、ダイナマイトに匹敵する破壊力を有したのだ。力の差は歴然だった。
「今の私の力は、アンタ達の二十倍……エア・グレイブルと同程度よ。アンタ達には万に一つも勝ち目は無いわ」
……更なる残酷な事実が、彼女の口から突き付けられた。




